第6話「女傑」

 体力を使い果たした坂崎は、適当な屋敷に忍び込み、休憩を取っていた。

 青年を見殺しにし、一気に徳川の陣へ帰還を果たそうとしたものの、明石にやられた傷が悪化したのだった。

 負傷した脇腹を布で押さえ、脂汗を流している。


「大丈夫なのか?」

「あ、ああ……」


 千姫は形式的に気遣うが、坂崎には逃げ出す前と違って空元気を出す余裕もないようであった。


「なあ、裁縫箱を探してくれないか?」

「裁縫箱? 何に使うの?」

「縫うんだよ、傷口を……」


 お姫様にお使いを頼むのは申し訳ないが、今は少しも動けそうになかった。

 当然、千姫は嫌な顔をしたが、目の前で苦しんでいる人間がいるのも気持ちよいものではないため、しぶしぶ裁縫箱を取ってきた。

 坂崎は鎧を脱ぐ。そして歯を食いしばり、うめき声を上げながら、自分自身の傷口を針と糸で縫い始めた。


「それ、痛くないの……?」


 その様子は見ているだけでも痛々しい。


「ぐうっ! 死ぬほど痛いわ! ……まあ、死んだことはないがな!」


 坂崎はやけくその状況だった。

千姫はこんなときでも冗談を言えるのだから、きっと平気なのだろうと思った。


「のう、坂崎」

「なんだ?」


 坂崎は痛みとの戦いに忙しく、敬語をすっかり忘れてしまっている。


「何か話をしてくれ」

「は?」

「何でもよい。何か……」


 これまで自分のことに精一杯で気づかなかったが、千姫が震えているのが分かった。

 血なまぐさい戦を目の前で体験して、続けざまに襲ってくる恐怖がようやく心と体に追いついてきたようだった。


「と言われてもなあ……。俺は語り部ではないし、戦しか知らぬただの武人だ。つまらぬぞ?」

「何でもよい……頼む……」

「むう、そうだな。妹の話をしてやろう」

「妹? おぬしに妹がおるのか?」

「俺だって剣や槍から生まれてきたわけではない。妹だっておるわ」

「そ、そうか……」

「姫様はまだ三つぐらいか? 覚えておらぬだろうが、関ヶ原の大戦のときの話だ」




 坂崎は昔話を始める。

 時代はさかのぼること15年……。


「富田が援軍を寄越せだと?」


 関ヶ原において徳川家康と石田三成が衝突する一週間前のことである。

坂崎は徳川方として、岐阜城を包囲していた。

 そこに援軍要請が来たと戸川から報告があった。


「安濃津(あのうつ)城が包囲されているようだ。兵は2000足らずで、敵は数万いるってよ」


 戸川は宇喜多騒動のあと、義兄の坂崎とともに宇喜多家を出奔し、今では徳川家に仕えていた。


「早く逃げればよいものを、その数で持ちこたえられるわけなかろうが……」

「救援に向かうか? 見捨てられまい」


 助けて欲しいと手紙を送ってきたのは富田信高(とみたのぶたか)。

 坂崎の妹が嫁いでいたため、義理の弟にあたる。

 信高の父・富田一白は優れた外交官であり、文化人であったため、秀吉に気に入られ、もっとも側近である「御伽衆」として仕えていた。一白が前年に亡くなり、信高が家督を継いで、伊勢安濃津城の城主となっていた。


「ふむ……。眼前の岐阜城は難攻不落と言われる堅城。近くには石田三成が本拠としている大垣城もあるし、犬山城もある。いつ背後を襲われるか分からん状況で、伊勢に兵を送っている場合か?」


