その色の帽子を取れ
梧桐 彰
プロローグ
「引き続きお伝えいたします。現在ご覧いただいているのは新宿上空からの映像です。ビルからは一斉に明かりが消え、信号は不規則な明滅を繰り返しております。並んでいる光は自動車のヘッドライト、はっきりと見える大きな光は事故による火災です。惨状の原因は全てハッカーによるものです。世界がこの事件に注目していると考えられます」
テレビの画面には、暗闇に張られたクモの巣のような光が描かれていた。ヘリのバラバラという音にまじって、高い早口が流れ続けている。手際の悪い説明から、原稿を用意する時間がなかったのが伝わってきた。
チャンネルを変えた。スチールの机にマイクが雑然と並んでいる。血の気を失った表情で、年配の男がフラッシュを受けながら話していた。
「え、ただいま総理からありました通り、『ナイアルラトホテップ』を名乗るハッカー集団より声明が出ました。昨日から東京23区を中心として、医療、交通、電気ガス水道などへ集中的な攻撃が繰り返され、利用できない状態が続いておりますが、いずれもこのハッカー集団によるものとのことです。また、品川の火力発電所がタービンの損壊により、現在運転を停止しておりますが、こちらへの関与も示す表現がございました」
男が横から別のレポートを受け取った。
「……はい。先ほどありまして、武蔵野市、三鷹市でもインフラの停止が確認されました。警察消防ですが、被害の拡大に伴う渋滞により、活動が制限されております。自衛隊の災害派遣についても、目下検討されてはおりますが、天災と異なりノウハウが少なく……」
区切ってゆっくり話そうとしているのだろうが、それがかえって空気を張りつめさせていた。民放にチャンネルを切り替えた。同時通訳が流れている。声は女性のものだが、実際に話しているのは厚いヒゲを蓄えた欧米系のエンジニアだ。ボリュームをあげた。
「先ほど火力発電所の物理的破壊がハッキングで可能なのか、というご質問がありましたが、これは現在の技術で十分実現できると言われています。発電所自体ではなく、各家庭または企業などのメーターを乗っ取ることで電力需要を
もちろん、このような規模の攻撃ではかなりの資金が必要になります。ですがここ1ヵ月で仮想通貨を勝手に
通訳が男に切り替わった。大柄な白人は淡々と解説を続けている。
「さて、弊社トリスタンを含む各社のセキュリティ製品は、これまで事件に関連する約4万5千種類のウィルスの駆除に成功しましたが、なお被害は拡大しております。その数十倍が蔓延している可能性があります。恐らくハッカーは
前の番組に戻した。会見は続いていた。
「地下鉄各線ですが、衝突による大規模な火災が発生したほか、通勤時間帯に地下街のエアコンが暴走したしたことなどにより、1万人以上が命を落とした可能性も……」
ジンジャエールの波打った瓶をテーブルに置いた。とても飲む気にならなかった。隣の女がためらいがちに声を出した。
「もう眠ったほうがいいわ」
言われるまでもなかった。疲労がたまり、頬がこわばっている。かすむ頭を強く振った。
「どうしてこんなことになった?」
薄いブラウスの
「筋書きは何もかもできていたのよ。それが自動実行されているだけ。彼が最後にキーボードを押したのは多分2日以上前。あとはコンピュータが黙々と動いているだけよ」
「そうじゃねえ。奴はなんでこんなことを始めたって言ってるんだ」
女は答えなかった。画面をにらみながら、汗ばんだ両手をシーツでぬぐった。テレビの声が徐々に遠ざかっていく。自分の心臓だけがうるさく響いていた。
「見たくねえ。もうたくさんだ」
「それがいいわ」
テレビを切ってベッドに移り、女の隣に体を横たえる。眠れそうになかった。電気は消さなかった。頭をしめつける緊張の向こうに、遠い少年時代の記憶が漂っていた。
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