第8話「脱出」
「てやあああーっ!」
若武者は大きな槍を振るい、敵を次々になぎ倒していく。
紅顔の美少年という見かけとは、かけ離れた激しく豪快な戦いっぷりである。
槍で突き刺し、そのまま振り回しては他の敵にぶち当て、包囲を崩す。
再び囲まれても、長槍で大きな弧を描くように振り回し、近寄る敵をなぎ払う。
坂崎を救った若武者は、坂崎が逃げおおせたあとも敵に包囲にされたままで、厳しい戦いを続けていた。
若武者がいかに武芸が達者であろうと、多勢に無勢は覆しようもない。
戦い続ければ疲労がたまり、腕が上がらなくなり、足がもつれ始める。
いずれ敵の攻撃にも対処できなくなり、組みつかれ討ち取られてしまうだろう。
若武者は包囲を三度崩したところで、死を覚悟した。
槍を持つ力も、立ち上がる力も残っていない。
膝をつき、槍にしがみつくように、荒い呼吸で地面をにらみつけている。
これを好機と見た敵兵たちは大胆に近づき、一斉に攻撃をしかける。
若武者に多数白刃がせまる。
しかし、若武者に届くことはなかった。
「あきらめるのはまだ早えよ」
せまる刀を突然現れた男が打ち払っていた。
この武士は胴周りしか防具をつけていない軽装である。
逆に言えば胴以外は何も守るものがなく、兜も着けていなかった。
その出で立ちは身分の低い足軽のようである。
だが彼が漂わせる雰囲気は足軽のものと思えなかった。
明らかに戦慣れしている。
「すまない、助かった……」
「礼には及ばんよ」
若武者は心から救援に感謝する。
軽装の男は、若武者を起こそうと手を出し出す。
だが、敵が突然の乱入者の存在を許すわけがない。
その隙を逃すことなく兵士が斬りかかってくる。
乱入者は若武者の手をつかんだまま、もう片方の手に持つ刀で刃を受けた。
そして手首を返し、刀が進む方をするりと変え、いなしてみせる。
敵兵は突っ込んできた勢いのまま、目標のいない方向へと倒れ込んでしまう。
強い。
振り下ろされた刀を片手で受けるなんて、どういう怪力をしているのだろうと、 若武者は驚かずにはいられなかった。
乱入者は若武者を助け起こすと、腰の脇差しを抜いた。
そして、左右の手に大小の刀を構える。
「二刀流……?」
斬りかかってきた敵兵の攻撃を左で受け止め、右で相手の急所を切りつける。
一人が終われば次の敵。
相手の攻撃を防いでは一撃で相手を仕留めていく。
その動きに何一つ無駄はなかった。
若武者はなぜ彼が軽装であるかが分かった。
剣術に自信があり、攻撃を受けることを想定していないのだ。
敵は次第に数を減らしていく。
呼吸を乱すことなく、流れるような動きで撃破していく様子は華麗だが、敵にしてみれば死の舞踏であった。
敵兵は、勝ち目なしと互いに目配せすると、すぐに逃走を始める。
こうして乱入者は一人ですべての敵を追い払ってしまった。
「そなた、強いのだな。名前は?」
若武者は乱入者に訪ねる。
「宮本武蔵。水野様の世話になっている」
乱入者の名は宮本武蔵(みやもとむさし)。
年齢は30を過ぎたぐらい。
暴れん坊として知られる水野勝成(みずのかずなり)の雇った客将で、二刀流を得意とする剣豪であった。
関ヶ原の戦いでは、黒田官兵衛の下で九州の戦いに参加している。
その後上京し、天下の兵法家との決闘に明け暮れていた。
大坂の陣が始まると、強者を求めて徳川側についたというわけである。
「宮本武蔵だって!? あの巌流島の?」
「お、知ってんのか。俺も有名になったもんだな」
巌流島と言えば、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘である。
長刀を用いる小次郎を倒すために、武蔵は舟の櫂を削って、小次郎より長い木刀を作った。
卑怯だともいわれるが、勝って生き残ったのは武蔵のほうである。
「あんたの名は?」
今度は武蔵が若武者に尋ねる。
「本多忠刻。桑名藩主・本多忠政の子」
「本多……? もしかして、あの忠勝の?」
「はい、忠勝の孫です」
本多忠刻(ほんだただとき)。
年齢は19。
忠政(ただまさ)の子で、祖父の忠勝(ただかつ)は古今無双と謳われた剛勇である。
