第16話 総司と歳三、ジョニーと弾左衛門 ふたつの別離

 EDOの夕暮れの情景がセットされた。千駄ヶ谷の植木職人の家の離れで、病の床についている沖田総司を土方歳三が甲斐甲斐しく世話をしている。


 玄関で声がした。あの声は近藤さんと斎藤さんだ……。総司は眼を閉じたまま、そう思った。なぜか、ここの処ずっとナース服を着ている土方さんが立って出迎える音がした。


「これは近藤さん。斎藤さんも、いよいよ出発ですか?」

「まだなのよ。鳥羽伏見の戦で負けてこのEDOまで逃げてきたけど、今じゃ新選組も30人くらいでしょ。老中格にしてもらうのに、これじゃ格好がつかないからさ。これから浅草の弾左衛門ちゃんに会ってお金と人数を用意してもらうの。関東地方一帯の長吏や貧人を束ねている大親分なのよ。あたしが現役でステージに立ってたころは随分援助してもらったの。結局頼れるものは昔の知り合いくらいね……それより、総司はどうなの?」

「お医者さんは良い事を言ってくれませんが、私は信じてます。こうやって真心を込めて看病していれば、必ず……いや、必ず、私が直して見せます。安心してお預けください。」

「まあ、あんたなら一生懸命看病するでしょうね……厠を貸してもらおうかしら。」

「はい。こちらです。」


 土方さんが先に立って、局長を案内する。出てゆく音に総司は目を開ける。


「斎藤さん、お久しぶりです。」

「総司、目が覚めたか。近藤さんも来ている。今、厠だ。」

「いよいよ出発ですか?」

「いや、だがもうすぐだ。…正直困っている。」

「え…?」

「総司は病気だ。これは、仕方ない。だが、土方さんだ…総司の看病のため、ここに残ると言ってきかない。近藤さんも匙を投げてるんだ。」

「…僕は行ってくださいと言ったんですが……」

「近藤さんは負傷が癒えてないし、俺が指揮をする事になる……それが困るのだ。土方さんは、あれで人望がある。熱い男だ。俺はな、心は燃えても顔に出ない。指揮者には向かぬのだ。その点、土方さんは……」


 土方さんが帰って来た。満面の笑顔になる。


「おお総司、眼が覚めたか?近藤さんも来ている。じきに夕飯にしよう、生きの良い鯨が手に入った。今、盥で泳がせてるから。」

「クジラ?」


 常識人の斎藤さんは思わず眉をひそめたが、土方さんはお構いなしだ。


「時々、ぴゅーっ、ぴゅーっと潮を吹くんだ。あれはきっと美味いぞ!」

「土方さん、お話があります。」

「何だよ総司、改まっちゃって…俺とお前の仲じゃないか。」

「土方さんに看病してもらってる間、本当に幸せでした。」

「でした…って、なんだ、その過去形、すぐに死ぬように言うなよ!」

「死にません、僕はまだ死ぬわけにはいかんのです。」

「そうだ!その意気だ!」

「僕はいいんです。でも、土方さんはそれでいいのでしょうか?」

「いいとも!俺は好きで世話してるんだ。お前と同じように、俺だって今が最高に幸せなんだ!」


 土方さんの眼を真直ぐ見つめて5秒待った。この人ならきっと理解できるはずだ。


「土方さんを待ってる人がいます……新選組の仲間たちです。EDO、東北、会津、甲州の……薩摩、長州と戦おうという兵たちが、土方さんを待っているじゃないですか。土方さんが行かないばかりに死んでしまう仲間が、何人いるか知れません。ご自分の好き勝手な幸せの為に、土方さんを頼りにしてる仲間を裏切る…土方さんは武士、決してそんなことの出来る人じゃないですよね。僕の大好きな土方歳三は、心の底まで『武士』ですよね。」

「……総司………」

「次に会う時は冥土です。僕が行くまで、必ず入り口の所で待っていて下さい。それまで、二度と逢いません。僕の好きな土方さんに本当の武士でいてもらう為に……僕は命がけで我慢します。」


