第15話「暗夜のレクイエム(3) - “お前は誰だ?”」 - “Requiem in the dark night chapter 3 - Who the hell are you?”

世界の終焉が迫る時代においても、土葬の風習が途切れる事はなかった。

屍者をそのまま土中に埋めてしまっても、呪いの餌食になるだけであったため、どの墓にも封印が施されている。

ただ、この封印も、あるいは外部の者によって取り払われてしまえば意味をなさないものであった。

そこまでのリスクを背負いながらも土葬に固執したのは、決して教義を遵守したわけではない。

生存者達にとって、屍者の姿とは、遠くない未来の自分自身の姿であった。

自分達が屍者を放逐したり、火葬して灰に帰すことは、未来の自分がそうなる事を意味していた。

安らかに眠る未来を望むが故に、自分自身がそうありたいと願う屍者の弔い方を、先に死んだ者達に施していたのだった。

葬送は未来の自分のための行いであり、絶望の時代に、人々が残された希望を様々な形で模索していたそのひとつの形式であったと見られる。


荒涼とした平原の隅、岩陰に隠されるように、標識もなく、ひっそりと佇む墓石が備えられている。

何も知らぬ者が通りがかりに目にしても、それが墓である事を認識できる可能性は低い。

知識のある人間が注意深く観察すれば、その隅々に、砂で覆い隠された封印のための陣や置き石を見つけられるだろう。

屍者達は生者や呪いを受ける前の屍体を探し回っているが、このような手段で"無傷の"亡骸は隠され続けている。

「この墓だ、荒らされたのは」

葬儀屋が忌々しそうに砂の下に敷かれていた布を引き抜き、墓石の傍らの地面にぽっかりと空いた大穴が姿を見せる。

「他の墓は無事だったのか?」

「あぁ。この墓は、村一番の猟師が埋められていたんだが…」

イクスは墓穴を覗き込み、穴の底に残された副葬品を眺めた。

「強い屍体だけが目当て、どう考えても屍術師の仕業ね」

周囲に警戒しながら、ヤンネが補足した。

「本当にアクェロンが関わっていると思うのか?」

イクスは訝しげに振り返る。

「この地域では、他の屍術師や屍体の目撃情報はないし、尖塔絡みの可能性は高いわ」

ヤンネは自信満々で答えた。

平原の先、山間から尖塔がその頂点を覗かせている。

尖塔には"入り口"がない。

それは完全に閉じた石造りの円錐であり、またその周辺には場違いなほどに危険な魔物が跋扈している。

塔を外部から無理矢理破壊するという手もあるが、付近で徘徊している呪われた屍者達が、破壊行動に伴う音や光に反応しないわけがない。

ヤンネは、懐から何かの袋と、紙の束を取り出した。

「あんまり、目立つ事はしないでくださいよ」

葬儀屋は、すぐにでもこの場を去りたいといった気持ちが隠せない様子だ。

「大丈夫、この術ならね」

そう言うと、墓石の側に屈み、袋に入れられていた粉状のものを墓穴の周囲に振りまき始めた。

「まどろっこしいな…」

「餅は餅屋よ、特に人探しに関しては、ね」

袋が空になった後、ヤンネはさらに呪符らしきものを墓穴の周囲に張り巡らせていく。

「終わったら、ちゃんと片付けますから」

苛立つ葬儀屋の機嫌を伺いながら、術の準備を整える。

「さて…」

呪符の準備が整い、ヤンネは墓石の前に座り込み、目を閉じて、呪文を詠唱し始めた。


同じ頃、尖塔を挟んだ向かいの方角に位置する小集落では、エトヴィンが他の情報屋と向かい合って、酒場の席についていた。

「コイツはもう、大体の奴が洗ってて、何も出なかったらしいが…」

「いいんだ、ありがとう」

金貨の擦れる音のする袋を情報屋に手渡し、エトヴィンは代わりに"情報"が記されたメモを受け取った。

エーリカと呼ばれる女性が、ここからほど近い都市跡の貧民街で暮らしている。

彼女はアクェロンの実姉だ。

かつてアクェロンと共に暮らしていた、両親亡き家庭で、アクェロンの奇行の後始末のために奔走していたことなどは、既に知られていた事実だった。

アクェロンを探す者の多くが彼女の存在に行き当たり、当然彼女に対して質問や、場合によっては拷問に近い事も行ってきていた。

しかし、とある術者が深層心理を探る術を彼女に対して使用した結果、「アクェロンの現在の状況については、本当に何も知らない」という事がわかってから、彼女を訪ねる者はいなくなった。

しかしそれはあくまで、「アクェロンの事について」だけの情報だろう。

エトヴィンには、切り札があった。

“イクス"の存在も、これまで収集した情報から、裏は取れていた。

4人姉弟の末弟で、屍者の軍勢の出現を前後して、その行方は知れず、とまで聞き伝えられていた。

イクスがアクェロンを探している事を、エーリカは把握しているのか?

