第25話 『ある術者の1日 (1) - “朝の目覚め”』 One day of a necromer chapter 1 - “Morning awakening”

Buriedbornesの術者の意識が屍体を離れ地上に還った後、肉体は一時的に主を失い無防備となる。

そのまま野ざらしにしておけば、死臭に誘われた魔物が這い寄り、次の目覚めまで保つことはまずないだろう。

そこで、術者が屍体を離れる時には、肉体を土に埋めてしまう事が通例となっている。

厳密には、穴を掘りそこに横たわって、土をかぶる、言うなれば『自ら埋まる』というものではあるが。

匂いの消し方には、決まったやり方はあまりない。

外の空気に触れないよう結界で封じてしまうもの、香草を使うもの、大量の屍体を周囲に撒き散らし"森に葉を隠す"ものなど様々だ。

物理的に鉄板などで蓋をしてしまうようなケースもあるが、この場合は霊体のつながりを保つために開けられた、成人男性の手首ほどの"空気穴"が仇となる事もあり、危険だ。

巨躯の魔物などは鉄板を前に屍体の発掘を諦めてしまうかもしれないが、空気穴でも通れてしまう小さな虫や動物はその限りではない。

いずれにしても、術者は十人十色の方法で以て、屍体の保全に努めている。


術者が目を覚まして最初にする事は、自身の体に盛られた土を払い除け、外へと這い出す事である。

土中から目だけを出して、周囲を見渡し、気配を窺いながら音もなく身を起こす。

その後、自身の肉体を隅々まで見る。

脚は二本ともついているか。

頭部のどこかが欠けていないか、一箇所ずつ触り、異常がないか探る。

体を細かく動かし、全身くまなく意識をめぐらせて、意図通りの動きが遅延なく為されるか、試していく。

意識がなかった間に起きた事をあらかじめ正確に把握できなければ、屍体を喪失するリスクは大きくなる。

うわべの見た目に問題がなくとも、寄生生物に這入られている可能性、何らかの呪いを受けている可能性など、リスクの種類には枚挙にいとまがない。

経験の浅い術者は、些細な機微に無頓着だ。

戦闘中に自身に刻まれた呪印の存在に気づくなど、もっての外である。

十全な確認の後、その場を離れ、再び危険が蔓延る地底の世界を蠢き始めるのだ。


死の冒涜に自ら足を踏み入れ、禁忌を重ねるに至ったとしても、その全てがはじめから倫理を外れたものであったわけではない。

良心の呵責から、使用を躊躇った者も少なくはない。

しかし、全てを凌駕する強い力を求める過程が、やがて多くの術者達の心から倫理観を奪っていった。

倫理観とは、それがもたらす社会的合理性によって支えられた人間達が、それを共有し合う個々人の中で互いに生み出し合った幻想の呼称である。

それがもたらす意味や価値がこの世に残されていないのであれば、そこに見出されるものは、もはや非合理性のみである。

遅かれ早かれ、屍者を以て屍者と対峙する者達は、命に対する意識を改め、死を生命体の状態の差として見るようになっていった。

その意識の変化に心が耐えられず、かといって自らの命を絶つ事もできなかった者達は、様々な形で"歪んで"いった。

整合性の欠片もない論理を立てて自己正当化を図る者、存在しない神性の存在に行動の責任を転嫁する者、自らに幻術をかせて現実認識を曲解させる者…

いずれの形にせよ、それらは平和な時勢の社会においては"狂った"と一律に評されたであろうものであった。

だが、今の彼らを"狂っている"と、我々は指差して嗤う事などできようか?

それがその世界において最も合理的な人間のあり方であるならば、それに適合できず脆弱で無価値な良心なぞに従って自らを害した者達こそが狂人であったとさえ言える。


心理的な合意形成の過程とは別に、屍体を操り戦う事を選ぶに至った経緯も、術者ごとにまちまちである。

Buriedbornesの秘術を見出す過程から、まず違う。

一部の術者達は、世界に滅びが蔓延するよりも以前から、既にその禁忌を現代において犯していた。

勘がいい者達は、世界に滅びが蔓延する最中、自らの知識と経験からその真実にたどり着いた。

それ以外の多くの術者達も、仲間から伝えられたり、風の噂から知る事になったものが多い。

コミュニティを形成し協力して研究や闘争に立ち向かう者もいれば、孤独に戦っている者もいる。

屍者の軍勢を滅ぼし世界を救う事を本気で目指している酔狂な者達もいれば、未曾有の世紀末を覆う呪いと屍術の無限の可能性を探求し知の歓びに耽溺する者達もいる。

共通した過程は常に『屍者を使って戦う以外に選択肢がない』であり、最終的に至った目的も常に『いかにして屍者を操り、より強い兵隊を生み出すか』である。

Buriedbornesの術がもたらす恩恵はそれ以外の手段では決して得られる事がなかった。

改造と術による筋力や脳機能の自己抑制を無視する作用によって本来得る事ができないほどの尋常でない能力を得て、使い捨てができて術者は常に無傷で次の挑戦を繰り返す事ができる。

