画家と執事

 この屋敷は牢獄だ。

 そして私は囚人だ。

 ただひたすら絵を描くことで、かろうじて生存を許されている。

 存在を認めてもらっている。

 今日もまた、絵を描く。

 あの日の夕暮れを描けないまま、ずっと書き続けることになる。




「初めまして。今日からお世話をさせていただく、大林静と申します」


 今日から新しい使用人、それも執事が来た。

 私は何の期待をしてなかった。実際に会っても何も感じなかった。

 しかし、一人娘の世話係に異性を寄越すなんて。

 それも二人きりにさせるなんて。

 お父様とお母様は何を考えているのだろう。

 案外、何も考えていないのかも。


「そう。私は小田叶絵。あなたの主人よ」


 よろしくねとかは言わなかった。どうせすぐに出て行ってしまうのだから。

 だけど、久しぶりに見る異性にしては、どこか女性っぽかった。

 中性的と言えば聞こえは良いだろうけど、なよなよしているように見えた。

 長く伸ばした髪を後ろで一本に縛っている。

 背はあまり高くない。私よりは高いけど、百七十ぐらいしかないかも。

 ……おっといけない。いつものクセで観察してしまった。


「お父様から仕事内容は聞いているわね?」

「ええ。しかし不手際があれば、指摘願います」

「指摘されないようにしなさい」

「はい。失礼しました」


 頭を深く下げる大林。どこか作り物のような感じがしてならない。


「まあいいわ。早速だけど、アトリエのほうへ連れてってくれる? ああ、案内は私がするわ」

「かしこまりました。失礼します」


 大林は後ろに回りこんで、車椅子のハンドルを握った。

 そしてゆっくりと押す。

 そう。私の両脚は動かない。

 それゆえ、私の絵は評価されている。

 障害者の絵として。




 アトリエに着くと、早速作業に入る。

 汚れても良いように、白いエプロンをかけてもらう。

 そして途中になっていた油絵に手を加える。


「もういいわよ。夕食まで作業しているから。時間になったらこっちに来て」


 これは『作業しているときに居られると集中できない』と暗に言っている。


「かしこまりました。それでは失礼します。夕食のリクエストはありますか?」

「そうね。あなたに任すわ」


 食べ物で嫌いなものはない。偏食は家族が許さなかった。

 代わりに、好きなものなんてなかったりする。


「了解しました」


 そう言って扉は静かに閉められた。

 私は絵に集中した。

 絵を描くのは、好きでも嫌いでもない。

 ただやらないといけないことだったから、やるだけだ。




 絵は完成した。私は筆を置いた。

 ふうっと溜息を吐く。これで今月のノルマは達成できた。

 私は夕食はまだなのかと思い、何気なく後ろを振り向いた。


 大林が立っていた。直立不動で。


「ひっ! い、いつからそこに居たのよ!?」

「ああ、申し訳ございません。夕食の準備ができました」


 深く頭を下げる大林。

 いや、集中していたとしても、流石に人が後ろに居たら気づく。

 それに扉の開ける音もするはずだ。


「しかし、素晴らしい絵ですね」


 私の疑念を知ってか知らずか、大林は私の絵をじっくりと見ている。

 私は途端に不機嫌になる。私と接するのに、絵をとりあえず褒めておけばいいという考えが大嫌いなのだ。


「こんなの、ただの汚れた紙よ。それ以上もそれ以下でもないわ」

「私は芸術には疎いのですが、そんな風に汚れた紙だとは思えません」


 大林は私の言葉を否定した。

 私は「じゃあ何が分かるのよ?」と訊ねた。


「ある一つの感情に支配されている。そう思えてなりません」


 大林の言葉に、私はぴくりと反応した。


「……何よ。その一つの感情って」


 すると、大林はまた、頭を下げた。


「申し訳ございません。芸術には疎いのです。だから言葉にできません」


 私は大林を睨んだが、彼は微笑みを湛えただけだった。




 夕食はまあまあだった。可もなければ不可もない。

 入浴の仕方も、それなりに上手かった。

 文句のつけようがなかった。これでは追い出すのは難しい。

 自然に辞めさせるようにしなければならない。


「おやすみなさいませ、ご主人様」


 ベッドまで運び終わると、大林は部屋から去っていった。

 私は寝る前に、大林の資料を読むことにした。

 興味が湧いたわけではないけど、何故か読みたくなったのだ。

 茶封筒に入った、履歴書を見てみる。


「ふうん。二十八歳ね。見た目結構若いわね。私よりも十才も年上じゃない。へえ。良い大学も出ているわね」


 学歴なんて仕事ができればどうでもいいけど……


「それで前職は……なにこれ?」


 履歴書は普通、学歴の後に職歴となっているのだけど、大林には職歴というものが無かった。もしかして、ニートだったのかな?