母は織田信長の長女と徳川家康の長男(松平信康)の娘で、忠刻は織田、徳川、本多の血を継いだ戦国時代のサラブレットと言える。
千姫はお市の孫であり、忠刻は信長のひ孫であるが、千姫は7歳で嫁いだため、忠刻とは面識がない。
「なるほど。そりゃいい腕してるわけだ」
「いえ、まだまだ未熟者です」
「いい線いってたぜ。今度、俺が稽古つけてやるよ」
「本当ですか!? 是非お願いしたい!」
「よし来た! ……だがその前に、こいつらを倒してお家に帰らないとな」
二人が話している間に新手が集まってきていた。
一度は引いたが、今度はさらなる大軍を引き連れており、敵地に侵入したくせ者をむざむざ逃す気はないようである。
「2対100ぐらいか? 1人50人、いけそうか?」
「はい! 宮本殿と一緒であれば負ける気はしません!」
「はっ、嬉しいことを言ってくれる。こっちも、その槍を期待させてもらうぜ」
「名槍『蜻蛉切』の切れ味、とくとご覧あれ!」
蜻蛉切(とんぼきり)は、本多忠勝が愛した槍で、彼はこの槍を持って57回、戦場に出たが傷一つ負わなかったという。
トンボが刃に止まっただけで真っ二つになってしまったことから、その名が付けられている。
忠勝が亡くなると、忠政から忠刻に伝わっていた。
「恥ずかしいところをお見せした……。どうか上様には黙っていてくだされ……」
坂崎は涙のあとを拳でぬぐうと千姫にそう告げた。
坂崎が照れるその様子に、千姫は微笑を浮かべる。
「よいでしょう。武士の情けです」
「話の分かる姫様で助かります」
坂崎もまた笑いで返す。
屋敷で休憩をしていたが、思ったよりも長く留まってしまった。
敵地に長い時間いるだけリスクが高まるため、なるべく早く千姫をつれて脱出しなければならない。
「では、参りましょう。必ず姫様を上様の元へお連れいたす」
「期待しておるぞ」
同じような台詞を前にも口にしたが、そのときよりも二人の声は信頼を含んでいた。
坂崎は屋敷を出て辺りの様子をうかがうが、警備は手薄である。
忠刻と武蔵が敵を引きつけてくれたおかげで、戦闘することなく、大坂城から脱出できそうであった。
しかし坂崎は汗を滝のように流していた。
止血したはずの脇腹からも、再び血が流れ出ている。
坂崎が精力にあふれる人間だとはいえ、50を過ぎ、負傷をしていているのだから、体力も限界に近づいていたのだ。
「もう少しよ。気張りなさい」
この小娘、気楽に言ってくれる。
坂崎は軽口を叩こうと思ったが、言葉にする余裕はなかった。
今は何も考えず、味方がいるところまで走り抜けるのみ。
「姫様!」
「姫様がお戻りになられたぞ!」
坂崎が門をくぐったところで、大勢の将兵が走り寄ってくる。
千姫を助けにきた味方たち。
坂崎が予想した通りの構図である。
城近くで待機しておき、直接助けることはできなかったが、一番に姫様の元に駆けつけられれば心証もよかろうと、かけっこ勝負になっている。
坂崎は背の千姫を降ろした。
「俺の役目はここまでだ。上様のおられる本陣までは、この浅ましい奴らに連れていってもらってくれ」
「ふっ、坂崎が浅ましいと申すか。確かに名より実を取るところは、坂崎のほうが立派かもしれぬな。……世話になったな、坂崎。こたびの褒美は必ず」
千姫は少し笑って、最後は澄ました顔で言う。
坂崎は千姫が身を翻したあとで、ふっと笑った。
褒美ならば千姫をいただくことになっている、とは言えなかった。
せっかく大人びて威厳があるようにしているのだから、ここで茶化すわけにはいかない。
坂崎を押しのけ、将兵たちが千姫を取り囲み、機嫌をうかがい始める。
坂崎は地面にどっかり腰を下ろし、ようやく一息つく。
千姫の無事を確認すると、一部の部隊は千姫に付き従い、本陣のほうへ戻っていった。
残りの部隊は順次大坂城へ入っていく。
要人救出が終われば、あとは残党狩りである。
敵を見つけたら殺し、首を切り取って持ち帰る。
そして、首の数に応じて報酬をもらうのが武士の仕事なのである。
坂崎は彼らを見送った。
任務は無事成功し、自分の役目はすでに終わったのだ。
