第16話「暗夜のレクイエム(4) - ひとつの答え」 - “Requiem in the dark night chapter 4 - One answer”

まるで野生生物が一匹もいないかのような静寂が、峡谷に根付く森を包んでいる。

本来であれば、この崖を降りるまでに、無数の魔物に歓迎されていてもおかしくはないはずである。

その日の峡谷は明らかに異常であり、普段見られる生物の影はひとつも見られない。

それはいわゆる『人払い』された結果であり、理由のわからない招待は、少なくとも髑髏の男が「イクスに塔まで来て欲しい」と本当に考えている事を物語っていた。

しかし、その事が逆に、イクスにとっては不可解であり、そして不快であった。

「罠なんじゃないの?塔まで着いたら、取り囲まれたりして…」

ヤンネは樹上から周囲を見渡しながらイクスに言った。

「たとえそうだとしても、俺を殺し切れるとは思えんね」

「本当、随分な自信ね… 実際強いけど、そこまで言い切れる?フツー」

どんな敵がどれだけ来ようと、自分は絶対に負けない。

その確信があるからこそ、ここにも、こうして来た。

しかし、ヤツもまた、そんな事はわかっているはずだ。

塔に呼んだのには、何か理由があるはずだ。

それが何であるかは、まだわからない。

しかし、実際に尖塔内部に侵入し、アクェロンにたどり着く事ができるチャンスであるなら、断る道理はない。

必ず、殺す。

この手で…


やがて、石材を積み上げた壁面が目前に現れた。

天を衝きそびえ立つ尖塔。

まるで研がれていない鉛筆のように、壁面には穴ひとつなく、まるでただの柱だ。

「来るには来てみたが…」

イクスは、壁面に歩み寄り、手の甲で叩く。

すると、ひとつひとつが荷馬車ほどもある石材がまるで生き物のように動き出し、奥へと次々と引き込まれていき、階段が姿を現した。

「…やっぱり罠じゃない?」

ヤンネは訝しげに石壁を杖で叩く。

「何が待っていようと、俺はアクェロンを見つけて、殺すだけだ」


それから一刻ほど後、塔の壁面は再び元のように閉じられて、入り口は閉ざされている。

どこがどのように開いたかもわからずに、エトヴィンは立ち往生していた。

壁面を拳で強く叩きつけるが、びくともしない。

「クソっ… こんな事なら、別行動するべきじゃなかったか」

二人の足跡を追ってきたが、どうやら自分は”間に合わなかった”らしい。

イクスとヤンネは、今間違いなく尖塔内部にいる。

いや、そもそもイクスかどうかもわからない。

この場所は危険、なんてものじゃあない、怪物の舌の上のようなものだ。

「是が非でも押し通るぞ…」

懐から火薬臭い袋を取り出す。

たまたま塔までは何にも見つからずに来る事ができたが、爆音と閃光は疑いようなく侵入者の存在を尖塔周囲に周知する事になるだろう。

しかし、そんな事を懸念していられる状況は既に過ぎた。

今この瞬間にも、塔内でヤンネの命が脅かされていないとも限らない。

足元に火薬を長く垂らし、距離を取る。

剣を逆手に持ち、柄頭で火薬の先を強く叩きつける。

弾けるような音とともに、土に盛られた黒い線が焼け走って、その先で塔の壁面が炸裂した。


尖塔内部の外部に面した螺旋階段は、終わりがないかのように上方に伸びてゆく。

螺旋階段の途中には中央に向かう廊下がところどころで伸びており、その先には部屋や廊下や扉が階ごとに全く異なる構造で並んでいる。

二人は入口の階段から道なりに登り続けてきたが、次第のこの塔の"正体"に気づき始めていた。

各階で階段から覗かれる部屋には無数の牢があり、その中には古今東西の様々な魔物や生き物が押し込められていた。

また、半数以上が「人や生物であった」と見られるような奇怪な造形物で構成されていた。

つまるところ、ここに連れてこられた者達は、どのような形であれ、何か別のものに作り替えられる研究が行われていたものと見られる。

人らしき姿も時々見られたが、そのどれもが動かない、おそらくは屍体であったと見られる。

目撃される屍術師、改造された屍体、侵入者を拒む構造と魔物達。

その正体は、"研究所"であったと考えるのが妥当だ。

目的は何であれ、生命への冒涜を、倫理や法の制限なく、余すところなく研究し尽くすための場所。

唾棄すべき邪悪が存在するとすれば、それは地底から這い出す連中か、それともこの塔に身を潜める邪術師達か、そのどちらであるべきか。

イクスは抑えきれないほどの憤怒を内に秘め、階段を急いだ。

どれほど登ったかわからなくなってきた頃、螺旋階段が切れて、広い円形の広間へと至った。

その広さとは裏腹に置かれたものはほとんど何もなく、部屋の中央に据えられた頼りない椅子だけである。

その椅子には、灰色がかった髪を携えた男が、イクス達の向かい側に向けて、うなだれるようにして座っている。

