第7話「終焉の序曲(3) - Buriedbornes」 “Overture of the end chapter 3 - Buriedbornes”

腕の一振り、脚の一振りによって、城門や城壁、それに連なる建物が瓦解していく。

それはもはや、自然災害の類であった。

正常な認識を失ったものと見える双頭の王は、手の届く範囲に在るものは例外なく、その暴力の餌食としていく。

その行動原理の根底に「城下を守る」という想いが存在した事を裏付けるように、城門下から離れようとしない。

しかし、その無制御な暴力によって次々城壁は破壊され、そこが防衛の穴となり、次々生ける屍の侵入経路となっていく。

このままでは、この国は、この城下に生きる全ての人間は、お終いだ。

せめて、王の力が正しく振るわれれば…

その時、逡巡する聖騎士の背後から、声がした。

「誰か、いらっしゃいませんか!?生きている方は…!」

振り返った先に、僧侶の姿があった。

残された勇気の一欠片を振り絞り、この未曾有の災厄の最中に人命救助へ赴いたのか。

嗚呼、だが何故、この渦中へと足を向けてしまったのか。

人の声に反応し、双頭の王の4つの瞳が、城門下の二人の元へ向けられる。

視線を上げた僧侶は、声にならない叫び声を挙げる。

考える暇はない…

王の、巨岩の如き右拳が、二人めがけて振り下ろされる。

聖騎士は、背負った大盾を前面に押し出し、両の腕でそれを支え両足をハの字に開く。

轟音とともに拳が床石を貫き、周囲の壁が瓦礫となって覆いかぶさる。

拳が引き抜かれると、その下には、大盾を掲げた聖騎士と、その足元にうずくまる僧侶が、無傷のまま石片や灰に埋もれていた。

この防御技術こそが、聖騎士団の秘技として伝えられ、かつては攻城兵器の砲撃すら単身で凌いだとされる、ファランクスだった。

だが、相手は規格外の化物である。

次の拳、その次の拳、さらに続く攻撃の嵐が待ち受けている事は、想像に難くない。

化物に対してあまりにも矮小なこの盾だけで、どこまで凌ぎきれたものか。

聖騎士は叫んだ。

「逃げろ!お前は、生きろ!!」

僧侶はその声に身を起こし、悲痛な表情だけを聖騎士に向けた。

「私は、全うする。ここで、その名誉と、信仰を!!」

次の拳が飛来する。

舞う爆煙と瓦礫。

全身の骨が上げる悲鳴に、耳は貸すべくもない。

僧侶は駆け出し、幾度も振り返りながら門をくぐって、市中へと消えた。

再びの拳。

踏みつける足、足、足…

祈るような想いで、大盾の先の王の切なる願いに、語りかけた。

「陛下、どうか、どうか…」


どれだけ走ったか。

もはや、逃げ惑う人の姿すら見えない。

見えるものは、屍体と、それを貪る屍体と、破壊された美しい街並み。

ここが、かつて栄華を極めた、あの…?

