~第1章 旅立ち ロイド編~

第1話 マリウス工房

「マリウス工房というのはここかね?」


 開け放しているとはいえ、帽子もとらずにその白髭男しろひげおとこは、開いたドアを申し訳程度にノックするのが先か、口を開くのが先か、というくらい突然に呼び掛けた。

 いきなりの来訪にあたしは最初驚いて、その見慣れない男を固まったまま凝視してしまったけど、


生憎あいにくと親方は留守よ」

 と愛想なく答えて作業台に向き直った。


 第一声が 『すみません』じゃなかったのも気に入らなかったし、帽子をとらない態度も面白くなかったし、どこか怪しげなその男が到底「客」のように思えないと直感してしまった。なにより不意討ちの呼び掛けで作業中の手元が狂ってしまったのが腹立たしかった。


「なんと! マリウス殿は留守なのか……」

 あたしのぶっきらぼうな態度には反応せずに、男は独りごちた――あたしには興味がないとでも言わんばかりに。


 ますます腹の立ったあたしはとうとう金槌を置いて立ち上がり、威勢よく返した。

「仰るとおりここがマリウス工房よ! あたしはパ、親方の一番弟子でもあり、この工房の跡取り娘アンヴィル・マリウス! 今は明日納品のこの牛鍬うしくわを打ってるところ! それで? “作業中の鍛冶かじ職人”に不躾な物言いをするだけする貴方はどこの何方どなた?」


「やや! これは失礼。私はロイド・ノーマンと申しまして、実は以前こちら宛に仕事の依頼をした者です」

 慌てて帽子をとった男の頭は髭同様に綺麗な銀色をしておりどこか品を感じさせる風だった。


「私とした事が大変失礼しましたアンヴィル嬢。言い訳になってしまいますが何分なにぶんこういった所へ来るのは初めてで、挙句少々迷ってしまい、さっきの質問も実はここが三件目なのですよ……」


 まあ怪しいと言えばこちらも怪しい商売なので、ひょっとしたら警戒していてたのかもしれない――と、あたしは前向きに解釈する事にした。ロイドと名乗るその初老の男がさっきよりもいい人に思える程にその口髭に隠れた口角がなんとなく彼の人柄の良さを伝えている様にも見えたし。


「なんだ、お客さんだったのね。ウチは馴染み客ばかりだから……知らない人が来てびっくりしちゃったわ」


「失礼、扉が開いてたので営業中だと思い……」

 取った帽子を胸元に当てながら男はペコリと頭を下げた。


「ロイドさんって言ったかしら? 外から来た人よね? 見たところドワーフの町に来るのも初めてって雰囲気ね」

 男が客だとわかったので、エプロンをとりながら真ん中のテーブルに腰掛けた。


 本来、注文ならあたしの背中にあるカウンターでとるんだけど、慣れないお客や特別な注文の際にはここであたしが話を聞くことにしてる。パパは口下手だからこういうのはお喋り好きなあたしの役目だと、いつからかそういう風になっていた――といっても、このテーブルに座るのは大抵は近所の連中が油を売りに来てお喋りして帰っていくだけなんだけど……


「いやはや、まったくその通りでして……こうしてドワーフの方にお会いするのも私には初めての事なのです。慣れぬ所で少々緊張しておりました故、礼儀を欠く挨拶となってしまい誠に申し訳ありません」


 ドワーフを見た事がないと言ったロイドは、落ち着かない様子で、汗を拭うあたしの手元を無意識に追いかけていた。人間からするとドワーフの低い身長が物珍しいというのは知っているので別段ジロジロ見られるのはいつもの事だけど……やはりいい気はしない。


――だけど彼はどうやらお客様! 笑顔で対応するのがプロってもんよ!


「お客さんというのならどうぞ座って頂戴。グリクルのおやっさんのくわなら多少遅れたって平気よ。どうせいつものツケなんだから……コーヒー? それとも紅茶かしら?」


 丁寧に腰掛けたロイドと入れ違いに立ち上がりながら聞くと申し訳なさそうに答えた。


「実は先ほどから喉が渇いておりまして、その、よろしければお水を頂けますか?」

 と銀色の口髭が訴えて来たので、カウンターの裏で水を汲みながらあたしは久々のお客への対応を軽く思い出しながらテーブルに戻った。


 水をロイドの前に置くとあたしはまた腰掛けて胸の前で腕を組みながら尋ねた。

「それで、今日はどういったご用向きかしら? 前の依頼がどうとか……わかった! ウチの商品にケチつけに来たとかなんでしょ? たまーにいるのよね、そういう連中が……でも返金はしないわよ! ウチは依頼通りにきっちり打ってる! 先祖代々そうやって来たんだ……『半端な仕事はしない!』それがこのマリウス工房の伝統だし、ドワーフ鍛冶の意地でもあるわ! 職人にケチつけるやつは大抵インチキで返金しようってヤツばっかりなんだから。ドワーフだからって足元みるんじゃないわよ? それだけは覚えておいてちょうだ――ってアレ? 貴方ドワーフの町には初めて来るってさっき言ってなかったかしら?」


