第3話 サンカの子イゾーが半平太に出会う

 生放送特有の緊張感がスタジオに張り詰めている。これから前代未聞の三元中継の2時間大河生ドラマが始まる。しかも登場人物は全て本物を使う。いくら本物といっても素人だ、放送や演技の決まり事も知らない。さらに、ここ渋谷の大江戸TV第1スタジオに集結した裏方たちの半分は50年の伝統を誇る大江戸TVの生えぬき達ではなく、明日から、正確にはこの番組のクライマックスあたり、午前0時からこのスタジオの主となる明治帝国放送協会=MTHKの長州人たちだ。


 2階の調整室で煎茶をすすっている桂小五郎MTHK会長の視線を伺いながら、脚本書きの綾ちゃんが、心配そうな顔を向ける。甚五郎はヤタガラスのマークの入った熊野エレキテル・インダストリー製のTV撮像機をぽんぽんと指先で叩き、にっこり笑ってみせた。


"このカメラと俺のカメラさばきが、あんたを裏切った事があるかい、大丈夫、大船に乗ったつもりで俺に任せておきな。"


 そう言ったつもりだ。


「十秒前!」


 時計係のお七っちゃんが素っ頓狂な声を出す。

 落ち着け、落ち着け・・・。

 甚五郎の覗いた照準器の中心にジョン万次郎の顔が収まった。


「七(なな)、六(むう)、五(いつ)・・・」


 三から一までは指の数で示して、お七っちゃんの指がジョンの顔を指した。ジョンはまっすぐにカメラを見つめて話し始めた。


「このドラマは1枚のリクエストから始まります。"私は土佐藩、今の高知県で郷士=ほとんど百姓ちょっぴり武士をやっている、武市半平太という青年です。」


 千燭光のスポットライトがスタジオの闇を切り取る。土佐勤王党の"プリンス"と呼ばれた美貌の男はドーランを塗られた額に汗の玉を浮かべている。総天然色用の照明は焼けるように熱い。舌先が唇を一周してから動き出した。


「…郷士は家臣の人に会うと雨降りでも土下座で挨拶させられるくらい、身分が低いのです。でも、私は自分で言うのもなんですが、剣術が得意です。もっともっと腕を磨けば家臣にしてもらえると聞いたので、一人で、この太平洋の見える小高い丘の上で、雨の日も風の日も、毎日木刀を振っています。」


ジョンが続ける。


「…こんな私をはげましてくれるのが、ラジオから流れるこの歌です…。"丘の上の馬鹿"」


 兜虫社中が唄い出した。彼らの人気曲の多くは欧米の流行曲の替え歌、アレンジ曲だった。全盛期には週に一枚はレコードが出たくらいで総発売曲数は三百九十曲と言われている。熟練の腕が生む魂身の演奏がスタジオを満たす。


出会ったよ

何が

お日様 と 海が

仲がいいよね

真っ赤になって

僕を残して

どこかへ消えた


大声で泣いた

一晩中泣いた

夜が明けるまで


(EDO著作権協会承認:への十九番)


 曲の流れる中、一人稽古をしていた半平太の後ろにサンカの少年イゾーが登場し、棒切れを手に稽古のまねを始めた。照準の向こうのイゾーの愛くるしさに甚五郎はついニッコリしてしまう。お七も綾も、スタジオ中がニッコリしていた。


 この子は見る者全ての心を幸福にする不思議な魅力を持っている。


 しかし、ただ一人調整室の桂会長だけは、あのクールな表情を崩そうともしなかった。


 鳥獣専門の口入れ屋から仕込んだ大きな猪が横から飛び出して武市を宙に舞わせる。効果音が絶妙の間で決まった。音効の熊さんがVサインだ。


 第一スタジオのほぼ中央に用意された大きな楠に飛びついた武市を猪が脅す。鼻息の荒さといい、猪は迫真の演技だ。イゾーが素速く照準の枠内に入って棒切れを振る。棒は猪の鼻の半寸先を通過、絶妙のタイミングで横っ飛びに吹っとんだ猪は一瞬白眼を剥いて失神し、イゾーに触れられて覚醒、脱兎の如くに逃げ出す……という演技を完璧にこなした。尺にも、寸分の狂いも無い。