「アクェロン…」

心の中で呟いたのか、実際に口に出たのか、わからない。

剣を振りかざし、飛びかかるビジョンだけが、脳裏をよぎるが、体が動かない。

言いようのない不快感、背筋を震わす寒気、腹の底の方に落ち込んだ何かが飛び出しそうな感覚。

今目の前に、探し求めた仇敵がいるはずなのに、体が動かない。

代わりに動き出したのは、ヤンネだった。

「っだああああアアアアッッ」

懐中から短刀を取り出し、身を低く屈めてまっすぐ椅子に向かって疾走していく。

イクスが止める間もなく、ヤンネはアクェロンの背後に到達する。

しかし、刃先は届かない。

アクェロンの頭上で短刀の刀身が止まり、まるで見えない何かを鍔迫りするかのようにヤンネは動きを止める。

「なに…!?」

パンと弾けるような音と共に、まるで操り人形の糸が切れたようにヤンネの体から力が失われ、その場に膝から崩れ落ちる。

「ヤンネ…!」

駆け寄ろうとする気持ちを、先程の不快感が再び止める。

何が起きている?

俺は何故動けない?

「拒絶が起きているのだ。興味深いな…」

どこからともなく声が聞こえる。

背後を振り返るが、誰もいない?

アクェロン?

椅子の側の空間が歪み、そこから髑髏面の男が顔を出し、降り立つ。

「貴様…ッ」

「やはり、どことも知れぬ場所で肉体を損壊されてしまうよりは、この場に直接来てもらうのが一番だったという事だな」

「何を言っている…」

遮蔽物は何もない。

飛びかかって首を落とす、胴から上を吹き飛ばす、アクェロンごと叩き潰す、この距離でなら、幾らでもやれる。

頭ではわかっているのに、体が言う事を聞かず、指一本動かなくなった。

そればかりではない。

脳に焼き付いた強い殺意まで、どこかふわふわとした実感のないものになって、萎えていく。

幻術の類か?

しかし、術が行使された際に見られるような非現実感や、"現実と幻の壁"が見当たらない。

それどころか、頭痛が増していく。

「何をした…?」

「何もしていない。お前自身の内面問題で、私は関係ないぞ。だが、非常に興味深い…」

「どういう…?」

「覚えていない事を思い出すには至らないか。それなら、イチから説明しようか?」

髑髏の男は、まるで諭すような口調で語りかけてくる。

「何故アクェロンを殺そうとする?何のために?君とアクェロンの間に、何があったか、思い出せるか?」

「俺は…」

何故俺はアクェロンを殺そうとしている?

それは…

それは?

既に殺したはずでは?

いや、違う…

殺したのは…

殺そうとしたのは、屍者への冒涜を… 止めるため?

屍者の冒涜を研究して…

どこまで?

「ここでなら、どう転んでも、どうとでもなろう。だから見せよう、真実を、ここで」

髑髏の男がひたひたと歩み寄り、イクスの頭部に手を差し出す。

抵抗する術なく、イクスは微動だにできない。

やがて、髑髏の男が軽く詠唱すると、ビジョンが見え始めた。


剣を振るう。

がむしゃらに。

自分は、強くなるだろう。

自分は、強くなってみせる。

兄と一緒に。

兄の力になる。

僕は、兄さんの剣になろう。

にいさんはきっと、えらいがくしゃになるよ。

農園を駆け回った、悪童時代。

原風景の中で誓った、夢、約束。

二人はいつも一緒にいて、兄さんはいつも、突飛な発想でみんなを驚かせていた。

僕は、そんな兄さんが、誇りだったんだ。

体が弱くて、病弱で、同年代の子らには混じれず、いつも僕を相手に難しい話を聞かせてくれていた。

兄さんは、いじめられる事も多かった。

そのたびに、僕が守っていた。

叩かれたり、引っ張られたりしても、兄さんは抵抗できなかったけれど、僕が止めに入った。

兄さんは凄いんだ。

お前達の誰よりも、賢いんだ。

そんな、僕らの思い出。

苦々しく、居た堪れない思い出。

僕の自尊心は、ズタズタだった。

動かない体。

どうして?

どうして僕はこんなに弱いのか?

弟に守られてばかり、そんな兄がどこにいる?

僕は僕が嫌いだ。

だけど、それ以上に、アイツラが嫌いだ。

でも、そんなアイツラよりも、誰よりも、弟が、憎かった。

強くて、たくましくて、僕にないものを持っていた、イクスが。

屍者を冒涜する術の研究なんて、間違っている。

自分の家族が同じように切り裂かれる事を考えたら、そんな事できっこないし、やって欲しくもないんだ。

わかってくれ、兄さん。

わかっているよ、そんな事は。

これは冒涜であり、犯罪であり、誰かを悲しませるような事かもしれないな。

そうであっても、君達に、どうしてそんな事を気にかけて、研究するしないを決めなきゃあいけないんだ?

君らがどれだけ、僕の事を蔑んで、疎んじて、奪ってきたんだ?

何故僕を苦しめてきた連中のために、僕が気遣ってやらなきゃならない?

