誤解が広がるから、クトゥルフネタでこれを引用するのはやめようとおもうのだけど、格闘としての空手を考えるとこの言い回しからは逃れられない。ニーチェ先生ごめんなさい。
空手を信じた空手家を追い続けるうちに、何故か違うものを信じてしまった空手家が見たものは!巨匠 H・P・ラブクラフトもびっくりのコラボレーション!そしてお約束のラスト!三分で読めるクトゥルフ神話!カップラーメンができるまでの時間にぜひ読んでほしい掌編です。
「狂気」とは何か――逆に言えば、「正気」とは何か?答えがここにある。とりあえず腹筋返せ。
途中でツッコミどころカウントを諦めました。これはアレだ、ダメな方向の空手バカだw 最初からSAN値がいってやがる。
あと一歩、今一歩足りなかった。 そういう歯がゆさを抱えていたであろう主人公。 狂気はそんな人間にこそ忍び寄ります。 武術も魔術も、そういう意味では変わりません。鍛え上げた技が心を生むのではなく、心をなくせば自ずと限界が現れるものです。 最後に彼が見たものは何だったのか、その拳は届いたのか、そこに心は未だあるのか、僕には不安でならないのです。
覚醒直後に永眠しそうですけど、まあとりあえず本人が喜んでるからこれはきっと最高の目覚めだな、うん。
これは、もう一人の空手バカの物語。空手で深淵に挑んだ男の行方は?