第17話 『月蝕夜殺人事件(1) - 事件です』 Case: Moon eclipse night murder chapter 1 - “It is a case”

雲が速い。

木々のざわめき、旗がはためき、ぶら下がったバケツが打ち付けられる金属音が響き続けている。

通りに人の姿はなく、来るべき嵐に備えて家の窓や扉には、硬く板が打ち付けられて、出入りさえできないほど封鎖された屋敷もある。

誰の目にもつかず、音を聞かれる事もない。

こんな夜は、人目につかず、罪を犯すのにうってつけだ。

盗賊達は遠くへ逃れ、墓荒らし達は人数を率いて墓地へ向かい、戸締まりの甘い家からは人さらいが子供を連れ去る。

しかし、この夜、この街では、それらの犯罪者達は鳴りを潜めていた。

この街で人目のつかぬ場所で活動する者は、命が幾つあっても足りない。

先月から唐突に始まった連続殺人の犠牲者は、ついに先週三桁の大台に乗った。

犠牲者の遺体のうち、四肢全てがもがれずに胴体に残っていたものはなく、現場には血が散乱し、さながら血飛沫の出る四肢を如雨露にして振り回したかのような有様であった。

犠牲者同士に共通点はなく、老若男女、生前の行い、素性、そうした一切が無視されて、まるで街中の人間が全て殺し尽くすまでは終わらないかのように思われた。

駆け抜ける雲の間から、時折見せる月は、凶行の目撃者か、それとも…

これは、屍者が這い出すよりも以前のとある街で確認された、奇妙な事件の顛末である。


「父上、それでは住民が…」

「くどいぞテレーズ、もう決めた事だ」

落雷が、端正な青年の横顔を照らす。

乱暴に閉じられた扉の前で、拳を握りしめ、やがてその場を後にした。

暗い廊下を、何かを蹴りつけそうな勢いで青年は足早に過ぎていく。

古い慣習でもない、世代の違いによる価値観の差でもない。

ただ、彼の父、テオドールの独断が、彼にとっては許しがたいものであった。

いや、或いはあらゆるこの街に住むすべての人間にとって、受け入れがたい事実だったかもしれない。

誰もこの街を蝕む連続殺人を止める事はできない。

このままこの殺人が続けば、この街そのものが立ち行かなくなるだろう。

街の崩壊は、統治者である領主テオドールの責任問題とその没落を意味する。

そうなる前に、この街を見捨てる選択が、テレーズにはどうしてもできなかった。

しかし、父テオドールにとって、家系の存続こそが最優先であり、残された人々も、逃走者の汚名も二の次であった。

どうにかして、父を止めねばなるまい。

そのためには、事件を解決するか、しかしどうやって…

鼻先に指を当てながら、暗い屋敷の廊下を当てどなく往復する。

雲は、無情にもまた夜と、嵐を連れてくる。

今宵もまた、罪なき命が夜の闇に紛れて散らされるのだ。


「止まれ!」

衛兵が槍を掲げ、甲冑の巨躯を前に警告を発した。

あり得ない大きさ…

通常の成人男性の倍近い背丈。

誰の目にも、その来訪者は異常であった。

しかし、男はたじろぐ様子もなく、不満げに言い放つ。

「なんだね、この街では、呼んだ客人を追い払うものなのか?」

男は外套のフードを脱いだ。

フードの中から、およそ人間とは思えない顔が覗いた。

「ひッ…」

しかし、それこそが、衛兵にあらかじめ伝えられていた”客人”の特徴であった。

竜頭とも言うべきその男は、仮面でもなく、兜でもなく、間違いなく竜のそれを頭に備えていた。

重厚な鎧に隠されてその肉体の性質は明らかではない。

ただ、その顔を見た者は、口を揃えて言うだろう。

これこそが、竜血の継承者”ドラグーン”である、と。

「お、お待ちして、おりました…」

衛兵はぎこちなく姿勢を正してお辞儀をする。

しかし、ドラグーンは衛兵を片手で押しのけて、道をずんずん進んでいく。

「領主の屋敷ってのは、どっちだ?」

「み、道を真っ直ぐ、突き当りです…」

よろめきながら、衛兵は道を指差す。

ドラグーンは、振り返りもせず、その道を黙々と進んでいき、やがて夜の闇に消えていった。

その様子を伺いながら、衛兵は、不意に鋭い眼光を覗かせたと思うと、槍も抱えたまま、ドラグーンの後をつけていった。

残された街の門を頼りない街灯が照らしていた。


「こんな時期にこの街に来るなんて、本当に運がないですよお客さんは…」

宿屋の主人は、苦笑いしながら宿帳に必要事項を書き込んでいる。

「何かあったのですか?」

異邦の服装をまとったその男は、穏やかに質問した。

「殺人ですよ、それも1つや2つじゃない、100を超えた連続殺人だ」

穏やかだった顔に、深い緊張が走る。

「…ほう」

「下手したら、この街はもうおしまいだって言われてますよ」

「それはまた、とても…」

男はニヤリと笑った。

「興味深いですね」

男が手に持った見慣れぬ杖を軽く床に打つと、どこからともなくこれまた倭装の者が男の背後に降り立ち、傅く。

「カヲル、事件の情報を集めてください。できるだけ早く」

「御意…」

忍は再び姿を消す。

「この事件の担当者は、どちらに?」

呆然と見ていた宿屋の主人は、虚をつかれたようにうろたえ、答えた。

「たん…? 事件の調査は、領主様主導で、進めているはずだ、が…」

「では、そちらにお邪魔する事に致しましょう」

「あ、アンタは一体…?」

「私ですか。私は… 陰陽探偵シュンと申します。お困りごとがあれば、こちらにどうぞ。書かれた文字が、私に届きますので」

シュンと名乗った陰陽師は、人の良さそうな笑顔を絶やさないまま人の形に切り出された白い紙を取り出し、宿屋の主人に手渡す。

唖然とする主人を尻目に、シュンは獲物を見つけた獣のようなギラギラした瞳を笠で隠して、口元だけはニコニコと笑みを漏らしながら、宿の部屋に荷物を置く事もなく、そのまま宿を出て、夜の闇に消えていった。

このときはまだ、この街の誰もが、予想だにしていなかったのだ。

この奇人が、この事件を解決に導く事を。

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