「拳」「 鉛筆」「 錆止め」の三題噺

探偵ですよ! (星ひとつ半の事件)

 花火がきれいだった。とてもきれいだった。


 なぜならば、海にへばりつくように細長く家並み続く漁師町から隔絶して、このお屋敷だけが、山の中腹の高台にぽつんとひらけ、有るからだった。さえぎるものがなにもない。



「元々は、この街の網元の土地だったそうで、周りを囲む石垣なんかは明治初期のそのままです。戦後、西洋人が買い取り洋館を建てたわけですが、人様を見下ろす格好になりますから、虚栄心を満たすのにもってこいだったのでしょう。あり得ないほどの金をつぎ込んだそうですよ」


「花火を真横から眺められるなんて」

「なぁに。その楽しみも年に一度のことですよ」


 この屋敷を訪れたのは事件があったからではない。画商の実山さねやま氏に招待され、夏休みをほどよく退屈していた僕は、躊躇なくその誘いに飛び乗ったのだった。

 だが残念なことにあるじである実山氏は急な仕事で到着が遅れ、僕は別荘を管理している吉田さんと二人きりで花火を見ることとなったわけである。


「お若いのでびっくりしました。旦那様のお話では数々の難事件を解決された名探偵だと……で、てっきり中年の男性がいらっしゃるものとばかり。まさか冷蔵庫のアイスを全部食べてしまう御仁がいらっしゃるとは、ふふふ」


「いや、実山さんは買い被り過ぎなんですよ。たまたま事件が起こる現場に何度か居合わせて……僕なんてそこらへんにいる、ただの中坊ちゅうぼうですよ」


 ナイアガラから速射連発のスターマイン。そして、不意に尺玉が上がった。


 ばーーーーーーーーん バリバリバリバリ。


 尾を引いて広がるものを「菊物」とどまるのが「牡丹物」と呼ぶらしいが、これはその複合技? 

土星の輪のように円が浮かび儚く消えた……っと思えば、星形のオレンジの陰影がさらに浮かび、そして消えた。


「田舎の花火大会にしてはなかなかでしょう?」

「すばらしかった。実山さんは残念でしょうね、見られなくて」

「買ったはいいが、旦那様は殆どお越しになりません。私も普段は立科たてしなの別荘の管理をしております。場所も景色もよいのですが、あんな嫌な事件の話を聞いてはねえ」


「事件?」

 暗い空には蒼く、蜘蛛くものような砲煙ほうえんがまだ漂っていた。




 事件の概要はこうだ。

 洋館は転売を繰り返され、その何代目かの所有者の娘が、ある日、神隠しにあった。令嬢にしては気さくな性格だったらしく、漁師町の誰とはなしに話しかけ、海のほうへ歩いて行ったのまでは確認されている。

 当然、大規模な捜索が行われたが一向に行方は知れず、やがては波にさらわれたのだろうとの結論に落ち着き、それも10年の月日が過ぎ、忘れられていた頃……


「電話が?」

「ええ、所轄の警察署にね。この洋館の地下に遺体があると」

「なるほど腐乱死体……この場合ミイラかな? それで実山さんはここに来ない訳か……」

「いえ、遺体は死後2日程度しか経ってなかったそうです。とても身ぎれいな状態で。とは言え、死因は衰弱死でやせ細ってはいたようですが」

「10年間……監禁されていたと?」

「そのようです。この洋館には地下通路があり、その奥に頑丈な鉄の扉のある隠し部屋があった。ですが転売されてゆくうち、その存在は忘れさられたようで」

「なるほど……つまり、犯人はこの洋館に自由に出入りできる人物……もしくは、その隠し部屋に通じる……」

「ご明察です。洋館を囲む石垣に部屋につながる抜け穴が発見されております」


 中学3年生の夏休み。花火のあとに聞く話じゃないな、と僕は思った。


「それにしても詳しいですね。普段は立科におられるんでしょう?」

「旦那様に申し付けられまして。地元の警察にも掛け合って、当時の資料も手に入れてあります。余りに忌まわしい事件でしたので、出入り口はすべてふさがれておりますが、あなたが必要と仰るならば、業者を呼んで壊させろと、旦那様が……」


