第7話「左門事件」

 関ヶ原の戦いで宇喜多家は取りつぶしになったが、戦功を上げた坂崎は石見(現在の島根県)に、戸川は備中(現在の岡山県)に所領を得た。つまり両者とも、宇喜多から独立した一つの大名へと出世したのである。

 坂崎は宇喜多詮家の名を捨て、坂崎直盛と名乗った。家紋も、笠が横に二つ重なった「二蓋笠」を用いるようになる。


大名となった坂崎は戦以外のことにも興味を持つ。

もちろん政治ではない。

城造りである。

津和野城は中国の戦国大名である大内家の城であったが、長い間整備されていなかった。そこで坂崎は城を丸ごと作り替えることにしたのである。

小高い山に立派な石垣に延々と築き、三層からなる天守閣を造った。山という自然の防衛機能に加えて、近代的な石垣によってさらに防御力を上げた、坂崎自慢の城ができあがったのである。

晩秋には山に雲がかかり、天空の城と言える絶景の城であった。

これには家老の浮田織部(うきたおりべ)が奉行としてあたり、築城に詳しい者を呼び寄せて造らせた。しかし完成直後、それらの者は忽然と姿を消してしまう。城の秘密保持のために殺されたのではないかと噂が立った。




それに続いて、坂崎はさらなる悪評を持つことになる。

あるとき、坂崎の小姓(側仕えの少年)が、坂崎の甥である浮田左門と関係を持ち、職務を疎かにしたとして処刑された。

 左門はこの処分に不満を持ち、小姓を手に掛けた者を殺害してしまう。

 坂崎としては、自分の小姓をたぶらかし、自分の命を実行した家臣を殺した左門に対して怒りが収まらない。

 だが左門は一足早く坂崎家を出奔して、行方知らずになっていた。


「なあ、父上。左門がどこへ行ったか心当たりはないか?」

「さあ、知らんなあ。勝手に飛び出して、今頃どこかでのたれ死んでいるのではないか?」


 坂崎の父はのらりくらりと返す。

坂崎の父は宇喜多忠家といい、謀将と言われた宇喜多直家の弟である。

 今では隠居して、安心入道と名乗っていた。

 兄の直家は宇喜多家を独立させた実力者だが、はかりごとで人をたぶらかし、身内ですらだまし討ちにした悪人であった。忠家は直家の片腕として宇喜多家を支えていたが、自分もいつ暗殺されるか分からないと、いつも鎖帷子を着ていた。

 そんな直家も亡くなり、豊臣の傘下で命の危険に怯えることのない生活を送っていた。しかし、戸川が家老の中村を殺害しようとした宇喜多騒動で、宇喜多家が分裂の危機に陥ると、さらなる混乱が起きぬよう隠居する。忠家を頼って、新しい派閥を作ろうとする動きがあったのである。

安心と名乗ったのは文字通り、心安らかな老後を望んでのものであった。


「父上でも知らぬことがあろうとはな」


 坂崎は忠家の言うことをそのまま信じた。

 しかし忠家は、直家がその才を惜しんで結局殺さなかった知略家である。坂崎と真逆で頭が相当切れる。

 忠家は身内である左門が殺されるのを哀れんで、娘婿の富田信高にかくまってもらっていた。

 関ヶ原の戦いという大きな戦が終わったのに、子の坂崎が血なまぐさいことを始めたので、安心入道という名の通りの行動を取ったのである。

信高は関ヶ原の戦いにおいて城を包囲され、敵に奪われてしまったが、最後まで戦い抜いたことを褒められ、領地を加増されていた。名門であり、広い領地を持っていたため、左門を隠すには最適であった。


