第3話 エメラルド・ブローチ


――銀の靴、それもミスリルの?


 パパが断った訳がなんとなく解ってしまった。まずなんて依頼がふざけてるとしか思えなかったし、それに〈銀の靴〉は――パパが作る訳がなかった。


「ロイドさん、あの……」

 あたしは気持ちを整理しつつ尋ねた。


「貴方はというものをご存知で言ってるのかしら?」


「ええ」

 何食わぬ顔で即答された。


――なんてキッパリ答えるのよ!


「いやいや、ご存知なら、ミスリルで作れなんて言える筈ないわ! 本当に解ってるの?」


 ミスリル銀なんてあたしは触った事もなかった――いや、実際見た事すらないのだ。


「だってミスリルよ、ミスリル! 超希少鉱物なのよ!」


「ええ。しかも魔力に反応しやすく、ルーン文字との相性は抜群なのだと公爵閣下も仰っておりました」


「そんな事を聞いてるんじゃないわよ! 希少なの、! 確かに大昔の戦争でミスリル製の武具は本当に高貴な方が身につけていたでしょう。でもそれらは、歴史的遺産として、王家の宝だったり、国宝美術館に展示されているのが残っているくらいよ!」


「――そうです。確かにあるのです。仰る通り希少な物ではありますが……」


 自分で口にした「美術館」という言葉に、あたしはハッとした。

「ちょっと待って。あたしに美術品泥棒でもやらせる気? 怪盗エリューじゃあるまいし――それとも貴方が盗ってくるの?」


「モーリアン・シルバーという元ルーンスミスはご存知ですか?」


 動揺するあたしにロイドは落ち着き払って、予想外の質問を投げ掛けてきた。


「モリア爺の事? ルーンスミスでその名を知らないドワーフは居ないわ! どうしてその名が出てくるのよ?」



――モーリアン・シルバー。


 あたし達は敬意と親しみを込めて「モリアじい」と呼んでいる。引退したとはいえ、現存するルーンスミスの中で一番の長老で、嘘か誠かはともかく数々の伝説を持っている。やれアダマンタイトの鎧を王様に献上したとか、やれ溶けない魔法の氷で伝説のアイスソードを打ったとか、長命と言われるドワーフでも珍しい程の高齢で齢三百歳を超えるとか……まあ本当の年を知る人は今じゃ誰も生きてはいないので、去年も一昨年の誕生日も三百歳の誕生日だったとか……いい加減でお祭り好きなドワーフ達の酒のさかなに事欠かない「生きるレジェンド」でもある。


「お会いした事が?」


「うんと小さい時よ、パパに連れられてね。モリア爺が国王様から何かの栄誉をたまわったお祝いの席だったと思うわ。ルーンの名工めいこうであるマリウス工房の棟梁も当然出席するもの……」

 ロイドの質問にあたしは反射的に答えていた。


「だからモリア爺がなんなのよ?」


「そのシルバー氏こそが最後のミスリルこうだと聞いた事があります。公爵閣下のツテでそういった記録を目にした事もあります。彼ならばまだ手付かずのミスリル銀をご存知ではないかとヘックス様はお考えなのです」

 

――確かに王族ならば、そういった話も知っているかもしれない。モリア爺が本当にミスリル加工クラフトをした事があるならミスリル銀について何か知っているかもしれない……でもモリア爺はもう耄碌もうろくしているって聞くけど……


 あたしの心配を余所にロイドは続ける。

「ミスリル銀は魔力に強く反応する為、一度ルーン文字によって魔力を施したミスリルは、長い年月、魔力を貯蓄するとか、別のルーン文字を描いても最初の魔力が定着している為、再加工は困難だと聞きます」


――そう、その強力な性質の為、数百年たっても色褪せないので国宝として有難がれてるんだけど……


 それでもミスリルなんて次元の話をあたしはどこかうわごとのようにロイドの話を聞いていた。


「ヘックス様は今回、を刻んで欲しいとの事なので、のオリジナルミスリルが必要なのですよ」


――


 あたしはその言葉で我に返った。いや、むしろ黙ってはいられなかった。ミスリル銀の事がくらいに。


「新しいルーンって何よ? 貴方さっきの話聞いてたでしょ? あたし達は代々決まった加護を刻んできた。それはもうあたし達が代々誇りを持って受け継いできた証なのよ? それを貴方、素人がそこにも注文をつけようって言うの?」


