第4話「関ヶ原の戦い」

 徳川家康率いる東軍、石田三成率いる西軍が衝突した関ヶ原の戦いも中盤であった。

 石田三成は主君たる豊臣をないがしろにする徳川を糾弾するべく挙兵した。だが、徳川家康は様々な方面と外交を行い、自分こそ豊臣の世を守るものであり、三成こそ反乱軍であると喧伝して回った。

 そのため三成の正当性は薄れ、この天下分け目の合戦では苦戦を強いられていた。

坂崎と戸川は徳川方である東軍につき、出陣の機会をうかがっていた。


「兄上、戦場に動きが!」

「あん? 何事だ?」

「小早川が裏切ったようだ。大谷は壊滅し、宇喜多は逃走を開始している」

「ほう、面白くなってきたな。ではそろそろ行くか」


 宇喜多は毛利とともに、西軍の中核を担っていた。

しかし小早川が裏切ったことで毛利は身動きが取れない状態となり、中央に陣取っていた宇喜多は、多くの敵の標的とされてしまう。

 坂崎と戸川もまた、かつての主君である宇喜多秀家の軍がいるほうへと部隊を進めた。


「なあ、兄上。まさか秀家様を殺すわけではないよな?」

「ん、ああ。無論殺す気はないが、奴に運がなければ死ぬこともあろうな」

「そんなこと言わないでくれよ……。宇喜多を出た身ではあるが、できれば秀家様と争いたくない。……この戦に勝てば、宇喜多を乗っ取った豊臣方の連中を排除できるはず。そしたら宇喜多に戻り、我ら二人が秀家様をお支えいたそう」


 戸川は前田家から来た中村を殺害しようとしたため、宇喜多から追放されることになったが、それは本意ではなく、宇喜多家に尽くすことが彼の望みであった。

 この戦いも、職を失った戸川を拾い上げてくれた家康の恩に報いるために参加しただけで、結果的に三成側についた宇喜多と戦うはめになったのである。


「そうだな」


 坂崎は秀家の豪奢な趣向や、豊臣本位の方針を嫌っていたが、それらがなくなるならば、再び宇喜多に戻ってもよいと思った。宇喜多を捨てたとはいえ、自分の家に戻れるならばそれに越したことはないのだ。


「では、西軍を蹴散らし、家康様に勝利を捧げるとしよう!」


 戸川は坂崎の言葉に安心して、気持ちを切り替える。

今自分たちにできるのは家康のために戦功を上げること。そして戦後に、宇喜多を残してもらえるよう嘆願するのだ。

坂崎と戸川は西軍に突撃をしかけた。

 西軍は裏切りが相次ぎ、誰が敵か味方か分からなくなり、かなりの混乱状態であった。

 坂崎たちは労せずして西軍の将らを次々に撃破し、手柄を上げていく。

 

戦場を駆け回っていると、ついに見慣れた旗を見つける。

 旗には「兒」と書かれている。

 これは「児」の旧字で、南北朝時代に活躍した「児島高徳」(こじまたかのり)の名から取られ、宇喜多家は彼の末裔だということを示していた。

児島高徳は後醍醐天皇に尽くした忠臣であり、英雄とされている。そして『太平記』の作者とも言われている偉人である。


「兄上、あれは宇喜多勢。もう戦える状態ではないようだ、見逃してやろう」


 あちこちから攻撃を受け、宇喜多軍は背後に引くしかなかった。兵士たちも逃げるのに必死になっている。

遠くに豪奢な鎧を纏った騎馬武者が見える。おそらく宇喜多秀家であろう。

坂崎はそれを認識するや否や、馬を走らせていた。


「兄上、何をっ!?」


 馬に乗り、一番目立つ鎧を着ているのは大将である。わざわざ敵に狙われやすい格好をしているのは、この軍の指揮官は誰であるかを一目瞭然にするためである。兵士たちは偉い人の顔を知るわけもないので、偉そうな格好をしている人の命令を聞くにしているのだ。それに、戦場において目立つことが武士の名誉であり矜持であった。

