人が桜であるのなら、いつかは散りゆく定めでしょうか



 筆致が穏やかで明瞭、少々長めの文でも、文意に迷うことなく読める素直な文体だった。
 その文体で、テツという桜が咲くさま、散りゆき傷んでいくさまを淡々と描いている。それがかえって、物語に鋭い“こわさ”を与えたようだ。
 
 
 甘やかな恋の桜がいかなる姿に行き着くのかは、読者として確かめてみてもらいたい。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
〈以下、作者同意の上でネガティブポイントの指摘を行います〉

 まず、「枚数・長さに比して詰め込み過ぎ」という印象があった。レギュレーションの混乱ということもあっただろうか、もしかしたら改稿前は少し違っていたのかもしれない。
 この短さに、恋の始まりから熱愛の頃、最後はその腐敗した姿まで描くのだから、詰まり気味になるのは当然と言えば当然だろう。

 そのため何が起きたかというと、テツというキャラクターの人物像や印象を、強く読者に刷り込むチャンスを失った。勿体なさを感じたポイントの一つだった。

 一応、彼の行動が描かれ、それによって彼の人間性は示されているように見えるのだが、その実、これは地の文を使ったハナエの“解釈”が読者に示されることによって成立していて、読者が自ら感得したものではない。言うなれば「間接的」だったのだ。「直接的」に、読者がそう感じられるように描けていたら、彼の人間性は読者に強く刷り込まれただろう。

 これを問題点と見なすのは、そうした方が最後の彼の転落ぶりが、より悲愴に、より心に肉薄して読者の目に映るからだ。「彼女がこう言ってるんだからそうなんだな」という間接的な納得は、「そういうもの、そういう約束事」という認識の低さに繋がり、その後の変化までもが「そういうもの」と低く認識されてしまうものだ。そうではなく、読者が進んで受け入れたものを「転落」させる方が、驚きや衝撃度は高まるものだ。
 そう描くからこそ、「そうなってしまっても、どうしても離れられない」ハナエの悲愴さが引き立つはずだ。

 現在の形でも、正直に言えば悪くはない。しかし、前記の理由から、どうしても結末で見せられる彼の変化が、表面的な作り物感が拭えなかった(この点は、彼の変化が「結果としてハナエが語るだけ」であることも理由だが、ある意味前節で指摘したことと重なる)。

 第一章高校編で、ハナエではなくテツを描いていれば、とも思う。
 何故か第一章の前半はハナエが桜を嫌う理由などが語られているが、ここではテツこそ描き、ハナエと読者が同時に彼に感心する、出来ればキーワードにもなっている「憧れる」ような場面を描き出す方が、作品のためだったのではないかと考える次第だ。



 枚数制限故にある程度そうなってしまうことは避けられないのだが、三幕構成にしたことで、物語・場面の連続性を失ってしまい、結果として「これはこういうことなのです」というハナエの述懐に頼ってしまった面があるとも思う。

 例えば第一章、『こんなにも愛しくて、切ない恋が、愛が』と地の文にあるが、その愛しさ、切なさを感じる場面そのものは描かれなかった(手を握るのは楽しそうではあったが切なそうではない)。

 ハナエがテツに「強烈な憧れ」を抱いていると“あらすじで”書かれているが、実のところ第一章と第二章に「憧れ」の文字はない。第三章でようやく出てくる。

 感情をモチーフにした物語で、このような文字とその意味に頼ってしまう(場面を描いて読者を共感させるのではなく、説明によってそう思ってもらう)のは、作品そのもののエネルギーを削いでしまうものだ。
 エネルギーとは存在感であったり、リアリティだったり、登場人物が生きてそこにいる実感だったりするものだ。本作ではその点において、(もっと出来たはずなのに、という意味で)やや不満が残る結果となった。



 十五枚という短い中でこれらのネガティブポイントを改善するには、おそらくは三幕構成を捨てる必要があっただろう。その上で、二人を描き出すのに効果的なエピソードを慎重に選んで描いていく。出来れば、より桜と密接に絡むエピソードに修正して。短い作品は構成が命だ。そうしてテツその人や、ハナエの(二人の)心の動き、愛情の深まりを立体的に描くことだ。

 愛があるなら、愛しあっていることが分かるように描かねばならないし、憧れているなら、憧れていると読者に伝わるように描かねばならない。そしてそれは、言葉としてそう書いてある、というだけでは果たされないのだ。

 せっかくの興味深いモチーフと、読みやすい良い文体を持っているのだから、物語について「より良く」見せられるようになって欲しいと思う次第だ。

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