それまでの全ての常識を覆し、屍者で戦う手段はそれ以外の手段のほとんどを駆逐し尽くした。


屍術師ダレンは、その日もいつものように目を覚ました。

17日目。

迷宮、地下6階。

足を踏み入れた頃に見られた陽の光は遥か頭上の彼方に離れ、今や途切れず燃え盛る松明の光だけが回廊を照らしている。

研究所の近場にある寂れた墓所に残された兵士の屍体の数にも、底が見えて来始めている。

屍体を使い始めた頃と同じように、なんでも試して、失敗すれば次、そんな投げ槍な感覚で屍体を使い捨てられるのにも限界がある。

せめて、新たな屍体の供給源にでも見つけられれば或いは…

しかし、それも手に入らず、このまま何の結果も生む事もできなければ、この戦いにも終わりが来てしまうだろう。

術者自身は、生きた人間である。

安全に生活資源を得られる手段すらもBuriedbornesに頼っている。

屍体を全て使い切る事。

その先に待つものは、緩やかな死である。

我々には、後がない。

普段は聡明なダレンにも、焦りと本体の空腹による集中力の低下が起きていた。

天井の暗がりに張り付いた巨大な粘液塊の存在に、彼は気づくことができなかった。

突然閉ざされる視界。

通り掛かる獲物に降下したラージスライムの定石手は、頭部を覆い呼吸を止めて活動力と判断力を奪い、そのまま全身を取り込むやり方だ。

頭部が酸液に溶かされる音が回廊に響く。

首元をかきむしりもがく。

術者の負担をへらすために事前に痛覚は切断している。

当然、痛みはない。

呼吸をせずとも、死ぬ事はない。

だが、術を介してはいても、肉体の感覚はすぐそこにあるのだ。

実際に魔物に命を奪われる感覚、その過程を経験する事にはなるのだ。

たとえ幻術であっても、高所の不安定な足場を見せられた被術者は、一瞬の恐怖に脳を支配され、本能が理性を凌駕しパニックを引き起こす。

彼もまた、それと同様の事態に見舞われていた。

「炎術だ、燃やせ!」

どこからともなく、遠くに響く声がする。

その声に我に返り、手を頭上の塊に差し出す。

指先から火炎放射が放たれれば、スライムは表皮の熱源に反応し、生理上の反射として身を縮め、即座に獲物から離れる。

スライムの習性に対する最適解のリアクション。

しかし、彼はそこでもまた失態を犯した。

目が見えず、距離感を失っていた彼は、炎の噴射を開始するよりも先に、スライムの粘液の中に指先を突き入れてしまう。

慌てて引き抜こうとしても、もう遅い。

まとわりついたスライムは特殊な薬液か炎、異常なほど強い遠心力以外によっては引き剥がす事ができない。

そして、粘液に包まれた手の先は空気が触れておらず、可燃しない。

右手からの炎術はもう、使えない。

代わりの左手を出すよりも早く、上半身はスライムに覆われてしまう。

スライムの重さに耐えかね、兵士の肉体は横転した。

そして、足先まで、全身がスライムの内側に取り込まれた。

ここから助かる術は、もうない。

手詰まりである。

ダレンは、術の施行を取りやめ、意識を兵士の肉体から引き離した。

全身に猛烈な突風が吹き抜けるような感覚が走り、そして、視野が元の研究所の片隅に戻った。


「クソッ!」

握りこぶしを作って、椅子の肘掛けを強く叩いた。

木が軽く軋み、鈍い音が響く。

叩いた椅子よりもむしろ、叩いた自身の掌こそが裂けそうなほど、痛む。

非力な肉体では、こんな木切れすら破壊できない。

「ダレン、少し休もう。そんなコンディションじゃ、勝てるものも勝てんぞ」

ヘルマンがダレンの肩を叩く。

彼の声は、炎術の助言を促したときと同じようなはっきりとした声で、ダレンを励ます。

「…施術の準備はしておく。寝てこい」

無表情で隣室を指差し、椅子の周囲に描かれた魔法陣を直し始めたのは、マルクだ。

ダレンは手で強く目頭を抑え、ふらつきながら部屋を後にした。


施術室の整備はマルクが担当している。

魔法陣、椅子、術の施行などだ。

Buriedbornesの術を発見できたのも、彼の思慮深さが寄与している。

術を使って戦わせれば、3人の中では最も優れた術士ではあるだろう。

ヘルマンはダレンの戦闘補佐を担当している。

3人の中で最も大きな体躯を持ち、饒舌で、崩壊前に限れば快活な楽天家ですらあった。

広い知識と高い判断力を持ち、世界崩壊時も彼の活躍があってこそ3人は生存できたと言える。

だが、術の才能に関して言えば決して優れたものを持っているわけではなかった。

多少は肉体的な強さも持ち合わせてはいたが、それも所詮は一般人として見たら、である。

魔物と直接渡り合えるほどでは当然ない。

彼らは、その隠された狭い研究所の側にある墓所から、屍体を調達している。

そこはかつてとある2国が争った戦場の南端に位置し、近隣の住民はそこでの戦死者の亡骸をその墓所へ埋葬した。

(勿論それは、残された兵士達の装備を売り払った事への罪悪感を紛らわせるための、極めて利己的な葬儀ではあったが)