大将首は、戦に出る武将にとって最も大きな手柄である。

坂崎は自然と動いていた。戦場でいつもしてきたように、大将がいる方向へ全速力で駆ける。

 これは武人の哀しい性であり、相手が秀家であるかは関係のない行動であった。

 坂崎は雑兵には目もくれず、秀家に向かってただ一直線に馬を駆る。

 坂崎の配下がそのあとを追うが、まったく追いつかない。

 坂崎は秀家を捉えたところで槍を振り上げる。


「その首、もらったあああ!」


 だが、一騎の武者が飛び出し、坂崎の視界から秀家が見えなくなってしまう。


「狂ったか、詮家!」


 明石全登であった。

 坂崎や戸川らが出奔したあと、ただ一人で宇喜多家を支えてきた男である。


「全登め、邪魔をするな!」

「秀家様は討たせぬぞ! 貴様は私情で身内まで殺そうというのか。どこまでも愚かな奴よ……!」

「知ったことか! 大将首を目前にして武士が引けるものか!」

「大馬鹿者めが!」


 坂崎と明石は槍を馬上で打ち合わせる。


「さすがにやるな。お前とは一度競ってみたいと思っていた」

「ふん。わしとて、10万石の大名よ。お前のようなゴロツキとは違うのだ!」

「政治屋風情が言わせてくれる!」


 激しく打ち合いを続けた末、坂崎はその怪力で明石の槍をへし折ってしまう。


「くっ……」

「終わりだ、全登! 10万石の首、いただくぞ!」


 坂崎が明石の首元に槍を突き入れようとしたとき、地響きとともに怒号が鳴り響いた。


「かかれーーーっ!」


 騎馬の大軍が戦場を横断し、坂崎のほうへ向かって来ていた。

 宇喜多の救援に現れた西軍の軍勢のようだった。


「明石殿、撤退を!」

「かたじけない……!」


 武器を失った明石は、大軍を率いて現れた老将の言葉に従って撤退する。


「待て、全登!」

「兄上、これはまずい! いったん引かねば!」


 明石を追おうとする坂崎を、ようやく追いついた戸川が馬を割り込ませて停止させる。


「どけっ! 奴を逃すのか!?」

「何を言ってるんだ、兄上! あれは全登だぞ! それに今はそんなことしてる場合じゃない!」


 西軍の部隊が次々に駆けつけてくる。

 このままではあっという間に飲み込まれ、退路を失ってしまう。


「くそっ! 撤退する!」

「どこへ行く若造。よもや敵前で逃走するわけではあるまいな?」


 撤退を決めた坂崎の背に、挑発の言葉が投げかけられる。

 当時40近い坂崎を小僧呼ばわりしたのは、明石を逃がした老将であった。

 坂崎は当然のようにその挑発に乗り、すぐに馬を返す。


「ほう。武人たる者、そうでなくはな。我は島清興。うぬの名は?」

「島? もしや、三成に過ぎたる者と言われた島左近か!?」


 この老将の名は島清興(しまきよおき)。通称、島左近(しまさこん)。

 石田三成が俸禄の半分を差し出してまで雇った重臣中の重臣であり、勇猛な武将としても知られ、60歳を越えても衰えることはなかった。


「これは全登以上の獲物がよく飛び込んできたものだな……。俺は宇喜多詮家。貴様の最後の相手となる男だ。覚えておくがよい」

「ふ、威勢のよいことだ。さあ、かかってまいれ。我が首をおぬしの手柄とするがよい!」


 坂崎と左近は互いに馬を前へと進める。


「兄上、馬鹿なことはやめろ! こんな状況で一騎討ちしてる場合か!」


 戸川は制止しようとするが、すでに西軍に取り囲まれ、身動きのできない状態になっていた。


「ちっ、手遅れか……」


この窮地を脱するには大将を倒すしかないと判断し、戸川は坂崎とともに左近に対峙する。

 左近は戦場に落ちた槍を馬上から器用に拾い上げ、二本の槍を坂崎と戸川に向ける。

 これは一人で二人を相手にするという意味であった。


「舐めたことしてくれる……」


 坂崎らも人並以上の怪力の持ち主であったが、左近はそれ以上であった。

 長柄の槍を二本振り回し、両足で抱え込むように馬を操っていた。

 坂崎と戸川は左近に二人がかりでしかけるが、左近は二本の槍で見事に防いでしまう。


「兄上、こいつ化け物だ……」

「ひるむな、達安! 奴とて人間よ。根気よく挑めば自ずと勝機が見える」


坂崎自慢の山姥の槍は、妖怪をも退治する妖槍だが、相手に当てることができなければ、肉を貫くことも、消し去ることもできない。

 坂崎たちの槍は確かに左近に届かなかったが、これは左近の槍が坂崎たちに届かないということでもあった。二人が攻撃をしかけているうちは、さすがの左近も防戦に専念するしかないのだ。


