切り捨てたいと思っても、切り捨てられないくらいに深く長く関わってしまった。そんな相手に対して、辛いと思ってやっぱり逃げ出すのか、真正面から立ち向かうのか。
楽しいだけの恋の時間は過ぎ去って、お互いを試すような愛の時間が訪れる。
恋愛なんてろくすっぽにしたことない人間である私には語りにくい話ですが、この手の話を書く上では避けて通れないテーマですね。
そんなある種手垢のついたテーマにも関わらず、作者さんが、彼女たちの関係の最も美しいだろう瞬間を、まさしくここだと的確に切り出し、余すことなく描き切った――ということなのでしょう。
読後、なんとも言えない余韻と共に、『こりゃレビュー書かなアカン感』に襲われてしまいました。
すごくよい作品です。
ちょっと寂しい休日の夜にでも、読んでみてはいかがでしょうか。
桜の下でさりげなく始まった、瑞々しい恋。
主人公ハナエにとって、輝くような存在だったテツ。
——その輝く背を見つめ続けることが、彼女の幸せだったのかもしれない。
そんな眩さの上にも、時は流れ——それぞれの心の形を、少しずつ変えていく。
時の流れは、すべてのものを変えていく。「変わっていくこと」は、おそらく誰にも止めることができない。
けれど……最初の想いを見失いそうになる程、何かが変化した時——どんな道を選ぶことが、「愛」にとって最善なのか。
もしかしたらそれは——多くの恋人たちが、やがて心のどこかで越えなければならない山なのかもしれない。
人を愛することとは、何か。——そんな問いを読み手へ投げかけ、深く考えさせる物語です。
儚さの象徴である桜を通奏低音にした、とてもきれいなエピソードです。
日本語を大切に扱う表現の美しさもあいまって、ぜひ一読することをおすすめします。
結末について、あなたが前途ある若者なら「こんなのいや」と思うでしょう。
あなたが皺の刻まれた大人であれば「生ぬるい」と思うでしょう。
最後に口を開いた主人公が言葉を続けられると思うかどうかで、あなたが人間に対してどのくらい期待しているかが分かるかもしれません。
どこにでもありえそうな話の一瞬ずつをそっと繊細に切りとったこのお話。
文章だからこそ封じ込めることができた胸の高鳴りや幻滅。お見事です。
ところで、読了後にふと「色は匂へど 散りぬるを」と口が動きました。
儚い夢など見なければ安らかでいれたのに。
そうはいかないから人生は素敵なのでしょう。
筆致が穏やかで明瞭、少々長めの文でも、文意に迷うことなく読める素直な文体だった。
その文体で、テツという桜が咲くさま、散りゆき傷んでいくさまを淡々と描いている。それがかえって、物語に鋭い“こわさ”を与えたようだ。
甘やかな恋の桜がいかなる姿に行き着くのかは、読者として確かめてみてもらいたい。
〈以下、作者同意の上でネガティブポイントの指摘を行います〉
まず、「枚数・長さに比して詰め込み過ぎ」という印象があった。レギュレーションの混乱ということもあっただろうか、もしかしたら改稿前は少し違っていたのかもしれない。
この短さに、恋の始まりから熱愛の頃、最後はその腐敗した姿まで描くのだから、詰まり気味になるのは当然と言えば当然だろう。
そのため何が起きたかというと、テツというキャラクターの人物像や印象を、強く読者に刷り込むチャンスを失った。勿体なさを感じたポイントの一つだった。
一応、彼の行動が描かれ、それによって彼の人間性は示されているように見えるのだが、その実、これは地の文を使ったハナエの“解釈”が読者に示されることによって成立していて、読者が自ら感得したものではない。言うなれば「間接的」だったのだ。「直接的」に、読者がそう感じられるように描けていたら、彼の人間性は読者に強く刷り込まれただろう。
これを問題点と見なすのは、そうした方が最後の彼の転落ぶりが、より悲愴に、より心に肉薄して読者の目に映るからだ。「彼女がこう言ってるんだからそうなんだな」という間接的な納得は、「そういうもの、そういう約束事」という認識の低さに繋がり、その後の変化までもが「そういうもの」と低く認識されてしまうものだ。そうではなく、読者が進んで受け入れたものを「転落」させる方が、驚きや衝撃度は高まるものだ。
そう描くからこそ、「そうなってしまっても、どうしても離れられない」ハナエの悲愴さが引き立つはずだ。
現在の形でも、正直に言えば悪くはない。しかし、前記の理由から、どうしても結末で見せられる彼の変化が、表面的な作り物感が拭えなかった(この点は、彼の変化が「結果としてハナエが語るだけ」であることも理由だが、ある意味前節で指摘したことと重なる)。
第一章高校編で、ハナエではなくテツを描いていれば、とも思う。
何故か第一章の前半はハナエが桜を嫌う理由などが語られているが、ここではテツこそ描き、ハナエと読者が同時に彼に感心する、出来ればキーワードにもなっている「憧れる」ような場面を描き出す方が、作品のためだったのではないかと考える次第だ。