 なるへそ。ここでやっと、僕は、僕が、この洋館に招待された本当の理由を知ったのだった。



 神隠しがあったのが30年前。そして屋敷の外でいなくなったと思われた女性が、遺体となって発見されたのが20年前。僕が生まれるよりずっとまえ……


「一応、資料だけでも見ておきましょうか」


 地下は建てられた当初に作られたようで、隠し部屋は四方を石の壁で囲まれ、正面には鉄の扉。電気は建物から分電されており、湧き水が引き込まれていた。一応、通風口と簡素なトイレが設置され、汚物は湧き水で外部に押し流し、清浄する仕組み。

 つまり、食事さえ与えておけば、死なない程度には生かすことが可能だったと……


「なんの為に作られた部屋かは判然とはしませんが、歴代の持ち主は大方おおかた、物置に使っていたようです。えーカヤックに似た小型のボート。ベッド。机と椅子。地球儀。机の上には筆記用具一式、鉛筆、消しゴム、ノート。当時、最新の雑誌が何冊か。価値のわからない壺各種。作業台があり、電動ミシン、裁ちばさみ、針や糸など洋裁道具一式、チャコ、砥石、ヤスリ、錆止め剤等々。どうやらそこで裁縫などをしていた様子で……あとは鍬などの農機具。それと敷物が数枚……」


 花火が輝いた。僕の脳の中の、小さな小さな線香花火。


「なるほど、簡単に謎は解けるでしょう」

「冗談はよし子ちゃん。不肖、この吉田友春。旦那様のご命令によりあなた様の手足となり、この事件を解決する覚悟はできております」

「いえ、犯人の名前は部屋に行けばわかると思うのです」

「いやあの、ですから現場はこれから……むろん鉛筆などの筆記用具もあった訳ですから、犯人の名前がどこかに書かれていれば、うに事件は解決したのでしょうが、しかし当時の警察が隅から隅まで捜しましたが手がかりは……」

「いえ当然、どこかに犯人の名前を書こうと考えたでしょう。でもそれは無意味です。犯人は徹底的に部屋を綺麗にし、痕跡を消し去ったはずです。例えば、壺の内側に書かれていたとしてもね。その手間てまが警察への通報が二日後になってしまった理由でしょう。でなければ、死後すぐに通報していたはずです。監禁した相手の服装にまで気を配っていたのなら、心の慰めに雑誌を買い与えていたのなら、残忍であれ、犯人は被害者に対する愛情だけはわせていたのでしょうから」


「いまいち仰ることがよく……」

「長い歳月を経て僕がここに招かれたのは恐らく神の配剤はいざいでしょう。実山さんが神様だとは思いたくはないけど。鉄の扉ですよね? そして錆止め剤が存在している。通風口からは潮風。人間とは状況に追い詰められたとき、最後のとき、実に思いもよらない発想をするものなのですよ」


「意味がわかりませんが」


「鉄の扉に錆止めが塗られていたのなら、部分風化の進行の違いにより、扉の内側には、20年の時間ときを過ぎた今だからこそ、犯人の名が、くっきりと浮かび上がっていることでしょう」


「なっ!?」


「その人物は街から離れるわけにはいかなかった。だから洋館の地下に監禁をした。つまりこの街の住人であり、恐らくは子供の頃の遊びの中で抜け穴を見つけた。当時の年齢は若いかも知れませんね。そして運のいいことに事件が20年前の事なら、凶悪犯罪の公訴時効は撤廃されています」


「なんと」


「ですがまあ、入り口を業者が壊したら通報だけして、警察が来るそのまえに、そいつ探してぶん殴ってやりますよ。男の拳なんてのは、そのためにあるんだ」


「いや……それはさすがに」


「裁判は長くかかりますからね。ご心配なく。僕は少年法に守られた、中坊ですから」


 

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