第7話 安房守とイゾーのポルカ
浅草仏蘭西座の噺家、北之屋武蔵を思わせる絶妙の間で近藤がぼけてセットは暗転した。すぐさま次の場面のために大道具さん達が動き始める。CMの間にカメラは第2スタジオの旅篭「如月屋」の一室に移った。
ADの熊ちゃんが声を掛ける。
「勝先生、よろしくお願いいたします!」
維新の立役者の一人、勝海舟は鷹揚にうなづいた。拍子木がチョーンと鳴り、照明がゆっくり光量をあげると勝海舟が一人で本を読んでいる。
「お客はんどすえ」
女中の声が終わらぬうちに障子が開き、竜馬とイゾーがドヤドヤとやって来た。
「勝先生!こんな所におられたですか!いやあ、久しぶりですきに。これから下関へ行かれるっちゃ。下手しちょると、長州と戦争ですな。幕府の運命がかかっちょる。いやあ、先生も大変ぞね。」
背中をバーンと叩かれて咳込む勝のひそめた眉を一顧だにせず、竜馬は耳元で声をひそめる。
「こん京都にも、先生の命を狙ろうちょる攘夷派の志士がウロチョロしちょります。何せ先生は公武合体派の元締めです。今だって刺客がすぐ側まで来ちょるかも知れんですきに……」
突然、イゾーが床下へ刃を突きとおすと「うわっ……!」という声。
「そこで、こん男です。イゾーっち言います。まだ子供ですが、これが強い!道場剣術とは違います。もう、20人くらい斬っちょります。わしでもかなわんです。こん男一人おったら新選組が100人来ても大丈夫です。置いときますきに、まあ、大船に乗ったつもりでおってください!ほいじゃ、わしは帰りますきに。こいつは時々菓子やって、たまに遊んじゃってくれたら、ほいでいいちゅうて半平太が言うちょりました。ま、タマゴッチみたいなもんじゃき。ほいじゃまた。」
嵐のように竜馬は去って行った。海舟は残された異風の少年に声をかけようとしたが、たまたま横を向いている。咳払いをして再度試みようとした時、イゾーと目があった。
「何、何?」
イゾーが瞳をきらきらさせて寄ってくる。言葉がでない。勝はじりじりと後退してゆく。
「何何何?」
壁際に追いつめられた勝の手足がじたばたと動き始める。
……いつの頃からか、学問所で直参グループの陰湿なイジメを受けていた頃からか……追い詰められて逃げ場がなくなると身体が自然に動き始める。勝の頭蓋にドラムンベースのリズムが反響して、勝は狂ったように踊り出した。脳味噌の芯から熱が広がり、五体を侵して行く。魂が真っ白に熱して周囲の何もかもが消え去り、虚空の中で勝はひたすら踊り続けた……小半刻も踊っただろうか、動きを止めた勝の視界にあたりの景色がゆっくりと戻って来る。
心地好い疲労感が全身にゆったりと満ちて、勝は長い息を吐いて辺りを見回した。後方から寝息が聞こえる……イゾーが猫のように丸くなって寝ていた。
可愛い寝顔だ。
子供とはこういうものだ……子供が安心して眠っていられる時代をつくらなくては……脈絡もなくそんな事を思った海舟が座布団に腰を降ろした瞬間、眼前に白刃が光った。
「勝安房守海舟、覚悟!」
覆面の刺客が振るう鋭い太刀先が上段から勝の頭を両断する刹那、イゾーが跳ね起き、腰の脇差しを斜め上方に一閃させた。刺客の太刀先が勝の背後の襖にめり込む。胴から上の上半身が勝の肩先をかすめて襖にぶつかって落ちた。下半身はしばらく立っていたが、ゆらりと崩れた。
勝が慌てて刺客の両断された死体を庭に蹴落とした途端、切り口から血が吹いて庭の土にどす黒い血溜りを作ってゆく。
イゾーは横になり寝息を立て始めていた。
寝返りをうって勝の膝に頭を乗せる。
天使の様な寝顔だ。
勝は、こわごわ髪を撫でてやる。
勝の頬を涙が伝いイゾーの髪に落ちた。
「EDOの勝海舟さんからのお手紙の続きです……」
如月屋のセットが暗転して、万次郎にスポットが当たる。
「という訳で、私は命を救われましたが、私は自分の事よりその子供の為に涙があふれてしかたありませんでした。この時代というものがこんな幼い子供を殺人者にしてしまった。そして私たちは『時代のせいだ』と簡単に言い、自分自身がその時代を作っている責任を放棄してしまう。どんな形であれ、人が人を殺す事を一方で認めておいて、一方で禁止する事は間違っている……槍も刀も鉄砲も、おおよそ人を殺す為の全ての武器を捨て去るので無ければ平和を叫ぶ事は間違っている……私は夢想家と呼ばれる事を恐れず、そう叫びたい……そう思いながらも私は、自らの思いを封じ込めて幕府の海軍奉行を仰せつかりました。せめて、この曲をあの子に贈りたい、そう思います……リクエストは、9月に出た私、ジョン万次郎のアルバムからの曲でした……『夢』」