「達安、俺に合わせろ」

「ん、どうする気だ?」

「いいから合わせろ!」


 戸川に説明することなく、坂崎は左近との間を一気に縮める。

 左近は坂崎の突撃に備えて、槍を脇にはさんで構える。

 坂崎は槍で突進していくかに見せて、走りながら槍を地面に突き刺す。


「なに!?」


 坂崎が突然槍を捨てたことに左近は戸惑う。

 突進をやめず空手のまま突っ込んでくるので、左近は右手の槍を上からたたきつける。

坂崎は避けようとせず、左近の槍を肩でもろに受けた。

甲冑の袖が砕け散る。


「ぐおおおっ!!」


坂崎は肩を砕かれてもさらに突撃し、左近の右腕につかみかかった。


「やれ、達安っ!」

「でやあああっ!」


 坂崎の命令とほぼ同時に、戸川は槍を水平に差し入れる。

 坂崎に組み付かれた左近は身動きが取れず、その槍を胴に命中させられ、馬から吹き飛ばされる。

 槍は鎧を貫通していなかったが、地面に打ち付けられた左近は、強烈な衝撃に苦しみもがいていた。

 坂崎は馬を落ちるように下り、左近に迫る。


「ぐっ……見事だ、若造。さあ、我が首を持って行け」

「言われずとも」


 坂崎は自らの刀を引き抜くと、ためらうことなく、左近の頭に体との別れを告げさせた。


「島左近、討ち取ったり!」


 坂崎は声高らかに叫ぶ。

 その声を聞いた島軍の兵士は、坂崎の手に主君の首が捕まれているのを目にする。

一瞬怒りで眉間にしわを寄せたが、次の瞬間には口を歪ませ逃げ出していた。

 もともと西軍は崩れかけていて、島左近がいたから潰走せずに済んでいたのだった。左近がいなくなれば、もはや西軍の形を押しとどめるものはなかった。


「やったな、兄上!」


 戸川が坂崎の乗り捨てた馬を拾ってやってくる。


「ほれ、これはお前が持っていけ」


 坂崎は持っていた首を戸川に押しつける。


「よいのか!?」

「ああ、お前はそれを持って本陣に戻れ。俺は秀家の様子を見てくる」

「なっ? まさか手にかけるつもりでは……?」

「いや、もうそんなことはせん。ただ、心配なだけだ」

「信用してもよいのだな……?」

「ああ」


 戸川は坂崎の目をのぞき込む。

冗談や功名心の色は見えなかった。嘘ではないようである。


「分かった。秀家様を頼む。だが、ケガはよいのか」

「ああ。腕一本持って行かれるかと思ったが、なんとか繋がってる」


 左近に受けた槍で右肩を砕かれ、腕が上がらないようだった。


「無茶をするから……」

「奴には腕一本以上の価値がある。こんくらいで済んで安いほうさ」


 戸川は左近の首を抱え、本陣に帰って行った。

 坂崎は秀家の逃げた方向へ馬を走らせる。

 宇喜多の死体があちこちに倒れている。主君を守るために戦い、散っていったのであろう。


「くそっ、急がねえとな……」




 山に入ったところで南蛮鎧の男が倒れているのを見つける。


「行長!」


 キリシタン大名の小西行長であった。

 元宇喜多家臣で、坂崎との付き合いは長い。


「おい、しっかりしろ」


 坂崎は馬を飛び降り、小西を抱き起こす。


「うっ……」


 ケガを負っているようだが、まだ息はあった。


「秀家はどうした?」


 小西は肥後の宇土(現在の熊本県中央部)に20万石を持つ大名で、主力の宇喜多軍の背後を受け持っていた。