狭い世界に生きてきた僧侶にとって、この街は、世界だった。

この街の終わりは、世界の終わりに等しい。

誰か、どうか、この街を…

無意識に、彼女の足取りは、湖畔を臨むあの塔へと向かっていた。

この地獄をどうにかできる、一縷の望みとなりえる宛を、彼女は一人しか知らなかった。

憔悴しきった顔で研究棟の扉を開くと、案の定そこには、あの小さな少女がいた。

自分よりも一回りも小さく、しかしこれまで会った誰よりも力強い生命力を感じさせる少女。

その魔女は、鬼気迫る表情で、チョークを右手に、何かの文献を左手に、床と文面をひっきりなしに見比べながら、部屋いっぱいを覆うほどの巨大な魔法陣を描かんとしている。

「お願い、助けて!あの人が…」

「なによ、まだこんな所にいたの?さっさと逃げなさい、アンタも死ぬわよ」

魔女は陣を描く手を止めない。

焦りに震える指を押さえつけるように、一筆一筆を力強く引いていく。

「あなたこそ、ここで何をしているの!?」

「何って… アイツから聞いてないの?わかったのよ!奴らは、待っていたんだわ。蓋を開ける者が現れるのを。戦争を始めるべき時を。」

「ねぇ、聞いて!あの人が、私をかばって、まだおかしくなった陛下と戦っているの!お願い、あなたの魔法で、陛下を元に戻して!」

「おかしくなった?よくわかんないけど、助けた後はどうするの?」

僧侶は呆然とした。

「どう、って…」

「世界の終焉がやってきているのよ。情にかまけて1人2人救ったところで、結果は変えられないわ」

「そんな… でも…」

「でもね、私はそう簡単には死なない。目には目を。奴らに対抗できる手段を、ぶつけてやるんだから!」

「そっ、それで、みんなを助けられるの!?」

「知らないわよ!死ぬ人は死ぬわ。それはどうしようもない。知ったこっちゃないし。でも、最後には私達が勝つ。勝ってみせる」

僧侶はその言葉に、失いかけた信心と意志を取り戻した。

「あなた、それでも人間なの!?」

「えぇ、そうよ、人間よ!あなた達、神の使徒とは、違ってね!」

僧侶はたじろぐ。

「私は人間だから、死ぬのが嫌よ!生きたいわ!まだしたい事もたくさんある。知りたい事。終わらせられて、たまるか!」

それは、僧侶にとって、鉄槌で頭部を強打されるよりも、痛烈な一撃であった。

私には、この幼い少女のように、強く生きたいと思うような"何か"が、ない…

信仰を砕かれた後の私には、何も残ってはいない…

最後に残された強い想いをも脆く打ち崩され、僧侶はその場にへたり込んだ。

「邪魔よ、どこへなりと勝手に消えて」

少女の呼びかけに、反発する気力すらもう湧かない。

ゆっくりと立ち上がり、失意のまま、僧侶は部屋を後にした。

もはや、自分に出来る事は何もない。

自分がしたいと思う事すらも。

痩せこけた老犬のように、僧侶は燃え上がる真紅の町並みへと消えていった。


ゆっくりと、景色がずれては止まり、ずれては止まる。

ゆらめく炎、屍体、瓦礫、屍体、壁面、血溜まり…

全身のうちどこも動かす事ができず、ただ横たえた体が、引きずられていく。

最後の瞬間…

掌ですくい上げられ、その巨大な拳で握りつぶされた時、焼けるような激痛が全身を走り、体から何かが噴き出して、意識が遠のくのを覚えている。

私は、死んだのか…?

聖騎士は、それでも意識だけは、徐々に取り戻しつつある。

痛みは、もうない。

体の端々を、何か小さなものがくわえ、引きずっている。

もはや元のままの骨も残っていない肉片のような己を、大小の動物達が、どこかへと連れていこうとしている。

それらには、見覚えがあった。

視界の先はぼやけて見えないけれど、わかっていた。

まだ遠くには、爆発音、破壊音、金属音、悲鳴、喚声、それらが変わらずに響いている。

戦いはまだ終わっていないのか。

研究棟に引き入れられた私を待ち受けていた少女は、静かに微笑んだ。

「ごめんなさいね」

終わり、という言葉が脳裏に瞬いた。

「率直に言うけど、あなたはこれからすぐに、死ぬわ」

答える術すらない。

この身は、もはや死んだ身なのだ。

今さら、何を願えようか。

魔女は毛先を指で遊びながら、中空に何かの図式を描いている。

「どうしてこんな簡単な事に思い至らなかったのか… 天才の名折れね」

私は、目を閉じた。

不思議と、恐怖はない。

できる事はすべて、やったのだから。

悔いがないと言えば、嘘にはなるが。

「あなたの全てを、私に頂戴」

魔女の嗤う声が、私の頭蓋に反響して広がっていく。

意識が遠く、離れていく。

ここではない、どこかへ。

心が、散り散りに、散っていく。

どこでもない、私のいない世界へと。


「この女を使うのか」

師匠の問いに、いちいち答える余裕はない。

術式の支度はあらかた終えたが、最後の詠唱とその確認が残っている。

この書物は、それほど難しいものではない。

禁断、というわけでもない。

ただ、今この瞬間において、世界で最も冒涜的な一冊だ。

「しかし、言われてみればなるほど、と言ったところか。手段こそありきたりで特別ではないが、その目的と対象のために禁忌とされた術、Buriedbornesとな」

師匠は、別の、禁術にまつわる文献に目を通している。

今はそれどころじゃ、ないってのに!

でも、考えている間に準備は整った。

時間はあまりないけど、まだこの研究棟に屍者や巨人が到達するには、余裕があるはず。

私は、お気に入りの椅子にいつものあぐらで座り込むと、大きく息を吸って、覚悟を決めた。

「さぁ、始めるわよ」

「幸運を」

魔法陣の中央には、かつて聖騎士だったものが、横たわっている。

血こそ少ないものの、骨と肉の接合は十分。

陣も呪文も完璧、抜かりなし。

師匠は、上階へと移動してこちらを見下ろしている。

私の本体に何かが起きても、すぐに対応してもらえる段取りだ。

あとは、術を施行するだけ。

今こそ、この私が、世界の終わりを目前にして、世界に革命を起こす。

「貴女の全てを、私に頂戴。代わりに、私の全てを、貴女にあげるわ… 貴女は、誰にも敗けない、この世で最強の私になるのよ」

呪文の詠唱を開始する。

瞬く間に陣が輝き、視界をまばゆい光が包む。

やがて、私と貴女の二人きりの、何もない空間へと移る。

ここからが、未知の領域。

自身の霊体のほぼ全てを、1つの屍体に移し渡し、対象の肉体と私の霊体を完全に同期させる。

世界に終焉をもたらしつつあるという、Buriedbornesの術がもたらす力と代償を知る時が来た。


いつもの廃倉庫の屋上に仲間達とよじ登って、日が暮れるのを待つ。

空が紫色にきらめく頃、ぽつりぽつりと灯る鉱山の灯火。

そして、薄霧の中にその灯火を映し出す湖面。

それが、貴女<ワタシ>の原風景。

この景色を守れるなら、死んだって構わない。

貴女<ワタシ>の家は、鉱山の麓にあった。

少し粗野だけど、素朴で、暖かな日々の営み。

対岸から眺めるそれは、貴女<ワタシ>と大切な人達の、大事な大事な、営みの灯火だったんだ。

貴女<ワタシ>は、体が大きかったわけじゃないけど、物怖じも躊躇もしない性格で、いつでも喧嘩は負け無しだった。

だから、この景色を守れるなら、そのために自分の力を使えるなら、その想いで、街を守る兵士に志願したんだ。

地味な仕事も多かったし、楽しいわけでもなかったけど、ただ自分がこの街を守ってるんだって、いつも誇りを感じてた。

そりゃあ貴女<ワタシ>の事だから、その辺の男じゃ相手にもならなかったよ。

でも、一人だけ、どうしても敵わない奴がいたんだ。

アイツは… アイツにだけは、ついに最後まで、貴女<ワタシ>の刃は届かなかった。

力任せに突っ込む貴女<ワタシ>に、アイツは「イノシシかよお前は」って笑ってたっけ。

それを聞いて、またイノシシみたいに怒って突っ込むんだ。

どうしても勝ちたい、他の誰に勝ててもちっとも嬉しくないんだ。

猛特訓して、何度も何度も手合わせして、あぁ、貴女<ワタシ>はこいつの事、無視できないんだってわかった。

たった一度だけ、肌を重ねた夜。

アイツと一つになった時間。

嬉しいと、思ってたんだ。

そうなる前までは。

そのたった一度の行いで、貴女<ワタシ>は、未来を見つめてしまった。

アイツのために笑って、アイツの側に座って、アイツの帰りを待って、アイツの背中を支えて…

そうする事を、貴女<ワタシ>は心から喜べるだろうか?

貴女<ワタシ>が本当に望んでいるのは、アイツと刃を並べる事、アイツに刃を届かせる事。

そう思っていたのが貴女<ワタシ>だけだった、なんてのは、よくある話。

憧れの終わり、恋の終わり。

あっけない別れ、あっけない彼の死。

戦場は、何もかもを無情に奪い去っていく。

不思議と涙は出なかった。

ただ、大きな穴だけが、心に残ることとなった。

その後に聖騎士団に身を移した事を、貴女<ワタシ>は彼の死から逃げたものとは思っていない。

ただ、当時の貴女<ワタシ>が心の相応しい置き場所を求めていたのだと、今になっては思う。

異端審問、厳しい戒律に基づく生活、これまで以上に苛烈な戦闘…

それらは、貴女<ワタシ>の心に空いた穴を、少しでも塞いでくれたのだろうか。

相棒の僧侶は、頼りなかった。

彼女は、その狭い世界の中で、孤独だった。

彼女には、支える誰かが必要だったのだろう。

貴女<ワタシ>は支える誰かにはなってあげられなかったが、代わりに彼女が望むものを得ようとする願いを守る者に、なることはできるだろう。

魔女の娘は、強かった。

ただ、孤独である事に関して言えば、二人に差はなかったのかもしれない。

彼女は貴女<ワタシ>に未知の世界がある事を教えてくれた。

彼女のような、世間に異端と呼ばれ、忌み嫌われ、畏れられた者でも、暮らしがあり、願いがあり、信じるものがあった。

監視者の任は、結果として貴女<ワタシ>の最期に、戦うための本当の価値を思い出させてくれた。

世界の終焉が近づいている日々の中でも、毎晩日暮れ時になると、あの光景が湖畔を歩む貴女<ワタシ>の目に映る。

今こそ、私<アナタ>が本当に求めたものが何か、ハッキリと解る。

そこに確かにあった、誰かの日々の営みを、それが誰のものであっても、絶対に守ろう。

この景色を守れるのなら、死んだって、構わない…

それが、 私<アナタ>の原風景だから。

私<アナタ>の願いは、確かに受け取ったわ。

私<アナタ>は貴女<ワタシ>。

貴女<ワタシ>の代わりに、私<アナタ>がその願いを、叶えよう。

この力で、全てを守り通して見せる。

全身に、力が漲る。

膝を立て、目を見開く。

眼前には、魔法陣の端で椅子に座り、意識を失った少女の姿が映る。

残り少ない血液が、仮縫いした節々から滴るが、痛みはなく、むしろますます全身に活力が溢れていくのがわかる。

翻り、扉を蹴破って、真紅に燃える街へと躍り出る。

跳躍するごとに、石畳が突風のように後方に走り抜けていく。

私<アナタ>と貴女<ワタシ>の交わした使命が、世界の終焉が、この先に待ち受けている。


~つづく~

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