枚数制限故にある程度そうなってしまうことは避けられないのだが、三幕構成にしたことで、物語・場面の連続性を失ってしまい、結果として「これはこういうことなのです」というハナエの述懐に頼ってしまった面があるとも思う。
例えば第一章、『こんなにも愛しくて、切ない恋が、愛が』と地の文にあるが、その愛しさ、切なさを感じる場面そのものは描かれなかった(手を握るのは楽しそうではあったが切なそうではない)。
ハナエがテツに「強烈な憧れ」を抱いていると“あらすじで”書かれているが、実のところ第一章と第二章に「憧れ」の文字はない。第三章でようやく出てくる。
感情をモチーフにした物語で、このような文字とその意味に頼ってしまう(場面を描いて読者を共感させるのではなく、説明によってそう思ってもらう)のは、作品そのもののエネルギーを削いでしまうものだ。
エネルギーとは存在感であったり、リアリティだったり、登場人物が生きてそこにいる実感だったりするものだ。本作ではその点において、(もっと出来たはずなのに、という意味で)やや不満が残る結果となった。
十五枚という短い中でこれらのネガティブポイントを改善するには、おそらくは三幕構成を捨てる必要があっただろう。その上で、二人を描き出すのに効果的なエピソードを慎重に選んで描いていく。出来れば、より桜と密接に絡むエピソードに修正して。短い作品は構成が命だ。そうしてテツその人や、ハナエの(二人の)心の動き、愛情の深まりを立体的に描くことだ。
愛があるなら、愛しあっていることが分かるように描かねばならないし、憧れているなら、憧れていると読者に伝わるように描かねばならない。そしてそれは、言葉としてそう書いてある、というだけでは果たされないのだ。
せっかくの興味深いモチーフと、読みやすい良い文体を持っているのだから、物語について「より良く」見せられるようになって欲しいと思う次第だ。
主人公のハナエと、その恋人になったテツ(正確には彼から付き合おうと言った)のお話です。
まず、タグに『せつない』とありましたが、私は『悲しい』や『虚しい』だと思いました。
各話のタイトル通り、高校二年、大学二年、社会人二年時のお話となっていて、全てハナエ視点のお話となっています。
ハナエは、彼氏になった、いつも泰然としているテツに憧れを抱いています(三話目までこれは同じなので現在形とします)。
しかし、テツは小さな失敗を繰り返し、挫折してしまったのです。流されないで生きようとした結果、潰れてしまったのです。これは私にも似たような体験があるので、ちょっと気持ち悪くなりました。あまりにも似すぎていたので。
ハナエはその彼を彼女の感性でいう『桜』と同じような感覚で見ています。
社会人になる頃には、残念な事に、泰然とし、『孤高』という言葉が似合うテツは、ハナエに『依存』するようになっていました。
おそらく、テツは挫折した事によって、ハナエしか心の拠り所がなくなってしまったのでしょう。ハナエはそれを嫌いつつも、抗えなくなっています。
それでも、最後にハナエはテツを向き合おうとします。最後にその描写があるので、どうしようもなく虚しい中に救いだけはあると思いました。
恋から愛へ……その変遷が、鮮烈に描かれている作品だと感じました。
各エピソードが「2年目」となっているのも、味わい深かったです!
この先、二人に待っているのは幸せなのかどうか。
少なくとも、まだ「幸せにする」余地は残っている……そんな印象を受けました!
ですから、続きがあるのなら「結婚2年目」となるでしょうし、なって欲しいですし、それを読んでみたいとも思えました!
……作品とは直接関係のない話で恐縮ですが、この作品を読む前に観たばかりのアニメで「きれいに生きれば、きれいに死ぬことができる」という言葉が出てきまして、何だかハナエに伝えたくなりました。
散った桜も美しいと思える……それが愛なのかもしれません。
青年に惹かれる、私。
彼は芸術的才能を持った孤高の人でした。
桜の舞う下で、彼は言う。
「俺と、付き合ってみたら?」
その彼の言葉で始まるさりげない恋愛。
そうして始まった恋は、私をしだいに夢中にさせました。
でも……。
綺麗なもの、美しいものもいずれは崩れゆく。
だからこそ、美しさも際立つのでしょうか。
今、すでに恋人や奥さん、夫がいる方。
貴方は、かつて情感を燃え上がらせていたころと同じく、相手にとって魅力的な貴方のままでいる自信はありますか?
私は、この作品読んで、後半「ぎくっ」としましたよ。めちゃめちゃギクギクしました。
胸に手をあてて自分を振り返り、「……もうちょっと頑張ろう」と思いました。
恋愛は始めることよりも、維持することのほうが難しい。
そんなことに気づかされてくれる、これは貴重な作品です。