結果としてその墓所には、戦争に参加した雑兵が山程埋められてた。

3人はそこに目をつけた。

夜な夜な、徘徊する屍者や魔物の目をかいくぐり、屍体を掘り起こし、研究所に持ち帰る。

屍体に霊体を込めて、動かす。

その屍体が優れた戦士のものなら、儲けものだ。

そうして3人の術者による"屍者の軍勢との戦い"は始まった。

Buriedbornesの術に求められるものは、術の才能でも、肉体の強さでもない。

屍体と記憶をつなぎ、操作する。

この時代にあっては、多くの場合その記憶は不遇の戦死に対する怨恨に満ち、またその死の瞬間の印象も鮮烈だ。

無数の屍体に次々と乗り換えて、そのひとつひとつの記憶に触れ続ける必要がある。

つまり、最も重要なものは、純粋な精神力である。

無数の死に触れながらなお正気を保ち、前に進み続けられるだけの強靭な精神力。

あるいはそれは、結果として異常行動に走らずに済んだだけの発狂者かもしれない。

崩壊より遥か以前に家族の命を眼前で野盗に奪われていた事は、彼の精神の不感と全く無関係ではないかもしれない。

他の二人は、精神力という面で見たときに、いささか人間的過ぎたのかもしれない。

はじめは3人で交代で術の行使を行っていたが、ヘルマンとマルクはすぐに精神の不調を来し、やがて術の直接行使はダレンだけが行うようになった。

術者と言えども人間である。

食べもするし、寝もするだろう。

休憩する事もあれば、無関係の事に勤しむ時間もある。

Buriedbornesの術を一度行使すると、霊体の接続は対象の肉体が崩壊するか、意図的に切断するまでは保持される。

一時的に屍体から霊体を本体の肉体に戻して活動し、その後思い出したように接続を再開する事も可能だ。

複数の屍体に接続し、切り替えて使用する事も可能ではあるが、集中力の限界があるため、一度に動かすのは大体1体である。

術者によってタイミングや長さはまちまちだが、ダレン達は毎日、平均して9時間の接続を行っている。

朝起きて、日常的な"生活"の範疇の行動を済ませた後、冒涜を開始する。

1日の探索を終えた後は、屍体を土中に隠し、ダレンの霊体は研究所に戻る。

その後、地図の整理や術の研究などに時間を充て、各々思い思いの時間に消灯する。

日によっては1日以上外出して、屍体の回収を行う事もある。


彼らは大量の屍体を抱える墓地近くに拠点を得た事で、運が良かったとも言える。

しかし一方で、その墓地が雑兵しか得られない場所であった点は、不運であったとも言える。

彼らの戦力は専ら"農民に毛が生えた程度の男"だけで、そんなもので、英雄的な活躍ができるわけがない。

これまでに数百とその死の記憶に目を通してきたが、人を斬れた記憶もよくて一生に1度、全体でも数えるほどしか確認できていない。

ほとんどが、牧歌的な農村に育ち、やがて徴兵され、慣れぬ剣や槍を持たされ、何もわからぬまま何かに貫かれるか焼かれるかして死んだものばかりである。

このまま屍体を全て使い果たしたところで、世界を崩壊に追いやったと噂される古代の覇王の、姿を確認する事すら叶わないかもしれない。

こんな辺境にまとめて墓地に埋められた屍者の中に、英雄が存在する可能性が、どれほどあろうか?

ダレン達は半ば、スペードのAが抜かれたトランプの束から、それを探して1枚ずつめくるような日々を過ごしていた。

最後の1枚をめくった後は、もはや死を待つばかりである。

ギャンブルとも呼べない切迫した状況は、3人を日に日に追い詰めていった。


その日の夜、ダレンは紙がこすれる音に目を覚ました。

廊下に面した扉は部屋の暗闇に融けて、寝覚めの目には存在すら薄ぼんやりと透けている。

一方、隣室につながる扉から、光が漏れている。

そちらは、マルクの自室であった。

逆に目をやるが、そちらの扉は廊下側と同様に、闇に包まれていた。

ヘルマンは、少なくともその扉を見る限りにおいては、眠っているらしかった。

ダレンは重い体を起こし扉の前に立つ、控えめに叩いた。

返事はなかったが、ゆっくりと扉を開く。

マルクは質素な机に向かって熱心に何かに目を通している。

部屋の高い位置に開けられた小窓からは月の光が漏れて、経験からおおよその時刻を推し量る事ができる。

「もう遅い、寝ないのか」

ダレンの言葉にも、マルクは返事をしない。

ダレンが書物を覗き込むと、そのページには、奇怪な6本の腕を持った男の解剖図が緻密に描かれていた。

魔物か、悪魔の類か?

訝しがるダレンに、マルクが身を起こし、ページの中の文字に指を指して、声を押し殺しながらも興奮した熱気を伴ってダレンにまくしたてた。

「パーツだ!屍体に他の屍体の部品を継いで、より強固な屍体を作り上げるんだ」

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