第10話 「薫る桜花(2) - 花と花」 - “Scents of cherry blossoms chapter 2 - Two flowers”

「あなたは、どこから来たの?」

あどけない少女が、屈託なく尋ねる。

初めて会った者同士が交わす、何気ない日常の会話だ。

しかしここでは、その全てが異常だ。

言葉を交わした場所は、迷宮の奥底。

尋ねる主は、私の上腕ほどの丈しかない。

そしてその小さな少女は、先刻自身の数十倍もの巨躯を相手に、一撃で屠ったのだ。

「知らない人に答えるのは、イヤ?」

そんな事はないと、首を横に振る。

「東国から、参った」

「東っていうと、あの大きな砂漠から?」

「そのもっと向こうだ」

「え!あの砂漠より向こうがあるの!?」

少女は大袈裟に驚く。

私の周りをひらひらと落ち着きなく飛び回り、身振り手振りのたびに鱗粉が舞い落ちる。

しかし、その鱗粉が私の身に降りかかると、なんとも言えぬ心地よさを覚えるのだ。

妖精の羽には、治癒の力があると、かつてケンゾーから借りた書物で読んだ事がある。

この力がなければ、いや、この少女に出会わなければ、今こうして生きている事すらなかっただろう。

「砂漠の先、海を越えさらに幾重の山を越えた先に、私の故郷、日の没した国がある」

「…ずっと夜なの?」

「そのようなものだ」

皮肉だ。

近いうちに、あの国は滅びる…

輝かしき歴史とつつましくもたくましい民が支えてきた東国は、今や国難に瀕し、一部の権力者達の傲慢さという穴から浸水し沈むを待つばかりの帆船に例えられよう。

いや、私がその事を偉そうに罵れたものではないのかもしれない。

私自身もやはり、父上のそうした愚挙を、止められずに来たというのだから。

ただただ、憐れむべきは罪もなく共に沈む事を余儀なくされる国民ではないか。

「どうしたの、まだ痛む?」

「いや、ありがとうフリージア殿。もう万全だ」

大仰に肩を回してみせるが、たしかにもうどこも痛まない。

先の隻眼巨人に浴びせられた手痛い反撃で受けた深手が、まるでなかった事のように消え失せている。

「呼び捨てでいいよ!フリージア!それで、あなたのお名前は?」

「私は…」

恥ずべき事か。

私はこの一瞬に、命の恩人相手に不要な勘ぐりを、自己中心的な策略を巡らせた。

「…私は、モミジだ」

「モミジ?珍しい名前!でも、素敵な響きね。きっと、お花の名前でしょう?」

偽名を疑う考えも持たなかったのだろう、少女は無邪気に笑って喋り続けている。

私は内心で、この無垢な善人を疑った己を恥じた。

己の保身ばかりを求めて、何が残ろうか。

たとえその時が来たとしても、毅然として立ち向かう他ない。

それが、太陽の元で生まれ育った武人のあるべき姿だろう。

その時が来るまでに、彼女には改めて本名を告げよう。

そのような事を考えていた。


それにしても、西に住まう妖精とは、これほどに饒舌なものか。

私が黙りこくって考え込んでいる間にも、絶え間なく何かを語り続けている。

我が国では、沈黙こそが美徳であった。

きっと、東国以外では、饒舌さを良しとする文化の違いが、あるのかもしれない。

この地に入ってからは、これまでの常識は全く通じなかった。

日や雲の流れから、生い茂る植物に至るまで、我が故郷のそれとは全くの別物であった。

雨を読めない。

道を読めない。

故郷で造作もなかった事の数々が、ただその地においてのみ通用する狭い技術に過ぎず、「井の中の蛙」である事を痛感させられる日々だった。

そして、故郷でも見られなかった怪物の数々。

空を舞い、地に潜り、殺しても死なないもの、肉の身すら持たぬもの…

人語を介する兎を救ったと思えば、竜頭を持つ武人に挑まれる。

死の蔓延するこの国は、もはや文化の違いなどを超越し、人間本来の常識すらも通用しない。

その全てが私を試し、そしてただの一度の失敗で、私は瀕死の重傷を受けた。

隻眼巨人はこの地では「さいくろふす」と呼ぶようであるが、巨人の構えに反撃の意志を感じ取るには、私はこの地での経験が不足していた。

全身をしたたかに打ち付け動けなくなった私を救ったのは、背丈が私の半分にも及ばぬ少女だった。

