第14話「暗夜のレクイエム(2) - 髑髏面の男」 - “Requiem in the dark night chapter 2 - Skullface”

屍術師アクェロンの名を知る者は少ない。

しかし、その道に関わる者であれば、知らない者の方が少ない。

稀代の天才であり、独創的で、ある意味では非人道的な発想の転換で屍術の新しい可能性を開いた研究者であった彼は、当然のごとく世界終焉の序曲をいち早く察知していた。

彼はこうした事態が始まり世界に広まるよりもずっと以前からBuriedbornesの術の禁忌に幾度となく足を踏み入れ、その無限の可能性を模索していた。

”世界の終焉”という具体的な驚異が出現する以前においては、『他人の屍体に魂を入れる』ような凶行が世間の目には許容しがたき冒涜であると映る事に、何ら不思議はなかった。

彼は冒涜者として蔑まれ、程なく聖騎士団が生死を問わずに追うようなお尋ね者となって、そして失踪した。

常識に捕らわれず新しい概念の発見に邁進していた彼の喪失を一部の研究者達は惜しんでいたが、公言できるわけもなく、やがて彼の存在に言及する者はいなくなった。

それからしばらくして、世界の終焉が始まる。

今となっては当たり前に行われているBuriedbornesの術も、多くの術師達にとって術の発見に至ったきっかけはアクェロンの存在が記憶にあった事に起因している。

「そういえば似たような事をやろうとしていた人間が過去にいたはずだ」、と。

彼が今どこにいるのか?この世界の惨状に、新しい知識や可能性を引っさげて戻ってきてはくれないだろうか…

そう期待して、彼の帰還を待ち望み、あるいは再び力を借りようと彼を探していた者もいた。

そしてたどり着いた答えのひとつが、『尖塔』である。

屍者の軍勢が地上に現れるよりも以前からそびえ立ち、何者も寄せ付けてこなかったこの塔の周辺で、彼の目撃情報が聞かれるようになる。

しかし、”見かけた”という情報までは得られても、いざ彼を探し求める者は、彼自身に出会える事はなかった。

その一方で、この尖塔の周辺で隠れ住む住民が次々と失踪し、どうもこの尖塔にさらわれていっているらしい、という噂が広まっていった。

無関係の市民がこの尖塔と、かつて叡智をもたらした天才とを結びつける事はなかった。

だが、彼を追う者の多くは、この塔の裏に、かの天才の暗躍を容易に連想した。

そこまでの情報が出揃ってなお、現在までアクェロンは発見には至っていない。

尖塔内外に溢れかえる屍者の軍勢や大量の魔物が、探索者の命を脅かしている。

彼を追う者の多くは死に、そして呪われた軍勢に飲まれていった。


アクェロンを追う者の多くは、彼の叡智を再び人類の手に戻すために協力を仰ぐことを目的としていた。

「殺すために探している」という者とは、初めて出会った。

「お兄さんなのに、殺したいの?」

ヤンネは空になった瓶を振り、机の上に転がした。

「兄だからこそ、殺さなければならないのだ」

イクスと名乗った男は、うつむいたまままるで自分に言い聞かせるように呟いた。

「まぁ、殺すの殺さないのは、私達の仕事じゃないし、どうでもいいわ」

ヤンネは既に新しく受け取った瓶から盃に酒を移している。

「彼を追う人は多いわ、それでも誰も見つけられていない。みんな途中で死んだ。あなたは、その覚悟があるの?」

だが、イクスは不敵に笑ってみせた。

「俺を殺せる奴が、この地上にいるとは思えんがね」

エトヴィンが、ヤンネの足を軽く蹴った。

(その辺でやめとけ)

顧客を前にしている時の、事前に決めてある無言のメッセージだ。

この場合においては、必要以上に顧客の内情に突っ込むな、という意図であろう。

ヤンネは口を閉じた。

しかし、先走ろうとする感情は止められない。

”尖塔の屍術師”その身内を名乗る者など、これまでいなかった。

仮にそれが嘘だとして、そんな嘘を、初対面の相手につく理由などあろうか?