 岐阜城は織田秀信が守っていた。

 秀信は織田信長の孫であり、幼い頃は三法師と呼ばれていた。

 本能寺の変で信長の死ぬと、その後継を巡って争いが起きたが、信長の仇を討った秀吉が後見役となり、3歳の三法師が織田家を継ぐことになった。

 今ではその三法師も立派な青年となり、信長が長く支配していた岐阜城を防衛している。


「しかし、安濃津には妹御がおられるのだろう?」

「あいつも宇喜多の娘だ。武家に嫁いだ時点で、覚悟くらいついているだろうさ」




 安濃津は現在の三重県の県庁所在地である津市に当たる。博多津(福岡県)、坊津(鹿児島県)とともに三津といわれ、国内交易を行う主要な港であった。

 本州の中央にあるこの場所を得れば、東西の海路を押さえたことになるため、敵軍もぜひ確保しておきたい場所だった。

 安濃津城には大軍勢の敵が押し寄せ、信高は打つ手がなかった。


「援軍は来ぬか……」

「はい……。岐阜にいる兄からも返事がありません……」


 信高とその妻は絶望的な状況だと分かり、表情が暗い。


 敵軍の親玉は、毛利家の若き大将・毛利秀元(ひでもと)。

 西国の雄・毛利元就の孫で、武勇知略に優れ、元就の再来と言われていた。22歳でありながら、毛利軍先鋒の指揮を任されている。

 数だけでなく、その質においても、安濃津側は大いに劣っていたのだ。


「女子供を逃がせ。我らは城を枕に討ち死にする」

「そんな……信高様もお逃げください……」

「ダメだ。戦わずして城を捨てるようでは後世の笑いものとなろう……」

「信高様……」


 死を決意した信高は、合戦になる前に家臣の妻や子を逃がした。

 信高の妻は一緒に残ると最後まで食いついたが、信高は家臣に預け、強引に城から脱出させた。

 そして1700の兵をもって籠城し、3万の大軍を迎え撃とうとする。

 しかし、その結果は火を見るより明らか。

 信高の家臣は次々に討ち取られ、城も本丸を残すばかりであった。


「もはやこれまでか……」


 信高は覚悟を決めて、腹を斬ろうとする。

 だが敵兵はそんなことお構いなしに本丸に侵入し、信高を取り囲む。

 毛利軍としてはここで死なれるよりも、のちのち人質として役に立つから、捕虜になってくれたほうが助かるのである。


「くそっ……。平安の死すら許されぬとは……」


 降伏すれば生き延びることはできるだろうが、そんな辱めは耐えられない。信高は戦いの中で死ぬしかないと、槍を構える。


「ならば、一人でも多く地獄へ道連れにするのみ……!」


 信高が決死の突撃をしかけようとすると、斬りかかる前に数人の兵士が突然倒れた。

 そして、兵士の囲みを破って若武者が乱入してくる。

 続けて周囲の敵に片鎌槍を振り下ろすと、複数の血しぶきが舞い上がった。

 乱入者に対して数で勝る毛利勢も反撃に出るが、若武者はこれをものともせず、次々に撃破していく。

 緋色の鎧を纏った美しき若武者の様子は、あまりにも鮮やかで、敵味方ともに見とれてしまうほどだった。


「何者か知らぬがかたじけない!」


 信高は20を過ぎたばかりであろう若武者とともに、本丸に攻め込んできた毛利軍を打ち破り、少しばかり後退させることに成功した。

 一息つくために若武者が兜を取ったところで、信高はようやくその正体に気づいた。

 若武者は戦の前に逃がしたはずの信高の妻であった。


「なにゆえ、そなたがここに!?」

「あなたを置いてはいけませんから……。ともに討ち死にする覚悟で、ここへやって参りました」


 信高は妻がこのような気質であることは知らなかった。

 少しやんちゃなところはあったが、夫に尽くす慎ましい女性だったのである。

 しかし、乱世の申し子である宇喜多の血をまさしく継いだ娘であった。


 二人はこの後も大軍を相手に奮戦するが、衆寡敵せず、ついには降伏することになってしまう。

 信高一人であれば死ぬこともできただろうが、妻を巻き添えにすることはできず、降伏したのだった。

 これを聞いた毛利秀元は感服し、二人を許して危害を加えることはなかった。


 一方、坂崎が攻めていた岐阜城は、安濃津城が落ちる二日前の8月23日に陥落していた。

 長期化するはずだったのにあっけない幕切れである。

 織田秀信は犬山城と連携して、徳川方を挟み撃ちにしようとしていたが、犬山城が裏切ったため、孤立してしまったのだった。

 福島正則、井伊直政らの猛攻撃を受けるが、秀信は決して降伏しようとせず、戦い続けた。織田軍はことごとく討ち取られ、本丸には数十人を残すばかりとなってしまう。

秀信は自害しようとするが、織田家の重臣であった池田輝政の説得でようやく開城した。

 秀信は信長の孫であるが、武田信玄の孫でもあり、偉大な祖父の勇猛さを引き継いでいたのである。

しかし戦後、出家して高野山に入るが、信長が高野山を攻めていたため迫害を受ける。そして数年後、26歳の若さでこの世を去った。




「よい話ではないか。誰かと違って」


 千姫は皮肉を言う。

 直前に坂崎が若武者を見捨てたことを言っている。

 普段の坂崎ならば気分を害しただろうが、千姫が元気になったことを嬉しく思ったのか苦笑する。


「坂崎の妹は、良き女子なのだな」

「ああ、できた女だ。俺の妹とは思えん」

「ふふ、それは言い得て妙だ。熊のごとき男の妹が、左様な可憐な乙女とはな」


 千姫は無邪気に笑う。

 坂崎と出会って初めて見せた笑顔であった。

 坂崎も自慢の妹と思っているようで上機嫌である。


「武家の女子とはかくあるべきだろうか」

「うーむ、それはどうだろう。女が夫に付き合って戦に出る必要はなかろう。戦うのは男の仕事だ」

「ふむ、坂崎らしい答えだな」


 女が出しゃばるべきではない、という考えではない。腕っ節の強い男が戦えば、女がわざわざ出ることもない、という意見であった。


「わらわも武芸に心得があれば、このようなときも何かできたかもしれぬな……」

「やめとけ、やめとけ。武士は存外、勇ましい女子は好かん」

「それはなにゆえに?」

「どんな戦巧者であっても、女房には自慢の刀を向けることができず、ケンカになっては勝てぬからよ」

「はっ、そんなことか」

「ああ、世の男などそんなものよ。得意なこと以外では勝負などしたくもないわ」


 千姫は坂崎の冗談に頬をふくらせる。

千姫には夫婦がともに戦場で助け合うことが美談だと思ったのである。

 幼少より10年ともに過ごした夫・豊臣秀頼と離れ、一人逃げ出すことになったことに何か思うところがあるのだろう。


「それで、その妹は今どうしておる? 元気にしているのか?」

「…………」


 坂崎が何も答えなかったので、千姫は繰り返し問う。


「今はどこにおるのだ? まだ安濃津か?」


 坂崎は突然顔を曇らせる。

 聞いてはいけない話だったと、さすがの千姫もすぐに察した。


「す、すまぬ……」

「いや、いい……。あれは……あれは俺が悪かったんだ……」

「はあ?」


 噛み合わない答えに千姫は疑問符を浮かべる。

 坂崎は明らかに取り乱している様子である。


「俺が……あんなことをしなければ、あいつは……あいつは……」

「坂崎、何を言っておる?」


 坂崎は千姫の言葉が入らないようで、べらべらと独り言のように話し始めた。

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