第44話 『クリス・ウォーリーの奇妙な事件(4) - 真相です』 The Case of Chris Wally chapter 4 - “Truth!”

教会の扉がゆっくりと開かれる。

入ってきたのは依頼人カールと召使いバルトだった。

礼拝堂の長椅子には、探偵シュン、竜人ドミニク、教主アロイスが離れて座し、ふたりを迎えた。

夜の暗がりに燭台の光がほのかに灯って、各々の顔を照らしている。

「お待ちしておりました、クリスさん」

探偵シュンがすぐに立ち上がり深々とお辞儀をした。

言葉を受けて、カールは怪訝な表情で応えた。

「…シュン殿、私はカールで、探してもらっている甥がクリスです。名前を間違えて覚えられては困りますな」

「いいえ、合っていますよ。あなたこそが、クリス氏なのだから」

「な、何を仰られるのか… 詭弁を弄して報酬を受け取ろうという魂胆なら、その手には乗りませんぞ」

カールはやや怯み、狼狽しながらも、反論を続ける。

「クリス氏の亡骸なら、真っ先に式神が見つけましたよ。屋敷の屋根裏に横たわっているアレでしょう?」

シュンの言葉に、カールの眉がひきつる。

「よく出来ていたようですが、作りが甘いですなぁ。一見すれば屍蝋化した亡骸に見えなくもないですが、組成が不完全でした。見る者が見ればひと目で作り物とわかる、出来損ないだ」

シュンはツカツカとカールに詰め寄っていく。

たじろぎ慄くカールの前に、バルトが立ちふさがる。

しかしシュンは全く動じず、カールを指差しながらまくし立てる。

「バルト、イィナァ、サイドゥク?」

「…?」

「アントラ、タファム、カリマト、アルガァブ」

「??」

バルトは反応しない。

できないのだ。

シュンの言葉の意味を理解できず、わずかに首を傾げるだけだ。

「芝居を仕込むなら半端はよくありませんよ、クリスさん。だからこうしてボロが出る」

「まさか… 貴様…!」

怒りからか、恐怖からか、カールの震えが止まらない。

カールも、シュンが何を言っていたのかはわからなかった。

しかし、シュンが何を意図していたかは完全に理解していたようだった。

「西国の言葉しかわからないということなら、きちんと西国の言葉を仕込んでおくべきでしたよ。大方、別人に仕える事になったという体でも他所から余計な詮索を受けないように言葉がわからないように振る舞えと言われたのでしょう。ねぇ、バルトさん?」

バルトは目を大きく見開き、後ずさる。

カールは拳を強く握りしめ戦慄きながら床を見据えている。

シュンは追討ちのように言葉を紡ぐ。

「探偵は屍体を見つけ、クリス氏は非業の死を遂げたと周囲に告げる。クリス邸は再びカール氏が継ぎ、クリス氏は表舞台から無事退場、引き続き教会での”実験”は安泰だ。描いていたシナリオは、そんなところですかな?シナリオ作りは悪くなかったようですが…」

「お前に依頼したことが、私の間違いだったという事か…」

「二流に頼むべきだったのでしょうがね。生憎私は、一流だ」

「ダミーも見つけられない節穴では困ると拘ったのが、裏目に出たか…」

強く震えていたカールが、急に動きを止めた。

まるで操り人形の糸が切れたように、静かに項垂れている。

「く、クラウス様…!」

突然シュンの背後から悲痛な声を上げたのは、教主アロイスだった。

「今、その名で私を呼ぶな」

カールは凍てついた瞳でアロイスを睨みつけている。

カールは顎髭に手をやると、それを無理矢理顔から引きちぎった。

髭が除かれた顔は、頬こそ深く痩けてはいるものの、クリス邸で目にした肖像の中のクリスと瓜二つであった。

「もう、もう私達はァ…!」

アロイスは長椅子から転げ落ち、這いずりながらカールの元へ向かおうとする。

その背後からドミニクが近づき、服の背を掴んでまるで猫でも拾い上げるかのように持ち上げる。

「ひェェ…」

アロイスが情けない悲鳴を上げながらジタバタと暴れるが、体躯差がありすぎてドミニクは意にも介さない。

「それがてめぇの本当の名前か?」

ドミニクが爬虫類の瞳でカールを強く睨みつける。

しかしカール、いや、クラウスと呼ばれた壮年の男は、もはや震えてもおらず、竜人の一睨みにすら、動じていなかった。

「…探偵よ、いつ気づいた?」

クラウスは礼拝堂の聖像を見上げながら、独り言のように呟いた。

「ヴィルマさんの棺ですね。底に、僅かながら砂のようなものが残っていました。屍体を掘り返していた事から幾つかのパターンは想定していましたが、あのようなものが残る術は、心当たりはひとつしかありません。随分と古臭い術をお使いなさる」