きっと、していないから、何の情報も得られなかったのだろう。

イクスの所在にたどり着いた者は、誰もいなかった。

失踪したイクスの存在を、アクェロンの所在とつなげて考えうる者は、誰もいなかった。

これまでは。

イクスの名を出す事で誰も得られなかったアクェロンの情報をエーリカから引き出せるという、情報屋としての勘がエトヴィンには働いていた。

「アクェロン関係を追ってるならやめとけ、死ぬぞ」

情報屋は金貨の枚数を手早く数えると、小声で忠告してきた。

「そうしたいところなんだがね、うちの姐御が熱上げてる客だから、そうもいかんのさ」

ヘラヘラと笑いながら、忠告を一蹴する。

しかし、そのことをエトヴィンは十二分に思い知っていた。

イクスはまともではない。

あの強さは、人間の限界を軽く超えている。

そして、相対する髑髏面の男が、尖塔と深く関わりのある人物である事にも疑いはない。

イクスは、何かを隠している。

あるいは、我々が、何かを見落としている。

ヤンネは、家族の仇に急接近し、冷静さを欠いている。

このまま無鉄砲にイクスと道を共にすれば、彼女は取り返しのつかない状況に置かれ、命の保証はないだろう。

彼にとってそれは耐え難い事であったが、彼女を止める事もまた彼にはできないとわかっていた。

だからこそ、イクスが何者であり、アクェロンとはどういう関係なのか、誰を信頼すべきなのか、進むべきか退くべきか、見極める必要があると考えた。

エトヴィンはエトヴィンなりに、違う方向からこの事件の真相を追っていた。


術の詠唱を終えると、閉じていたヤンネの瞼が開かれたが、その瞳は顕になっていない。

全身が小刻みに揺れ、やがて辺りに撒いた灰白の粉が風もないのに宙を舞い始めた。

粉はまるで透明なキャンバスに白いチョークで描いたような軌跡を描いて、宙空に動きのある白い映像を映し出しはじめる。

それは次第に、墓石に仕掛けられた封印を丁寧に払い除け、何かを唱え、墓穴の中に眠る狩人を使役し這い出させた者の姿を描き始めた。

「アクェロン…!!」

イクスの顔が、憎しみに歪む。

この墓穴を暴いた者が、他でもないアクェロンであった事が、これで確認できた。

やがて、猟師の屍を従えたアクェロンは、そのまま墓所を跡にした。

そこで映像は糸を抜かれた操り人形のように崩れ去り、元の粉へと戻った。

それと同時に、ヤンネが大きく息を吐き、立ち上がった。

滝のように流れている汗が、術者への負担を物語っている。

「ビンゴ、コイツがアクェロンね」

息こそ絶え絶えだが、ヤンネの眼光が鋭く光る。

「そうだ。間違いない…」

突然、空気を裂くような悲鳴が響き、同時に倒れ込むような音が鳴る。

2人が振り返ると、肉のただれた亡者達が離れた墓石の辺りに群がり、何かの肉を我先にと奪い合うように貪っている。

亡者達の隙間から、葬儀屋だったらしき肉片が垣間見えた。

「どこから沸いた?墓からじゃあ、ないな…」

イクスが剣を構える。

ヤンネも、慌ててイクスの側まで寄った。

亡者達は葬儀屋を一通り食い散らかすと、イクス達に向かって這いずり始める。

「いい加減にしやがれッ!!」

怒りに任せて、イクスが剣を振り上げる。

短い詠唱が続き、刀身が電撃を帯び、エネルギーの奔流が刃先から迸る。

振り下ろされた剣は爆風と共に電撃を地面に放ち、イクスの前方に向けて走り抜けていく。

葬儀屋の肉片もろとも、群がってきた亡者達はたちまちボロ雑巾のように散り散りに弾け飛び、墓石だけがその場に取り残された。

「出てこい、下衆野郎」

その言葉に呼応するように、空間の裂け目から髑髏面の男が姿を現し、亡者達がいた場所に降り立った。

「やはり、ただの屍体では、相手にならないな」

髑髏面の男は独り言のようにブツブツと呟いている。

