第2話「大坂城潜入」

 大坂城は幾度も行われた戦いにより、掘りは埋まり石垣はくずされ、外との境界が分かりにくくなっていた。

 そして城内も、破壊された構造物や両軍の兵が死体となって転がったままになっている。

 大坂城の防衛機能の多くが失われ、坂崎と小野寺はわずかな手勢しか連れていなかったが、難なく大坂城へ入ることができた。


「うまくいったな、坂崎殿」

「戦は度胸よ! こういうのは堂々としていればバレんもんだ」


 放たれた火があちこちに燃え移り、消火に当たる者と逃げ出す者とで大混乱に陥っていたのも、潜入成功の要因の一つとして大きい。

 坂崎は10人の手勢を引き連れ、わざわざ敵兵の振りをすることもなく、堂々と奥へと進んでいく

 大坂城は難攻不落と謳われた巨城。

 怪しい者が近づけば、矢と鉄砲の雨で盛大に歓迎されるはずだったろう。

 だが、今は非常事態。

 少数の兵が混じり込んだぐらいでは気づかれないのだ。


「それでどうする、坂崎殿。このまま天守に乗り込んだとして、まともに戦っても勝ち目はない。味方の援軍は来ると思うか?」

「来ないだろうな」


 小野寺の問いに坂崎は断言した。


「この任務は成功率が低い。下手に我らの作戦に加われば、失敗してともにお咎めを受けかねん。奴らがそんな危険を冒すはずがない」

「なるほど。わしらに褒美を取られるのが悔しいと思っても、遠くから見ていることしかできぬわけか」

「来るなら、俺たちが千姫を城から連れ出したときか、失敗して死んだときだろうよ」

「フハハハハハ! 違いない違いない!」


 彼らのラッキーはあまり長く続かなかった。

 剛毅な笑いに、血の気に満ちた紅顔。その様は豊臣勢の中においては、いささか特異であった。


「貴様ら、どこへいく 」


 火を消すでもなく、逃げ出すでもなく、本丸に向かって歩みを進める坂崎らに疑問を持つ者たちがついに現れた。


「怪しいな。名を名乗れ!」


 数は50人ほど。

 10人程度しか連れていない坂崎たちは、あっという間に取り囲まれてしまう。


「まずい状況だな、坂崎殿。ここは、我が弁舌をもって説き伏せてみせようか?」

「ふっ、ご冗談を。小野寺殿にそのような才があったとは聞いたことがない」

「フハハ、バレたか。では降伏するか?」


 小野寺の声に恐怖や緊迫感というものはなかった。


「我らの才が遺憾なく発揮される策でいくとしよう」

「承知」


 小野寺の返事が終わるや否や、坂崎は近くいた者の喉元に槍を突き入れた。

 敵兵は短いうめき声を上げ、その場に崩れ落ちる。


「敵と思ったら斬れ。戦場の鉄則も知らぬとは、豊臣勢は戦の仕方をまるで知らぬと見える」


 場の雰囲気が変わった。

 血がさあっと足下まで引き、そしてすぐに勢いよく脳天まで上がってくる。

 仲間が殺された。目の前にいる奴は敵だ。仇を取らねばならぬ。


「出会え、出会え! 敵襲だー!」


 周囲から大勢の敵兵が飛び出してくる。

 火事の混乱状態といえど、目の前に敵がいれば戦うしかない。彼らもまた武士であった。

 坂崎への包囲はさらに厚くなっていく。


「千姫はやはり本丸御殿だろうか?」

「いや、度重なる砲撃でめちゃくちゃになってるって話だ。二の丸御殿を当たってみたほうがいい」


 徳川軍は大筒による遠距離砲撃で、直接手を下すことなく城にダメージを与えていた。

 大将や側近がいる本丸御殿や天守を集中的に砲撃したのである。

 これは将を討ち取るためではなく、豊臣方に精神的な被害を与えるのが真の目的であった。


「そうかそうか。どれ坂崎殿、余興として、どちらが先に千姫を見つけられるか競わんか?」

「ほう、余興ときたか。勝負にならんかもしれんが、それでもよろしいか?」

「ふっ、言ってくれるな」


 小野寺は坂崎の言葉に思わず失笑する。


「俺は向こうにいく。小野寺殿はあっちを頼む」

「任されよう」

「いくぞ!!」


 坂崎と小野寺は敵集団に向かって突撃する。

 部下もそれに続く。

 火災が次々に広がっていく中、敵味方入り乱れた戦いが始まった。




 大坂城は広い。

 防衛用の石垣や櫓だけではなく、大坂の陣のように長期間に渡る合戦に備えて、屋敷や蔵もたくさん並んでいる。

 坂崎は雑兵を槍で蹴散らしながら突き進む。

 散開したのが功を奏していた。

 敵もまた分散し、一度に相手にしなければならない数が減る。

 坂崎は50歳を超えたといえ、戦をほとんど経験していない若造など相手にもならなかった。関ヶ原の戦いから15年、大きな戦がなかったため、戦争がどのようものか知らない世代も増えてきているのだ。


