第13話 L'Adieu

「悔しー…このあたしが…馬鹿にされてる……」


 天下のジョニーさん、あの近藤の肩がわななくのを甚五郎は初めて見た。


「イゾー、良い事を教えてやろう。」

「副長!そいつは反則です。」


 斎藤の顔色が変わったが遅かった。


「ここを教えてくれたのは武市半平太なんだ。」

「おっ父が?」

「そうだ、お前のおっ父はな、敵である我々新選組に…」

「土方さん!」


 必死に掴んだ斎藤の腕を土方は振りほどく……


「お前を、岡田以蔵を殺してくれと頼んできたんだ。」

「……そうすれば、坂本竜馬殺しを私たちの手柄にしてくれるってね。フン!」


 いや、いくら悔しいからって、あんたが土方に乗ってはいかんでしょ!……と、斎藤は唇を噛む。


「いい話じゃありませんか!幕末史の一番手柄ですよ。それに、こいつがいなくなれば総司だって……」


 土方の劣情をすり抜け、イゾーの眼はここに居ない誰かを見ている。

 ゆらゆらと水底から水面の上を見上げているように……

 その男の顔を見ている。


「おっ父が………おらを…?」

「売ったんだ。武市は、土佐藩の重臣暗殺容疑で捕まったが、証拠不十分で保釈された。土佐藩がお前を探していると知って、お前の口から今までの人斬りがバレルのを怖がっている。口封じに殺してくれと頼んできたんだ!」

「おら、おっ父に嫌われたの?……おら、おっ父の言う通りに働いてきたのに……おらが…死んだ方がいいのか?……おっ父は、そう思ってるのか?……」


 イゾーは刀を手から放して涙を拭った。

 後から後から、とめどなく涙が湧いて来る。


 土方、じりじりと近づき、刀を振り上げようとするのを、いつのまにかそこにいた男が静かに制した。


「……総司、邪魔するな!」

「土方さん!あんたは泣いている子供を、無抵抗の子供を斬るほど、落ちぶれたんですか!それがあなたの武士道ですか!」

「子供じゃない!そいつは岡田以蔵だ!我々の警護する京の都を、恐怖のどん底に叩き込んだ"天狗面"だ!」

「知ってますよ!けれど……どうしても、この子を斬るというなら、」


 総司が、毎夜、甘い夢の中に現れるその顔が……氷のような殺気を放ちながら、歳三の目の前に立った。


「僕が相手です!」


 どす黒い嫉妬と、細胞がとろけそうな哀しみが瞬時に満ちて……水風船のように膨らんだ土方の肩を、近藤が優しく叩いた。


「勝負あり……さ、馬鹿1、馬鹿2、帰るわよ。」

「はい。」

「近藤さん?!!」


 泣き叫ぶ土方の耳を引っ張って近藤は後ろも観ずに去っていった。

 斎藤一は何か言いたそうだったが、仕方なさそうに笑って去った。

 総司は近藤たちの後ろ姿に深々と礼をして…

 そっと歩み寄り、イゾーを抱き締めた。


「辛いかい…辛いだろうな。父親と慕ってた人に裏切られたら。でもね、武市さんだってきっと……」

「おら、おっ父に会いに行く。」

「イゾーくん!」

「おっ父に聞いてみる。おら、約束した。おら、おっ父に聞いてみる!」

「……わかった。近くまで送るよ。」


 イゾーは首を振る。


「これはおらとおっ父のことだ……総司に迷惑はかけられないよ。」


 2、3歩離れてから、ぴょこんとお辞儀をする。


「イゾー君!」


 イゾーの背中が小さくなって行く。

 それはたまらないくらい大切な物だ。

 自分にとって大切な……無くてはならないものだ。


 総司は動悸を打つ滑らかな心臓が荒縄でぎゅっと締め上げられる様に感じた。


「また会おう!…きっと!また会おう!」


 小さな背中が振り返った。

 無理やりの笑顔が力なく両手を振り、もう一度お辞儀をして去っていった。


「必ず会おう!!」


 総司の言葉が、ゆっくりと暗転して行くセットに何度か木霊した。

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