 私はとりあえず、履歴書を茶封筒に入れ直そうとして――


「うん? なにこれ?」


 もう一枚、紙が入っていることに気づいた。

 私は取り出した。

 書かれていたのはとある許可書だった。


「元『殺し屋同盟』の一員、大林静を限定条件付きの仮釈放を許可する……?」


 そして罪状も書かれていた。

 シンプルに『殺人』とだけ、書かれていた。




「おはようございます。ご主人様。朝食の準備が整いました」


 熟睡はできなかった。しかし気がつくと寝てしまったみたいだ。

 丁寧な言葉遣いと適切な声量で私は覚醒する。


「……一つ訊きたいんだけど」

「はい。なんでしょうか?」

「これ、本当なの?」


 距離を保ったまま会話をする。私は机の上に置かれた許可書を見せた。

 大林は表情を一つ変えずに言った。


「はい。事実でございます」


 私は「どうして私の手元にこんなものがあるわけ?」と疑問を口にした。


「雇い主の手元に置くのが、原則なのですよ」

「ふうん。バレても構わないってわけ?」

「いずれ、分かってしまうことですから」


 私はこの正直な殺人鬼をどうしたものか、悩んでいた。

 余裕ぶっているけど、不安で仕方なかった。


「それで、どうして殺人鬼さんが私の世話係になったわけ?」

「とある方が斡旋してくださったのですよ」

「誰よ? お父様?」

「名前は私も知りません。もしかすると、そうかもしれません。男性の方でした」


 私はそれから何を訊こうかと思っていたけど、大林が先に言った。


「申し訳ございませんが、お食事が冷めてしまいます。食後、改めて質問に答えさせていただきます」


 確かに冷めた朝食ほど悲しいものはない。私は頷いた。




「私は『殺し屋同盟』に所属していました。そこでの名前は『アサシン』でした」


 午前中は大林の話を聞くことにした。どうせ絵は完成したのだ。次の作品は明日からでも取り掛かろう。


「ふうん。『アサシン』ね。というより『殺し屋同盟』ってなんなのよ」


 大林が芸術に疎いのなら俗世間に疎いのは私だった。


「ご主人様が知らなくて当然です。『殺し屋同盟』は今から九年前に結成されて、裏社会を蹂躙し、そして三年間の活動の後、六年前に人知れず解散したのです」


 私は「だから『殺し屋同盟』って結局なんなのよ?」と質問を繰り返した。


「どんな活動をしてたのよ?」

「人殺しです」


 さらりと告げる大林。


「それ以上でもそれ以下でもありません。私を含めてたった七人の人殺したちで結成された空前絶後のチーム。当時の私たちは無敵でした」

「……それが何で解散したのよ」

「それは言えません」


 今度はぴしゃりと断られた。これ以上訊いても言わないだろう。


「それからどうしたのよ?」

「自首したんです。警察に」


 私は手元の許可書を見た。


「私のほかにも自首した者は一人居ますが、その人は裏取引で解放されました。私も持ちかけられたのですが、断りました」

「……それはどうして?」

「罪は、決して消えないからです」


 そう語る大林の顔は笑っていたけど、どこか疲れていた。


「殺したときの感触。血の温もり。そして死んだ者の顔。全て忘れられません。今まで多くの人間を殺しましたが、悪夢を見なかった日はありませんでした」

「だったら、どうして、人殺しになったのよ?」


 大林は何も言わなかった。いえ、言えなかったのだろう。


「それからしばらく服役していましたが、半年前にご主人様の使用人になることを薦められました。そして職業訓練を行なって、今ここにいます」

「そう。だからここに居るのね」


 私は目の前の人殺しをどうするべきか悩んでいた。お父様に頼めば、すぐに変えてくれるだろう。代わりの者を寄越してくれるだろう。


だけど――


「もしも、あなたを解雇したらどうなるの?」

「多分、また刑務所に行くことになるでしょうね」


 私はそれを聞いて苛立ちを覚えた。


「そんなことはさせないわよ」

「……は?」


 大林が驚いている。私は少しでも感情を引き出せたことに暗い喜びを感じていた。


「あなたは解雇しないわ」

「……理由を訊いてもよろしいですか?

「閉じ込められるのは、囚われるのは、誰だって嫌に決まっているでしょう? それに――」


 私は大林を睨んだ。だって、許すことができなかったから。


「刑務所に居るだけで罪が消えると思っているなら、大間違いよ。この人殺し」

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