 だが坂崎は信高が左門をかくまっていることを知ってしまう。

 坂崎に告げたのは、関ヶ原で領地を没収され、坂崎の世話になっている小野寺義道であった。

小野寺にしてみれば恩返しのつもりだったが、坂崎家にとっては大騒動の始まりとなってしまう。


 この事実に怒り狂った坂崎は、信高と妹のいる安濃津城に自ら赴く。


「おい、左門はどこだ! 左門を出せ!」

「左門はここにはおりません」

「お前では話にならん。信高を呼んでこい」

「信高様は留守にしております」


 坂崎は妹に問いただすが知らぬの一点張り。そして、信高が不在であったため、左門を見つけることも、責任を問いただすこともできなかった。


「ではどこへいった!?」

「兄上にはお教えできません」

「なぜだ?」

「富田家のことを他家の者に軽々教えるわけにはいきませんから」

「なんだと!? では左門はどこだ、教えろ! あいつは坂崎の人間だ!」

「さあ。すでに知らないと申し上げたはずです」


 坂崎は妹の襟首を掴み上げる。

 しかし妹は動じることなく、坂崎をにらみ返す。

 坂崎は舌打ちをして妹を放した。

 妹は優しい心を持った人間だが、強い信念を持っていて、一度決めたら引かないことを坂崎は知っていたのである。


「俺は他家の人間なんだよな?」

「はい。私はすでに富田の者。兄上は血のつながりはあれど、宇喜多……坂崎とは関係ありません」

「そうか。なら、お前も他家のことには口出しはせんよな?」


 坂崎のあくどい顔。

 何か悪知恵が働いたのだと、妹は恐怖する。

 坂崎がこの顔のときは必ず、とんでもないことをしでかすのだ。


「左門は坂崎の人間だ。俺が奴に何をしようと、お前には関係がない。左門は俺がなんとしても見つけ出してやる。そして……好きにさせてもらうぞ」


 ぞくっとする。

 兄は普通の人間では考えられないようなことで仕返しをするつもりなのだ。


「お、お待ちください! 左門は我らの甥ではありませんか! どうか罪を水に流してやってはくれませんか?」

「知らんな。奴は重罪を犯した。自分勝手な理由で人を斬ったのだ。その分の報いは必ず受けねばならん」

「そんな……」

「斬られる覚悟のない奴は人を斬ってはならぬ。それで逃げる臆病者など武士ではないし、一門でもない。……それに、富田にいきやがった、よそ者のお前にとやかく言われる筋合いはないぞ。これは坂崎で自由に処理させてもらう」


 妹は反論できなかった。

 こうなってしまった兄をとめる方法がないことも彼女は知っていた。




 信高の行き先はすぐに小野寺が調べ上げた。富田の家臣を半ば強制的に吐かせたのである。

家康に面会するため伏見城に向かっているという。

坂崎は小野寺とともにそのあとを追い、伏見城でついに信高の姿を捉える。


「これは兄上、いかがなされた」


 信高は何も知らない風を装っている。

もちろん、左門をかくまった張本人であるから、坂崎が何の用で現れたかは知っている。


「てめえ、左門をかくまっているな。どこへやった!?」

「何のことでしょうか」

「しらを切るな!」


 坂崎は刀を抜こうとする。


「な、なにをなさる!?」

「坂崎殿! さすがにそれはまずい!」


 小野寺は坂崎を取り押さえる。

 城内で殺傷事件が起こしたとなれば、坂崎家は改易を免れない。

 家康に逆らったことで改易になって、家臣たちを養うことができず散りぢりにさせてしまった小野寺としては、坂崎に同じ目に遭って欲しくなかった。


「放せ! こいつら、俺を馬鹿にしてやがんだぞ!」


 馬鹿な坂崎でももう分かっていた。父・忠家、妹、信高が家族ぐるみで左門をかばっていたのだ。坂崎には何も知らさず。


「怒りをぶつける相手が違いますぞ! 誅すべきは悪逆の左門。信高殿を責めてはなりません」

「それはそうだが、この怒りはどうすりゃいいんだ! こいつのせいで俺はあちこち走り回されてるんだぞ!」

「ここは大御所様にご差配いただきましょう」


 大御所。将軍となった徳川家康が、将軍位を子の秀忠に譲ってから呼ばれるようになった名である。

 小野寺は、伏見城に滞在している家康にこの件を訴え、左門と信高を裁いてもらうべきだと主張している。

 坂崎はこの国の最高権力者である家康の名を出されて、それがもっともであると思い、家康に訴状を出すことにした。

 どちらが悪いかは一目瞭然であるから、家康も当然、坂崎が納得する判断を下してくれるだろう。


「これで信高をぎゃふんと言わせてやるわ!」

「大御所様ならば、坂崎殿のお気持ち分かってくださるでしょうな!」


 しかし家康はすでに将軍位を退いていることを理由に決裁しなかった。

 関ヶ原の戦い以後、解決すべき事案が多くあり、家中の殺人事件ぐらいに時間を取られるわけにはいかなかったのである。

坂崎が領地を得て、小野寺が領地を失ったように、刃向かった者の領地を取り上げ、功績を挙げた者に与える作業は地味だが、敵味方をはっきりさせ、恩を売ることができるため、統治のためにとても重要なことだった。


「このまま逃げ得されてたまるものか! 小野寺殿、俺は江戸にいく! 直接、上様に談判してくるぞ!」

「恨みは必ず晴らさねばなりませぬぞ! 地獄の果てまで追い詰めてやりましょう!」


 小野寺は一族の宿敵である最上義光を追い続けた過去がある。そのせいで戦に負け、すべてを失ってしまったのだが。

 坂崎は言われた通りに江戸に赴き、将軍・秀忠に訴える。

だが、秀忠もまともに取り合ってくれなかった。はっきりした態度を示さず、後回しにされてしまう。理由は家康と同様である。坂崎ごときに構っている時間はないのだ。

 坂崎の怒りはさらなる高ぶりをみせたが、ぶつける相手がおらず、時間だけが彼の心を癒やすものとなっていた。




 それから8年、左門の行方は分からず、信高の責任も明らかにならなかったが、事態は急変する。

 左門によく似た水間勘兵衛という男が日向(現在の宮崎県)の高千穂にいるという情報を得た。

 何か気に入らないことがあり、下働きの男を切り捨てた。無念に思ったその父が坂崎に密告してきたのだった。

 左門は小姓を処刑した家臣を迷わず切り捨てるぐらい、感情に走りやすい野蛮な性格であるため、これを聞いた坂崎は、水間勘兵衛が左門で間違いないと思った。


「坂崎殿、この件、どうするおつもりか?」

「無論、追い詰めてやるわ。奴め、堪えきれず、しっぽを出しおった。俺はこの8年ひとたびも奴の愚行を忘れたことはないぞ!」


 坂崎は小野寺に問われ、復讐の継続を宣言する。

 悪知恵が働くのは、宇喜多の血が流れているからだろうか。坂崎は密かに水間勘兵衛の手下に連絡を取り、密かに信高の妻が左門に宛てた手紙を入手する。その者はもともと宇喜多の人間であったため、逃亡生活に疲れ、国に帰りたかったのである。


