第4話「億分の一の貴方」 “Hundreds millionth beloved”

カツリ、カツリと、耳障りな足音がまた聴こえてくる。

もう幾度めか、忘れてしまった。

今ではその足音から、その音の主の心理状態までわかるようになってしまった。

恐れと期待が半々、それとほんの少しの、後悔…

扉の前で、足を止めた。

ドアノブにかけたままの手に躊躇が伺える。

さぁ、早くいらっしゃい。

私は、一刻も前から準備はできているわ。

楽しく美しく、そして忌まわしい舞踏の時間。

頭蓋を潰し、髄液を啜るための、甘美で呪わしい時間の、幕開け。

今日は一体、どんな奴が来るのかしら?

どんな技を見せてくれるのかしら?

どんな死に様を、魅せてくれるのかしら…


今日の獲物は、脆弱な屍を操り逃げ回るだけのとてもつまらない獲物だった。

肉も臭みが強く、食べられたものではなかった。

もう何年も、まともに食べられる者が来ない。

それだけ、"生きた"者が減っているという事だろうか。

たとえ食べなかったところで死ぬわけでもないが、楽しみが減るのは気が滅入る事だ。

しかし、楽しみなどなくとも、私はこれまでも、これからも、生きていく。

生きていかねばならぬ。

私は何か。

私は、どこか。

どこに、いるのか?

今となっては、それすらわからなくなっている。

自分が坐しているこの場所は、迷宮の地底深く、かつて帝国が反映した、その宮殿内。

後宮跡、そこが今の私の居場所。

そういう「どこにいるのか」ではなく、この私自身が、今もまだ心のままにここにいるのか?

それが、わからない。

永遠とも思える時間を戦い続けてきた。

或いはそれも、全てはあの預言者を名乗る男の思惑通りだったのかもしれない。

それでも、そんな事は、もう昔の事となってしまった。

たとえ全てがあの男の仕組んだ罠であったとしても、私は今のこの現状に満足している。

している、はずだ…

ひたすらに、この身を戦いに捧げ続けてきた。

無数の敵を屠り、そして無数の敵に屠られ、それでもなお滅びる事なく、繰り返される目覚めと共に戦う日々…

それも、全てはあの方のため。

いつか私を娶ると約束してくださった、あの方の…

しかし、あの方とて、私と同じ。

果たして、今でもあの方は、あの終わりなき骸の内に、遺っているのだろうか。

この私のように…

私自身でさえ、それも危ういのではないか?

今の私が、昔と同じ、あの方に恋をして、愛し合って、信じあった… そうしてきた、私自身そのものであるかどうか、もはや怪しい。

この身の内には、数万、数十万もの魂がひしめき合っている。

決して枯渇する事なく、増え続けながらこの肉体に縛り付けられ続ける内なる魂…

あの方には、私とは比較にならぬほど膨大な、それこそ億も下らぬ魂を秘めているに違いない。

おぼろげな記憶、消えつつある思い出…

そうして全てを失ってもなお、この戦いはきっと、終わる事はないだろう。

それは、終わりのない呪いであり、救いなど永遠にないのかもしれない。

ただ、この魂を使い、枯れ果て、いつかその全てが尽きるときが来た時に、私のこの魂と、あの方自身の魂と、それぞれが、自分のものだけを残して全て枯れ尽くす事が、もしもあるならば…

それは、ほとんどありえない。

可能性と呼べるものですらない、女児が夢見る願望や御伽話のようなものかもしれないけれど…

ほんのわずかでも、私とあの方が、誰もいなくなったこの世界で二人きりになれる時間が訪れるかもしれない可能性がわずかでも残っているのなら、私にはまだ、今日も、明日も、戦い続けるだけの理由が、十分にあると言えるのだろう。

カツリ、カツリと、耳障りな足音がまた聴こえてくる。

幾度めかなど、もはやどうでもいい事なのだろう。

この呪いを終わらせるために足掻く者どもが何を願っていようが、関係ない。

私は私のために、あの方と私のためだけに、これからも戦い続ける。


~おわり~

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