彼女の名は、フリージア。

「へあり」と呼ばれる西の妖精で、彼女はたまたま私の危機に駆けつけ、巨人を止めてくれた。

術について師事を受けていたために一応の知識があった私でも、あの無数の火花が天を貫く火砲には、肝を抜かれた。

この少女は、振る舞いこそ町娘のそれと変わらぬものの、その戦力は東国で胡座をかいている陰陽師連中にも劣らぬだろう。

「フリージアど… フリージアは、こんな所で、何をしているのだ?」

「別に、何も。この辺りに住んでいるだけよ」

少女はつまらなさそうに足元の小石を摘んでいる。

「この辺りの森はいつも退屈で… でも、最近とても悪いヤツらが、好き勝手してるみたいなの」

“屍者の軍勢"…

その噂の実状は、この地で嫌というほどわからされた。

「平和だったのに… あの頃の森に戻るには、もう数万年くらいはかかるかも」

「へありの皆は、それまで生きているのか?」

「うん、フェアリーに寿命はないから。私は、生まれてまだ千年くらいだけど…」

妖精達の時間の感覚は、人間のそれとは全く異なるらしい。

「死ぬ事がないのなら、あの危険な魔物どもも怖くはない、といったところから」

「あ、違う違う、死なないわけじゃないよ!殺されたら死んじゃうから、危ないところには行くなって」

「親御さんが?」

「ううん、みんなが」

「みんな?」

「木や花が」

周りを見渡すと、迷宮の石畳の隙間から、健気に顔を出した芽や、壁から突き出た頭上の木の根が見える。

きっと彼女は、この地に広がる小さな命達と、共に生きてきたのであろう。

「東国にはきっと、ここにはいない変わったお花がいっぱいいるのでしょうね!」

「そうかもしれない」

「だってだって、ね、モミジからは、とっても良い、嗅いだ事のないお花さんの香りがするもの!」

「それなら、サクラだろう」

私は、懐から手帳を取り出した。

墨の走り書きを飛ばし読みして、押し花の挟んだ面を開く。

「これ!これだわ、モミジからは、この子の香りがとてもしたの」

「これはサクラといって… 確かに、この国で見た事はないな。東国にしか、咲かないのかもしれない」

「とっても優しくて素敵な香りがするわ… モミジにピッタリ!モミジも、サクラって名前にすればいいのに」

ギクリとするが、苦笑して返す他ない。

私がサクラでなければ、サクラ姫でなければ、どれほど楽か…

サクラはもはや、今の東国において、その名を聞けば賞金目当てのならず者が束になって駆けつける、そんな名なのだ。

「春になると花が咲き乱れるのは、この国も同じだろう?」

「えぇ、えぇ!とても!」

「東国では、このサクラが、山一面に咲き誇り、桃色に染まるのだ」

「えぇー!!?すごい!すごーい!!」

少女は興奮の余り、宙で何度も縦に回り続けている。

「私、東国に行ってみたいわ!」

東国へ、行く。

それはもう、私には叶わぬ夢なのだろう。

「あなたなら、きっと行ける」

「モミジが、連れていってよ!道案内をお願いしたいわ」

「私は… そうだな。西での用事が終わったら、一緒に東国に行こう」

「本当!?約束だよ!絶対!!」

少女は嬉しそうに、空中で三回転して、ウィンクしてみせた。

「しかし、君が東国に来たら、きっと皆が驚くだろう」

「大丈夫よ、私誰に会っても驚かれているから。ちっとも驚かなかったのは、あなただけよ」

言われてみれば、そうだった。

しかし、何の疑いもないだろう。

光の筋を放ちながら闇を払った姿を見て、驚きよりも強く私を支配した感情。

死の蔓延する国で、命を失いかけたその時、私を救ってくれた輝き。

何にも染まらない、純粋なその心。

穢れと欲望が渦巻く世界で、きっとあなただけが、本当に強く、美しかったからだろう。

ソガベの嫡子、サクラ姫が西に逃げたと知れれば、すぐにも追手が迫るだろう。

馬引き、船頭、道中のどこから私の行方が割れてもおかしくはない。

ここまで刺客がたどり着くのも、時間の問題だ。

いずれ終わる、この生命だ。

たとえこの生命を失ってでも、彼女にサクラを見せてあげよう。

不思議と、私は、確信していた。

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