「貴女方ルーンスミスの伝統的な秘術は先程お聞かせ頂いた通り、私にも大変重要な財産だと理解致しております」


 そう言いながらロイドは懐から黒い布に包んだを取り出した。


「これは?」と尋ねるあたしに応えるようにロイドはさっきの言葉を繋いだ。


「先ほども申しましたが、ヘックス様はルーンを研究されております。ヘックス様が研究されているもの……そう、それこそが新しいルーンの形なのです」


「……新しいルーンの形?」

 無意識にロイドの言葉をオウム返ししてロイドの顔と布の塊に交互に目をやった。


「アンさん――」

 ロイドは真剣な面持ちで言いかけて、すぐ言い直した。

「――いえ、アンヴィル・マリウス様」

 そう改まってからロイドはプレゼントを丁寧にほどく少女のように大事そうに布切れを開けて見せた。



「〈〉というものをご存知ですか?」



――中から出てきたのは大きなブローチだ。形は服に留めるブローチだが、チェーンが付いてるのでペンダント型のブローチだった。


――この綺麗な宝石はエメラルドかしら?


――いや、それよりも、


 聞きなれない言葉とエメラルドの迫力によってあたしはごくりと唾を呑み込むので精一杯だった。


「何が見えますか?」

 ロイドの言葉を聞かずとも、あたしは息するのも忘れてエメラルドを覗きこんでいた。


「何って? 宝石のブローチ……エメラルドよね?」

「エメラルドの中です。見えますか?」


 そう、見えていた。確かにエメラルドの中に何かの模様が。


――模様? いや、これは図形と呼ぶべきだわ……


「このマークは何? どこかのエンブレムにしては奇妙な雰囲気だわ……」


 初めて見るそれは六角形のような、円のような、お星さまの様にも見えるけど……理由はわからないけどどこか神秘的に思えた。


「これが魔法陣です」

「この宝石が?」

 とっさにロイドの顔をうかがった。


「いえ、この宝石の中のです」


 あたしはまたエメラルドに視線を注いだ。


「陣の中のルーン文字がわかりますか?」

 ロイドがエメラルドの回りをなぞるように指をぐるぐる回した。


 ルーン文字と聞いて、あたしは目を細めながらさっき以上に中の図形を凝視した。

 角ばった図形を囲むように二重の円が配置されており。中の円と外の円の間に帯状にしてルーン文字が描かれているのが、今度ははっきり解った――ルーン文字だと言われなければ気付き辛いくらい、模様として溶け込んではいるが……


「確かにルーンだわ」


 瞬間あたしは、自分に覚えのある〈加護〉から何のルーンに似てるか職業病的に探していた。

「これは〈輝きの加護〉に似ている気がするけど、でもそれとは違う。どこか違うのよね……ほらこの部分、こんな“彫り”はここに入れないわ」


 魔法陣と呼ばれたその図形に興味津々のあたしは、まるで子供の頃初めてパパの工房でルーンを見たり触ったりしてたように、無邪気に指差していた。

「何故かしら、凄く惹き付けられるわ」


「これは〈光の魔法陣〉。そしてこれは『旅のブローチ』。夜道を照らす道具でして城を出る時、ヘックス様よりお預かりしました」


「夜道を照らす?」


「見ていて下さい」

 ロイドはあたしに答えるという風にブローチを両手に乗せ、彼の口元まで持って来た。



「『ルミナス』!」



――突然、エメラルドが光り輝きだした。真夏の湖の水面なんかよりもキラキラと、不自然なほど光を帯びていた。


 信じられない光景にあたしは目を疑い、気付けば椅子から飛び退いてしまっていた。警戒心の強い野良猫のように宝石から目を離さずまたテーブルに戻ったがあたしの心臓はバクバクと音を立てていた。


