美味しいピッツァ! ありまぁす




 生まれたのは Arezzoアレッツォ だが、幼かったからその記憶はない。やはり故郷ふるさとと呼べるのはヴェスヴィオ火山からつづく弧を描く海岸線、俺の瞳と同じ紺碧色アジュールブルーたたえたナポリ湾を望む石造りの旧市街、スパッカナポリだ。




「ナポリを見てから死ね」

 わかりやすく言えば、日光を見ずして結構けっこうと言うなかれ。昔ながらの下町で、オイルの貸し借りなんざいつものこと。家々の一階と二階でバケツエレベーターがひっきりなしに行き来する。太陽で満たされた温暖な気候が、細かいことを気にしない人々を量産した、ローマ、ミラノにつぐイタリア第三の都市。



 イメージ かない? 一応、世界遺産なんだけど。

 ヴェスヴィオ火山ってのは東京ディズニーシーのシンボル、プロメテウス火山のモデル……そう、あれあれ。「オー・ソレ・ミオ~」知らない? 「サンタ・ルチア~」これなら知ってる? 甘いテノールで船頭に誘われたら小船に飛び乗りカプリ島の青の洞窟……は遠すぎる。お生憎様。そのまま燦燦と太陽降り注ぐ海上からサンタルチア港のその先、卵城(Castel dell'Ovo)でも眺めればいい。

 絶景だぜ? 


 なにせゲーテから愛された街さ、見所はいっぱいある。潮風が苦手ならサンタ キアーラ教会はどう? がくがあるなら国立考古学博物館……おっと、なんだか陳腐な観光案内みたいになっちまったな。それもしょうがない。実際、俺はガイドなんて仕事をしている。



 でもまぁ幾ら陽気な街だって、働いてればそりゃぁ嫌なこともある。つまずきなんざ、そこここに転がってる。人生に困難は付きもの。その日の客がそうだった。



 自信満々、連れて行ったおすすめの店で、「私の街のほうが……」だと?


 おいおい、ここはマルゲリータ発祥の地だぜ? 

 トマトの赤、バジリコの緑、モッツァレッラの白。


 マージャンなら大三元でイタリアン三色旗トリコロールの役満だ。

 バーニャカウダで顔洗って出直してきやがれ!

 貴様に本場のピッツァは早すぎる。



 が、まぁ、そんなイライラもイタリア人のポ○リスエット! caffè を飲めば直っちまった。なんたって水から違う。いい具合に小雨も降って、夜の案内はしなくて済むだろう。





 ……ところが、

 急にそいつが、ポジリポの丘の夜景が見たいとかしやがった。あきれ返ってひっくり返るが、そこはガイドブックにも載っていない中々の穴場。田舎者の割りには物を知ってやがると感心もした。


 そうと決まったら俺はセルフディフェンス用の小型のコルトを上着のポケットに忍ばせる。ナポリの治安は悪くはないが、シニョリーナを1人で行かせるわけにはいかない。イタリア男がナンパなのは女性への敬愛。優しくなれなければ、生きている資格はないのさ。




 オードリーヘプバーンもご愛用の古い Vespaベスパの二人乗りで、つづら折りの坂道を一気に駆け登る。


 どうだ? スパッカナポリは「ナポリを真二つに割った」と言う意味。


 家並み貫く街道の真っ直ぐな白光。旧市街を包む穏やかなオレンジ。港の紺。公園のエメラルド。ヨットから届く、微かな赤と青。

 ……そして、ヴェスヴィオの仄暗いシルエット。



 「…………はぁぁぁぁ」

 溜息しか出ない! そりゃぁそうだ。

 世界三大夜景のひとつ、驚いただろ? 



 ガイド冥利には尽きるが、しかし困ったことが起きた。いや、コルトが火を噴くことはなかったが、もっと厄介なことになっちまった。月が出ていたのが良くない。風も強く吹いてた。人生の躓きなんざ、どこに転がっているか分らない。



 彼女は見つめた。ただ見つめていた。跳ねた髪を直しもせずに。


 月は鑑賞の邪魔をしなかった。それはただ彼女を照らすだけだった。

 

 その横顔から目が離せない。噤んだ、生意気な唇(イエス・フォーリンラブ)







 半年後。


 マンマ ミーアなんてこった! 私を捨てるのかと ミーア マンマわたしのはは が叫ぶ!


 7人兄弟なんだからひとりくらいいいだろ? 


 でも、マンマのマンマが食べられないのは俺も寂しい。




「気候も風土も人柄も、こことそっくり」 

 彼女のその言葉が母を説き伏せた。採れる作物も変わりないと言う。






   だから俺は…………今ここに居る。







         素麺、醤油、佃煮、胡麻油。




 確かに播州赤穂ばんしゅうあこうから眺めれば、イスキア島に見えなくもない。

 香川県側からはどうだ? 

 フェリーで渡る、瀬戸の花婿はなむこ

 俺は彼女家族の『二十四の瞳』に温かく迎えられた。



 でも……




 冬、結構寒いですやん。海の色、全然違いますやん。水、軟水ですし。


 小麦粉でパスタ以外の麺をねるな! ナポリタン? ナポリタン???


 星ヶ城ほしがじょう山に、剣闘士スパルタクスはきっとこもってなんかない。あぁ。


 セブンイレブンがなん店舗かある。それだけはなんだかありがたい。







人が少なくなるばかりの過疎かそで、来年早々、ひとり生まれる。

「さすがイタリアの種馬」

義父に頭を叩かれた。更なる量産体制を期待されている。

 


かつてゲーテは、我が故郷を楽園と記す。晴れわたった碧空のもと、人はみな我を忘れ、ただ楽しく暮らしたくなる、と。


 村上春樹も、俺にこれくらいの言葉をかけるべきだ。




優しく美しい海だが、やはり故郷とは違う。


たわわにる緑の実が、小豆あずき色に熟すよに



いつか俺の瞳は、この色に染まるだろうか?








ボンジョルノ 瀬戸内の小さな、小さな、豆みたいな島の


静かで、陽気な、オリーブの街。













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