♪夢みてごらん
地獄 極楽も
国境(くにざかい)も無い
侍もいない
来世を誓う前に
くちづけをしよう
この世を愛で満たし
手と手をつなごう・・・
(EDO著作権協会承認:ほの二十二番)
ラジオが蹴飛ばされ、イゾーの頬に激痛が走った。見た事もないくらい恐ろしい顔をした半平太が、イゾーの視界でゆっくりとにじんだ。右手に手紙を握っている。
「"勝先生にイゾーはどうでしたと聞いたら一言、怖かった、と言うちょった。その後、でも命の恩人だ。EDOに帰ったら芋羊羹を送る。と、言うちょった。イゾーは本当に凄いぜよ。…半平太へ…お前の幼なじみ、世界の、坂本竜馬 "」
半平太は怒りのあまり手紙を食いちぎった。イゾーが泣いて取り縋る。
「やめてよ!おっ父…やめてよ!」
「うるせえ!」
半平太に突き飛ばされて、イゾーの後頭部が箪笥にぶつかり音を立てた。
「お前があの時斬ったのはな!長州の柏谷日世吉といってな、土佐勤王党のお友達、同志だったんだ!おかげで長州藩から文句言われてな、スポンサーの姉小路公知って公家さんからもな、"土佐は見境いが無い、バンバン殺しすぎだ、当分謹慎しやれ"って、畜生、あいつに目をつけられたらもう攘夷派の中では浮かびあがれねえ!ったく!困ったことしやがって、大体、あんな幕臣の護衛につけるたあ、竜馬もなんてことしやがるんだ!元々勤王党だったくせに公武合体になりやがって…」
「わかんない…」
頭のこぶを撫でながら、イゾーがぽつりとつぶやいた。
「何が!」
「…おっ父の言ってる事がわかんないよ…りょうまおじちゃんはおっ父の幼馴染みだったんでしょ…なのにどうしてコーブガッタイなの?アネコージキンタマておっ父より偉いの?おらが斬ったのは宇宙人じゃなかったの?わかんないよ!おら、悪いことしたの?おら、おら、……もう、おっ父の言ってることが…わかんないよ!」
イゾーの眼から静かに涙があふれた。半平太の目から暗い炎が消え、ゆっくり光りが戻った。
「イゾー……泣くな。歯を食いしばって我慢するんだ。男は泣いちゃあいかん。おっ父が悪かったな。まだ、お前には難しすぎる話だった。だがな、お前が大きくなったらきっと、おっ父がなぜ殴ったか、何がどうなってるのか……わかる日がきっと来る。今はわからなくてもな。ほら、おっ父の目を見るんだ。お前はテングメンだ。正義のヒーローだ。お前には使命がある、みんなが幸せに暮らせるようになるために働くんだ。これは、この広い世の中で、お前にしか出来ない事だ……わかるね。お前は男だ、勤王の志士だ。イゾー……笑ってみろ。ほら、おっ父も笑うから……な、元気を出せ。ほらもう元気になった、な。」
ひきつった笑い顔を浮かべたイゾーを半平太は抱きあげた。
「……おっ父は…おらが好きか……嫌いになったんじゃねえのか?」
「大好きだからこそ、腹が立つこともある…わかるな?」
「おら、おっ父のこと、好きでいて……いいんだな。」
イゾーの眼からポロポロと涙の粒がこぼれだす。
「いいとも。じゃあ、大好きなおっ父の頼みを聞いてくれるか?」
半平太はうなづくイゾーの頭を撫でながら、少し難しい顔をして声をひそめた。
「今度の指令は今までより難しい、秘密指令だ。失敗は許されない。」
「大丈夫、必ずやり遂げるよ。」
「その意気だ。よく聞くんだ。ある公家に化けた宇宙人の手先を斬ってもらう。そして、その公家の刀を使って、護衛の武士にとどめをさす。今回は"天誅"のせりふは無しだ。テングメンとも岡田以蔵とも名乗るな。いいな。真っ先に提灯を斬って、全部暗闇の中でやれ。今夜は新月、月の出ない夜だ。覆面をして誰にも見られないように、半時後、猿が辻…。護衛も凄腕だ、決してぬかるんじゃないぞ。」
「わかったよ!」
刀を提げて出てゆくイゾー。見送る武市、ほっとしたのか顔がゆるんだ。
「さて、次は誰についたものか…三条実美、いや岩倉具視か?…それもこれも、イゾー!イゾー様々だ。はっはっはっはっは……!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます