第11話 「薫る桜花(3) - 死に化粧」 - “Scents of cherry blossoms chapter 3 - Makeup to death”

「この辺りに、間違いなくおるはずであるが…」

ケンゾーが、周囲を見渡しながら呟いた。

あれから二人で、サクラさんを一生懸命探したんだ。

気味の悪い風穴や、迷宮の奥深く。

そして、腐敗した貧民街の近くで見つけた生存者の集落で、魔物退治のお礼についにサクラさんの消息にたどり着いた。

「和装の女剣士が、光の玉をまとって森へ向かった」

全身から生ゴミの匂いがするおじいさんが、そう言った。

「光の玉って、何のことだろう?」

「…拙者には、見当もつかないでござるよ。サクラ様には、術の素養がなかった。そのような術を、サクラ様が使われる事はないはず」

ケンゾーさんは足跡を探るため、辺りの枯れ葉によくわからない粉末を撒きながら難しそうな顔をして粉の落ちたところを睨んでいる。

「それは、何?」

「なぁに、ちょっとした手品に候」

そう言うと、ふわりと風が吹いた。

それに誘われるように、粉末は風下へと舞っていった。

見下ろすと、粉末が落ちていた場所に、風に飛ばずに足跡の形に粉が残されていた。

「うむ、あのご老人の目は節穴ではなかったな」

すっくと立ち上がると、足跡の向かう先を指差すケンゾーさん。

「この先に、サクラさんがいるんだね!」

「うむ!さぁピエトロ殿、サクラ様はもうすぐにござるぞ」

やった!また、あのサクラさんに会える。

優しくて、良い匂いのする、サクラさんに。


そう遠くはない、という拙者の見込みは正しかった。

桜の花びらをあしらった模様が、木々の隙間から覗く。

「あ!あれだよケンゾーさん!」

ピエトロ殿が、まるでモグラのようにあちこちの隙間や木の裏から落ち着きなく頭を出し入れしてはこちらを振り返る。

足音を殺し、そっと側の木の陰から様子をうかがう。

顔が見えた。

間違いない、あの整った鼻立ち、胸まで伸びる黒髪、先代様が遺されたソガベの宝刀。

あれから10年か。

大きくなられた。

本当に、大きくなられ、そして美人になられた。

あのおてんば娘が。

しかし、何かがおかしい。

あの凛とした瞳の奥に感じられた、芯の強い意志がない。

そして、ほのかに漂う、屍臭…

「サクラさ~~ん!!!」

ピエトロ殿がオオキノコの傘の下から飛び出すと、そのまま自分の足で駆け寄っていく。

拙者は、再び木の陰で気配を殺した。

「サクラさん、やっと見つけたよ~!」

ピエトロ殿がサクラ様の足元に立ち止まった。

「サクラ、さん…?」

スラリと音を立てて、サクラ様が刀を抜く。

「さ、サクラさん!?」

次の瞬間、宝刀が空を裂き、甲高い金属音が三度鳴り響いた。

拙者の投擲した苦無手裏剣はかさりと乾いた音を立てて草むらに落ちた。

「どうして!?」

忍刀を双手に構えにじり寄る拙者の前に、ピエトロ殿が立ち塞がる。

「なんでこんな事するのケンゾーさん!!」

「拙者が主君より受けた命は、姫の暗殺… 邪魔するならばおぬしも斬らねばならぬ」

愕然としながらも、ウサギの少年は懐中から湾曲した投擲武器を取り出した。

「ぼくの… 恩人なんだ!」

「すまぬ、ピエトロ殿」

術の印を切る間もなく、鈍い音が森に響いた。

ピエトロ殿の首から、新しい耳のようなものがするすると伸びた。

すると、ゴポゴポと不快な音を立てながら、口から赤いものを垂れ流す。

またするりと首から長いものが抜けると、ピエトロ殿はその場に崩れ去った。

刃先を真っ赤に染めた愛刀を手に、生気のないサクラ様が、今度はその刀を流れるように持ち直し、青眼の構えへと移る。

