放火と銃声
移動の前に僕は刑事部長にSPが殺し屋同盟の『リーダー』に無力化されたことと葛西さんが『リーダー』を『追い払った』こと、そして『運良く無事だった』小田さんを連れて、もっと安全な場所へ移動することを報告した。
『君、安全な場所とは一体どこかね?』
「この電話を傍受されている可能性があるので、失礼ながら言えません。しかし三日後に必ず連絡しますので」
『そうか。『フレイム』も一緒だな?』
「は、はい。そうです」
『決して彼女から目を離すなよ? 私は君を期待している。それを裏切らない限り、君の自由が許可する』
はっきり言って、こんな稚拙な話で刑事部長が納得するとは思えなかったけど。
「納得はしてないよ。むしろ疑っているね」
嘘を考えてくれた『リーダー』がのん気そうに言う。
「刑事部長さんも馬鹿じゃない。ほとんどが嘘だってバレバレさ」
「じゃあなんで僕を行かせてくれたんでしょうか」
「簡単さ。泳がせて『殺し屋同盟』を一人でも多く捕まえるためさ」
この人は自分が狙われているのに、なんで楽しそうなんだろう。
「まったく懲りないねえ。刑事部長さんは」
「知り合いなんですか?」
「僕たちを捕まえようとした警察関係者の一人。一度会ったことがある」
「会ったことがある? なのにどうして――」
捕まらなかったんですかと訊こうとして、葛西さんに制された。
「うだうだ言ってねえで、早く行こうぜ。すげえ遠いんだからよ」
確かにそうだ。僕たちには時間がなかったんだ。
小田さんの屋敷は二つの県を越えた山奥にあった。そこは地図にも載っていない、まさに陸の孤島と表現したほうが適切だった。
こんなところで人殺しと暮らしていたなんて、小心者の僕には驚きだった。
小田さんの案内で屋敷の中に入った。彼女の車椅子を押しているのは僕。『リーダー』は小田さんが嫌がったし、葛西さんはいざと言うときのために動けるようにしてほしかったので、必然的にそうなった。
『アサシン』の部屋は屋敷の端にあった。一階でいつでも逃げられるようにと考えていたのだろうか。いや邪推かもしれない。
「ここが静の部屋よ」
そういえば、小田さんは『アサシン』のことを名前で呼ぶ。僕が葛西さんと呼ぶように。もしかして彼女も『アサシン』のことを想っていたのかもしれない。
中に入るとそのシンプルさに驚く。机とベッドしかない。
いや、一番に目に入るものがあった。
それは肖像画だった。机に置かれていた。
車椅子の女性が描かれている。周りの背景は様々な色彩が鮮やかに使われていた。
しかし特筆すべきはそうじゃない。
女性の笑顔だ。世界に絶望していなくて、希望に満ちているような笑顔。
本当に人殺しが書いたとは思えないほど、綺麗だった。
「これが『アサシン』の遺した絵なんだね」
『リーダー』が訊ねると小田さんはこくりと頷いた。
「そうか。『アサシン』はやはり敵の正体が分かったんだな」
『リーダー』の確信めいた声に葛西さんが「ちょっとおかしくねえか?」と訊ねた。
「だって『アサシン』は手紙を書いてから死んだんだろう? どうやって敵の正体を――」
「逆なんだよ。『アサシン』は手紙を書いてから戦いに行っただけじゃない。敵の正体を知って部屋に戻って手紙を書いてから、戦いに行ったんだ」
それなら矛盾無く手がかりを遺せるけど、わざわざ二度手間になるんじゃないかと思ってしまった。
「これは推測だけど、『アサシン』は――殺せるかどうか不安だったんだろう。初めは殺す気で行って、実力差を知って、それで手紙を遺しに帰ったんだ」
すると小田さんは「静の馬鹿! なんで逃げなかったのよ!」と怒鳴り声を上げた。
「多分、君を人質に取られることを危惧したんだろう。それくらい君のことを大事に想ってたんだと思うよ」
『リーダー』の慰める声にも耳を貸さないで小田さんはしくしくと泣き始めてしまった。
ど、どうしよう……
「そんなことより、暗号を解読してくれよ」
「うん。もうしているよ」
泣いている小田さんを構うことなく、二人は話を進めた。ああ、本当に血も涙もないんだなと心の中で思った。
「なあ。あたしあんまり頭良くねえからさ。暗号も良く分からないし。だけど、絵と手紙で解読できるのかよ?」