 小早川秀秋が裏切り、背後を突かれた宇喜多は潰走、小西もそれに巻き込まれ、思ったように動くことができずに壊滅していたのであった。


「多くの者が討ち取られ……わずかな兵を引き連れ逃げられているはずだが、その行方までは……」

「くそっ!」


 坂崎は地面を殴りつける。


「行長、俺の馬を使え」

「お前はどうする気だ……?」

「俺はお前と違って、裏切り者の東軍の将だ。追われることはない。それに落ち武者狩りに会おうとも、この槍で突き殺してやるわ」

「ふっ、相変わらず剛毅な奴よ。すまぬ……。また生きて会おうぞ……」

「ああ、神のご加護があらんことを」


 坂崎は小西を自分が乗ってきた馬に乗せる。

小西は伊吹山へと逃げていった。

 しかし数日後、休憩のために立ち寄った先で領主にかくまわれるが、自ら敗戦の将であると名乗り出る。

そして10月1日、西軍を指揮した石田三成とともに、京の六条河原で処刑される。

坂崎との再会は、イエズス会の教会で行われた葬儀であった。




 坂崎は小西と別れたあと、徒歩で関ヶ原を走り回った。

 しかし秀家を見つけることはできなかった。

 ひときわ目立つ豪奢な鎧を纏った秀家が逃げ切れるはずもなく、落ち武者狩りに遭ってしまう。だが、潔く東軍に差し出せと死を受け入れたため、落ち武者狩りをしていた地侍は秀家を不憫に思い、長期にわたってかくまうことにした。

その間にも、西軍の将は次々に捕まり、処刑されたり謹慎処分になったりしていた。秀家の妻・豪姫は、戦に負けて重罪人となってしまった宇喜多との縁を切り、前田家に戻ることになる。

秀家はそうなる前に豪姫と一目会いたいと懇願する。

逃げ隠れている状態なのに、危険を冒して豪姫に会う必要はないだろうと家臣に強く引き留められるが、秀家は意志を曲げなかった。

徳川側の監視をすり抜け、豪姫が前田家に戻る直前、大坂にて彼女と再会を果たした。

その場には豪姫の付き人である中村も同席しており、秀家がどれだけ前田家とのつながりを大切にしているかを知り、涙した。そして、宇喜多再興のために、前田家はできる限りの支援をすると約束したのであった。

秀家は再起を図るため、南九州を治める島津家を頼って九州に渡る。いったん逃げるしかなかったが、全国の豊臣恩顧の将が立ち上がれば、再び盛り返せるはずだと考えたのである。

しかし、情勢が変わることはなく、徳川による支配が進んでいくばかりであった。島津も秀家をいつまでも隠しておくわけにはいかず、申し訳なく思った秀家は自ら出頭すると申し出た。

徳川に引き渡された秀家は死刑を命じられる。しかし、前田家が強く嘆願したため、八丈島への流罪と、刑が軽くなったのであった。 




この一年間の出来事によって、宇喜多家は分裂、そして関ヶ原の戦いで敗れた本家は改易されてしまう。

秀家は宇喜多を名乗れなくなり、浮田(うきた)と改めた。

宇喜多を捨てた詮家は、坂崎直盛となっていた。

明石は秀家をかばって戦い続け、ついに黒田長政に捕縛される。そして、その父である黒田官兵衛にかくまわれることになる。官兵衛は明石と同じキリシタンであり、母方が明石氏であった。

 坂崎は、14年後に明石が宇喜多家の再興を目指し大坂城に入るまで、明石が九州で生き残っていたことを知らなかった。

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