 イゾーが樹上の武市を振り返る絵で、最初のCMに入る。


 手の空いた裏方陣が無音の拍手で送る中、猪は親方から小さなサイコロ状に切った薩摩芋をもらって、ニヤッと笑いながらスタジオを出ていった。


 イゾーは武市の残した木刀を手にした。

 ブンと振る。

 あまりの速度に空気が引き裂かれて悲鳴を上げているようだ。

 思い切って大きく水平に振る。

 楠がゆっくりと傾き始めた。

 次第に加速し、武市ごとどうと横倒しになる。

 武市のくぐもった悲鳴があがる。


 しかし、イゾーは一瞬視線を送っただけでトランジスター・ラジオから流れる(という設定の)兜虫社中の演奏に引き寄せられ、夢見るような足どりで近づいて行った。やっと半身を起こした武市が声をかける。


「坊や…名前は」

「おら、イゾーだ!」

「ワシといっしょに京の都にいかんか?」

「あんなのがいっぱいある?」


 イゾーが指差したのはトランジスタラジオだ。"HIRAGA"と赤い商標のついた黒い革のケースに入っている、銀色のトランジスターラジオ。


 武市が藩校を首席で卒業した時に校長先生が下さったものだ。確かに、このあたりでは珍しいかもしれない。


 だが……


「あるぞ!四万十川の砂の数くらいあるぞ。だから、行ってくれるなら、これはあげてもいいぞ。」

「いっしょに行くのか?」

「いっしょだぞ。」

「ずっと、いっしょか?」

「ずーっと夜空の星が全部流れて落ちるまでいっしょだ。」

「おったん…死人だな…」

「その字は"詩人"と読むのだ。」

「おったん、……おっ父になるのか?」

「…」

「おらのおっ父になるのか?」

「お前の、お父は?」


 少年は1秒の何分の一かの間、時間を止めて、それから黙って首を振った。武市はイゾーが被っている古ぼけた「飛燕野球団」の帽子に掌をのせる。少年の丸い瞳が武市の顔に向いた。


「よし、今からワシがお前のお父だ。フジヤマのように気高く、昇る朝日のように慈愛に満ちた…お前だけのカムイだ。」

「おっ父は凄いサイナンがあるなー!!」

「イゾー。それは"才能"だ。おっ父は蘭学者で詩人なのだ。」

「乱暴者の死人?」


こいつ判って言ってるんじゃないのか……武市は疑いを持った。


「イゾー」


 突然、声がイゾーに闇を運んできた。

 闇は・・・声は懐かしい暖かい匂いがした。

 まぶたの裏に母の姿が、ゆっくりと輪郭を整えていく。

 二子山のなだらかな稜線が、おっかあの背後に寄り沿って見えた。

 ああ、おっかあは山だったんだ・・そう、イゾーは思った。


「山をおりるんか?」

「うん。」

「あんなの、お父じゃねえぞ。」

「…」

「二度と帰って来られねえぞ。山の者じゃなくなるんだぞ。かといって里の者にもなれねえ。この世のどこにも住処が無くなるんだぞ。」


 山のおっかあはとても恐い顔をしてイゾーをにらんでいる。

 イゾーはつらくなってきた。


「おっかあ…」

「おらにも会えねえぞ。」


 おっかあは冷たく言い放つ。

 思わず聞いた。


「逢いたくねえのか?」

「逢いたいが掟じゃ。」


 よかった。

 おっかあはおらが嫌いに成ったわけじゃないんだ。

 イゾーはにっこり笑った。


「逢いたかったら、きっと逢える。」


 おっかあはため息をついたように思えた。


「昔から…言い出すときかぬ子じゃ。行って来い。気が済むまで里を見てこい。お前は四万十川に呑まれたことにしておく。」

「ありがと。」

「イゾーがいつ、どこへいても、どんな事をしていても、おっ母はお前のふるさとだ。決してお前を見捨てねえ。つらい時には思い出せ。」

「うん。」

「こん馬鹿もんが…」


 おっかあが少し笑ったような気がした。

 山から降りてきた風が優しくイゾーを撫でていく。

 武市がイゾーを覗き込んでいた。


「長い独り言だったな。お前も詩人か?」


少年の曇りの無い瞳がそこに在る。


「おっ父、おら都に行く。」


澄みきったおおらかな声が、少しだけおっかあの山に木魂した。

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