「うん。暗号には換字暗号というものがあってね」
『リーダー』は説明をし始めた。
「文字を数字や記号で換える暗号だね。たとえばアルファベットと数字で五十音を表現しようとすると、あ、だったらA1。か、だったらB1みたいにね。まあ本物の暗号ならこんな単純なものじゃない。換字表が必要となるんだ」
「なるほど。暗号文が手紙で、換字表が絵ということになるんだな」
葛西さんは納得したように頷いた。
「でもよ。絵なんてその換字表になるのかよ?」
「普通の絵ならならないよ。だけど、この絵の背景の色彩をよく見ると、不自然に思えてこないかい? ねえ、小田叶絵さん」
泣いている小田さんに話を振る『リーダー』。小田さんは涙を拭きながら「確かにちょっとおかしいわね」と頷いた。
「グラデーションができているわけでもないのに、こんなに色を使うのはおかしいわ」
「うん。だからこの色の配置が換字表になっているんだ」
『リーダー』はまるで名探偵の如く、暗号の正体を明かした。
「これはカラーコードになっているんだよ」
カラーコードと言われてもぴんとこない。葛西さんも画家である小田さんもいまいち分からないようだった。
「うん? ああ、ごめん。カラーコードは簡単に言えば、色を表現するために用いられる、文字の羅列からなる符号なんだよ」
ということはつまり――
「そう。色の配置と手紙の文章で暗号が解けるのさ。ちょっと待ってて。もう少しで解ける。多分十六進法だと思うんだ」
これで『殺し屋同盟』を殺している敵の正体が分かる。そう考えると緊張してきた。
「多分これを解けるのは僕か『シーカー』だけだと思うけどね」
『リーダー』の声が遠くに聞こえる。緊張のせいだろうか、息が苦しくなってきた。
「自慢してねえでさっさと解け」
葛西さんも緊張しているのか、汗をかいている。そういえばなんだか熱いような……
熱くて息苦しい?
「――っと、気づかなかったな」
『リーダー』は言った。
「この屋敷、燃えているね」
窓を見ると燃え盛る炎がめらめらと昇っている!
「くそ! 誰かが燃やしやがったな!!」
葛西さんが怒っている。
「敵もなかなかやるね。僕に悟らせないとは」
『リーダー』は感心している。
そんな二人に僕は――
「そんな怒ったり落ち着いてないで、なんとかしてくださいよ!」
情けない声をあげた。
「ねえ『フレイム』。逃げ道を作ってよ」
「あたしに命令すんな! あんたがやったこと、あたしは忘れねえからな!」
毒づきながら葛西さんは仕込んである火炎放射器で外へつながる壁を一瞬で燃やし尽くす。
やった! 出口だ!
「おい! 敬介! 迂闊に出るんじゃねえ!!」
一喝されてその場に踏みとどまる。
「おい『リーダー』。先鋒は任すぜ」
「まったく危険な役回りだね」
軽口を叩きながら作られた出口から勢いよく出る『リーダー』。
「よし。行くぞ二人とも」
葛西さんの指示に従って、外に出る僕と小田さん。
「……なんてことなの」
屋敷が燃え盛る光景を目の当たりにして愕然とする小田さん。
それよりもショッキングな光景を僕は見てしまった。
『リーダー』が謎の大男と戦っている。
目の前で行なわれる殺し合い。
初めて見る殺し合いに僕は正直ビビっていた。
「敬介! お嬢さんを連れて逃げろ!!」
葛西さんも『リーダー』に加勢するようだ。僕は震えながらも小田さんの車椅子のハンドルを持って急いでこの場から遠ざかる。
「なんなのあの男は! あれが静を殺したの!?」
「分からない。はっきり見てないから」
答えにならないようなことを言って、僕はその場から逃げる。
外に止めてある車まで、後もう少し――
「あなたは『殺し屋同盟』じゃないわね」
不意に後ろから声をかけられて。
振り返るとそこには女性が居て。
「無関係だけど、死んでくれる?」
腹の中がかき乱される感覚。
そして響き渡る銃声。
倒れていく身体。
それらがスローモーションのように感じられて。
僕は撃たれたんだ。
意識が無くなる瞬間、それだけが知覚できた。
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