第14話 イゾーと半平太の毒饅頭

『嘘や……そんなん嘘や……そんなことあらしまへん…大嘘や……』


 胸の動悸に合わせて頭の中に言葉が木霊する。

 おりょーは裾を乱して京の街路を全力疾走していた。

 子供の影に気付いて転びそうになりながら止まる。


「あ…ぼん!竜馬はんが、坂本はんが…!」

「知っています…おりょーさん、ごめんなさい。」


 イゾーの幼い顔が重たげに俯いた。


「ごめんて…どないしはったん?何ぞ知ってはるの?」


 砂の音がして、イゾーの姿が目の前から消えた……

 地面に這いつくばる様に土下座している。


「イゾーはん、何してはるん!こないな所で。やめとくれやす。…ほんまにどないしたん?」

「おりょーさん。おらを殺す?」

「何?…何やのん?何でうちが、ぼんを殺さなあかんのどす?」

「おらが、坂本さんを……おらが……世界の坂本竜馬を殺したからです!」

「ぼん…」

「ごめんなさい。どうしよう…おらどうしたらいいのか。おりょーさん、おら…」

「ぼんが、そないな嘘のつける人やとは思わなんだ。」

「え?」

「…嘘や、大嘘や。ぼんは大法螺吹きや。あの人が死んだやて……」


 おりょーはコロコロと綺麗な声で笑った。その声はスタジオの壁に天井に跳ね返って来て、イゾーを斬り刻む。


「…もっとましな嘘ついておくれやす。坂本はんが死んだやて!あの人は、いつも言うてはりました。"たとえ、首を斬られても、その首転がしてドリブルしながらでも、必ずお前の家に帰ってくるきに、酒と肴の用意は頼むぜよ"…ぼんは嘘つきや!いつか言うてたなあ。ぼんのことを愛してるかて?……死んだ言うたら,うちが、あの人のことあきらめるとでも思うたんやろか?そんな、あほな!夕べもな、夕べかて、あの人は言うてくれはったんや。"わしはまっこと、おりょーにぞっこんぜよ。誰にも渡す気はないきに覚悟しちょけよ。"…たとえ死んでも…来世も、必ず…一緒やて……」


 おりょーの眼から、滝のように涙が溢れ、降り注いで、路上に出来た大きな水溜まりがゆっくりと広がる。


「何で…うちをいじめるの?うち、もう行くえ。忙しいのや。うちの大事な人の一大事や。あんたみたいな、訳の判らん子供の相手はできんのや!……ほな、さいなら!」


 足音が凄まじい勢いで遠ざかって消えた。


 イゾーは、うつむいたまま引き戸を開けて薄暗い家の中に入った。行燈の油が切れかけて、灯りがイゾーの心のように細く、小さく、薄暗くなっている。イゾーは、部屋の真ん中にぺたんと腰を下ろした。


 無造作に引き戸を開けて入って来た足音が、イゾーのシルエットに気付いて凍り付いた……半平太だ。皿一杯の饅頭を抱えている。


「おっ父!」


 イゾーが一瞬にして立ち上がった。

 浮いた饅頭たちが皿に戻る音がした。

 武市は唾を呑み込み、何気ない様子で語りかけた。


「帰ったか。」

「おっ父、おら聞きてえ事がある…。」

「まあ、…ゆっくり聞こう。饅頭でもどうだ。」


 と、イゾーの前に皿を置いた瞬間、小柄な家ネズミが走り出て饅頭をかじった…

 と、思う間もなく静かに横転すると動かなくなった。


「あ!」

「あ……いや、これは年を取った古ねずみだ。美味い饅頭を食って、満足して昇天したと見える…ささ、早く…」


 そこへミケネコがやってきて、同じように饅頭を齧ると、こてんと死んだ。


「あ!お隣の三毛!」

「あ…お隣の三毛は風邪をこじらせて寝込んでいると聴いたが、一口饅頭を食って死にたかったの…」


 言葉の終わらぬうちに、ブタが畳に上がり込み、饅頭をかじり、こてんと……


「横丁の為五郎さんちのブタが!」

「……日頃食いすぎだと思っていたが、どうしても饅頭が食いたかったんだな……今の饅頭一口で遂に胃袋が破裂したのだろう。あさましいものよなあ…」


 続けざまに、牛と、ロバと、おじいちゃんがやってきて、続けざまに饅頭をかじり、こてんと死んだ。


「町外れの牧場の牛と、パン屋さんのロバと、お向いのおじいちゃんが…!」

「今日は、偶然と不幸が重なる日だ。さ、死体を片づけて、また誰かが不幸になる前に、とっとと、その饅頭を食ってしまいなさい。」

「はーい。」


 二人は死屍累々たる部屋を四半刻ほど掛けて片づけた。

 元の位置に座ると、イゾー、パクッと饅頭を口に入れた。


「食ったか?食ったな!…ははは、その饅頭には一個でアフリカ象も死んでしまう量の猛毒=サリンが混ぜてあるんだ。可哀相だがお前の命もこれまでだ。こんな事をした理由を冥土の土産に聞かせてやろう。俺がお前に命令した数々の人斬りを土佐藩にバラされると俺の命が危ないのだ。悪く思うなよ…」


 古舘伊知郎にも負けぬ早口でまくし立てる半平太を半眼で見つめていたイゾーがパクッと口を開けると、饅頭が綺麗な桃色のベロに載って、そのまま出て来た。


「と言うのは、もちろん悪い冗談だ……この饅頭はいささか古くなっててな。食べないほうが良いかもな。」

「変な味がした。」

「そうだろ。」


 武市は饅頭を受け取ると、皿に載せて台所へ持って行った……『チュー…』『チュー…』『チュー…』と、巻き起こった大量のネズミの断末魔の声を遮るように障子を足で閉めた半平太の手には、ジュースの瓶とコップが一つずつ。


「和歌山産のカレージュースだ。ちょっと変わった味だが、ぴりっとして意外に美味い。飲んでみるか?」

「うん。」


 イゾーはためらいもなくコップを持つ。武市には判らない、イゾーの考えていることが判らない……もう進むしかない……ジュースを注ごうとするが、手が震えてうまく注ぐ事が出来ない。イゾーに手を掴まれて心臓がドクンと大きく波打つ……だが、イゾーは瓶とコップを取ると、自分で注いで一気に飲んだ。


「あ。」


 武市は、思わず手を伸ばしかけて引っ込める。


「何だか変な味…なんだか、胸が苦しい……苦しいよ……おっ父…助けて、おっ父……」


 のた打ち回って苦しみ出したイゾーを見て半平太は、ようやく太い息を吐いた。


「そうか…今すぐ、楽にしてやる…。」


 刀を抜き、両手で逆手に持ってイゾーの上で構える。


「さらば!」


 武市が刀を突きおろした…と、見るより早く

 イゾーの抜き打ちが一閃、刀を弾いた!

 武市の南海太郎が鴨居に刺さってブルブル震えている。

 イゾーは死んだ龍馬からもらっ肥前忠広を手にゆらりと立ち上がった。

 武市半平太は、腰を抜かしてへたり込んだ。両手を合わせる。


「おれが悪かった!許してくれ…お願いだ。助けてください……この通りです。」


 そのまま頭を載せた両手を畳に擦り付けて土下座した。


「おっ父………おらが怖いのか?おらが、嫌いなのか?………死んでしまえばいいと…思っているのか?」

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