「恐怖」「チョコレート」「告白」の三題噺

チョコレート・オーシャン

 

 本日も晴天である。

 海岸では、ちゃぷちゃぷと、チョコレートの波が打ち寄せては返す。

 リンゴ飴の太陽が燦々照りつけ、ふわふわマシュマロの雲が浮かぶ。

 まったくもって……お菓子な世界だ。


 お腹は空かないし、時折降るサイダーの雨で喉を潤したいとも思わない。トイレに行く必要はなく。ここでは何も起こらない。ただ時間だけが過ぎてゆく。

 この世界に閉じ込められて、もう一年が経つ。


 今日も日がな一日、チョコレートオーシャンを眺めていた。

 やがて日は陰り、ボーロの月と金平糖の星が瞬く。流動的だったチョコレートは冷えて固まり、波音は消える。眠る事だけが唯一の楽しみなので、静かなことはありがたい。

 よく眠り、焦らないこと。それが精神を崩壊させず、ここで生きていくコツ。


 また朝になった。艶やかなリンゴ飴が昇る。

 チョコフォンデュタワーのスイッチを入れたように、チョコレートは溶けて流れ、また波音を立て始めた。チョコミントなら海色を忠実に再現できるのに、海は褐色で舐めても甘くはない。プレーン素材を使い、手作りチョコでも作っているのか?



 一年間、推理した僕の結論。ここはおそらく、誰かの精神世界なのだろう。

 

 

 この世界に取り込まれたのは、バレンタイン当日だった。

 日曜日なので大学はお休み。電車を幾つか乗り継いで、バイト先の工場の入り口を通り過ぎたら、この有様だった。なので犯人は、(あえて犯人と言わせて貰おうか)

同級生の女子ではないはずである。


 はて……そうなるとますます何事に於いても平凡なこの僕にこれほどまでの執着を持つ――プレゼントを渡すか否かで精神的な葛藤を引き起こす――人物には心当たりがない。

 渡そうか渡さまいか。受け取ってもらえるかしら?

 彼女は(女性であると信じたい)勇気がないのだ。



 実年齢がどうであれ、精神年齢はとても低く……幼い。あえて言えば、夢見がち。

 大人の女性ならチョコに添えるギフトくらいは、用意してしかるべき。例えば……

 ブランデー・ネクタイ・ブレスレット・ボクサーパンツのようなもの。

 だけどここにはお菓子しかない。お菓子で埋め尽くされている。


 けれど、やはりメインは地表のほとんどを満たしている、チョコレートの海。

 安直かもしれないが、これはバレンタインデーの暗示。

 市販品と迷ったか、キノコだとか竹の子の残骸もある。

 たぶん一年掛けた僕の推論は、間違っていないと思う。



 もう……相手がどうあれ、受け取る準備はできている。

 さぁ勇気だして。ホワイトデーには3倍返し。悩んでるだけの恋は時間の無駄さ。

 なんなら本物のホワイトチョコを ――失礼―― だけど決して無碍にはしない。

 この閉ざされた空間から現実に帰してくれるのならね。


 一年が経過した今が絶好のチャンスなのだ。僕の一年は相手にとっての数分……いや数秒の可能性だってある。重要なのは、この世界においての季節がめぐりめぐってもう一度、犯人にバレンタインデーを意識させるこのタイミング。

 つまり……これは逡巡の世界。渡そうか渡さまいか。受け取ってもらえるかしら?


 犯人が勇気を持てば、決断さえすれば、たぶん僕は助かる。




 ※



 

 バタンッチャンチンガタバタンッチャンチンバタンッチャンチンガタ。


 懐かしいベルトコンベアの音。工場の門をくぐったばかりで精神世界に飛ばされたはずだが、僕はいつものアルバイトの定位置に立っていた。見れば午前中にやるべき仕事は、あらかた片付いている。      ウウゥゥゥーーーーー


 昼休憩のサイレン。これも懐かしい。あちらでは波の音しか存在しなかった。



「吉村君」

 名前を呼ばれた。振り返るとパートの竹内さんがそこに居た。

 この工場には犯人候補が8人いる。一人一人潰していくしかない。

 けれどこの人は三十五歳でバツイチ子持ち。学生の僕とは不釣り合い。果たしてこの人だろうか? 彼女の中に僕に対するあれほどの情熱と逡巡が眠っているのか?

 ――大人に成りきれない幼い精神世界――


「ほら、由香里。お兄ちゃんに渡すものがあるんでしょ?」

 竹内さんの後ろから小さな女の子がひょっこりと顔を出した。この子は確か……


「工場の忘年会で貰ったドールハウスのお礼がどうしてもしたいって」

 あぁ、くだらないビンゴゲームの景品で側に居た女の子にあげたのだった。


 女の子はモジモジとしている「ほら」背中を押されても動けないでいる。逡巡。

「市販のチョコにしないでがんばって作ったんでしょ? ふふふ。ごめんなさいね。大人の男の人にあまりなれてないのよ。でも余程、嬉しかったのかしら……ほら」


「お兄ちゃんありがとう」もう一度、背中を押され女の子は恥ずかしそうにリボンに包まれた小箱を差し出す。


「ありがとう」

 僕は緊張を悟られぬよう、満面の笑顔でそれを受け取る。ミスをすれば逆戻りだ。



 バレンタインだからと言って、愛の告白だとは限らないのか。

 大人の男性に優しくされた事はそれ程までに嬉しかったのか。

 この子が本当に求めているものとは……などと、下手な推論をしてみる。

……なるほど幼い精神世界だ。

 ……なるほど幼い精神世界だ。

  ……なるほど幼い精神世界だ。  蓋を開けてみればそのままじゃないか。




 

 こうして事件は解決した。特になんということはない。一年は長かったけれど。



 少女に対して恐怖は感じなかった。この手の能力は大人に成れば大抵は消える。



 僕のように稀に保持している例もあるが、制御するのはそれほど難しくはない。



 




 さて、ホワイトデーのお返しは何がいいだろう? ミスは、決して許されない。




 


 

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短編集パートⅡ プリンぽん @kurumasan

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