 これで坂崎はついに動かぬ証拠を手に入れた。

手紙の内容は、坂崎の妹が困窮する左門に気遣って米を送ったことが書かれていた。

坂崎はすぐに江戸へ向かい、この証拠を提出した。江戸にはちょうど家康と秀忠親子がおり、都合がよかった。

さすがに証拠を突きつけられては、江戸幕府もこれを無視できなくなり、ついに判断を下す。


 浮田左門の小姓殺害が認められる。

そして、殺人犯をかくまった者が処罰される。

左門を安濃津に住まわせていた富田信高。そして、左門が捕まった日向を治める高橋元種である。

信高は関ヶ原の功績を認められ、伊予宇和島(現在の愛媛県)に移ることになり、安濃津の左門をかくまえなくなってしまう。そこで親しくしていた肥後(現在の熊本県)の加藤清正に預けることにした。清正が亡くなると、隣の日向の高橋元種が左門の身柄を引き取っていたのである。

信高と元種に下った処分は非常に重く、改易処分であった。領地を取り上げられ、収入や大切な家臣を失う。

信高とその妻は宇和島を追い出され、岩城(現在の秋田県南西部)で蟄居(謹慎)することになる。財産はほとんどないため、厳しい生活が彼らを待っていた。


 一方、左門は捕まって処刑されることが決まる。

だが老中・土井利勝によって江戸に連れて行かれる途中、縄を引き裂いて逃亡を図ろうとした。護衛の兵士の槍を奪って大暴れし何人も殺したため、左門はその場で殺された。

 左門もまた宇喜多の人間であったということだろう。




「俺は左門を裁きたかっただけなんだよ……。なのに信高にあんなに厳しい処分が下るなんて……」


 坂崎はうつむき、わなわなと震えている。


「左様なことがあったとはな……」


 千姫は曖昧な返事を返す。

 話を聞けばどう考えても、坂崎が信高を処罰したかったようにしか思えない。千姫の父・秀忠はその坂崎の要求に応えて、信高を罰したのだろう。

 千姫の立場や感情からすると、坂崎をあまり擁護する気にはなれなかった。

 当然、左門が悪人であり処罰すべき人間なのは分かるが、身内を糾弾するのは理解できない。坂崎の父や妹も、身内だからこそかばってやりたかったのだろう。

 だが坂崎は己の感情任せに行動して、甥を処刑し、妹を貧しい生活へと追い込んだのだった。


 坂崎が突然嗚咽をもらし始めたのに、千姫は驚く。

 大変身勝手な性格で戦にしか生きられない、この男が泣くのかと。


「坂崎、おぬし……」


 妹たちが処罰されたことをそんなに悔やんでいたとは。

 千姫はその母性から坂崎の肩に手を置こうとするが、振り払われるのではないかと思い、一回手を引っ込める。

 だが坂崎が千姫の存在を認識できないぐらい深い後悔に沈んでいるのを見て、坂崎の肩に手をやった。

 坂崎は温かさに触れたことで感情が高ぶり、より一層激しくむせび泣いた。


 千姫には坂崎を理解しようとしたが、どうして泣くのか分からなかった。

 自分の意志で身内を追い詰めたのに、なぜそれを後悔するのか。

 すべてを失い、謹慎生活を送る妹のことを愛していたのか。

 それとも、己のしたことの罪深さを嘆いているのか。




富田信高と高橋元種が改易になったのは、この左門事件が直接の原因ではないと言われている。

さすがに一人の罪人をかくまったにしては罪が重すぎるのだ。

これには大久保長安(おおくぼながやす)事件が深く関わっている。


長安は猿楽師の生まれであったが、武田信玄によって才を見いだされ、武田家に武士として仕える。武田家が滅ぶと徳川に仕え、金山経営で功績を挙げたため、家康に寵愛された。

古くから徳川に仕える家臣たちは不満に思っていた。長安はたいした身分でもないのに高い俸禄にありつき、多くの遊女をはべらす女好きであった。お金に汚く、風俗を乱す行為を続けていても、家康に許されていたのだった。

長安が亡くなると、そのような特権が剥奪され、金山経営で横領した多額の資産が発見される。幕府は厳しく取り締まりを行い、長安の男児は全員処刑、長安と親しくしていた諸大名も連座して改易された。

信高も長安と浅からぬ関係があり、左門事件を名目にして一緒に処分したのだった。

だがこの真実を坂崎や千姫が知るはずがない。

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