この物語はサイバーセキュリティーを題材にして募集されるコンテストという入り口から執筆されている。僕はIT業界のことについては門外漢ということもあり、この物語を読んで楽しめるかどうかが、初めは不安だった。
読み進めるにつれてその不安が杞憂であったことにすぐ気がついた。話を楽しむ肝となるサイバーセキュリティーに関連する用語や、それらが何を目的に仕組まれて、何を成すから怖いのかを、本文では噛み砕いてわかりやすく説いている。
この『何かが目的で仕掛けられた』ものからの解決を『わかりやすく説く』ことが、主人公たちの行動に沿っているため、読み進める楽しみも合わさり、とにかくストレスなく世界の空気に慣れることができました。
話の起点から着地点にかけて、心惑えどもブレない書き方は、最終的に勝ちに行くファイターのそれに近いと感じます。さすが。
セキュリティー問題にしろ、武術にしろ、それらをよくよく知ろうとするきっかけは、たいてい痛い目を見たときだったのを思い出しました。物語の内容になりますが、錬磨なキャラクターたちも最初は痛い目を見て今の姿になっていき、物語の中で各々が痛い目を見ながら解決策を模索、達成していく(いこうとする)流れは、そんな積み重ねを大事にする作者の姿勢がよく現われているのではないかと思いました。
この物語の敷居は高くはありません。
何かを為すために試行錯誤する戦う者たちの物語です。
ジンジャーエールを友にしながらの一読をお勧めいたします!
面白かった!
ハッカーによってもたらされた大災害の場面から話は始まります。
どうしてこなったのか、その経緯、背景を辿りながら目前の攻防へと歩んでいく。
面白おかしい要素を持った人たちと、渋い道を歩んでいく主人公。
技術者とその周りの人が持つ想い、葛藤、痛快さもしっかりとある物語。
胸が熱くなる場面多数、ポの字の場面も有り。
セキュリティの技術者ではないですがが、片隅の技術者としては震える事案。来ないと思いつつも、いつか来る脅威。いや、来ないでw
現実にある会社名、ソフトなどの名称が出ているのでそのまま使われているのでリアリティがあります。あ、悪い方向で出ているブランド名は無いですね。そこは架空の名称が使われているようです。
読んでいて面白く、勉強にもなりました。
専門用語はググってください。
もしくはそういうものがあるのだと思ってくれれば良いかと思います。分からなければ読めないというものでは無いと思います。
IT技術は急速に発達し、現代の社会を支える重大な基盤となっている。
そんな社会に生きながらも、恥ずかしながら私はITに関わる知識に疎い。
高度な専門用語が飛び交うその世界は、遥かな高次元に位置するものに感じられた。
この物語も、最初はそんな自分よりも遥か遠い世界の出来事を描いた物語なのだろうと思っていた。
しかし読み進めるごとに、気づく。
これは思っていたよりもずっとずっと近く――現在の私達が生きている世界そのものなのだと。
IT技術は高次元の技術などではなく、身近な生活に網の目の如く張り巡らされている。
この物語の登場人物達は、私達と同じくそんな世界に生きている。
ショウとサク――二人を中心とする登場人物達は、それぞれに高度な技能、知識、能力を持つ。
けれども彼らは、未知の技術を扱う超人などではない。その姿はどこまでも等身大で、息吹まで感じられそうなその描写は彼らが確かな血肉を持った人間であることを実感させてくれる。
この物語に、正義の味方だと完全も言い切れる存在はいない。
禍々しい企みをもった巨悪もいない。
ここに描かれているのは苦悩の末、なにか譲れぬもののために白――あるいは黒の帽子を取った人間の姿だ。
デジタルに彩られた彷徨の果て、固い絆で結ばれていたはずの二人はそれぞれ別の色の帽子をとる決意を下す。
この物語はわかりやすい説明やスリリングな展開を通じて、現在のネットワーク社会が実はとても危ういものであることを伝えている。
けれども、決してそれだけではない。
迷い、悩み、足掻き、それでもこのハイテク社会で情熱を燃やす人間たち。これはそんな不器用だけれども熱く、刺激的な人間達のほろ苦い生き様を描く――まさにジンジャーエールのような作品だと思う。
才覚ある人間の不器用な面の全てをサポートしてその才能を存分に揮わせる、そんな立ち位置の主人公を書かせたら梧桐さんは天下一だと思います!!!!
