第10話 人斬りにとって不都合な真実

 イゾーは、四条河原町にある竜馬の隠れ家の前で雨に濡れていた。


 かすかに睦みあう男女の声が聞こえてくる……入るに入れず待っていると雨が降ってきたのだ。軒へ寄れば少しはしのげるのだが、声が大きく聞こえてくるような気がして、寄れずに居る。


 ずぶ濡れで立っているイゾーを、出てきたおりょうが見つけて中へ招きいれた時には、四半時も経過していた。少し上気した顔のおりょうが手ぬぐいで身体を拭いてくれるのを、イゾーはじっと見ていた。


「ずーっと待っててくれはったんか…堪忍え。」

「…おりょうさんは、おらの事好き?」

「大好きどすえ。」

「愛してくれる?」

「そうどすなあ…ぼんは、ほんまに可愛ゆうおす。けど、うちには心底惚れた人がいてはるから…」


 浴衣姿の竜馬が障子を開けて現れた。

 おりょうにあごをしゃくる。


「えー湯じゃ。早う、入っちょき。」

「ぼんが…」

「おらは…ええです。」

「イゾーはわしに用事じゃきに。かまん、入り。」


 おりょうが風呂に向かうと竜馬は、湯飲み茶碗に酒をついでぐいっと飲んだ。


「いやー、待たせてしもうたのお。おりょうがなかなか放しちくれんきに……今、風呂にはいっとったんじゃ。おりょうが上がったら、すぐ飯の用意をさせるからのう………で、何の用じゃ、イゾー。」


 イゾーは、黙ってうつむいている。


「…どうした?イゾー!なんちゃ?そん顔色は!顔見せてみい。…いかんいかん、こんな顔しちょったらいかんぜよ。…イゾー、男はパワーぜよ、エネルギーぜよ。明るく楽しくエネルギーを発散しとらんといかん。おまんは辛いこと苦しいこと、悲しいことを心の内に溜めちょるきにそんな顔になるんじゃ……イゾー笑っちみい!」


 黙って首を振るイゾーの様子を見て、竜馬の笑顔が曇った。イゾーの後ろから両肩を掴む。


「……じゃあ、泣いてみい。声あげて、大声でオーイオーイゆうち泣くんがええ。おまんは子供ぜよ。子供が大人みたいに我慢しちゃいかんきに。わしなんざ、餓鬼んころは寝小便たれでのー、そん上に大の泣き虫での、姉さの後を金魚の糞みたいにひっついちょったもんよ。いつでも、大口開けてアネサー!オットー!オッカー!っち、泣きどーしじゃったきに……ほれ、おまんも泣いちみい。かまんぜよ。」


 イゾーは首を振り続けていたが、両の目からはポロポロ涙がこぼれおちはじめた。うめくような小さな声が洩れたかと思うとたちまち土砂降りの夕立のように大声で泣きだす。竜馬はイゾーの首をしっかり胸にかいこんでイゾーの頭を撫でた。


「子供じゃのー。まっこと子供じゃ。ええんじゃ、それでええんじゃ。泣き虫、子虫でかまんきに…。」


 イゾーが、竜馬の胸で鳴咽していると、突然廊下側の障子が開き、おりょーが一糸まとわぬ姿で飛び込んで来た!


「だんはん!!」

「このべこのかあ!イゾーがおるじゃいが!」


 目をつぶったまま、両手でおりょーの胸と腰を隠そうとする竜馬を跳び越えて、おりょーが叫ぶ、


「それどころやおへん!新選組どすえ!!」


 いきなり斬り込んできた斎藤一の刃を受け止めるイゾーの刀が火花を散らした刹那、竜馬が行灯を吹き消した。闇の中に高杉晋作の形見、S&W"サラマンダー"が二度、三度火を吹く。土方の声が走った。


「退けー!一時撤退!」

「イゾー!こっちじゃ!おりょー押し入れへ!」


 窓から屋根へと逃げ出した竜馬とイゾーの眼に、月光を背に立つ一人の新選組隊士のシルエットが待っていた。


「誰じゃ!」

「新選組一番隊長、沖田総司!」


 影の発した声がイゾーの聞いた事の無い、緊迫したトーンで響いた。


「総司さん!」


 と、イゾーは手を広げて竜馬のピストルを制した。


「イゾー君?!」

「ほお、さすがに知っちょるようじゃの。土佐の"岡田以蔵"ゆうたら新選組にとって死神のような名前じゃろ。わしが撃たんでもええ、まかせろゆうちょる。おんし、命が惜しかったら、そこをどいた方が身の為じゃぞ。」

「イゾー君は……土佐の…岡田以蔵だったのか…!?」


 青い光に縁取られた影は身じろぎもせずに言った。

 イゾーは影に向かって頭を下げた。


「総司さん、ごめん!見逃して!」


 土手につながる裏道へ飛び降りて消える。


「どないなっちょんじゃ?」


 竜馬もとまどいながら後を追った……

 呆然と立つ総司を土方が窓からのぞいた。


「どうした!総司逃がしたのか?」

「はい…土方さん。」

「?…刀も抜かずにか…?」

「…はい。」

「事情は後で聞こう。」


 こめかみに血管を浮かせながらも、あくまで冷徹に対処してくれる土方さんがあり難いと、総司は唇をかみしめた。斎藤がおりょうを引っ立てて、土方の後ろから覗く。


「副長、押し入れに女がいました。」

「よし、屯所で尋問だ。…総司!帰るぞ。」


 土方と斎藤がおりょうと階段に消えた後、総司は、もう一度、イゾーたちの去った方を振り向いた。


「悪い夢のようだ…。」


 空には青白い満月がかかり、古都の屋根屋根を光らせていた。


 静かに暗転になって行く。

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