第17話「閑話」

 千姫の婚儀は予定通りに執り行われ、本多忠刻に嫁いだ。

 本多忠刻はこのことで父・忠政から独立した大名となり、姫路(現在の兵庫県)を拝領した。


「坂崎殿のことは残念でしたね」

「残念? 残念とは?」

「いえ……もとは坂崎殿が姫様のお相手でしたのに、こんなことになるとは……」


 忠刻は純粋にそう思っていた。

 自分が千姫を横取りしたことで、坂崎が命を落とすことになり、責任を感じているのだ。


「それは忠刻殿が悪いのか?」

「え? そうではないですが……」

「ならばよいではないか。おぬしが気に病む必要などあるまい」

「そう言っていただけるとは助かります」


 素直に言葉に従う忠刻を千姫は気にくわない。

 純粋な性格だから何を言っても許されると思っているのか、と言ってやりたい。


「坂崎はな」

「はい?」

「坂崎は己で死を選んだのだ」

「はあ」

「生き延びる道もあっただろうに、あやつは馬鹿だから、それをわざわざ捨てた。そして、最後まで戦い続けて死ぬことを選んだのだ」

「それは何のために?」

「…………。武士のつまらん意地のためだ」


 千姫は自分のためだと言いたかった。

 戦以外に頭が回らない坂崎が自分の気持ちを理解してくれて、謀反を起こしたはずはないだろう。

 真実は「奪われたから取り返す」「馬鹿にされたから戦う」「最後は戦って死にたい」という理由に違いない。


「だから、坂崎を憂う必要はない」


 忠刻に気の毒に思われたら、坂崎は激怒するだろうと千姫は思った。

坂崎の怒鳴る声が聞こえて来そうで、思わず笑ってしまう。


「何か?」

「いや……武士とは難儀な生き物よ、と思ってな」

「……私もそう思います。こんな世でなければ、つまらないことで命を落とさなくていい人がいっぱいいました。これからはそうならぬよう、泰平の世を築くことが、戦国を生き抜いた武士の役目なのだと思います」


 千姫はまたくすっと笑った。


「え? 何かおかしいことを言いましたか?」

「ふふ、おぬしは馬鹿なのだな」

「え、ええっ?」

「馬鹿正直だと言ったのよ」


忠刻と千姫の美男美女カップルは領民からとても評判がよく、その仲もむつまじかったという。そしてすぐ1男1女をもうけた。

しかし、幸せは長く続かなかった。

長男は夭逝し、忠刻も31才でこの世を去った。坂崎事件より10年後のことである。




千姫はまだ30才で、次は前田家との縁談があった。

二度夫と死別しているため、再婚する気にはとうていなれず、江戸に戻ることにした。

 そして、秀頼の娘で自分の養女である天秀尼とともに女性の支援を行った。

天秀尼のいる東慶寺は縁切り寺と言われている。男性が入れない寺で、女性が逃げ込み、2年そこで過ごせば離婚できるという制度が成り立っていた。

千姫は秀頼と死別したあと満徳寺にいたが、幕府公認の縁切り寺は東慶寺と満徳寺の二つだけである。


「母上、ご相談したき儀がございます……」


 あるとき、千姫は天秀尼に相談を受ける。

 東慶寺になにやら事情を抱えた女性が着の身着のままで駆け込んできたという。

縁切り寺であるから、夫婦のトラブルで書き込んでくるのは日常茶飯事であるが、彼女は他とは異なるようであった。


「して、女性の身元は?」

「会津藩家老の妻のようなのです」


 会津から(現代の福島県)から鎌倉まで逃げてくるとはやはり尋常ではない。


「会津といえば加藤明成(あきなり)か。お家騒動があっとは聞いておるが」


 加藤明成の父は嘉明(よしあきら)と言って、古くから秀吉に付き従った豊臣恩顧の将である。

 福島正則と同じく、賤ヶ岳の七本槍の一人だが、関ヶ原の戦いでは徳川につき、岐阜城をともに攻めている。大坂の陣でも同様で、正則とともに江戸の留守居を務めた。正則が領地を減らされたときは、いろいろ世話をしたという。正則との違いは、正則が血気盛んな猪武者であるのに対して、嘉明は寡黙で実直な将であった。そのため将軍家に気に入られ、正則が領地を減らされたのに対して、嘉明は加増され、重職を与えられた。

 しかし、その子・明成の才気は父に及ばず愚かな将であり、家臣の暴走を抑えきれなかったようである。


「明成様は家臣たちのケンカを仲裁したのですが、家老の堀主水(ほりもんど)は己の部下が罰せられることに不満だったようです。何度抗議しても受け入れられず、あげくには城に銃を撃ち込み、出奔したようなのです……」

「話は聞いておったが、無茶苦茶な奴よな……」


 千姫は坂崎のことを思い出していた。

 坂崎であれば、そのまま主君である明成の首を取ったかもしれない。


「寺に駆け込んできたのは堀主水の妻か?」

「はい、その通りでございます」

「ふむ、話は読めたぞ。会津藩は妻の身柄を要求してきているわけか。それで、わらわに何をしてほしい?」

「母上のお手をわずらわせて大変恐縮ですが……その要求をはねのけてほしいのです」

「ほう。それはどういう目的か?」

「え?」

「ただきつい要求が来ているから助けてほしいというのでは話にならん」

「そんな……」


 天秀尼はとても困った顔をしている。

 母である千姫ならばなんとかしてくれると期待していたのだ。


「おぬしは何がしたい? その妻を助けたいのか?」

「は、はい……」

「そうか。実はな、堀主水はすでに捕まっておる」

「え? そんな……」

「奴は高野山に逃げ込んだのだが、高野山の坊主たちは奴をかばいきれぬと、その身柄を引き渡してきたのだ」


 東慶寺は女性しか入れない寺である一方、高野山は女人禁制の聖域である。古くから政治や世間から離れた場所として認識され、外から手を出しにくい場所となっていた。

 高野山は助けを求めて来た者をかばうべきだったのだろうが、会津藩や幕府の圧力に負けて、堀を突き出してしまったのだ。


「だからこそ、おぬしに問いたい。掘の妻を救いたいか? それが藩や幕府と戦うことになったとしても」

「戦う……?」

「おぬしが頼ってきたように、わらわの力を使えば、会津藩の要求をはねのけることはできるかもしれぬ。だが、今後会津藩に恨まれ、嫌がらせを受けたり、圧力をかけられたりするかもしれぬのだ。それでも、女を助けたいか?」

「…………」


 天秀尼は沈黙する。

 そこまで大きなことだとは考えていていなかったのだ。


「戦う気がないのであればやめよ。女を突き出してしまうがよい」

「でも、そんなこと……」

「ならば戦うか?」

「…………」


 天秀尼は拳を強く握りしめ、決意する。


「はい、戦います」

「そうか。ならば、あとのことはこの母に任せるがよい」


 堀主水は会津藩に引き渡され、明成によって処刑された。

 明成はこの不祥事に対して、幕府に改易を命じられる前に、領地を返還した。これによって一族が処分されることはなかったが、40万石の大大名から1万石の小大名になってしまった。

 しかし、堀主水の妻は生きて、夫の菩提を弔うことができた。東慶寺がかくまい抜いたのである。会津藩は妻を無理矢理連れだそうとしたが、千姫が派遣した兵たちにより阻止されていた。その後は幕府からの命令があり、東慶寺には手が出せなかったという。

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