「貴様… 本当に、何者だ?」

クラウスの眼光が怪しく光る。

「ただの探偵ですよ。一流の、ね」

シュンの懐中から独りでに紙片が無数に飛び出し、シュンの周囲を取り囲む。

クラウスは両手を広げ、呪文の詠唱を始め、その体を青白い雷光が覆い始める。

「”それ”で、ウォルターの口封じをした方が早かったのでは?」

シュンはクラウスを指差して口角を上げる。

「怪しまれては意味がなかったのだ。このタイミングで奴が死ねば、さすがに訝しむ者もいるだろう。何十年もの時間をかけて、ゆっくりと、周到に準備を進めてきたのだ。これだけの労力が水泡に帰すのは耐え難い」

クラウスが両手を上方に向ける。

力の迸りがさらに苛烈になり、小さな落雷が周囲の壁や床に放たれ、弾ける。

「ゆっくりと一人ずつ死者に置き換えていけば、いずれは完璧な実験場が手に入るのだ… 君らの存在は今や、非常に邪魔になった。消えてもらう他ないだろう」

クラウスの顔が、邪悪に歪む。

「カヲル、いけない!」

シュンが叫んだ。

吹き抜けの上方から舞い降りる姿が視界に入ったのだ。

しかし、彼女は空中で方向を転換する術を持たない。

クラウスの周囲に纏われた青白い光の壁が発光し、舞い降りるカヲルに一閃の光が走る。

弾き飛ばされた女忍者は、礼拝堂の壁面に強かに背を打ち付け、黒煙を上げながら床に倒れ伏した。

「なんだ?この鼠は… お前達の仲間か。しかし、知らぬ術相手に急くとは、愚かな」

クラウスがシュンからカヲルに向き直る。

「クラウスッ!!」

シュンが叫ぶ。初めて、シュンの顔に焦りが走る。

「なるほどな、この鼠を先にやるのが効きそうだ」

クラウスが左手を倒れたカヲルに翳す。

「やめろ!!」

クラウスの手のひらから、稲光が放たれた。

しかし、それはカヲルには届かなかった。

木材が爆ぜてバラバラに撒き散らされる乾いた音が礼拝堂に響き渡る。

クラウスとカヲルの間の空間には、長椅子だった木片が四散していた。

「なに…?」

クラウスが再びシュンの方を見る。

アロイスは教会の隅で頭を抱えて震えている。

シュンの周囲には、変わらず紙片が舞っているが、動きはまだない。

代わりに、竜人が立ちはだかっていた。

その手には、礼拝堂の長椅子、二脚が両の手に握られていた。

一脚で、大人1人分ほどの重さはある長椅子を、まるで童が拾った木の棒のように手の上で遊ばせている。

「シュン… お前、雷相手はどうなンだ?えェ?」

「そうですね… 式神ではどうも、相性はよろしくないでしょうね」

「じゃあ、俺の出番ってわけだァ!」

ドミニクが満面の笑みを讃えて一歩踏み出す。

クラウスが反応し、右手を翳して雷光を放つ。

しかし、ドミニクはすかさず右手に掴んでいた長椅子を放る。

雷光と長椅子が中空で衝突し、木片が弾け飛ぶ。

クラウスはたじろぎ、一歩退く。

「面白ェじゃねぇかお前、えぇ?早撃ちか?早撃ちはやった事がねェ。どっちが速いか勝負しようぜ」

手元の長椅子をまた拾い上げる。

ここは教会、礼拝堂だ。

並べられた長椅子は、無数にある。

「く、来るな…」

クラウスが恐怖に顔面を引きつらせながら、入り口の扉に手をかける。

しかし、ぴくりともしない。

「…申し付けの通り、入り口は土砂で固めてあります。シュン様…」

体を引きずって壁に寄りかかりながら、カヲルが呟いた。

シュンがカヲルに駆け寄る。

クラウスが吼えた。

「うおおおおォォォ」

ドミニクも吼えた。

「行くぜえええええええ」


そこからの様相は、例えるならば暴風雨であった。

長椅子と稲光が右往左往し、乱れ飛ぶ。

やがて嵐が去った後、そこには長椅子の山が出来上がっていた。

礼拝堂に並べられていた長椅子のほとんどは爆ぜるかこの山に加わるかの運命をたどった。

アロイスは、隅で頭を抱えたまま気絶してしまったのか、一切の音も立てず動かなくなっていた。

バルトも同様で、逆側の隅で、歯を鳴らしながら、座り込んで失禁していた。

広々としてしまった空間の中央で、ドミニクが肩で息をしながら立ち尽くしている。

ゆっくりと長椅子の山に歩み寄ると、山の中に手を突っ込み、ぐいと引き上げた。

その手には、あらゆる関節があらぬ方向に曲がってしまった、ぐしゃぐしゃにひしゃげたクラウスが握られていた。

「…まだ息はあるようだが、どうする?」

ドミニクはカヲルの手当てをするシュンに声をかけた。

