第3話「宇喜多騒動」

「兄上、かくまってくれ!」


 坂崎の大坂屋敷に大男が現れ、門番を押しのけ面会を求めてきた。


「何事だ、達安。こんな夜更けに」


 深夜、坂崎は寝ていたところを起こされ、かなり不機嫌である。

 相手がこの義理の弟でなければ殴りつけていたかもしれない。


 人より頭二つ分ぐらい大きい、筋骨隆々の男は、戸川達安(とがわみちやす)といった。

 歳は坂崎より少し下の30過ぎで、戦に出れば自ら先頭に立って戦うタイプの将である。姉が坂崎に嫁いでおり、坂崎とは若い頃から兄弟のように戦場を駆け抜けた仲である。


「中村を殺し損ねた……」

「中村? ……あの中村次郎兵衛か?」


 戸川は青ざめた顔でうなずく。

 中村とは宇喜多家の家老だが、当主である秀家が、前田利家の娘・豪姫と結婚したときに付き人してやってきた前田家の家臣であった。

 秀家は中村を重用したため、戸川ら古参の宇喜多家臣はこれを快く思っておらず、たびたび衝突を起こし、ついに戸川は中村の命を狙ったというのである。

 しかし計画は失敗し、中村はまだこの世に残っており、秀家に助けを求めているころだろう。

今度は戸川に危機が迫る番であった。


「面倒なことをしてくれるな……」

「だがよ、兄上も日頃から、いつか殺してやると言ってたじゃないか」

「それはそうだが、殺すつもりなら確実に殺さねばならん。失敗した奴は捕まろうが殺されようが文句は言えんぞ」


 人を殺しても利益を得ようとする者は、そのリスクを自分で負うことになっている。ある程度の殺人が容認されている戦国時代ではあるが、人を殺す意味は大きく、人や国に多大な影響をもたらす。だから人を殺す者は、最低限自分が殺されるくらいの覚悟を持たねばならない。


「俺はどうしたらいい……。捕まって殺されちまうのか……? 秀家様はかばってくれるよな? 宇喜多家のためを思ってやっただけなんだから……」


 戸川は戦場では仁王と称される剛将、しかしこのときは子供のように震えていた。

 戦場で死ぬならまだしも、家老を殺害しようとした罪で、主君・秀家に裁かれるのは、忠実な家臣である彼には耐えられないことであった。

 しかし、秀家はお気に入りの中村に危害を加えた戸川を許すはずがない。

 

「分かった。俺が秀家と話をつけてくる」

「よいのか?」

「ああ。俺も中村が気にくわなかったのは確かだ。それに秀家のワガママには付き合いきれんと思っていたところよ。中村を追い出すついでに、秀家にガツンと言ってきてやるわ」

「おお! さすがは兄上!」


 戸川は勇気づけられ、元来の血色のいい肌に戻っていた。


「詮家はおるか!?」


 坂崎のよく知った声が夜の屋敷内に響き渡る。どうやら望まぬ訪問者がもう一人現れたようである。

 宇喜多詮家。坂崎直盛がかつて名乗っていた名前である。

 坂崎は奥へ行っているようにと、戸川にあごで合図する。


「おお、ここにおったか、詮家」


 廊下をどたどたと走り、坂崎の前に姿を現したのは明石全登であった。

 坂崎はうんざりとした顔で応える。


「大変なことになったぞ!」

「なんだ騒々しい。何が起きた?」

「戸川が早まって中村を襲撃したのだ!」

「そうか」

「む。驚かんとはすでに情報が入っていたか」

「あ、ああ」


 今、その本人から聞いたところだ、とは言えない。


「むむむ、これはおおごとになってしまうぞ……。前田様にどのように弁明すればよいのだ……」


 頭を抱え込む明石に、坂崎は思ったことを口にする。


「中村の首を持っていってやればよいではないか」

「なっ!? 何を言うか、詮家! そんなことすればどうなるか分かっておろう!」

「戦だな」

「分かっておるなら、なにゆえ言った!?」

「中村は宇喜多家を揺るがす大騒動を生んだ火種よ。それを始末して何が悪い。中村がいては、奴の専横に不満を持つ者と、宇喜多家は二派に分裂してしまう。そうならぬために、戸川は先手を打って、中村を誅そうとしたのであろう。ならば、我らがそれを成し遂げてやり、宇喜多のために尽くそうではないか」


 明石は坂崎の言葉に衝撃を受け、たじろいでしまう。


「待て待て。もとはと言えば、中村を敵視している戸川がおかしいではないか。中村は前田の人間だが優秀な人材で、秀家様は大層気に入っておられる。ともに手を取り合って宇喜多を支えればよいだけであろう」


 坂崎は眉をしかめる。


「そいつは正論だ。だが人間は正論だけでは生きていけぬ」

「なっ……」

「中村ができる奴なのは分かる。しかしな、古参の将からしてみれば、あとからやってきたよそ者が宇喜多を牛耳っているのは、とうてい許容できるものではない。これまで宇喜多のために血を流してきたのは自分たちだ、って自負があるんだよ。中村を追放するまでは収まらん」


