第5話「愚かなる将」

「お前は宇喜多に縛られ過ぎたんだ。……宇喜多を恨め」


 大坂城のとある屋敷。

坂崎は床に転がる明石の頭に声をかけた。


「きゃあああーっ!」


 目の前で起きた衝撃的な出来事に堪えきれず、屋敷中に千姫の悲鳴が響いた。

 坂崎のひげ面が明石の血で赤く染まる一方、千姫の顔は青ざめていった。


「見苦しいものをお見せしました。拙者は坂崎出羽守(でわのかみ)直盛。上様の命で、姫様のお迎えに参りました」

「な、なな……な、ぜ……」

「は?」


 目の前で人が死ぬのを見るのは初めてだったのかもしれない。

 千姫は恐怖で震える己の心を叱咤し、なんとか声をしぼり出して言う。


「な、なぜ明石を斬った……」

「敵だからです」


 けろりと答えられ、千姫は面食らってしまう。


「敵? 明石はおぬしの縁者なのであろう? 殺すことはなかったではないか……」


 千姫は地面に横たわる血まみれの明石の亡骸を見て、すぐに目をそらす。


「一刺しで殺したつもりでした。だがあいつは生きていた」

「それで首を取ったと申すのか……?」

「いかにも」


 千姫は獣を見るかのように見下した目をする。

 玉のように可愛がられ大切に育てられた千姫に、坂崎という武人の考えなど理解できるはずもなかった。


「奴はキリシタンゆえ、腹を切ることが許されておりません」


 理解されずともけっこうと思いはしたが、物知らずの姫を少しからかってやろうと卑しい気持ちが坂崎に芽生えた。


「教義で自害できぬのです。明石はこのまま生き残ったとしても、姫様を護衛できなかったことでお咎めを受けるはず。明石は馬鹿真面目……いえ清廉潔白な男ゆえ、恥の身をさらし、ぬけぬけと生きているわけがありません。武士らしく腹を斬るはず」

「……だが許されておらぬと?」

「左様です。そして、処刑で首を落とされるのは、何事よりも大きな恥となります。しかし、戦場にて討ち死にするのであれば、武士の面目も立ちましょう。我が縁者に斬首の辱めを受けさせるわけにはいかぬ、そう思った次第にござる」

「それが答えか……」


 荒唐無稽なことを言っているようで、筋が通っているようにも思えて、千姫はもやもやした気持ちになっていた。


 それを見た坂崎は心の中でにやけていた。

 しかし同時に、千姫の悪など知らぬこの初々しさを愛おしくも思った。

 大坂城の若武者のように戦の過酷さを知らぬ世代が増えてきている。

 未熟者がいるのは戦時においては嘆かわしいことだが、本当ならばそんなもの知る必要はないのだ。

 戦がなければそもそも彼らは戦うこともなく、死なずに済んだのだから。


「姫様、私の背にお乗りください。乗り心地のよいものではありませんが、しばしご辛抱を」

「誰がおぬしについていくと言った」

「は?」


 この期に及んで何を言うのかと、坂崎は眉をつり上げる。


「わらわは秀頼様の妻ぞ。なにゆえ敵の言うことを聞かねばならぬ」

「ですが、上様……お父上が姫様のことを案じております」

「すでに豊臣に嫁いだ身、わらわは豊臣の行く末を見届けねばならぬ。それが滅びだとしても……」


 面倒だなと坂崎は思う。

 感傷的になったところで、損をするだけで何も得られないではないか。

 それにお前はもう捕虜であって、選べる自由などないのだ。偉い、偉くない、正しい、正しくないなどは知らん。素直に勝者に従えばよい。


「……あんたは無責任過ぎる」

「なっ?」


 身分の高い者を前にして、坂崎の言は不躾であった。


「あんたのためにどれだけの人間が死んだか知ってるか? 皆、徳川とか豊臣とか偉い奴らのために、ご恩やら忠義やらといって命を投げ出し戦ってきた」


 千姫は憮然して聞いている。


「この明石もそうだ。豊臣のためだといって、自分のこと放っといて死んでいった。馬鹿みたいな死に方だろ。あんたを見捨てれば死なずに済んだんだ。どうだ、あんたはこいつが死んで当然だったと思うのか?」