主人公ショウは、情報技術だけに無垢に生きるサクに心惹かれ、サクの力を発揮させることに自分の人生を賭ける。だがサクの哲学はショウの想像を超えていく……。そんな二人の関係性がとても好きでした。自分の理解を超えた生き方をするサクだから、ショウは心惹かれている。だからこその結末に胸打たれます。そしてサクも、自分の生き方を貫く一方で、ショウのことを認めていたんだなと。だから、受け入れたんだと私は思います。また、ショウの恋路もとても切なかった。子どもの顔を見てみたいと思いました。
本作は、サイバーセキュリティを題材に、現実のネットワーク社会への警鐘を鳴らす意欲作である。
それと同時に、一級のエンターテインメント作品としても成り立っている。
私はIT用語にはとんと疎い方だが、それでも彼らの扱う製品や現状がどういうものなのかは理解できたし、用語に馴染みがないからといって読むスピードを落とすこともなかった。
一方、この業界に詳しい人であれば、さらに一層この作品を楽しめたのだろうなと思うと少し悔しくもある。
主人公とその友人である天才プログラマーは、かつては共に育ち、共に夢を追っていた二人だったが、ある地点から別々の道を行くことになる。
彼らが再び対面したとき、彼らが被っていた帽子は一体何色だったのだろうか。
黒か白か。
私には、あそこまでのことを起こした彼でさえ、かぶっていたその帽子は白だったように思えてならない。
サイバーセキュリティと聞いても、他人事でしかないくらい、わたしはITに縁遠いです。(実際、作中に出て来る専門用語のほとんど理解できてないです。たぶん)
なので、IT技術で人が死ぬなんて、SF映画のスクリーンの向こう側ほど遠く離れた世界の出来事でした。
プロローグを読み始めた時は、まさにテレビ画面の向こう側で遠く離れた台風のレポートを眺めているくらい、身近に感じることのない脅威でした。
が、読み進めて引き込まれていくうちにどんどん肌で脅威を感じるくらい実際に起こりうるかもしれないことに、殴られるように気づかされました。
ショウとサクの関係が、ケルト神話のクー・フーリンとフェルディアが蘇ったのではないかと胸が熱くなりました。
そんな胸が熱くなるほどの人間ドラマは、専門用語が理解できなくても、普段日常生活で感じることのない、IT関係で奔走している人たちの息遣いすらも感じさせてくれました。
素晴らしいの一言。
本作はサイバーセキュリティという、作者の知識量の誤魔化しが全く効かない領分を扱った作品であり、例え豊富な知識を有していたとしても、その専門的な知識や用語を読者に理解出来るよう、リアリティある描写で伝えきるのは至難かと思います。
本作は、サイバーセキリュティ小説という難しいジャンルに求められるそれらの要求をほぼ完璧に満たしつつ、エンターテイメント小説としてのハッタリや演出。創作ならではの遊び心なども随所に取り入れた非常にハイレベルな作品です。
作品の中身に言及させて頂くと、ハードな世界観と展開というメインの柱に、人と人との繋がりや絆といったものがまるで呪縛のように絡みつく、ドライとウェットの見事なバランス感覚が凄まじい中毒性を発揮しています。
掴みから面白い!と思いましたが、後半になるにつれどんどんと先が気になり、読みたくなり、もっともっとと続きを求めてしまいました。
本作はより多くの人に読まれるべき作品だと断言できます。
攻殻機動隊やアキラで育った今の30代、40代には勿論、中高生くらいの若い世代に対しても明確な訴求力があると感じました。
最後に、本作を通して素晴らしい時間を頂戴したこと、心から感謝します。ありがとうございました。
セキュリティセキュリティと世界がオウム返しのように叫ぶその理由。
そしてその意識が個人単位で極めて低い日本を始めとする諸外国。
未遂ではあるものの、既にプロローグのような事件が起きる程のクラッキングは何度も発生している世界に私達は住んでいる。