 あたしの言葉に口も挟めず水も飲めずにいたロイドは右手のコップを一気にあおって飲み干した。


「ふぅー……ありがとうございます」

 大きくまばたきをしたロイドの顔が心なしか血色を取り戻す様に見えた。背もたれから体を戻した彼は顔の前でゆっくりと指を組んで話始めた。あたしはお祈りでもされてる気分だった。


――よっぽどお水が美味しかったのかしら……


「仰る通りですアンヴィル嬢、私は以前こちらへ依頼をしました。ですが本日は返金要求に参ったのでは有りません。実は依頼の商品はまだ頂いてはおりません。ですから返金どころか代金すら支払ってはいないのですよ」


 その言葉にあたしは身を乗り出した。

「そんなのおかしいわ! ウチは前金商売よ! どんな小さなものでもぜーったいに前もってお代を頂いてる。それから初めて工房で作成するんだから!」


――どうにも胡散臭くなって来た。親方であるパパは人付き合いが得意な方でもないし、根っからのドワーフ鍛冶らしくやはり職人気質しょくにんかたぎで商売や交渉事なんかは不器用なのは知ってるけど、それにしたって後払いで仕事を請け負う程ボケちゃいないわ。この髭ジジイは何て事を言い出すのかしら、ちょっと信用しそうで本当に危ないところだったわ……あたし多分舐められてるわ。


「あのね、ロイドさん。貴方ドワーフに疎いのか知りませんけどね、確かに貴方からすればあたしは子供に見えるのかも知れませんけどねぇ……これはドワーフ族の特徴で、あたしはこれでれっきとした成人女性なんです。レディーなの! お分かり? 子供だと思ってからかってるなら飛んだ大間違いよ?」


 いつの間にか立ち上がっていたあたしは身をよじりながら彼を見下す格好になっていた。


――舐められてたまるもんですか!


「ええ、存じておりますアンヴィル嬢。ドワーフ族の特徴は私も知識として知っていました。確かに、最初に貴女のお姿を拝見した時、私共人間ヒューマンでいう十歳前後の少女の様に見えましたが、お話から貴女が成人女性レディーである事はわかりましたし、ここに来るまでにドワーフ族の子供らを見かけましたので……」


 ハッとその瞬間あたしはその男の大嘘の致命的欠陥に気付いてしまった。というかもはや確信だった。


「そうよ! そうだわ! やっぱりおかしいじゃない! 貴方、ドワーフの町に初めて来たと言ったわよね?」


「ええ、その通りです」

「ドワーフに会うのも?」

「はい初めてお会いしました」


「そんなのおかしいじゃない! どうして貴方が前に仕事を依頼してるって言うのよぉ!!」


 勢い余ってテーブルをバンッとやった拍子にロイドのコップが跳ねてがらんと着地した。


 あたしの興奮に対してすまなさそうに目をゆっくり瞑りそして頷きながらロイドの口髭が動いた。

「そうですよね、やはり直接お願いするのが礼儀でございますよね……実は依頼というのは以前、手紙にてお願いした次第でございます――かれこれ三ヶ月前になります。ですがそれからお返事を頂けなかったものですから、今度はこうして改めて依頼のお願いに参ったのでございますよ」


 そう聞くや否やあたしはロイドの整った身なりや品のある口調にを思い出した。


「あー!!」


 その手紙は直接見た事はなかったが、以前パパがボヤいていたのを何の気なしに聞いた事を、あたしは昨日の事の様に思い出してしまった。


「あんたかぁ! 前にパパに変な注文を手紙で寄越したっていう道楽貴族はぁ!」


 気付けばあたしはマリウス工房の受付窓口ではなくヴィーラント・マリウスの一人娘として喋っていた。


「あんたの訳のわからない手紙なんかとっくにパパは破り捨ててしまったわ! で三ヶ月後に直接来たって訳? 呆れた! のんびりだしお気楽だ事! いい事、ウチは何でも屋じゃあないの! なんでも引き受けると思ったら大間違いよ! 性懲りもなくまた依頼だなんて……パ、コホン、親方が居なくて良かったところよ。でなきりゃ今頃貴方のその思い上がった根性を、親方がお得意の金槌ハンマーで打ち直してしまってるに違いないわ」