 口をぽかんと開け、何も答えられなかった。

 彼女は生涯でこんなこと言われたことがなかった。

 そもそも叱られたことなどなかったのだ。


「こやつはおぬしが……」

「ああ、俺が殺した。だが、そうさせたのはあんただ」

「バカを申すな……。おぬしが……」

「いいや、あんただ。あんたが豊臣に残るとか言い出したから、こうなったんだ。さっさと徳川に戻っていれば、明石も死ななかったし、ここの城兵の命は無駄にならなかった。これはあんたの責任だ」


 無茶苦茶なことを言っているなと坂崎は自分でも思う。

 頭を使うのは得意ではないのだから、言いたいことを思ったように言うしかない。

 だが千姫にはこたえているようだった。


「わらわのせい……?」


 千姫の目が潤むのが見える。

 さすがの坂崎の少女の涙には弱かった。

 この高貴な姫は7歳で嫁ぎ、豊臣の妻として一生を終えるよう教育されて来たのだ。

 豊臣当主の妻であり、将軍の娘であるその立場は、誰よりも責任を負うべきところかもしれない。しかし、誰が彼女の不幸な人生を救ってくれるのだろうか。あまり事情も分からない時期に政敵に嫁ぐことになり、腫れ物にさわるかのように、大切にかつ遠ざけられて育てられたのだ。周りは敵ばかりで、信頼できる人間がいなかったことは容易に想像ができる。


「あ、あんたばかりが悪いんじゃない……。こんなどうしようもない世にしたのはこの国の皆の責任だ。下らないしきたりに従い、自分を縛り付けている奴らが悪いんだ。……気にするな」


 できる限り優しく言ったつもりだった。

 熊のような坂崎に言われても安心できるものではないが、千姫も少し落ち着きを取り戻したように見える。


「坂崎……わらわはどうすればよい……?」


 先ほどの高飛車な気質はどこへいったのやら、しおらしさを見せる。

 憎らしい姫だが、坂崎もそれで心を許してしまう。


「上様は姫様のご帰還を望んでおられる。帰る場所があるんだから帰ればいい。それがあんたのためだし、多くの者が救われる」

「そうか……。そうなのだな……」


 言葉に元気はなかったが、ほっとしたようだった。

 

「坂崎、わらわは徳川へ戻る。案内せよ」

「はっ、この坂崎にお任せを。……しからば少しお待ちくだされ」


 坂崎は自分から首から何かを外した。

 首飾りのようである。

 事切れて床に転がる明石のもとでしゃがみこみ、口にくわえさせた。


「おぬし、何をした……?」


 嫌悪感あふれる声。

 死した者にこの上何をするのかと思ったのだ。


「十字架です。これがなくてはパライソ(天国)で難儀しましょうから」

「な……」


 坂崎も明石も敬虔なキリスト教徒である。

明石も自分で十字架を持っているだろうが、首が離れていては困るだろうと思い、くわえさせたのであった。


「神の下では人は皆平等。尊い者にも卑しい者にも、同じように死が訪れ、そこに差はない……。無論、敵にも……。さあ、いきましょう」


 坂崎は血に染まった顔を布きれでぬぐい、愛用する山姥の槍を手にする。

 膝をついて屈み、千姫を背に乗せた。


「おぬし、傷は大事ないのか?」

「この程度、たいしたことは」


 口ではそう言ったものの、立ち上がるとき、甲冑の重さでよろめいてしまった。

 武装だけでも30キロ以上である。

 大小の刀2振りに槍を持てば5キロ近くはあった。

 それに加えて人一人を背負うのだから重くないわけがない。




「援軍は来ておるのか?」

「いえ、来ません」

「なっ? それでいかにして城を脱すると?」


 千姫の疑問は当然である。

 十数人で助けに来ましたと言って誰が信じられるだろうか。


「なんとかする」

「なんとかと言うても……」


 千姫はこの男を信じてよかったのだろうかと、すでに疑い始めていた。

 