――さっき、ロイドさんはなんと言ったかしら? 『ルミナス』? まるで呪文のような知らない言葉を叫んだようだった……


「『レリーズ』!」


――瞬間エメラルドは光るの止めてしまった。


 心臓が止まるかと思ったが、まだ動いてるらしい。あたしは胸から手を下ろしながら、

「今のは?」と息を整えながら聞いた。


「驚かせてすみません」

 また布にブローチを置き、深々とロイドは頭を下げた。

「魔法です。光の魔法。灯りになります」


 あたしの頭はまだ整理がつかないが、その言葉に対する否定語は直ぐに口をついて出た。


「魔法の訳がないじゃない! 魔法使いには会ったことはないけどあんなの〈詠唱〉とは言えないでしょう? それに失礼だけど貴方はとても魔法使いってタイプには見えないわ」


「そうですね。とても詠唱とは呼べませんよね」

 ロイドの言葉に、「そうよそうよ」と相づちをいれながらもあたしは目の前で起きた出来事に戸惑っていた。


 魔法の詠唱というのは、やたら長い呪文の羅列で、昔のエルフの魔法使い達などはカンニングペーパーとして魔法書グリモアを携帯したんだとか――ドワーフのあたしですら知っている事だ。その面倒ったらしい呪文も唱えずに、なんだか一言程度の言葉で魔法が使えるなんて事は聞いたことがない……でもその事は今あたしの目の前で起きた出来事に何の説明も果たせないままだった。あたしは混乱していた。


「――そして仰る通り、私は魔法使いではありませんし、魔法の素養もないのです」


 ペテンに掛けられてる気分にでもなったあたしは、近所のグリクルのおやっさんがたまにやるように、頬っぺたをつねってみた。


「ご心配なく。夢でも幻でもありません。正真正銘の〈魔法〉です」


 さっきから矛盾にも思えるロイドの言葉を聞きながらも、どこか説得力を予感してあたしはまた座って聞いた。


「まず私には魔法の素養などありませんが、〈宝石〉というのは魔力に反応しやすいものなのです。先ほどのミスリルにも似ていますが……」


 ミスリルどころの騒ぎじゃなくなったあたしは突っ込みもせず耳を傾けていた。


「早い話が、私の代わりにあらかじめこのエメラルドには魔力を蓄えてもらっていたんですね、魔力のある人や物から。それから詠唱ですが――」


 さっきの先生と生徒があべこべに入れ替わったように、今度はあたしがロイドの言葉をじっと待っていた。


「長い詠唱はこの魔法陣が肩代わりしてくれたんですね」

「へ?」

 あたしは間の抜けた声を漏らしていた。


「貴女が〈輝きの加護〉に似ていると仰った、このルーン文字そのものが光の魔法の詠唱なのです。これを上手く機能出来る呪術的な配列にし、短い詠唱で光りの魔法が発動出来るようなルーン文字を更に追加しております。確か、ヘックス様は〈詠唱短縮のスペル〉と仰っておりました」


 狐につままれた気分だったが、ロイドの言葉はさっきの出来事を何一つ矛盾なく説明していた。


「――正直私が知ってるのはこれだけです。この説明自体も私自身ヘックス様に質問した時のお言葉を真似ただけに過ぎません」


 あたしは段々ロイドの言葉を信じ始めていたので、話が終わる頃には十分に納得した気になれていた。

 その上で確認する様に恐る恐る上目遣いで尋ねた。


「その魔法陣というのをヘックス様が?」


「ええ、ヘックス様は歴史上初の『魔法陣デザイナー』なのです」


 あたしはもはや、そのルーンを使った〈魔法陣〉というのにとてつもなく心を動かされていた。ルーンスミスとしての直感なのかはわからないが、


――この好奇心を今さら、なかった事には出来ない。


 とさえ思えた。


「それで依頼というのは、その魔法陣を……ルーン文字の代わりに?」


「はい。ヘックス様は魔法陣をデザインする事は出来ますが、銀への加工となるとの職人でなければ無理だと……それも新たなルーンとして魔法陣を描いてもらう訳ですから……」


 既に興奮気味のあたしは深呼吸してから答えた。



「一つ訂正よ。一流じゃないわ、“”よ!」


 あたしはすっかりその気になっていた。

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