その事を常に認識し、どんな企業であっても小さな個人でも、オンラインである限り、どれ程の危険と脅威が待っているかを認識するために読んでいただきたい。
インターネットはかつて弱い一個人が大企業を、権力者を告発出来るという力をもたらした。
しかし今はもうネットに情報の殆どが集約し、ネットワークに移行出来うる物はすべてされてしまった。
セキュリティを軽んじ、それを突破されれば、誰しも財産はおろか生命すら侵される。
ネット越しに人は殺せるどころか、殺戮できてしまう。
今はただ、それを実行する化け物がいないだけであるという警告をこの物語から強く感じた。
インターネットを活用する誰にでも知ってもらいたい。
この物語に出てくる専門用語はそれほど分からなくてもいい。
ただ、この恐怖は起こりうる事を強く認識して欲しい。
サイバーセキュリティは確かに面白いネタだ。現代よりはもうちょっと技術的、SFよりはもうちょっとリアル。
その一方で、サイバーを扱うにはその匙加減が大変に難しい。
あまりにも簡略化しすぎてもリアリティが薄れるし、かといって詳細に書き過ぎても一般向けでなくなってしまう。加えて一口にサイバーだとかITだとか言っても、実際のところはとてつもなく広い範囲におよぶ。下手に取り扱えば本職の技術者から「いやそれは流石におかしい」とツッコまれかねない。
しかしながらこの小説はその問題を絶妙な配合で取り扱っている。
前半部分では一話ごとにすでに実現されているITガジェットが一つは登場する。連載中は一話読み終わる度にそれらを検索して「ははぁ、こんなものが世の中にはあるのか」と時代の流れ、最先端の技術を感じたものだ。しかもそのうちのいくつかはクライマックスへの伏線にもなっている。
いわゆるサイバー攻撃の場面については、簡単すぎずしかし難しい領域に踏み込むことなく描かれている(多分)。この配分は至極適切なものだと思うし、私自身も「ここはこの程度の描写で十分なのだ」と気づかされた。もちろん前提知識が豊富になければ取捨選択はできないことだが、悪しきハッカーがどのように他者を攻撃するか、その技術的背景は物語を進めるうえで重要ではないのだ。
というのも、どんな技術も道具も結局はそれらを扱う人間次第で善にも悪にもなる。
前置きが長くなったが、本作はつまりそういう話だ。
そもそもなぜサイバーセキュリティは必要なのだろうか。
それは必ずしも技術が有益な目的だけに利用されるわけではないからだ。いつだって必ず、それを悪用する人間は存在する。
ゆえに作中でも触れられるしタイトルにもなっているが、「どちらの色の帽子を取るか」というのはサイバー技術者に限らず、例えば格闘家であっても、常に心すべき問いかけだ。特殊な技術、特別な力を有している人間は、それをどう扱うかを心しなければならない。
この作品ではその問いに対して異なる答えを出した二人の人物が登場する。
どちらも信念に従い、それぞれの意思でそれぞれの帽子を取った。かつては同じ道を歩んでいても、その目指す先はほんの少しだけ違っていた。
正直なところ、道を踏み外した側の考えも多少わからなくはないのだ。
どうして専守防衛に努めなければならないのか、どうしてこれほど情報技術に囲まれていながら守る術を考えないのか、どうしてこの生活がいつまでも続くと無条件に信じていられるのだろうか。
一度、痛い目に遭わなければ理解できないのではなかろうか――。
優秀だった技術者はかくして恐るべき攻撃者へと変貌し、プロローグで描かれたような技術的暴力による惨劇が始まるのだ。
大義親を滅すと言わんばかり、自らが望む結末のためにはどんな犠牲も厭わない。
もちろん多くの人間を傷つけた行いは赦されるものではない。その行動は大いなる自己矛盾だ。
これを止められるのはもう一つの帽子を取った者以外にない。選んだ人間にしかできない。
――あるいは新幹線爆弾か。
(締め方に悩んだあげくボケましたごめんなさい)
※ネタバレ注意!※
近年のIT技術やAIなどの発達はめざましく、数年先ですら私たちの生活がどう変化しているのかちょっと予想できないぐらいです。