僕は僕だけのために戦う。

この研究の先には、見たこともないような世界が広がっているだろう。

その世界では、僕が正義で、僕だけが選ばれているんだ。


これ以上の暴挙は許容できない。

掘り返された屍者だけじゃない、もう数えられない程の生者の命を、奴は奪っている。

たとえ刺し違ってでも、止めてみせる。

それが、家族としての、僕らの責任だから。

泣かないで、姉さん。

アクェロンは、俺が止める。

止めてみせる。

振るう剣。

振るわれる剣。

流れる軌跡はまるで風に舞う燕だ。

お前は本当に、昔から、私の持っていないものを、ずっと手に入れてきた。

この技術もきっと、私は、欲していた事もあったのだろうな。

かじっただけで、結局何にもならなかった私の剣術。

それでも、最後の一撃を止めるだけの役には立った。

私の呼び出した獣は剣と剣の間隙を縫って、私の代わりに、イクスの背を裂いた。

崩れ去る、私の思い出と共に。

お前への憎しみが、私の始まり。

お前と過ごした日々こそが、私の全てを…


納屋に隠れて読んだ本。

君と一緒に読んだね。

はしごで屋根に登って見た草原。

君と一緒に見たね。

一晩中見上げて観察した星空。

君と一緒に…

その後、一緒に怒られたんだ。

姉さんに。

二人で…

僕が言い訳をして、君が、その言い訳の突拍子のなさに、吹き出して…

僕が?君が?

その時の僕は、どっちだった?

アクェロン?

イクス?

僕は…


「極めて親しく近しい環境で育った人間に対して魂を宿した時、重複した記憶や共感する感情の多さは対象者との感応を高め、より高い精度の肉体操作も実現できる。これは君の仮説の通りだった」

髑髏の男の声が響いた。

ここは、尖塔。

冒涜者達の、隠れ家。

「私は…」

「だが、強すぎる感応は、結果として自己と対象の間に曖昧さを生む。お前はイクスと重なって、イクスになったのだ」

「だが、これでは、あまりにも…」

「混乱するのも無理はない。君は君だ、君の記憶は君のもので、イクスのものではないぞ」

「思い、出した… はずだが、これは…」

両手で顔を撫でる。

これは俺だ。いや、私か…

「それはイクスの肉体だ。君自身が修復したものだ」

「じゃあ、それは…」

椅子にうなだれる者を指さす。

質問するまでもない。

だが、これは必要な作業だ。

自分で自分を取り戻すための。

「アクェロン、君自身の肉体だ」

Buriedbornesの術の副作用が生み出したもの、それは二人分の記憶を持った精神だった。

それは例えば、幾重にも重複させて一つに束ね上げた精神を人造できることを意味していないか?

あらゆる知や術を集約させた存在、それが地底に眠る古代の支配者の正体ではないか?

同様の手法を、我々は我々の手で同様に実現できるのではないか?

奴を、古代の覇王を、この世から葬り去る手段として…

発想が、仮説が、脳内をとめどなく駆け巡る。

だが、同時に、強い罪悪感と後悔が湧いてくる。

ヤンネは?

まだ、生きているか?

防衛用の装置にかかって電撃を受けたようだが、致死レベルではないはずだ。

だが、私が…

イクスを殺したのか。

屍者への冒涜、エーリカ姉さんは泣いているだろうか。

こんな状況になってもまだ、家族揃ってなんて、言えるわけもなく…

…この感情は、イクスのものか?

感情は、何が生み出している?

経験が人の心を形作るのなら、二人分の経験を持った今の私の感情は、誰のものなのか?

「全く、ここ数日は冷や汗をかきっぱなしだったぞ、アクェロン」

髑髏の男… いや、エメリッヒは冗談めかして言った。

「やはり天才の力なしではな、研究も未だ半ばだ」

エメリッヒは手を差し出す。

「戦闘も申し分ない、知識や技術もお前のものならば、その肉体でやっていくのもひとつの手だろう」

髑髏面の中の瞳が煌めく。

「戻ってきて、お前の力をまた貸してくれ」

俺の、力を…

私は、どうすればいい?

誰のために、これから戦えばいい?

これから…

これからの、ために…


峡谷に佇む尖塔の付近では、今でも行方不明になる者は絶えない。

塔の近くを通った者から、塔の中から、断末魔の悲鳴が聞こえるという噂がまことしやかに聞かれている。

塔の爆破を試みた者もいたが、周辺の魔物の餌食になったと見られ、帰ってきた者はいない。

最近では、腕に覚えのある者でも行方が知れない者が多いと聞く。

特に、名うての情報屋までもが何名か姿を消した事で、仲間の情報屋達は、尖塔付近での仕事を今後受けない方針を固めつつある。

この尖塔の周辺に住む人々も、より危険の少ない"マシ"な地域を探し求めて移り始めている。

遠くない将来、この尖塔の周囲に住んでいる生きた人間は、いなくなるだろう。

たとえそうなったとしても、尖塔は、誰もいない峡谷で、未来永劫、そびえ立ち続ける。

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