第2話 ビートルズは黒船でやってきた

「大江戸TV名作ベスト10、第1位に輝いた1859年度作品~赤穂義士伝・堀部安兵衛がゆく!~最終回をお届けしました。」


 14インチのブラウン管にジョン万次郎が、15年前に浦賀に来航した黒船に乗ってきた"本物のビートルズ"ジョン・レノンが着ていたような、けばけばしいミリタリー・ルックに身を包んで現れた。


 そうだ、あの時から僕たちの、いや、この島々に住む者全ての運命が変わっていったのだ……あの黒船がやって来た時から……5才になっていた僕も小石川の療養所の隣に建てられた孤児院から、お台場の黒船博覧会の会場に遠足に行ったっけ。


 当初、黒船を観る事はEDO幕府によって堅く禁じられていたが、マネージャーのぺリーの強硬な申し入れと、アームストロング砲のデモンストレーション射撃にさすがの幕府も恐れをなして、お台場に会場を設けて3日間限りのビートルズの演奏会と、一週間に渡る西洋文明紹介の博覧会を許可した。


 演奏会はエゲレス語の研究者、学生を初め、蘭学者、歌舞伎役者、邦楽奏者、幕府の役人など、特定の職業の者と大奥のお女中方、そして将軍と少数のマスコミ関係者のみを観客として行われた(後日、庶民にも大方は害無しと判断されて大江戸TVでダイジェストがニュース枠で流されたのだが…)。


 博覧会は五文の入場料を払えば誰でも入れたので、連日、押すな押すなの大賑わいだった。また、ペリーの「恵まれない子供たちを招待したい。」との申し出により、総司たち、小石川の孤児院の子供たち108名が無料で入場出来ることになったのだ。


 たまたまその当日にあの小さな事件が起きたのだ。


 ビートルズと一緒に太平洋を渡ってきた様々な工業製品や美術品の中で、博覧会の開幕日から圧倒的な人気を集めた物があった。4人乗りの足踏み動力で動く小さな潜行艇"リトル・チャーリー"だ。


 どこか愛敬のあるぷっくりとした外観は、沈んだ時のために鮮やかな黄色で塗られていて、浅瀬でぷかぷか浮き沈みするさまも、いかにも可愛らしく錦絵が売り出される程人々に愛されていた。


 さらに人々の人気を高めたのは、二日目頃からこの潜行艇の周りを優雅に舞い踊るハンカチくらいの大きさの一匹の美しい魚だった…どこか南の海から、EDO湾に迷い込んで来たものか、金色のほっそりした身体に深いブルーと輝くようなピンクの模様をつけ、ひらひらとした美しい背ビレと長く伸びた腹ビレを持っていた。


 黒船の船員たちに"ダイアナ"と名付けられたこの魚は、"チャーリー"を仲間の大きなオスとでも勘違いしたものか、連日潜行艇の後を付いて泳ぎ、潜行艇が止まると周りをよらゆらと泳ぎ回り、皆に愛された。


 しかし、その日"事件"は総司たちの目の前で起こった。


 いつものように"チャーリー"の後をついて泳いでいた"ダイアナ"が急旋回した"チャーリー"に追い付こうとして、スクリューに接近しすぎたのだ。


 スクリューの軸にその優美な長い腹ビレを絡め、引き込まれた彼女はあっという間に無残な死を遂げた。


 潜行艇のデモンストレーションは中止となり、黒船の乗員による簡単な葬儀が行われて、ジョン・レノンがダイアナを悼む歌を唄った。総司は生でジョンの声を聞くことが出来た数少ないEDO庶民の一人になった。"リトル・チャーリー"は翌日から運転を再開したが以前ほどの人気は無くなったという。


 エゲレスやメリケンが清国を相手に酷い戦争をしていることが、ようやく伝わってきた時期であった。


 ……画面に西洋婦人が着ているような足の露出した短いワンピースに身を包んだ女子アナが現れた。


 何といったっけ……お竜さん…お竜さんに、坂本さんの愛した人に似ている。


「50年に渡って皆様にご愛顧頂きました大江戸TVとも、今夜でお別れです…明日からは国営の明治帝国放送協会に生まれ変わって、皆様の前にお目見えいたします。時代末生特番、"さようならEDO時代明日からは明治時代"最後のコーナーは、大江戸TVの総力を結集し、ここ第1スタジオから生中継の大河生ドラマ…生演奏で、司会のジョン万次郎さんをはじめとする大江戸ビートルズ=兜虫社中の名曲にのせてお贈りします!・・」