間違いなく、サクラ様でありながら、そこにいる誰かは、もうサクラ様ではないのだろう。

「もう、生きてはおられぬのだな」

首と左手首に接いだ跡が観える。

そこにおられるのは、サクラ様の屍体であって、サクラ様ではない。

「もう命がないのであれば、首だけ貰い受けて持ち帰るのみ」

あらためて、忍刀を構え直す。

サクラ様の構えが動き、重心が下がる。

受けに回る前の、サクラ様の癖。

そんなものまで、再現せしめるというのか、屍者を冒涜する者どもよ!

怒りは、押し殺せ。

跳躍し、再びの手裏剣投擲。

難なく払い、こちらに向けて駆け出し宝刀の突き。

しかし、枯れ葉の積もった地面は踏み込みが効かぬ。

滑るように突きは拙者の頭部横をかすめて後方へ流れていく。

すかさず忍刀を繰り出そうとした瞬間、腹部に強烈な衝撃を受け、右に吹き飛ぶ。

彼女の左裏拳が、拙者の肋骨を砕き、振り抜けられたのだ。

尋常の膂力ではない、この力も技も。サクラ様のものではないはずだ…

木の幹に強く打ち付けられ、血を吐きながらボロ雑巾のように地べたに這う。

油断しない様子でジリジリと桜色の屍者が詰め寄る。

今度は彼女が、大きく振りかぶって跳躍した。

そこに合わせて、印を結び、手を空に。

「火遁の術!!」

手先から業火が走り、空中を舞うサクラ様の身を包む。

しかし、円を描いて振るわれた宝刀が炎を巻き込み、そして払ってしまう。

そこにさらに苦無が飛来させる。

払う。

電撃。

弾く。

さすがの達人でも、これだけの連撃を前に攻勢は維持できない。

たまらず枝を蹴って、後方に飛び退くサクラ様の着地点が、一瞬瞬く。

そして、爆音。

全くの無防備であった彼女の肉体は爆破をまともに受け、後方に倒れ伏せる。

致命傷には至らなかったものの、右腕が吹き飛び、両足は骨が粉々で立ち上がる事はできまい。

「忍術の神髄、お忘れになったか」

たったの一度も、拙者がサクラ様に負けた事は、一度もなかった。

10年の歳月を経て、最期のこの時を迎えても、一度も覆る事はなかった。

ただの、一度も…

そして、永遠に。

「せめて、顔には化粧を施してしんぜよう」

傍らにしゃがみ込み、首を切り落とすために、忍刀を添える。

その時ふいに、サクラ様の瞳から涙が流れた。

「ケン… ゾー… お願…」

ただの、一度も。

些細な事で心が揺れ動くようでは、忍は務まらない。

それが、選んだ世界なのだから。

その言葉が、サクラ様の遺された本心から出たものなのか、冒涜者が策を弄するために取った最後の悪あがきだったのか、今となっては確認する術はない。

全てを言い終わる前に、サクラ様の首は跳ね飛んだ。

その瞬間、一閃の光が視界をかすめる。

暖かな日々が、胸に去来する。

「さようなら、サクラお嬢様…」

そう呟こうとした拙者の口から、言葉は発せられなかった。

ふと、見下ろすと、胸に拳ほどの穴がぽっかりと開いている。

傷口は焼き切れて血も吹き出さず、ただ、熱いものがその胸元からこみ上げてきた。

振り返ると、空中に漂う、光の玉。

それは、死の直前に目にする幻だったのかもしれない。

それは、輝く、小さな少女だった。

その可愛らしい少女は、目を泣き腫らし、何かを訴えるように叫んでいた。

しかし、もう、音も聞こえない。

足の力を失い、倒れ込む。

遠ざかる意識の中で、それでもなお、拙者のした事に後悔はなかった。

これが、拙者の選んだ世界なのだから。

奪い、奪われる者の、世界なのだから。

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