「アクェロンはどこだ?一緒じゃないのか?」

その言葉に、髑髏面は言葉を止める。

少し間を開けて、口を開く。

「…アクェロンは、塔の中だ。ここに来る事は、ありえない」

髑髏面は、言葉を慎重に選びながら、応える。

「お前は誰だ?アクェロンと一緒に、何を企んでいる」

イクスが、再び剣を構える。

しかし髑髏面はその構えには応えず、何かを思案するかのように宙空を眺め、やがてもったいぶったように語り始めた。

「お前は既に、全てを知っているはずだ」

「なに?」

「お前にその気があるなら、塔まで来い。真実を教えてやる」

そう言うと、再び髑髏面の男の姿が空間に溶け、やがていなくなった。

辺りには静寂が戻った。

四散した肉片があちこちに飛び散ったままだが、それを処分しようとする者はここにはいない。

イクスは剣を降ろすとすぐに駆け出そうとしたが、ヤンネがその前に立ちはだかった事で、足を止めた。

「イクス… 私を連れていって。アクェロンを殺すのなら、私にも協力させて」

ヤンネは拳を強く握りしめ、全身が震えている。

「構わないが、お前が死ぬかもしれんぞ」

彼女は部外者だ。

髑髏面の男も、彼女の事など、"まだ死んでない屍体"程度にしか思っているまい。

だが、ヤンネはその眼差しをそらさず、毅然と言い放った。

「死ぬ覚悟もなしに、情報屋なんて務まらないわ。それに…」

ヤンネは笑った。

「あなたがいれば、勝てるわ」


「あなたも、アクェロンを探しに来たのですか?」

表情には見せずとも、言葉の端々に冷淡さが表れていた。

深い溜め息をついて、エーリカは貧民街の隅に敷かれた薄汚れた新聞紙の上に腰を下ろした。

エトヴィンは、瓦礫にもたれたまま返事をしない。

情報屋の言う通り、彼女は数知れぬ訪問者を相手にし続けてきたのだろう。

外套の袖から覗く細い手にはあるべき数の指が見られず、目鼻立ちは端正な顔立ちだが、消えない火傷の跡がそれらを覆っている。

アクェロンという災いの火元で生を受けたがために、何故これほどの仕打ちを受けねばならなかったのか。

彼女は、生きる事に疲弊し、かと言って死ぬ事を選ぶ力も失った、『死なないようにしている』だけの、ある意味では"生きる屍"と言える様子だった。

たとえ今死んだところで、状況がどれだけ変わろうか。

死んだ先に待つものもまた、今と比べられないほどの地獄だ。

「帰ってください…」

一息に言い切れず、言葉が途切れる。

「アクェロンの事は、もう忘れたいんです…」

うなだれたまま、彼女はそう呟いた。

見慣れた、痛ましい光景。

人探しという仕事は、決して幸福な結末ばかりではない。

彼女のように全てを諦めた人々を、何人も見てきた。

あのヤンネでさえ、はじめはそうだったのだ。

だが、人は、たった一欠片であっても、希望があれば、"生きて"いける。

エトヴィンは、それを知っていた。

「イクスがアクェロンを探している」

息を呑む音が聞こえた。

「嘘…!?」

幽霊を見たような顔で、エトヴィンを見上げる。

「嘘じゃあないです、彼から直接、依頼を受けました。今、私の仲間と奴を追っています」

もったいぶったように、明後日の方角に顔を向け、言葉を続ける。

読みが当たった、その笑みを隠すために。

「弟さんでしょう。苦労をかけた、と。謝りたい、と」

これは、嘘だ。

だが、必要な嘘だ。

あと一押しだと、直感が告げる。

「ありえないわ、絶対に」

エーリカの体が、わなわなと震える。

目は、怒りに血走っている。

「そうは言われましても、実際に我々の前に現れたのですから…」

「ありえないわ!!!イクスは死んだのよ、私の目の前で!」

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