 当然、敵のほうが多勢であるから、被害は免れ得ない。

 坂崎の従者は次々に討ち取られていく。

 彼らも坂崎とともに長年戦い続けてきた配下、戦って死ぬ覚悟はついている。むしろ戦場で死ねて本望と思っていることだろう。

 だからこそ、坂崎は同胞の死には目をくれず、己の戦いに集中できる。

 分かれた小野寺も同様である。

 死ぬか生きるかは同じ条件で訪れるのだ。相手のことを気にする必要はない。

 それに坂崎は、百戦錬磨の小野寺が死ぬような男ではないという信頼も持っていた。




 しつこく勝負を挑んでくる兵士どもをまき、包囲を突破した坂崎は小さい粗末な屋敷に入る。

 坂崎がここに入ったのには勘ばかりでなく、理由がある。

 城に火がつき、これ以上の籠城は困難だと思った大坂方は、貴人を逃がし再起を図るはず。

 だがここまで城内が大混乱になっては、安全に逃がすのは非常に難しい。

 混乱が収まるまでは、目立たない場所でひっそり隠れるに違いないと思ったのである。

 その判断は正解だった。


 奥に鎧武者ひとりと、戦場には場違いな豪奢な服をまとった若い女性ひとり。

 間違いない。女性は千姫である。

 顔を見たことはないが、あんなにきらびやかな格好をしている女性が普通の人間であるわけがない。

 もう一人の男は坂崎がよく知っている人物であった。

 坂崎を見るや否や叫ぶ。


「詮家(あきいえ)! 貴様、なぜこのようなところに!?」

「全登 (てるずみ)! その名で呼ぶな、すでに捨てた名だ!」


 特徴的な南蛮鎧を着ている男の名は明石全登(あかしてるずみ)。

 大大名であった宇喜多(うきた)家の一族で、家老として宇喜多家を誰よりも愛して、誰よりも命をかけて支えた男。

 だが、先の大戦・関ヶ原で敗れたため宇喜多家は取りつぶしにあい、明石は職を失い、母方の実家が明石氏である黒田官兵衛にかくまわれ、そののち大坂の陣が起きるまでは薩摩に滞在していた。

 坂崎とは従兄弟で、同じ宇喜多家を背負う血縁であった。


 本来ならば明石と同じく、坂崎も職を失う運命になるはずだったが、滅びる宇喜多家を捨て徳川家についた。

 そして、宇喜多詮家という名をも捨て、今の名、坂崎直盛に改めたのだ。

 それが坂崎について回る悪評の一つである。


「この裏切り者め……」


 明石の体がわなわなと震える。

 明石の気持ちは坂崎にも分かった。

 血縁者が裏切っただけでなく、再び彼の道を阻もうとしているのだ。


「全登、姫様を渡せ。そうすれば、貴様は見逃してやってもいい」

「バ、バカを申すな! 左様なこと、できるものか!」

「……詮家でもあるまいし、か? 相変わらず馬鹿まじめだな。これ以上豊臣に付き合っても何にもならんぞ。無用に死ぬだけだ」

「これがわしの生き方よ。武士として恩義に報い、忠義を尽くす。我が主君・秀家様に代わり、豊臣をお守りするのみ!」


 宇喜多家当主・宇喜多秀家(うきたひでいえ)は、豊臣政権下において五大老の一人であった。

 徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、小早川隆景に並ぶ、最強大名の一角。

 現代でたとえるならば、内閣官房長官や与党の幹事長クラスである。

 秀吉の寵愛を受け豊臣のために戦うが、関ヶ原の戦いで家康に敗れてしまい、八丈島に流罪となっていた。

二度と本土の地を踏むことはできないと思われる。

  

 宇喜多が敗れ、没落した要因は、坂崎にあると言っても過言ではない

 坂崎は秀家の叔父だったが、非常に仲が悪く、家臣間のトラブルの際に、多くの家臣を引き連れ、宇喜多家を出て行ったのである。

 そして坂崎は関ヶ原の戦いでは家康側につき、豊臣方の秀家と直接戦った。


 坂崎が秀家を嫌った理由はいくつかあった。

 秀吉のような豪奢な趣味が無骨な坂崎と合わなかったこと。

 秀家の母が秀吉の側室(愛人)となり、秀家のワガママがまかりとおったこと。

 容姿端麗の美丈夫であること。

 