「幕末人斬り伝~岡田以蔵と沖田総司~!」

「このあとすぐ!」


 画面には葛飾北斎のキャラクターを使った兜虫社中最後のレコードの宣伝フィルムが流れている。


 ビートルズがもたらした西洋音楽はEDOの、いや、日本中の若者の圧倒的な支持を得て大きな流行になった。西洋音楽をやる日本人のグループが雨後の筍のように大量発生し、けたたましい西洋三味線の音が街中に響き渡った。


 "兜虫社中"は黒船で日本に帰ってきたジョン万次郎を中心に、海軍操練所の学生だったトニー牧、陸奥星之介、そして初代米国公使の息子ジョージ・ハリスによって結成され、またたくまに日本西洋音楽界の頂点に立った。


 この大江戸ビートルズを創りあげたのが、今のジョニーズ事務所社長であるジョニー近藤だ。日野の奴隷百姓の生家から家出して新宿の陰間茶屋に転がり込むがお払い箱、自慢の喉を生かして歌手となり、現在の地位を築くまでの立志伝は広く世間に萱伝されている。


 画面が暗闇に沈み中央に輝く星が現れた。


 星の中から炎の尾を曳いてタイトル文字が一つづつ位置を占める…

 「幕末人斬り伝」


 壮麗なオルケスタが奏でるメインタイトル……作曲は坂本竜馬と出る。ああ、坂本さんはいろんな才能を持っていらした……僕には刀だけだったなあ……と思うと、うっすら涙が浮かんだ。


 ジョンの声がどこか遠くから響いてくる。


 ……植木屋の源さん一家も近所の神社で開かれている明治時代を祝う祭典に出かけて、家には総司が一人きりだった。ブラウン管の放つ光が障子や襖を赤や青に染めてゆらめく。


 そういえば孤児院のまかないのお婆さんが占いが好きで総司が院を出る時に手相を観てくれた。お婆さんは顔の皺を深くしてため息をつき、僕を見つめて言った。


「総司、耳にやさしい嘘と、厳しい本当と、どちらを聞きたい?」

「どんな事でも本当を。」

「お前は20歳にはならない。美しいまま、この世からいなくなる。そしてお前の名前は後の世まで語り継がれることだろう。」

「それが、僕の運命なんだね?」

「そうさ。短いけど、お前は精一杯生きて行く。」


 わかったよ、ありがとう……と、その時の総司は答え、ぴょこんとお辞儀をして、まだ明けやらぬ一本道を去って行った。


 柱時計が(午後10時)を告げる。明日は20才の誕生日……ああ、僕は今日の内に死んでしまうのか……


「おーい、総司。寝てるのか。」


 追想は斎藤さんの明るい声で中断された……縁側から聞こえてくる。


「……はい。」


 障子を明けると斎藤さんがいた。月代をきれいに剃り上げ浅黄に白のだんだら模様、新選組の隊服に身を包んだ新選組三番隊隊長、斎藤一その人がいた。


 何もかも昔のままだ。


「何してる。ぼちぼち行くぞ支度しろ。総司の出番まではまだあるが、いろいろ用意もある。」

「どこへ行くんですか?」

「寝ぼけてるのか?イゾーに会いに行くんだろ。」

「……!……はい!」

「寝巻きで外に出る訳にもいくまい、隊服は局にある。」


 斎藤さんは冗談のいえる人ではない。

 そうか……こんな大事な事を忘れるなんて!


 大急ぎで寝巻きの紐を解き、着物に着替えようとする沖田総司の裸の上半身が薄暗くなった部屋の隅で、あくまでも白く燐光を放つが如くにぼうっと浮きあがった。熱がひどいのだろうか、ゆらゆらと陽炎の如く総司の身体から立ち昇るものを感じて斎藤は目を細めた。


 美しい。


 最後まで美しくいられる事はこの少年にとって幸せな事なのだろうか?


「出来ました。」


 着替え終わった総司の呼吸に僅な乱れを感じた斎藤は、くるりと玄関を向いて腰を屈める。


「乗れ。」

「え?」

「いいから、乗れ。急ぐ。」


 総司が、おずおずと体重を預けてくる。

 その軽さに先程から溜まっていた涙が頬を伝った。

 その熱さに心臓の鼓動が速くなった。


「いくぞ。……しっかり掴まっていろ。」


 わざとぶっきらぼうに言い放つや獲物を追う狼のように斎藤は駆け出した。胸のうちにたぎる叫びに堪え、その眼から滝のように流れる涙が、背中の総司に気付かれぬ事を祈りながら、大晦日のような賑わいを見せる夜の街を、渋谷の放送局目指してひた走った。


 ……小さいながら手入れの行き届いた庭に静けさ」が戻り、布団ばかりが残された離れに電源の入ったままのTVから、再びジョンの声が響いていた。

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