画家の過去
私の住んでいる屋敷は周りから隔絶されている。街まで二時間かかるし、郵便もめったにこない。ネット環境は整っているけど、事務的な連絡ばかりだ。
電気は自家発電で、食料品と生活用品は月に四度、業者が一週間分届けてくれる。まあ敷地内に菜園があったりするから、困ることはないけど。
まさに陸の孤島と呼べばいいだろう。いや、牢獄に等しい。
私は罰を受けている。それはもちろん、罪があるからだ。
それは、大林と同じ、人殺しの罪。
人殺しが私の使用人になって、一ヶ月が経った。
目立ったトラブルは起きていない。
だけど、私自身に問題が起きている。
毎年のことだけど、『あの日』が近づいてきたからだ。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
朝食のとき、大林が心配そうに話しかけてくるけど、私は「平気よ」と強がった。
ここ最近眠れていない。すぐに目覚めてしまう。
原因は『あの日』のことを夢で見てしまうからだ。
薬に頼ることにしているけど、その薬はもう切れてしまった。
届くのはあと五日。
「病院に行きませんか? 明らかに顔色が悪いですよ」
「ここから私は出ないわよ。それに車は嫌いなの」
「しかし――」
大林が私の熱を計ろうとして、おでこに手を伸ばす。
しかし反射的に手を払い、反射的に言ってしまった。
「人殺しが、勝手に私に触れないで!」
睨み付けると、大林は――
「すみませんでした、ご主人様」
一瞬、傷ついた顔をした後、笑顔に戻った。
「……今日は仕事をするわ。もう時間がないの」
何故か私まで傷ついた気持ちになったから早口で言った。
「……かしこまりました」
何を言っても無駄だと分かったみたいで、大林は私をアトリエへ運ぶ。
私は眠れない苛立ちを隠すことはできなかった。
そこまで、大人じゃなかった。
「ご主人様、私にも絵を教えていただけませんか?」
結局、下書きも完成できなかった私に、大林が声をかけた。
「はあ? あなた、何言っているのよ?」
「私も絵を描いてみたいんです」
「……何が目的なのよ?」
疑う私に大林は笑顔で言う。
「昔から絵を描くことに憧れを持っていました」
私は断ることもできたが、やらせてみようという気持ちが何故か湧いた。
気まぐれかもしれない。
「ふうん。じゃあ、そこに紙があるから何か描いてみなさい」
「そ、そうですか。何を描けば――」
「想像でも何でもいいのよ。あなたの思い浮かんだ人や光景を描きなさい。ああ、そこの色鉛筆使いなさい」
まあよく考えると素人には難しいかも。アトリエに篭もっても描ける私は慣れているから。
しばらく悪戦苦闘して、一時間後にようやく描けたみたいだった。
「それじゃあ見せてみなさいよ」
「はい。拙い絵ですけど、どうかご覧ください」
そう言って、見せたのは。
ビル街に差し込む光。
オレンジ色。
夕暮れの絵だった。
「う、うぐ、う……!」
「ご主人様? ……ご主人様!」
車椅子から倒れこむ私。そして――
「うわああああああああああああああああああああああ!!」
発作が起きた。
気がつくと、私はベッドの上に寝かされていた。
「ご主人様、気がつかれましたか?」
大林のホッとした表情。心から安堵したような声。
「……また発作が起きてしまったみたいね」
「発作ですか?」
「トラウマなのよ、夕暮れが」
私は何故か素直に大林に自分の症状を話した。
「私は、夕暮れの絵を見ると、あの発作が起きてしまうのよ。描くのも駄目ね」
「すみません、ご主人様。知らなかったとはいえ……」
「いいのよ。言わなかった私も悪かったから」
だけど、気になることがあった。
「ねえ。どうしてあの光景を描いたのよ」
そう訊ねると、大林は「解散を決めたときの光景が浮かんだからです」と答えた。
「チームが解散したとき、夕暮れが私たちを照らしていて、とても綺麗でした」
「なるほどね。そういえば、チームのことを悪く言わないのね、あなた」
大林は「悪いことをしたチームでしたが、それでも嫌いにならないのです」と言う。
「最高のチームでした。こんな私でもまともになれると間違って思ってしまいました」
「まとも? 人殺しが?」
「そうです。人殺しでも前を向いて生きられると、『リーダー』が教えてくれました」
私はなんと言えばいいのか分からなかった。
「ご主人様、どうして夕暮れの絵を見ると、発作が起きてしまうんですか?」
大林は単なる好奇心で訊いているわけではないと分かっていた。本当に心配してくれていることも分かった。
だけど、言えなかった。
「それは言えないわ。知りたかったら自分で調べることね」
それは無理な話だろう。私に関する情報は全て削除されている。
何故なら、私はそうしないと狙われる立場にあるのだ。
私は画家だ。それもかなり売れている。一枚の絵に数億の値がつくこともある。
しかしそれゆえに命を狙われることも多々あった。
希少価値というのだろう。私が死ぬことで絵に更なる価値が生まれる。
この動かない脚は狙われた結果、なってしまった。
しかし皮肉なことに障害者が描いた絵として、人気が出てしまう結果になってしまった。
私にできることは、ひたすら絵を描くことだった。
この閉ざされた空間で過去に囚われながら、ひたすら絵を描く。
それしか、私に生きる術はないのだ。
「分かりました。知人に調べてもらいます」
にっこりと冗談とも取れることを言う大林。
「しかし、一つだけ言えることがあります」
「なによ。言ってみなさいよ」
大林は真剣な表情で私に言った。
「犯してもいない罪を背負うのは、罰ではありませんよ」
「――っ!」
私は大林を睨んだ。
「あんたなんかに何が分かるのよ!」
「何も分かりません。どうして苦しんでいるのか、さっぱり分かりません。でも――」
大林は私に厳しい口調で言った。
「ご主人様が苦しむを厭う者は必ず居ます。私もそうです」
「…………」
「どうか、自分を責めないでください」
涙が出そうだったけど、なんとか堪えた。
「それでは失礼します」
一礼して、部屋から出て行こうとする大林に私は「待って」と呼び止めた。
「どうかなさいましたか?」
「……眠るまで、手を握ってくれないかしら?」
大林は戸惑った顔になった。私も自分が何を言っているのか、分からなかった。
でも口から言葉が続けて出てしまう。
「もしかしたら、眠れるかもしれないわ。お願い」
「……かしこまりました」
大林はベッドに近づいて、私の手を取った。
「……暖かいわ」
「…………」
「ねえ、本当に人を殺したの?」
「……何十人、何百人、何千人と殺しました」
「じゃあどうして、そんなに優しいの?」
「…………」
「私のことを、お父様とお母様は許してくれるのかな」
「…………」
「それだけが、不安なのよ」
次第にまぶたが重くなって。眠りの国へ誘われる。
「おやすみなさいませ、ご主人様」
優しげな声だけが、記憶に残っていた。
翌朝。久しぶりに『あの日』の夢を見ずに、起きられた。
手には優しい温もり。
大林は、こっくりと船をこきながら、私の手を握ってくれた。
私は正直、この人殺しにどんな感情を持てば良いのか、分からなくなった。
薬が届くまで、私はこうして夜を過ごした。
『あの日』の夢は、出てこなくなった。
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