安堵から大きく息を吐いた。
達成感に満たされ、幸福な気持ちに包まれる。
武士とは命をかける過酷な仕事だが、この瞬間が一番報われるときである。千姫の嫁入りの話よりも、今は大きなことを成した達成感のほうが坂崎にとっては嬉しい褒美であり、生きている証であった。
しばらくしてから、坂崎は舌打ちをした。
急に気が重くなったのである。
これまであまり考えていなかったが、褒美としてあの姫様をもらうということは、婚儀を行い、将軍家とのつながりを持てなければならないと思い出したのである。
この国の最高権力者である将軍の娘が嫁いでくるとなれば、婚儀をもそれだけ大きなものになり、細かく難しいしきたりに縛られた生活が待っているのだ。
「まさか俺がそんなことになるとはな……」
甥の宇喜多秀家のことを考えていた。
彼は豊臣秀吉の養女を迎え、政治中枢で政務を行っていたのだった。
贅沢な生活をしたり、鷹を集めて専用の使用人をたくさん雇ったり、いかにも権力者らしいことしていたが、それも最高権力者・秀吉との付き合いから生まれた習慣なのかもしれない。
あれだけ嫌っていたはずの存在に、自分が近づくとは笑える話である。
坂崎は姫や権力が欲しくてこの仕事を引きうけたわけではない。
命をかけるのにふさわしい場、そしてそれに見合った大きい報酬が用意されたから受けたのである。
坂崎がぼんやりそんなことを考えていると、突然地面が揺れた。
地震ではない。
そして、激しい地響きが聞こえてくる。
これは戦場ではよく感じる振動であった。
騎馬集団が近づいてきている。
「敵だー! 敵が来ているぞー!」
誰かが叫んだ。
その方向から騎馬の大軍が凄まじい勢いで駆けてくる。
それは赤い一つの塊のようであった。
騎馬武者たちは赤い甲冑に身を固めている。
これはまずいと、坂崎は疲れた体にむち打って立ち上がる。
しかし、騎馬武者たちは坂崎らの横を素通り、脇目も振らず全速で駆け抜けていった。
「赤備え(あかぞなえ)だと!?」
「まさか、そんなバカな!?」
「奴は死んだはずだろ!?」
騎馬隊の攻撃を免れたはずの徳川の将兵たちは、恐怖と戸惑いに支配されていく。
赤備えとは赤い鎧に身を包んだ武者たちをいう。
大坂の陣においては、ある一部隊のことを指していた。
真田幸村(さなだゆきむら)が率いる精鋭部隊。
真田幸村は武勇にも知略にも長けた猛将で、徳川家康が生涯で一番警戒した男である。
この大坂の陣においても、幾度も徳川本陣に突撃を繰り返し、家康に死をも覚悟させた。
家康は幸村の名を聞くだけで震えたとさえ、言われている。
けれど、その真田幸村は徳川勢に討ち取られ、すでに死んだはずだった。
本陣が狙われているはずだ。真田幸村の真偽は後回しでいいから、すぐに戻らねばならない。
大坂城に突入しようとしていた部隊は、馬を返し本陣に向かって走り出す。
坂崎もそれに従おうとするが、馬も槍もないことに気づく。
槍は戦いの中で捨ててしまったのを思い出し、やっちまったと己の髭をかきむしる。
馬はそもそも持ってきておらず、これから追いかけたところで間に合うはずもない。
甲冑を脱いで走ろうかと思っていると、
「おお坂崎殿、生きておったか」
背後からのんきな声をかけられる。
「小野寺殿!?」
小野寺義道、 乱戦の中を生き残り、馬に悠々と乗ってのご帰還であった。
「いやはや千姫は見つからんかったが、良き馬をくすねてきたぞ。苦労には見合わぬが、まあこいつがあれば良しとできよう」
小野寺は馬のたてがみを愛おしげになでる。
「おい、馬を貸してくれ!」
坂崎は小野寺の足を引っ張り、引きずり降ろそうとする。
「ま、待て。何事だ、いったい? 何を焦っておる?」
「話はあとだ。その馬、少し貸してもらうぞ」
小野寺はしぶしぶ馬を降り、代わりに坂崎が馬に飛び乗る。
「恩に着る!」
「戦はもうじき終わりだ。せいぜい戦果を上げてまいれ!」
もうけ話があったのだろうと、小野寺は坂崎を気前よく馬を貸し出し、見送った。
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