「メール」「神」「リス」の三題噺

蕗の葉の下の人

 夜襲ではなく明け方にそれは起こった。闇にまぎれ見失わないよう旭光きょっこうの中で確実に始末することが敵の目的なのだろう。


「さあ、リスの背に乗って早くお逃げ!」

 年老いた女王は叫ぶ。飼い慣らされたリスは数匹しかいない。あらかじめ逃がす者は決められている。迷いはなかった。少女は二人の近衛兵を引き連れて、振り返らず駆け出す。迷いは皆の心を踏みにじることになる。今まさに北の大地に朝日が登ろうとする刹那、少女は風になった。


 朝露が煌めく草の茂みをかき分け、三匹のリスは疾走する。敵は機動力に劣るので追いつかれる心配はない。そも、是が非でも殺したかったのは女王ただ一人に他ならず、彼らが彼女の腹を掻っ捌き、異変に気づくまではその他は眼中にもない。


 ぴんと張り詰めた栗毛の尻尾しっぽが、三本等しくはすに傾く。弧を描くように舵を切る。近くに沼があり、そこには水中で息する者がいる。穏当な彼らは敵対する種族ではないが、少女が王位の継承を受けたと知らば良からぬことを企てる輩もいるかもしれず、用心に越したことはない。


 

 始まりはいつかもわからない。伝承もおとぎ話のたぐいに過ぎず。

 豊かな土地は常に争いの種となる。水中で息する者のように他が手を出さぬ地を選ぶものもあるが概ね、歴史は奪い合いの繰り返し。雪割り族が統治していた領土も昨今の暖かさで急速に勢力を伸ばした穴掘り族に押され、遂には女王の住む居城まで奪われたのであった。



 茶色い大地に灰色が混じる。草の陰も減り近間ちかまで黄色い花が風に手を振っている。岩のとりでまで近づいたようだった。日が昇るまで駆けたが、蝦夷栗鼠えぞりすの走りはまだ力強く、やはり長くの繁栄に胡座あぐらをかき、愛玩あいがん用の縞栗鼠しまりすなどを飼っていた大人達が口惜しいと、少女は唇を噛む。

 戦争に備え必要な数を揃えていれば、勝てぬまでも、せめて女王を人柱にするような屈辱だけは味わわずにすんだものを、と。


「少し休みましょう。すでに石の下の者たちの領土に入っております。穴掘り族には不慣れな土地ゆえ追ってくることもないでしょう」

 近衛兵の一人が速度を緩めながら少女に声をかけた。

 

「いえ、わたしにはこの先で少々やることがある。おまえ達は先に砦に向かい宝玉を届けてくれ。石の下の者に契約の重しをつけるのだ」

 黒髪をなびかせ、少女は正面を向いたままだ。


「なにを……王位継承がすんだ今、あなたは我々の新しい王なのです。置いてなどゆけません」

 先ほどより年かさの、近衛兵がたしなめるように言う。



 乗り手の心の乱れに、速度を落としていたリス達の歩みはそこで止まった。



「女王は未来を司る。忘れた訳ではあるまい。わたしの言葉はお前達の未来だ。考えずとも動け。砦に着いたら隊長に伝えよ。石の下の者の裏切りをみたら迷いなく殺せと。努々ゆめゆめ逡巡などするなと!」

 少女はやはりただ前方を見据えている。


「……心得ました」

 近衛兵は一瞬、狼狽した。王位を継承するまでは女王に仕える大人しい少女だったとの侮りが、どこかにあった。だがそれも先刻の一喝で消し飛び、急ぎリスを低く駆け出す。


 

 少女は溜息をつく。

 平和が長すぎた。どこまでも甘い。これほどに追い詰められ、一筋になれぬのなら兵を根本から作り直さねばならぬ。食料が減じるのを案じ種の数を増やすのを恐れ、悪戯に王位継承を先送りにした、それは罰だった。これでは奪うことで数と糧食のバランスを取ろうとする穴掘り族に勝てるはずもない。その先には破滅しかないと、常軌を逸した彼らをさとに、雪割り族は滅ぶ。


 右にうながすとリスは首を傾げ盛り上がる筋肉を捻りそれに従う。綿毛と皮膚の下にある強い脈動みゃくどうに少女はその野生を感じ、同じようにたかを飼い慣らせたならと……思わずにはいられなかった。