「いやァ、その必要はないでしょう。とはいえ、事情を話して町の人達に理解していただけるかどうか… それに、既に置き換わってしまった方々が、どうなるやら…」

シュンは苦笑いしながら頬を掻いた。

しかしすぐに、驚いた顔でカヲルに振り返った。

カヲルが、涙を流していたからだ。

「痛みますか?」

「…私は、もう、祖国に帰ります…」

しばしの静寂。

シュンは真顔でカヲルを見つめていた。

ドミニクは、クラウスの体を床に置いて、居心地悪そうにあらぬ方向を見つめている。

「シュン様に、ご迷惑、を、おかけして… ドミニク殿に、邪魔だなどと、放言しておいて、この体たらくで… 私、私には、シュン様にお仕えして、旅する資格など、ございません…」

そうしてカヲルは、さめざめと泣いた。

「参りましたね…」

シュンには、かける言葉が見つからなかった。

「資格がどうとかよ、考える必要あんのかよ」

言葉をかけたのは、ドミニクだった。

「俺はシュンと旅がしてぇ。良い雇い主だし、仲間だ、コイツは。だから、俺はしたいようにする。シュンについてくぜ。お前はどうなんだよ、カヲル」

ドミニクがしゃがみ込んで、カヲルの顔を覗いた。

「私は… シュン様と…」

「そうだろ!?お前もシュンと旅がしてぇ。いつかの獣人騒ぎのときに、お前が自分でそう言ってたじゃねぇか」

カヲルが、意外そうな顔で、ドミニクを見た。

シュンも苦笑しつつ、口を開いた。

「…カヲルは、奴にとって意外なタイミングで逃げ道を塞いでくれた。ここで決着をつけられなければ、厄介な事になっていたでしょう。奴は、あなたの存在に気づいていなかった。だから、それが出来た。私が予想した事ではあっても、あなたにしか出来なかった事だ。それは、ドミニクにも出来なかった事です」

カヲルは、目を瞑って、頷いた。

「お前は、そういう事じゃあねェだろ!お前はどうしたいんだよ、カヲルとよ」

ドミニクがシュンの脇腹を軽く小突いた。軽くではあったが、シュンは衝撃の強さに膝立ちのままよろめいた。

「痛ッた… 危ないですよドミニク殿」

そして、大きなため息をついて、照れくさそうに続けた。

「聞くまでもない事を、聞かないでください。カヲルは私の、そう、姉みたいなものです。家族なんです。一緒にいたいと思うのは、当たり前の事ですよ」

「姉、ですか…」

カヲルは涙を拭って、寂しそうに俯いて、微笑んだ。


その日、デイティの町を、事件が襲った。

数十名もの町民が、他の町民の見ている目の前で、姿を消したのである。

いなくなった者達の足元には、皆同様に、砂のようなものが残されていたらしい。

どこを探しても、いなくなった者達が見つかる事はなかった。

同時に、不思議な事件も起きた。

町に滞在していたカール氏もまた、姿を消していた。

教会を訪れた者達は、瓦礫の山の奥で、放心状態になり廃人同然となった教主アロイスとバルトが見つかった。

二人は会話ができる状態ではなく、何を言っても、受け答えする事はなかった。

そしてまた、町民達は教会の床板が外れ、その下に隠された部屋を発見した。

その部屋には、人名が書き添えられた無数の小瓶や壺が棚に並べられていた。

それらの中にはそれぞれ無味無臭の砂のようなものが詰められていた。

こうした一連の事象には何らかの関連性があるかのように思われたが、それを説明できる者は、一人もいなかった。

ただ、クリス氏も、カール氏も、皆数十名の町民と同じように、姿を消してしまったのではないか、と囁かれた。

それからの何ヶ月かは、町民たちは恐怖に慄きながら過ごした。

いつ次の誰かが姿を消すともしれない恐怖に震えながら暮らしていたが、そうした事件が再び起きる事はなかった。

そうして、やがて町は、事件を忘れていった。

教主を失った信者達は、やがて信じるものを変えていった。

この町を覆っていた闇が白日の下に晒される事はついになかった。


こうして、デイティで起きた事件は幕を閉じ、後にこの町には"神隠しの伝説"が語り継がれる事になる。

しかし、事件は解決したが、シュンは結局、秘められた闇の全てを祓うには至らなかったのだ。

屍者を冒涜し自らの意のままに操り不滅の帝国を築かんとする者が、魔術師クラウスただ一人ではなかった事を、シュンが知る事はなかった。

宗教を寄せ餌にして人々を募っては人知れず亡き者とし、砂で形作られた屍者の群れに変えて自らの帝国を築かんとする者が再び現れるのは、50年先の話である。

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