「豊臣のために生きるのであれば、なぜ千姫を連れ出そうとする。徳川の姫ではないか」


 千姫は明石のうしろに隠れて、坂崎を怪訝な目でにらみつけている。

 母は戦国一の美女と謳われたお市の娘・お江(ごう)。

 歳は18、見た者を虜にしてしまうほどの美女と噂されているが、しかめた顔からでも想像にたやすい。


「姫様は秀忠殿のご息女にして、秀頼様のご正室。豊臣が再起を図るには、徳川と一つになる他ない」

「一つにだと……?」

「姫様のご縁を使って、豊臣は徳川の一部となるのだ。それにより、一縁戚として一家臣として、豊臣は後世にまで形を残すことができる」


 豊臣家は秀吉によって日本のトップになったが、秀吉の死後、その座は徳川に取って変わられた。

 再びトップに返り咲こうとしたのだが、このように負け戦になっている。

 トップをあきらめ、徳川に付属する一族として生き残ろうとしているのだった。


「分からんな。それは豊臣と徳川の話だ。お前はそれでどうする。お前はそれで満足なのか?」

「満足なわけがなかろう……。わしの望みは宇喜多再興。豊臣家が再び天下を治めることで、宇喜多は返り咲くことができたはずなのだ。しかし、それももはや叶わぬ夢……。今となっては両者が和解することで、家康殿が宇喜多への恨みを忘れてくれるのを祈るのみ……」


 明石は苦々しい顔をする。

 関ヶ原で敗れ浪人となり、14年後大坂に姿を現したのは、宇喜多秀家を呼び戻し、宇喜多家を再興するためだったのだ。

 豊臣家への恩返しもあるが、明石は何よりも宇喜多の家が大切だった。


「知らんな」

「なっ?」


 明石は聞き返してしまう。


「知らねえって言ってんだ! それは貴様らの事情だ。俺の知ったこっちゃない!」

「詮家、お前はそこまで愚かであったか……!」

「愚かでけっこう。考えるのは昔から苦手なんだよ! 俺は姫様を助け出す任務を負っている。だからお前を倒す。それから姫様を連れて逃げる。そして報償をもらう。単純なことだ!」


 坂崎は槍を放り、刀をすばやく抜き放った。

 一気に間合いを詰め、明石に斬りかかる。

 ギィンと刃物が激しくぶつかり合う音。

 明石もまた刀で応じていた。


「お前はいつもそうだ! 頭で理解できぬとすぐ感情で動く!」

「頭で考えてたら出遅れちまう! 何も手に入れることはできん!」

「それで何を得た!? お前のワガママのせいで家は滅んだ! 我らは誇りを、生きる理由を失ったのだぞ!」


 坂崎と明石は刀を幾度も打ち合わせる。

 ともに実戦で鍛えた剣技。

 道場で教わる剣術のような華麗さはないが、一撃一撃が相手の命を奪う剛の剣。


「自由を得た! 何にも縛られず戦うことのできる自由をな!」

「狂ってる! お前は個人的な欲で人を殺すというのか!」

「それの何が悪い! 武士など人を殺す理由を、難しい理屈で正当化した殺人狂ではないか!」

「なんだと!? これ以上、我らを侮辱するなぁ!」


 明石は刀を地面と水平にし全体重を乗せて、鋭く渾身の突きを差し込む。

 坂崎は反応できない。


「もらった!」


 明石の刀は左の脇っ腹をえぐる。

 胴体を貫くつもりだったが、坂崎が体を反らしたことで切っ先が体の中心からずれてしまった。

 坂崎は苦痛に堪え、歯を食いしばる。

 だがそれからすぐに、したりと得意げな表情になる。

 その瞬間、坂崎は脇を締め、明石の刀を抱き込んでしまう。


「なにっ!?」


 分かったときにはすでに遅い。

 刀は脇でロックされ引き抜くことができない。

 坂崎ははじめからカウンターを狙っていたのだ。

 右手の刀が明石の脇の下に突き入れられる。

 鎧で覆われていない部分で、少し力を入れるだけで深く刃が沈んでいく。


「ぐはぁっ!!」


 明石から苦悶の息とともに血が吹き出される。

 明石は前のめりに倒れ込み、坂崎の足下に転がった。


 勝負あった。

 坂崎は刀を一振りして血を払うと鞘に収めた。


「では参りましょう、姫様」


 坂崎は一呼吸して気を落ち着かせ、ことの顛末を強制的に見させられて呆然とする千姫に声をかけた。


「ま、待て……」


 足にしがみつく物体が苦しげに言葉を吐く。

 坂崎の顔が険しいものに変わる。

 ゆっくり振り向くと、刀を抜きざまに振り下ろす。

 明石の首が胴より切り離された。

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