 言いたいことをスッキリ出したあたしはまた元の受付窓口に戻っていた。


「残念だけどロイド様、当工房では道楽貴族様にご用意出来るような品物はお造りしておりませんので、ささどうぞどうぞお引き取り下さい!」


 最後に嫌味たっぷりにしてあたしはロイドにトドメを刺し、手のひらを向けて両手で出口を指した。


 これ以上ないサインを示された筈のロイドは困った顔で、「そうでしたか、手紙は破られていたのですか……」と溢したが、半分独り言の様なその言葉にあたしは追い討ちをかける。


「ロイドさん、貴方の様な身分の方には理解出来ないでしょうけど――」そう言いかけたところでロイドは慌てて訂正してきた。


「いえいえ、私は貴族ではありません。真に依頼をしたのは我があるじ――私は使いの者なのです」


 意外な言葉に固まるあたしにロイドは続ける。



「我が主は、ヘックス・マレフィカ・シャルウェリン閣下なのです」



 今のあたしの目は多分二倍くらいに膨らんでいるに違いない。それくらい予想外の言葉に、ほんの一瞬思考が止まった。


「公爵ですって! 王族じゃない! そんな偉い人がどうしてウチに?」


「……アンヴィル様、どうかこれから話す事は他言無用にてお願い致します」


 なんとかそこまで切り出しながらもどこか口籠るロイドに今度はコーヒーかお茶か尋ねると、「濃いコーヒーは頂けますか?」との事だ。


 流石の私も王族の使者を叩き出し辛いので仕方なく自分にもコーヒーを煎れてまた席についた。


 コーヒーの湯気を鼻腔で味わって少し落ち着けた様子でロイドは続けた。


「王族と申してもその……ヘックス様は、所謂いわゆるなのでございます……」


「――ヘックス様なんて聞いた事ないわ、でもシャルウェリンってどこかで……」


 話し辛そうに今度はロイドが口を開いた。

「アンヴィル嬢、こちらの……」


「そのとかっての、やめてくれない。こちとらドワーフ鍛冶の田舎娘よ? 肩が凝るったらないわよ、この辺じゃマリウス工房の『アンちゃん』で通ってるんだから」

「ではアン様」

「アンだってば」

「流石にレディーに対してそのような……」


――そろそろ面倒臭くなってきた。


「じゃアンさんでいいわよ。いいから続けて」


 やはり話し辛そう、いや今度は聞き辛そうに切り出した。

「アンさんこちらの工房、マリウス工房は通常の鍛冶職人ブラックスミスであると同時に一流のであるとお聞きしましたが、それは本当なのですか?」


 ああその話か、とあたしは聞き辛そうにした訳を理解して、けれどしっかりと答えた。


「王族の方にもそんな話が届いてるだなんてね……一つ訂正よ! 一流じゃないわよ? “超一流”よ! ルーンスミス、つまり武具にルーン文字を彫り込んで魔術的効果を宿す技術は我がマリウス工房の始祖、ヴィーラント1世が完成させたのよ。云わば本家本元ってわけ。はっきりいってウチ以上のルーンスミスはいないでしょうね……特にパ、親方――今の棟梁は歴代の中でも指折りの職人よ。それで今も――あ、今親方はクロイウェンの街で貿易船のルーン加工に行ってるのよ。腕利きのルーンスミス達の棟梁として指揮を執っているわ。聞いた事ない? クロイウェン最大の貿易ギルド、マルコ商会が史上初めての魔術加工の大型船、ルーンシップを建造してるのよ。まあそれで、あと半年くらいは留守ってわけ……だから今居ないのよ」


「……なんと、やはりマリウス工房は最高峰のルーンスミスでしたか。しかし当のマリウスしょうが居ないとは……」


 節目がちなロイドの目はこちらからは見えないけど明らかにって感じで、少し哀れに思えた。


 そう思ったあたしの口から突いて出た言葉はあたし自身思いもよらないものだった。



「あのさ、あたしもルーンスミスなのよ? パ、親方の代わりにあたしで良ければお話聞きましょうか?」



 発した言葉に自分でも驚いたけど、それ以上にロイドは目を丸くした。

「今なんと?」


 言った言葉に少し恥じらいを思い出すようにあたしは頭を掻きながら、

「言ったでしょ、マリウス工房の跡取り娘だって……これは親方――いえ父に認めて貰っての事なのよ? あまり高度なものとなると多少は時間が掛かるだろうけど……その辺のボンクラドワーフなんかに負けないわよ? あたしも立派な『』なんだから」


 照れで頬が少し紅くなってるのが自分でもわかったが、恥らいを覚える自分よりも、ロイドの話――王族の方が一体どうして、また一体依頼したのか――に興味を持ち出した自分が今や勝ってしまっていた。

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