そして、「殺す」というフレーズ。

あまりにも突飛で、嘘だとするなら場当たり的すぎるそれらの言葉の全てから、逆に信用に値する事であるように感ぜられた。

アクェロンには知られざる事情があり、彼はその事情に関わる本物の人間なのだ。

その妙な真実味が、これまで屍術師を追い続けてきたヤンネにとって、宿敵にたどり着くための何にも代えがたい誘惑として映ったのだ。


「いいわ。実力に自信があるのなら、こちらも助かるし」

そう言うと、ヤンネは手帳を取り出し、何かを書き走った。

だが、そのペンは途中で止まった。

「…バーの客は、無関係なんだが…」

イクスが呟いた。

次の瞬間、少し離れたバーカウンターの上に巨大な肉塊が落ちてきて、皿、瓶、グラス、食器、料理などが四方八方に弾け飛んだ。

カウンターの上方はかつて井戸だった竪穴があり、その穴から降ってきたのだ。

突然の出来事に酒場の客達は騒然と落ちてきた肉塊を眺めていたが、やがてそれが人間の屍体を集めて丸めた”肉だんご”である事に気づいた者から、次々に悲鳴を上げ、扉から逃げ出し始めた。

カウンターの向こうにいたはずのバーテンも姿が見えない。

「何よこれ!!?」

ヤンネが鼻を覆う。

それまで料理や酒の匂いに満ちていた空間は一瞬で死臭に満ち、その肉塊が既に腐敗して久しい事を悟る。

「姐さん、ここはまずい、俺らには不利だ」

エトヴィンが剣を逆手に抜いて扉に目配せをする。

イクスは二人の様子を伺ってから、傍らの剣の柄を乱暴につかみ、大きく振りかぶって鞘を投げ飛ばした。

「骸骨野郎、こんなところにまで来やがったか」

言葉に呼応するように、肉塊がほどけるようにバラけて、屍体がひとつまたひとつと立ち上がる。

それらは皆虚ろな目に光なく、操り人形のように四肢を何かに引かれるように動かし、それら全てが、皆イクスの方に顔を向け、力ない声を漏らしている。

これまで数えきれないほど叩き伏せてきた、ゾンビ達だ。

イクスは剣を前に差し出し、詠唱を始める。

10体近いゾンビ達は徐々に体を起こして、イクスに向かってゆっくりと前進してくる。

「他人の屍体で好き放題しやがって…ッ」

詠唱を終えたイクスの剣が怪しく瞬く。

杖を構え術の詠唱を始めていたヤンネには、その次のイクスの動きの全てを、目で追う事ができなかった。

紫の軌跡が酒場中を流れ、次々にゾンビが吹き飛ばされ、壁面に叩きつけられただの肉片から、さらに塵芥へと却っていく。

「うっそでしょ…」

強いなんてものではない。

部屋にいたゾンビは、瞬く間に残らず塵へと化し、イクスは既に部屋の中央で、竪穴の上を見上げている。

「いい加減自分で戦ったらどうだ!!」

力強く跳躍し、イクスは竪穴から外へと飛び出ていった。

残されたヤンネとエトヴィンは、慌てて扉から外に出て、階段を迂回して広場に向かった。


広場の中央に顔を出した井戸の傍らで、イクスが剣を構えている。

その周囲には、先刻とは比べ物にならない数のゾンビが取り巻き、その先の廃屋の屋根に、赤茶けた外套を身にまとった男が揺らめいている。

その男が、まるで楽器を奏でるように空を撫でると、ゾンビ達が一斉に動き出し、イクスの元に殺到した。

数十体の殺到したゾンビが将棋倒しになり、重なり合って、新しい”肉だんご”が形成される。

だが、その球体が発光したかと思うと、激しい爆発と共にゾンビ達が残らず弾け飛び、雨のように市街跡に肉片が降り注いだ。

残った井戸の前には全身からエネルギーの奔流をほとばしらせるイクスが佇み、何事もなかったかのように再び剣を前方に差し出した。

「殺すつもりでやらねぇと、俺は止められねぇぜ」

失望したように、屋根の上の男が手を下ろす。

ヤンネとエトヴィンが目を凝らすと、その男の顔が人間本来のそれではなく、髑髏である事に気づく。

「テメェを叩きのめして、兄貴の居場所を吐かせる!!」

そう叫ぶと、イクスは短い詠唱を行い、弾丸のような速さで屋根に向かって飛び出していった。

屋根の板が爆散し、暴風が吹き荒れるが、ひしゃげた屋根に男の姿はない。

広場の反対側の屋根に立ち、髑髏の男がため息をついてつぶやいた。

「本当に、何も覚えていないのだな…」

イクスは対面の屋根に向き直って、再び剣を構える。

「何のことだ?」

だが、応える事なく、男の姿がまた揺らめいて、消えた。

「待て!クッソ… 毎度毎度、逃げ足が早い野郎だ…」

拳を屋根を叩きつけ苛立つイクスに対して、ヤンネは総身に走る身震いを必死に抑えていた。

疑いようのない手がかり。

この男の先に、奴がいる。

そして、さらわれた姉が、待っている。

どうやってもたどり着けなかった、ただ一人の家族の居場所へ、この男なら、連れていってくれるだろう。

私の戦いが、本当の戦いが、ついに始まる。

ヤンネは、そう確信した。

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