「小野寺殿は……? 無事ならよいが」


 屋敷を出てから、小野寺を探すように歩いていたが、その姿は確認できなかった。

 辺りは煙が充満し、視界がかなり狭まっていた。

 これがよい条件となり、このまま見つからずに出られればよいが、と坂崎は思う。

 千姫をかばいながら戦うのはさすがに無理がある。

 せめて小野寺がいれば、多少の敵とは渡り合えるはずだった。

 槍を杖代わりにして、坂崎はできるだけ早い足で外へと向かう。


「あそこだ! いたぞー! 姫様をお救いいたすのだー!」


 坂崎の願いもむなしく、すぐにバレてしまった。

 明石の遺体を見つけた者が追っ手を差し向けたのだろう。

 敵もバカではないということだった。


 この状況ではすぐに捕まってしまうだろう。

そう判断した坂崎はすぐに大切な槍を投げ捨て、懸命に足を動かす。

 だが、明石より受けた傷が痛み、足がもつれそうになる。

 距離はどんどん詰められていく。


「わらわを置いて逃げよ。わらわのことならば心配は無用ぞ」


 背中の千姫が声をかける。

 その声は坂崎を心配するというよりも、ベストなことを言っただけで、淡々としたものであった。

 千姫は豊臣にとって最も重要な人物だから殺されるわけがないのだ。


「ここまで来て……そんなことできるか……」


 息を切らしながら坂崎は答えた。

 ここで千姫を解放したからといって、捕まれば間違いなく自分は殺されるだろう。

 坂崎にとって無駄死にほど、許せぬことはなかった。

 

「そこまでだ! 姫様を離してもらおう!」


 坂崎は文字通り必死に走ったが、ついに追いつかれてしまう。

 相手は30人ばかりいる。

 対してこちらは負傷し、重荷を背負った坂崎一人。


「終わりね。わらわが助命を請うてやろうか?」


 千姫に悪気があって言っているわけでないのを坂崎は分かったが、さすがにむっとしてしまう。


「終わってねえ……。この首がついてる限りはまだ……」


 まったく獣のような人間だ。

 千姫はあきれてしまう。

 坂崎はすでに片膝をつき、肩で息をしている。

 誰がどう見ても、絶体絶命の状況であった。


「坂崎殿、加勢いたす!」


 敵兵の悲鳴が上がる。

 そして一人の武者が敵の囲みを崩して、飛び込んできた。

 若い。

 まだ10代ぐらいであろう。

 肌は白く、目鼻は綺麗に整っていた。

 中性的な印象があり、打ち掛けを着ていれば女性にも見えるかもしれない。


「ここは私にお任せください! 坂崎殿は姫様をお連れして、本陣までお戻りを!」


 生気に満ちあふれた目を輝かせながら訴えてくる。

 若武者は巨大な穂先を持つ槍を構え、敵を威嚇する。

 坂崎はあっけにとられていたが「すまん、死ぬなよ」と短く答え、逃げ道を見定め始める。


「うおおおおっ!」


 坂崎は怒声とともに刀を抜き放ち、若武者の切り崩した場所へ走り出す。

 相手は坂崎の鬼のような形相におののき、そして千姫を背負う坂崎に攻撃を加えることができず、進路を譲ってしまう。

 これはいかんと坂崎を追おうとするが、若武者に邪魔をされ、機を逸する。


「最低ね」

「はあ」


 千姫の言葉に坂崎は無味乾燥に答える。

 この若武者は死ぬ。

 坂崎がそう思っていながら、彼一人に任せて逃げ出したことに、千姫は気づいたのである。


「ああいうところで格好つける奴は必ず死ぬ。本人がそれを望んでるんだ。叶えてやればよい」

「ほんと最低ね」

「言い訳はする気はない。あいつのおかげで俺は助かるんだ。感謝はしてる」


 坂崎は後ろを振り返ることなく、前へ前へと走り続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る