選ぶのはいつだって人間だ

サイバーセキュリティは確かに面白いネタだ。現代よりはもうちょっと技術的、SFよりはもうちょっとリアル。

その一方で、サイバーを扱うにはその匙加減が大変に難しい。
あまりにも簡略化しすぎてもリアリティが薄れるし、かといって詳細に書き過ぎても一般向けでなくなってしまう。加えて一口にサイバーだとかITだとか言っても、実際のところはとてつもなく広い範囲におよぶ。下手に取り扱えば本職の技術者から「いやそれは流石におかしい」とツッコまれかねない。

しかしながらこの小説はその問題を絶妙な配合で取り扱っている。
前半部分では一話ごとにすでに実現されているITガジェットが一つは登場する。連載中は一話読み終わる度にそれらを検索して「ははぁ、こんなものが世の中にはあるのか」と時代の流れ、最先端の技術を感じたものだ。しかもそのうちのいくつかはクライマックスへの伏線にもなっている。
いわゆるサイバー攻撃の場面については、簡単すぎずしかし難しい領域に踏み込むことなく描かれている(多分)。この配分は至極適切なものだと思うし、私自身も「ここはこの程度の描写で十分なのだ」と気づかされた。もちろん前提知識が豊富になければ取捨選択はできないことだが、悪しきハッカーがどのように他者を攻撃するか、その技術的背景は物語を進めるうえで重要ではないのだ。

というのも、どんな技術も道具も結局はそれらを扱う人間次第で善にも悪にもなる。
前置きが長くなったが、本作はつまりそういう話だ。

そもそもなぜサイバーセキュリティは必要なのだろうか。
それは必ずしも技術が有益な目的だけに利用されるわけではないからだ。いつだって必ず、それを悪用する人間は存在する。

ゆえに作中でも触れられるしタイトルにもなっているが、「どちらの色の帽子を取るか」というのはサイバー技術者に限らず、例えば格闘家であっても、常に心すべき問いかけだ。特殊な技術、特別な力を有している人間は、それをどう扱うかを心しなければならない。

この作品ではその問いに対して異なる答えを出した二人の人物が登場する。
どちらも信念に従い、それぞれの意思でそれぞれの帽子を取った。かつては同じ道を歩んでいても、その目指す先はほんの少しだけ違っていた。

正直なところ、道を踏み外した側の考えも多少わからなくはないのだ。
どうして専守防衛に努めなければならないのか、どうしてこれほど情報技術に囲まれていながら守る術を考えないのか、どうしてこの生活がいつまでも続くと無条件に信じていられるのだろうか。
一度、痛い目に遭わなければ理解できないのではなかろうか――。

優秀だった技術者はかくして恐るべき攻撃者へと変貌し、プロローグで描かれたような技術的暴力による惨劇が始まるのだ。
大義親を滅すと言わんばかり、自らが望む結末のためにはどんな犠牲も厭わない。
もちろん多くの人間を傷つけた行いは赦されるものではない。その行動は大いなる自己矛盾だ。
これを止められるのはもう一つの帽子を取った者以外にない。選んだ人間にしかできない。

――あるいは新幹線爆弾か。
(締め方に悩んだあげくボケましたごめんなさい)

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