四つの質問

「なるほど。だから君は『ポイズン』が殺されたと気づいたわけか。では真相を知っていたわけではないんだね」


 男は俺の答えを聞いてあからさまに落胆したようだった。


「期待できる答えじゃなくて悪かったな」


 なんで謝っているのか分からない。鍵を壊して不法侵入してきた男に対して、俺はそれこそ何かを期待していたのかもしれない。


「いや、謝らなくていいよ。失礼したね。僕はもう帰るよ」


 踵を返す男に俺は「俺を殺さないのか?」と反射的に言ってしまった。

 殺し屋に言うべき台詞ではない。むしろ命乞いをするべきなのに。


「うん? 死にたいのかな?」

「い、いや、死にたくない」

「うん。僕も殺したくない。だから君を殺さない」


 俺は自分の命の危険が無くなったことに安堵したが同時に男に訊きたいことがあった。


「なあ。訊かせてほしいことがあるんだ」

「うん? 僕に訊きたいこと? いくつ訊きたいんだい?」


 俺はパッと思いついた数を言った。


「四つだ。四つの質問に答えてほしい」

「なんで四つなんだい?」


 なんとなく思いついた数だったが、なんとかこじつけた。


「俺の名前は岡山四郎だ。だから四つの質問だ」

「なるほど。気に入った。なんでも答えよう」


 俺は男の許可を得たので、安心して答えた。


「どうして俺を殺さない? お前の秘密を知ったんだ。殺しておくのが基本だろう?」

「こだわるね。いや安心しているから質問できるのかな」


 確かに奇異に見えるだろう。もしかして、俺は死にたいのかもしれなかった。あじみが死んだことの絶望が俺の心を蝕んでいたのかもしれない。自分のことなのに分からなかった。


「簡単さ。僕は報酬なしに人は殺さない。依頼された人間以外は殺さないんだ」

「……殺し屋らしいと言えばらしいな」


 殺し屋の矜持というものだろうか。分からない。


「それに君はきっとこの出来事を他人に漏らさない」


 男は自信を持っていた。まるで全てを見透かしているように。


「どうしてだ? お前が去った後に警察に電話すればいい」

「逆に訊ねるけど、なんて説明するんだい?」


 それは――


「殺し屋と名乗る男が目の前に居て、話をして帰りました。それだけのことだろう? 鍵を壊した以外、犯罪はしていない」

「…………」


 いや、大問題だと思うが。まあ警察に言っても冗談としか取られないだろう。


「加えて、君が話せない理由はもう一つある」

「……なんだそれは」

「薬師あじみが人殺しだと世間にばれるからさ」


 俺の思考は圧倒的に停止した。男のことを話せばあじみのことが――


「もちろん、君はこう否定するだろう。薬師あじみのことを上手く隠すと。しかしそうするとどうしても僕のことを十分話せない。だから君は結局、話せない」


 だから俺を見逃すのか。あじみの名誉を守るために、俺は口を噤むしかない。

 それが狙いか、この殺し屋は。死人を人質にしているようなものだ。


「これで分かってくれたかな?」

「……ああ、十分理解したよ」


 俺は包丁を机に置いた。料理人の魂を血で汚すことをしなくて良かった。


「次の質問は?」

「お前は何の目的で、あじみの死を追っているんだ?」


 男はシンプルに「それは彼女が僕の仲間だったからだ」と答えた。


「まあ彼女は僕のことを恨んでいるだろうけどね」

「それは何故だ?」

「三つ目の質問かい?」

「いや、違うが」

「なら答える義務は無いね」


 これ以上訊いても答えることはしないだろう。俺は訊きたいことが二つあったので、追求しなかった。


「じゃあ三つ目の質問だ」


 俺は訊くのは怖かった。怖くて怖くてたまらなかった。昔、親父に物置に閉じ込められたときより、怖かった。暗闇の中、手探りで出口を探す心境。


「あじみは――本当に人を殺したのか?」


 知りたくない真実。だけどあじみのことは知りたかった。


「今から十年前、僕たち『殺し屋同盟』は結成された」


 男は語る。俺は十年前、あじみが突然居なくなったことを思い出した。


「それから三年間活動して、解散したんだ。その間、薬師あじみはたくさんの人間を殺した。何千人と殺した」


 俺は男が語っていることが事実なのか、確かめる術はなかったけど、それでも本当のことなんだなと心の奥底で分かっていた。

 そして、バーでの会話を思い出す。


『あたしは幸せになる資格はあらへん。とうの昔に失くしてしまったわ』


 ああ、そういうことだったのか。あいつは、あじみは、人殺しだったのか。

 料理人でありながら、人殺しでもあったあじみ。

 あじみは分かっていたのだろう。自分が罪深いことに。自分が誰かに殺させることに。

 だから俺の誘いを蹴ったのか。


「それで、最後の質問は?」


 男は俺の気持ちを知らずに軽い感じで訊ねてくる。

 俺は目の前の男に向かって言った。


「あじみを殺した奴を殺してくれるのか?」


 男は「もちろんだよ」と応じた。


「そのつもりで探しているけど、なかなか見つからない。悔しいな、仲間を殺されるって」


 殺し屋が何を言うのかと思っていたけど、黙っていた。


「それじゃあ僕は行くよ。元気でね」


 最後に殺し屋らしくないことを言い残して、男は去っていった。


 俺はあじみのことを思い出す。

 あじみは技術ではなく、天性のセンスを頼りにしていたのだろう。だからあいつは天才だったんだ。もちろん努力はしているけど、それ以上に才能を頼りにしていた。

 しかし、それはあじみの限界でもあった。いくらセンスがあっても、活かせる場が無ければ意味がない。至高の調味料を持っていても、素材が良くなければ究極の料理は作れない。

 けれどそれは一握りの人間にしか作れないことを表している。同時に食べられる者も限られている。なんと悲しい現実なんだろう。

 だからあいつは大衆料理である洋食科に進んだのだ。自分のセンスでお客を満足させる。そのために選んだ進路なのだ。


 俺は窓に近づいて外の空を見た。星なんて輝いていない。人工的に作られた光で見えなくなってしまう。だけど微かに星は見えた。

 その星こそ、あじみなんだ。どんなに人類が電灯を作りすぎても、夜空に浮かぶ星の光は決して遮ることはできない。あじみもそういう人間で天才だったんだ。


「あじみ……お前は、なんで人殺しになったんだ?」


 呟いても答える者は居なかった。

 寂寥感だけが部屋と心を占めていた。

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