 日暮れ近く、巨大な神殿に辿り着く。種族が祭る神でなくとも、その荘厳さには圧倒される。


 境内は広く、遙か高い位置にある板の間は、雀頭色すずめいろに濡れたつやを放つ。




 砦にもるだけでは駄目なのだ。石の下の者は賢い。アイヌ達に「フキの葉の下の人」と呼ばれる我らコロポックルではあるが、その種族の中でも真実隠れるように生きることを選んだ彼らは戦闘は不得手でも、それは戦い方が違うだけなのだ。

 塩の供給は、彼らにしか出来ない。石の下の者を殺さば、他の種族を押しべて敵に回すこととなる。それは彼らも承知している。今は穴掘り族の蛮行を恐れ雪割り族を匿っているが、ひとたび利害の潮目が変われば、あちら側に付く可能性は十分ある。


 神も惜しんだとこしえの白い宝玉さえも、重しにはなるまい。





 少女は神殿の隅に隠し置いた身の丈ほどの石版がごとき物を板の間の中央に据える。

 それに手を翳せば、黒き鏡面に霊的としか例えようのない、仄青き光が浮かぶ。

 少女は静かに印を切った。それが済むと、少女はただ、時を待った。



 やはり内通者はいた。こちら側に逃げることは知られていたのだ。


 夕日で赤く染まった境内に数百の穴掘り族が現れる。


 少女はそれを見据え、石版に腰掛け、ただ頬杖ほおづえをついていた。



 暫くはいぶかしげに眺めていた男達も――もしや替え玉かと疑って――だがしかし少女の中にゆるぎない気品を見て取るや、頭分が右手を挙げた。


    殺せっ! と。



 その瞬間、やおら大きな影が周囲にかかる。


【ダダンッぐちゃダンギァぐちゃザッザィギぐちゃりぐちゃ】


 周囲に血しぶきが飛ぶ。なおも容赦しない。不吉なダンスは続く。


【ダダンッぐちゃダンギァぐちゃザッザィギぐちゃりぐちゃ】


【ダダンッぐちゃダンギァぐちゃザッザィギぐちゃりぐちゃ】





 少年の顔は興奮でのぼせ、上気で眼鏡のレンズは曇っている。


「メール貰って武器を物色したけれど踏みつぶすのが一番手っ取り早いね。スパイクピンが付いた短距離走用の靴を履いてきたんだ。あ~でも、かなり逃がしちゃったね」

 少女はゆっくりと首を振り、そして微笑んだ。


 最初からそれが目的だった。皆殺しでは然程さほど効果はない。逃げ帰り、それも多数が逃げ帰って、あまねく恐怖を伝えてもらわねば意味がない。


 近衛兵の予想に反し、穴掘り族は間髪を入れず岩の砦を攻めるつもりだった。

 だが戦う相手が巨人と通じているとなればどうであろう? 恐怖の囁きは伝播し、それでも十分に士気を上げることは可能だろうか? 

 動けまい。そして冬が来る。



 巨人と通じることはこちらにとっても際疾きわどい。

 だが、馬鹿と巨人は使いよう……

 卑劣で凶悪なオオカミを絶滅させたのも彼らであるし、特定の地には彼らは彼らの掟に従って、今はほとんど姿を見せない。利用できうる。


「このぼろやしろから先は保護区でいけないんだ。冬の間、大丈夫?」


 少女は両手を使いふたたび石版が如き物に印を切る。

 チロ~~ン。少年のポケットで音が鳴った。


|沢山殺してくれたから大丈夫。光一君と会えないのだけが寂しい。春には連絡するね|



 この巨人に限っては外出もせず家に籠もり、絵や、動く絵にしか興味のない奇形。

 同族の生身の女を抱くこともせず、自らの手のひらほどの存在に傾倒している。

 種の終末に訪れる現象。邪魔になれば罠にかけ、さらに巨大な樋熊ヒグマにでも始末させればいい。



(さて、一冬で形勢は逆転する。産めるだけ産んでやる!)



 少女は不敵に笑う。その血を冷たくたぎらせる。




 少女は未来を知っていた。

 穴掘り族の皆殺しなど序盤に過ぎない。

 いずれ遠からず、果て無き凍える時代がやって来る。

 それは冬にあらず。寒さに弱きもの食料を浪費するものはやがて朽ち果てる。





 誰も汚せない。この美しき世界は、少女の手の中にある。


 


 




 

 



 

 



 




















 

 

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