そんなめまぐるしい変化、技術の発達は、私たちに恩恵を授けてくれますが、もしも悪意ある人間がその技術を恐ろしいことに使ってしまったら……どうなるでしょうか。
この小説は、そんな恐怖が最悪なかたちで実現してしまう物語です。
実際に悪質なハッカーによる被害は現実世界でも出ていますし、AIを搭載したロボットを軍事利用しようとしている国々もあります。
技術は本当に人を幸せにしてくれる道具なのか。
答えはNOであり、YESでもある。どちらでもあり得る。だからこそ、私たちはYESとなる選択をつかむ必要がある。
私は、この物語を最後まで読んでそう思いました。
人間には技術を使ってたくさんの未来を創り出す力がある。その可能性を持っている。ただ、進むべき道を踏み外してしまうと、技術は誰かを不幸にする凶器と化してしまう。大切だった人間すら傷つけてしまう。
だからこそ、明確な意志を持って、
「自分は未来を創り、人の役に立てる人間になる」
という生き方を選び、道を踏み外さないようにしなければいけないのでしょう。そして、次の世代へとその意志を受け継がせていかなければならないのだと思います。
作中でハサウェイという人物が「黒の帽子を取るな。白の帽子を取れ」と主人公たちに告げますが、私は彼の言葉をそう解釈しました。
主人公の二人は、最終的に袂を分かち、それぞれが別の「帽子」を取ります。
ずっと同じ道を歩いて来たはずの親友だったのに、彼らにはどんな違いがあったのか。これは私の勝手な考えなのですが、
一人の男は、愛する女と共に生きようとし、未来を望んだ。
一人の男は、愛する女への感情を押し殺し、破滅を望んだ。
……ということだったのかも知れません。
大切な物を守るために自分の技術で未来を創り出す。そんな社会が来て欲しいと思うし、私もその社会を担う人間の一人になりたいと思います。
物語内ではたくさんの悲劇が起きましたが、この小説の本質は「未来への希望」なのではないでしょうか。
技術は人の悪意で災厄を招く。しかし、未来を創るのも技術と人だ。
大丈夫。私たちが白の帽子を取り続ける限り、未来には希望があるはず……。
サイバーセキュリティコンテスト参加作品の本作。
それなのに「その色の帽子をとれ」というタイトルはどういうことなのか?
この興味から、本作への没入は始まることになる。
同じものを目指していたはずの二人の男が、いつか道を違え、そしてその先で対峙する……
香港映画の傑作「男たちの挽歌」を例に出したが、こうしたプロットが人気が高いのは、それが現実の世界でも多くの悲喜劇を生み出すシチュエーションだからだろう。
それは男のロマンなどという陳腐な話だけにとどまらない、人間が協力しあい、ぶつかり合いながら文明を作り上げていくプロセスが描かれているのだと思う。
そもそも、技術者というのは多分にロマンチストだ。
夢想を現実にすることこそが仕事なのだから、それは当たり前かもしれない。
「その色の帽子をとれ」……内容を読めばわかるが、サイバーセキュリティコンテスト作品としては多分に叙情的なタイトルとテーマが、そしてエンジニアのロマンが、そのロマンを追い、人間が文明を作り上げていくプロセスが、描かれている。普遍的なテーマを持った傑作だと思う。
作者は格闘小説を多く手がける作家として、カクヨムでは知られている。
しかし、現実のセキュリティエンジニアリング、そしてその周辺を取り巻くビジネスとカルチャーを精細に描き、ガジェットをもあちこちに配置した本作のディテールは白眉。これは素人が取材したレベルでは書けない。
そのディテールの中で活躍する、男たちの叙情は、それこそこの作者の独壇場。真の意味で、この人にしか書けない作品。
ヒロインとの関係性や、脇を固める登場人物たち、彼らとのやり取りもカッコいいし、そして毎話の最後には必ず、何かが込み上げてグッとくる。
今、2018年という時代に読むべき作品のひとつだと思う。
やー面白かった!!