 土方さんが、ふらりと立ち上がり、言葉にならない声で絶叫して、履物も履かぬまま、どこかへ駆け去った。


「近藤さん。」

 

 斎藤さんが気配に振り向くと、近藤さんが斎藤さんの羽織の袖で、手を拭いている。


「あらあら、長いトイレになっちゃったわ。歳ちゃんは?」

「何か叫んで走ってゆきました。」

「じゃあ3日くらいはかかるわね。ま、そのうち来るでしょ。総司、手間を掛けたわね。恩に着るわ。」


 近藤さんのウインクが心に沁みる。


「……もう、2度と逢えないと思うと、」

「ちょっと寂しい?」


 近藤さんが両手で、ちょっと冷たい僕の手を包んだ……温かい、柔らかい手だ。


「あたしね、今、自分で素敵な人生だなって思えるのよ。この時代に生まれてこの時代に死んでゆけて……よかったなって、そう思えるの。出会うのも素敵だけど別れることも素敵。始まりがあって、終わりがあって、そんなことを……いっぱい繰り返して……それが生きているって事じゃないかしら?」

「はい。」

「あたしたち、とても沢山、生きた。短くても……」

「……はい。」

「いい子ね。さすが、あたしが育てた最後のアイドルね。」

「はい……」


 近藤さんが、よいしょっと立ち上がった。


「じゃあね。また、いつか。」

「はい…また、いつか。」

「またな。」

「斎藤さんもお元気で。」


 近藤と斎藤が静かに去ると、暗い部屋の中で総司は、小さく咳き込み始めた。


 甚五郎のカメラが、隣のセットへとパンすると、闇の中で灯芯に火を点ける手。浅草弾左衛門の顔が浮かぶ。近藤の顔も。弾左衛門の嗄れ声が沈黙を破った。


「人の世に光りあれ。…歳を取ったな。」

「お互い様よ。」

「出世したとか?」

「幕府にろくなのがいないのよ。300年は長すぎたのね。」

「われら"日(ひ)"と申し、"影(え)"と申し、"蜂(はち)"と呼ばれ、"八(や)" とも"八(ぱー)"とも呼ばれ」

「穴居して"土蜘蛛(つちぐも)"、山野に潜みて"隠忍(おに)"と呼ばれる……」

「EDOは影(え)=の土地、歴史の影(かげ)に生きるものの土地、家康公も影(え)の民じゃ。ここはわれわれのクニ、EDOは良い時代になるはずだった。それがあの綱吉の"生類憐れみの令。"から狂ったのだ。幕府は坊主と付き合いすぎたかの?今や影も尊皇と佐幕に別れて殺しあう…クニとは厄介なもの。いや、そもそも"影"がクニをつくったのが間違いなのか…。」

「徳川を助ける気は?」

「先は無いだろう…後がつらいな。」

「新政府はおいしいことを言ってきたの?」

「おいしいが…信じられぬ。所詮、幕府も薩長も異人どもの操り人形だ。」

「…じゃあ、あたしの為なら?」

「…若き日の美しき思い出の為に…か。」

「よせばいいのに、やたらに"永遠"を誓う男がいたわ。」

「…仕方が無いな。軍資金一万両と、若い者200人。この、13代浅草弾左衛門をもってしても、すぐに動かせるのはその位だ。これで新政府に弓を引いた事になる。貸しは大きいぞ……まあ、ジョニーに返してもらえるとは思ってないがな……今日はゆっくりして行けるのか?」

「いいえ。」

「そうか…。ひとつ教えよう。」

「何?」

「徳川はお前たちを見捨てた。『甲陽鎮撫隊』などと名前は勇ましいが、厄介払いだ。」

「そう。…そんなとこね。」

「ジョニー…」

「なあに?」

「死ぬなよ。」


 近藤、にっこり笑って闇に消える。

 弾左衛門は、首を振って溜息を洩らし、静かに明かりを吹き消した。

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