夜食モチーフのエッセイ(ノベルアップ+)

真夜中の訪問者

(今夜もあいつがやってくる)



 きっかけは些細なことだった。雪など滅多に降ることのない僕の地元で、観測史上最低気温を記録した極めて稀な夜だった。


『ミャァミャァ』


 執筆は深夜になることが多い。家族が寝静まった後、台所のダイニングテーブルにノートパソコンを持ち込み、パチャパチャと僕はキーボードを叩いていた。


『ミャァミャァ』


 ん? なんだろう。なにかいつもと違う感じがする。耳を澄ます。気のせいか。


『ミャァミャァ』


 断続的にキーを叩くのを休んでみるが、違和感の正体がわからない。

 そんなことを続けるうち、執筆への集中力が散漫になってきた。

 仕方がない。まず原因の究明を……ったく、なんなんだ?


 室内に異変はなく、はたと玄関を開けると即座にこの難事件は解決した。

 一匹の猫がブルブルと体を震わせ、ちょこんと座っている。

 野良猫ではない。隣の家の猫である。

 所謂、外飼そとがいの猫。飼い主は断じて家の中に猫を入れない。一応、開けっ放しの納屋に猫小屋? が設置してあり、まあ、完全なるフリー状態。


「ほう~?」

 僕にはこの状況が珍しかった。なぜならその猫は僕の家族には懐いていたが、僕の姿を見れば脱兎の如く逃げるのが常だったからである。


「なるほど」

 観測史上最悪の極寒、生命の危機、深夜に明かりが灯っているのは、この家だけ。


「背に腹はかえられぬ……か」

 僕はなんだか可笑しくなった。扉を大きく開けて体をずらし、猫の通り道を作る。


『ミャァミャァ』「どうぞ」『ミャァミャァ』「開けるのが遅いと非難してるのか?」


 猫はよたよたとシンクの下に引かれたマットにたどり着き、くるんと丸くなった。



 僕は放っておくことにした。この部屋にまともな暖房はないが外よりは遙かにましだろう。茶トラはデリケートだから昼間、家に居ないお前には懐かないからあんまり干渉するなと家族にも言われている。今回は想定外の寒さにあくまでも緊急避難的な措置なのだ。

 それに元々、僕は犬派なので積極的に関わりたいとも思わなかった。


 胡座あぐらをかいて椅子の上に座り直した。インナーを重ね着して綿入り半纏はんてんを着込んでいるので、寒さ対策は万全。ギアを入れ替えて集中して朝まで執筆しちゃおう……


「ひゃぁ!」

 その時、何かが起こった。最初はなんだか分からなかった。

 なんと僕が組んだ胡座の上に猫が飛び乗ってきたのだった。

 驚いて固まっていると、猫は股間辺りをふみふみ。やがてジグソーパズルのピースが、ぱふっと嵌まるようにすっぽりとその中に収まったのである。


 ――なるほど。今宵はそれほどまでに寒いのか――

 僕は少々、お酒を飲んでいる。その火照りのせいで寒さを実感していなかった。


 暫くはそのまま執筆を続けた。が、ふと困った。お腹が減ってきたのだ。

 しかし動けない。猫に馴染みがないだけに、どかしてしまうのも憚られ……


 テーブルには深型のステンレスボールが置いてありラップがしてある。

 覗き込むとそれは大量のキャベツだった。即席の漬け物。

 我が家では野菜をなんでもかんでも塩昆布で和える。

 ぬか漬けなどにするより遙かに失敗が少ない。


 レタス。ピーマン、春菊、大根の葉っぱ、貝割れ大根、なんでもござれ。

 早く漬かるものなら3時間ほどでもう食べ頃なのだが、今回は大振りのザク切りにした冬キャベツなので、一晩寝かせようと家族が仕込んでいたようだ。


 さて……

 酒のつまみには秀逸でも、こちらは腹が減っている。手の届く範囲にはこれと……


 竹製の笊ざるに生のサツマイモと食パンが1斤、無造作に放り込まれてある。


 閃いたっ!

 食パンを一枚抜き取り、塩昆布で和えたキャベツをたっぷりと挟み込む。


 バリッ。モグモグ。バリッ。モグモグ。

 冷たい夜に冷たいパンと冷たいキャベツ。

 普段は思いもつかない意外な取り合わせ。

 程よい食感の後で昆布の旨味が後を引く。

 純和風サンドイッチ?


 お腹も満たされ、猫は相変わらず、胡座の中でぐっずりと眠っている。

 その体勢で動くことなく、僕達はそのまま、朝を迎えた。


 




(今夜もあいつがやってくる)


 それはもう習慣になっていた。そう、あの夜から、僕達は仲良くなったのだった。

 あれほど警戒していたのにどうして急に懐いたのかと、家族が不思議がるほどに。

 けれど猫が再び僕の胡座に飛び乗ることはない。やはりあれは特別だったようだ。


 『ミャァミャァ』その代わり一つ、要求をされることとなる。


「はいはい。わかってますよ」

 親戚がどこかの田舎で買ってきたおもちゃみたいな削り器でシャカシャカとカツオ節を削る。現金なもので削り出せば、猫は鳴くのをやめる。


 皿に盛り付けて給仕すれば、さも当たり前のように、はふっはふっと食べている。

 ひとつまみ口に入れるとそれは雪のように融けた……さて。


 猫にばかり旨い物を食わせるのでは癪に障る。



 僕は湯呑み茶碗に日本酒を注ぎ、それを半分程くぃっと飲む……さて。


 湯飲みに残った日本酒にオイスターソースを垂らす。塩と胡椒も適量。


 隠し味でガーリックとナンプラーを少々。つまりこれは合わせ調味料。




 フライパンに多めの油をいれて火にかける。


 温めている間に、卵を二個ボールに割り入れ、軽く溶いておく。


 卵をフライパンに注ぎ、ここでもあまりかき混ぜない。


 火が入り過ぎない内に卵を別皿に取り出す。(余分な油はここで切る)


 同じフライパンを温め直し、ご飯を入れて、用意した合わせ調味料を加える。


 ここで透かさず先ほどの卵をひっくり返して、手早くフライパンに戻す! 


 ご飯を半熟の卵で蓋をするように、蒸し焼きの状態を作る。ここがポイント。


 ご飯に味が回り、蒸気でご飯がふっくらした頃合いで、卵に穴を開ける。


 アルコールと蒸気を飛ばし、ぱらっと仕上がるタイミングを見極める。


 仕上げは卵をザクザクと適度な大きさに、全体を軽く混ぜ合わせれば完成。

(混ぜ過ぎると粘りが出るので注意)



 

 ……さて。『ミャァミャァ』そうだよね。あの量では足りないよな。


 僕は改めてカツオ節を削る。『ミャァミャァ』そっ、なんたって削り立てが最高だよね。


 

 猫様に献上してから、削り立てのカツオ節をこれでもかとチャーハンに振り掛ける。


 そう! これこそが犬派から猫派へと『禁断』の宗旨替しゅうしがえをした、僕の特別な夜食。


 具は卵だけ。ネギさえもなし。だけど味は、シンプルってわけじゃない。


 オイスターソースとナンプラーとカツオ節で魚介臭くなる寸前の、絶妙な頃合い。




 うん。美味いっ! 我ながら上出来。


 深夜の執筆で、小説は兎も角、料理の腕前だけは上がったようで、



『ミャァミャァ』『ミャァミャァ』『ミャァミャァ』 あ、ごめんごめん。わかってるよ。



 こんなに美味しいのはきっと、


 君と一緒に食べるから……なんだね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る