 明石は言い返すことができず、歯を強く噛みしめている。


「お前の言いたいことは分かる。分かるのだが……それでは本当に戦になるぞ」

「構わん。宇喜多が二つに分かれるよりマシだ」

「戸川はどうする? 秀家様がこの件を許すはずがない」

「逃がしてやる。奴は功労者だ」

「バカな……」


 明石はあぐらをかいて座り込み、頭をかきむしる。


「ダメだダメだ。これは宇喜多だけの話ではないのだ! 前田様と争うことになれば、徳川がそれにつけいり、何をしてくるか分かったものではない。徳川は豊臣をないがしろにし、いずれは天下人の座を奪い取るつもりなのだぞ……。豊臣の世を維持するためには、宇喜多が前田様と力を合わせ、徳川を押さえつけねばならぬ。今は我らがいがみ合っているときではない」


 前田利家の娘・豪姫は豊臣秀吉の養女として、宇喜多秀家に嫁いでいた。つまりこれは三家をつなぐ婚姻であり、宇喜多は豊臣の一族として、豊臣政権に尽力するという契約でもあった。

 前田利家は前年に亡くなっており、子の利長が五大老に就任している。秀家も五大老であるから、5強のうちの2つがつながることはどれだけ大きいことか分かるだろう。


「そんなに豊臣が大切か?」

「ああ、大切だとも。宇喜多は豊臣の一門、豊臣なくして宇喜多の繁栄はあり得ず、宇喜多なくして豊臣は成り立たぬ」

「それは宇喜多が宇喜多であればだろう」

「は?」

「宇喜多が豊臣に尽くす、大いにけっこう。だが、宇喜多は宇喜多でなければならぬ。宇喜多ではない者が宇喜多を決め、豊臣に尽くすのはおかしな道理だ」

「しかし中村はすでに宇喜多の……」

「前田の意向がないと言い切れるのか?」

「それは……」


 明石は言いよどむ。

実際に豪姫、中村の発言権は大きく、前田に歩み寄る方針や政策を主張することが多かった。


「俺はそんな宇喜多の意味はないと思っている。豊臣と前田の傀儡になりさがった宇喜多など滅んでくれていっこうに構わん」

「おい、お前も宇喜多の一門ではないか! なぜそんなことを軽々しく言えるのだ!」


 坂崎は秀家の叔父で、父・忠家が隠居してから宇喜多のナンバー2である。

 坂崎の発言は宇喜多において、かなり大きな影響力がある。


「宇喜多は欲しいものを自力で掴んできた一族だ。それが他者のいいなりなど、実につまらん。そんなつまらんものに用はない、それだけのことよ」


 宇喜多は、守護代・浦上家の家臣に過ぎなかったが、下克上により浦上家を滅ぼし、近隣勢力を追い落として、ついに大名になった家であった。


「つまらないのはお前だ! 感情でものを言うな、子供でもあるまいし」


 坂崎はむっとしたが、何も言い返さず沈黙する。

 これ以上話をしても無駄だと思ったのである。

 明石も同じことを思い、諦めて話を変える。


「戸川の首を出さぬ以上、大きな混乱は避けられんだろう。どちらにしろ宇喜多は二つに分かれる。詮家、お前はどうする?」

「どうする、だと?」


 親前田派か、保守派か。

 坂崎は少し考えてから自信を持って答える。


「宇喜多を出て行く」

「……そうか」


 明石は大きなため息を吐く。

 どちらの派閥に入るかではなく、もっと別の選択肢を出してくるのは想定済みだった。


「止めないのか」

「止めたらやめてくれるのか?」

「いや?」

「ならば無駄なことはせん。……だが、豊臣のことを思えとは言わぬが、宇喜多のことは考えてほしい。下手をすれば宇喜多は取りつぶしになり、家臣たちは路頭に迷うことになるのだ」


 そう言って明石が退席しようとするところを、坂崎が止めた。


「待て。ここは小西を頼ろう。徳川と豊臣の仲介役をしている。奴ならばうまくやってくれるはずだ」


 小西とは小西行長(こにしゆきなが)のことである。

 もともとは商人であったが秀家の父・直家に認められ、宇喜多の武士となった。その後、秀吉に引き抜かれ、豊臣家臣として豊臣が少しでも有利になるよう、徳川方と交渉をする役目についていた。


「そうだな、それがよい。奴は信用できる。問題を大きくせず、うまく処理してくれるに違いない」


 小西は早くからキリスト教に帰依し、坂崎と明石は彼に誘われ、キリスト教徒になっていた。それもあって、三者はそれなりに良い関係にあったのだ。




 その後、小西の交渉は成功し、徳川家康はお咎めなしとした。

2派に分かれた武力的内紛が起きれば、その責任を問われる可能性もあったが、何も起きなかったのである。

宇喜多と前田の関係は維持され、中村は前田家に無事帰ることができた。

 しかし、坂崎や戸川ら、宇喜多古参の将は出奔し、宇喜多の影響力は大幅に下がり、それに合わせて豊臣もまた力を落とした。

 家康はやはりその隙を見逃すはずがなく、豊臣勢力を一掃すべく挙兵する。

豊臣と徳川、どちらが天下を治めるのにふさわしいのかを決める、関ヶ原の戦いが始まった。

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