第5話 リコルの酒樽

「コーヒーと目玉焼きのいい匂いですな」

 朝食の薫りに誘われてロイドが降りてきた。


「あら、お目覚めね。ちょうど起こしに行くところだったのよ。顔を洗うなら水桶はそっちね」

 台所から半分だけ振り向いてあたしは朝食の準備をしていた。



「さあ、掛けて。朝食にしましょう」

 テーブルに目玉焼きとポテト、それから昨日のスープの残りを並べながらあたしは先に腰掛けた。


「何から何まで、お世話をおかけします」

 昨日からの丁寧な客人は今朝も礼儀正しい。


「あんまり、気にしないで! 気楽にやりましょ、!」


 あたしはの肩をバシバシ叩いた。


「ロイさん?」

 軽くコーヒーを吹き出したロイが尋ねる。


「これからはビジネスパートナーよ。仲良くやっていくんだから、呼びやすい方がいいでしょ?」


***


 食卓についたロイが部屋を見回しながら尋ねた。

「そう言えば……他の職人の方はいらっしゃらないのですか?」


「アハハ……」と苦笑いしてあたしは答える。

「剣や盾を作ってた時代ならともかく、エンゲージリングを作ろうなんて物好きは今の若い男の人にはいないわよ。女性のドワーフにもあんまり人気のない地味な仕事だしね……」


 黙って朝食を食べるロイにあたしは続ける。


「そりゃあ、ウチはマリウス工房。それなりにマリウスの名前を求めて修行にくる人も居るには居たけど、パパがね……結局追い出したりするのよね……」


 口籠るあたしを察したのか、ロイは話題を変えてくれた。

「そう言えば、今日はお酒を買いに行くんでしたな」

「ええ、そうね」

「それから、旅の準備をしませんと……」

「え?」


 ロイの口から出た「旅」というフレーズがあたしには実感のない言葉だった。


「旅?」

「ええそうですよ。ミスリル銀の話をシルバー氏から聞いたら今度はミスリル銀を求めての旅になります。それにアンさんにはアクス=アラに一度お越し頂かなくてはなりませんし――」

「あんな遠い所にー!?」

 あたしは思わず立ち上がってしまった。


「その遠い所から私は参ったのですよ」


――そうだった。

 しかしあたしもそこへ行くのかと思うと気が遠くなる思いだった。


「銀の靴の作成のため、ヘックス様に靴の採寸をお願いしなくてはなりませんし、手紙に同封していた魔法陣の図面もご一緒に破かれてしまったのでは……こちらも一度ヘックス様にお聞きしなければなりませんから」


――まあ、公爵閣下にこんな田舎町までご足労頂く訳にはいけないだろうけど……確かにこりゃ「旅」になるわね。


 あたしは半ば諦めたように覚悟を決めた。


***


 それからあたしはロイにお願いをした。

 出来上がった鍬をグリクルのおやっさんに渡してくるようにと、地図を渡した。


 ロイが商品の届けに行ってる間にあたしは、朝食の後片付けをして、旅の準備をした。

 愛用の仕事道具をバックに詰めたり、工房の炉を掃除したり、しばらく店を空ける事をギルド宛ての手紙に書いたり、ロイが帰って来るまでに大急ぎでやってしまった。


***


 帰って来たロイがパンパンになったリュックを見て聞いてきた。

「旅支度はお済みのようですね」

「ええ!」

 あたしは鼻息を荒げた。


「――何か……護身用のモノを持って行った方がいいのでは?」


 そう言われてあたしは工房を見渡した。


「アレがいい!」


 工房の隅から一品持ってきたあたしにロイが尋ねた。

「ガントレットですか?」

「ひいおじいちゃんの形見のね! それにこれなら旅の途中あたしの手を護ってくれるでしょ?」

 めたガントレットをさすりながらあたしは答えた。


「そうですね。大切な職人の手でしたね」

 ロイがにっこり返した。


***


 表に出るとロイが連れて来た馬がいた。お使いのついでに町の入り口で預けていたのを連れてきたらしい。若い馬で毛並みは黒くて綺麗でたくましい筋肉がなんとも頼もしい感じだった。


「これに乗ってきたのね?」

「途中からです。アクス=アラへは馬では行けませんよ」


――確か雪山をいくつか越えるか、海を渡って行くんだったか……あたし本当に行けるだろうか。


 荷物を馬の背に預けてロイが手綱を引いた。

「お隣の酒屋さんでしたね?」と行き先を確認してきた。


「隣といっても田舎の隣だからね。少し歩くわよ?」と言ってあたしは案内役を買って出た。

「こっちよ」



 マリウス工房から三百メトロン(※1メトロン=約1メートル)程北隣の『リコルの店』には直ぐに着いた。短い道中であたしはロイにリコルの事を説明しておいた。

 お人好しで典型的なドワーフ母ちゃんである事。小さい頃あたしの面倒を見てくれた母親代わりであった事。“母親代わり”って言葉に少し顔を曇らせたロイだったがいつもの紳士な態度でそれ以上聞く事はなかった。



「おばちゃーん。いるー?」

「おや、アンちゃん。下戸げこのあんたが店の方に来るなんて珍しいじゃないか。昨日分けた玉ねぎは美味うまかったかい?」

 奥から模範的なドワーフの母ちゃんともいえる恰幅のいいリコルおばちゃんが顔を出してきた。


「いいスープになってくれたわ。それより、おばちゃん、あたしは下戸じゃなくて弱いだけ! 飲めるには飲めるのよ!」

 いつまでたっても子供扱いするおばちゃんにあたしは口を尖らせた。


「どっちも違いないさね。酒の飲めないドワーフも酒の弱いドワーフも。それよりそこの紳士はどなただい?」



 あたしはおばちゃんにロイを紹介し、モリア爺に持っていく酒を買いに来た事を伝えた。


「――なるほどなぁ。モリアの爺さんならがあるよ。ちょいと待ってな」

 そう言っておばちゃんは奥から大きなたるをとってきた。


「それは?」

 あたしは樽に印されたぼやけた文字を読めずに目を細めながら聞いた。


「エールさ」


 あたしは耳を疑った。エール呑むドワーフなんて聞いた事がない。ドワーフは強いラムを好んで呑むもの。アルコールの弱いエールなんてドワーフに出したら普通は失礼にあたるのがドワーフの中の暗黙の了解だからだ。


「そんなの持って行ったら殺されるわ!」

 あたしは店のカウンターをバンっと叩いた。


「普通はな。まあお聞き」

 そういいながらおばちゃんはパイプをくゆらせた。


「エールなんて普通ここらじゃ取り扱わない。中にゃ『こんな水みたいなもん飲めるか』って怒るやつも、まあいるわなあ。だけどモリアの爺さんはこいつを好んで呑むそうだ……なんでも特別に旨い飲み方を見つけたとかでな。たまにウチにも注文が入るのさ。そういう時の為にとってある樽さねコイツは……」


 モリア爺の事をあまり知らないあたしは素直におばちゃんの言う事を聞いた。



「あたしが殺されたら呪ってやるからね!」

 半分不安をおばちゃんにぶつけて樽を馬にくくりつけた。


「ホッホッホ。あんたが簡単に死ぬタマかい? 相手はくそジジイだよ、気楽に行ってきなよ?」


 どこまで本気かわからないおばちゃんの言葉を背中で受けながらあたし達は店を後にした。


「エールはあんまり揺らすと炭酸が弱くなるからね」

 という言葉を受けてあたしは括りつけた樽を支えてロイは手綱を引いて隣町へ向かった。

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