愚将・坂崎直盛

とき

第1話「大坂の陣」

「三国無双と謳われた大坂城も風前の灯火だな」

「うむ」

「張り巡らされた自慢の掘は埋まり、牢人衆を引き連れた真田幸村も討ち取られた」

「左様ですな」


 夏の日、二人の男が山のように巨大な大坂城を眺めていた。

 天高くそびえる天守は、かつての戦いで大砲の弾が当たり一部が崩れ、修復されぬままになっている。

 徳川本陣では、これから行われる総攻撃に備えて、多くの将兵が待機していた。

 戦況がくつがえることはない。あとは残党を倒し、敵総大将を捕らえるだけと、緊張感はあまりなかった。


「腕が鳴る。今回の戦は小競り合いばかりにしか参加できず、活躍の機会がまったく回ってこなかったからな」


 ひげ面の男は甲冑をカチャカチャ鳴らし、腕を振り上げてみせる。

 風貌は熊のように野性的で、ギラギラした目から強い精気が感じられる。


 彼の名は坂崎直盛(さかざきなおもり)。

 岩見国(現在の島根県)津和野3万石の大名である。

 天下人・豊臣秀吉に従い、戦国乱世を駆け回った猛将で、齢50を超えてなお盛んであった。


「これが終われば、しばらく大きな戦はないだろう。柳生殿もどうだ、一暴れしてこないか?」

「……拙者は上様をお守りする任がありますゆえ」


 柳生と呼ばれた男はキセルを口から離し、ゆっくり煙を吐いてから答えた。

 頬骨が突き出し精悍さのある顔立ち、いかにも剛直そうな男である。

 坂崎や他の将と違い、戦の前にもかかわらず、甲冑を身にまとわず軽装のままであった。


「欲がないのだな、柳生殿は。……それとも、臆病風に吹かれたか?」


 坂崎は下品な顔を柳生に向ける。

 だが柳生は眉ひとつ動かさない。

 坂崎は挑発を続ける。


「聞いた話では柳生殿は人を斬ったことがないとか。将軍の剣術指南役がそれでは若造になめられちまうだろう。なんなら、この俺が人の斬り方を教えてやってもいい」


 柳生宗矩(やぎゅうむねのり)。

 新影流を極めた剣豪・柳生宗厳の子で、二代将軍・徳川秀忠の剣術指南を務めている。

 剣技は徳川随一とされるが、真剣で人を斬ったことがないと噂されていた。

 

「それはありがたいお話」


 肯定するでも否定するでもない返事であった。

 坂崎の話に興味がないのであろう。

 大坂城の天守を眺めながらタバコをふかしていた。

 打てど響かない。

 面白みのない奴めと、坂崎はつばを吐き捨てる。


「火だ」

「は?」


 坂崎は柳生の発言にタバコを連想してしまう。

 だが違うことはすぐに分かった。


「城に火がついた」


 柳生が眺める先に赤い光点。

 大坂城のあちこちで火の手が上がっていたのだ。


「くそっ、抜け駆けされたか!」


 全軍による総攻撃の前に、誰かが抜け駆けをして攻め入ったのではないか、坂崎はそう解釈した。


「違う。あれは豊臣方が火を放ったのだ」

「敵が? なぜ?」

「もはや勝ち目はないと見て、一部の者が逃げ出したのであろう」


 大坂城に籠もるのは豊臣秀頼を大将とした者たち。

 秀頼は秀吉の子で豊臣家の当主である。

 徳川家康はかつての主君である秀吉が亡くなると、豊臣家を滅ぼすため、今回二度目の大戦をしかけていた。

 大坂城にはかつて秀吉から恩を受けた忠義者を始め、戦国最後の戦に華を咲かそうと思った武辺者、職を失い明日食べるものにも困っている貧者たちが8万人集まっていた。

 戦国時代を生き抜いた名将たちの活躍で一時は善戦していたが、すでに多くの者が討ち取られ、組織だった行動を取れぬ烏合の衆となり下がっていた。

 士気の下がった兵たちは、城を燃やしてきましたと言えば徳川方は喜ぶだろうと思い、火を放って逃げ出したのである。


「バカな!!」


 坂崎は突然大声を上げる。

 これには柳生も眉をつり上げて反応した。


「戦が終わる!? 俺はまだ手柄を上げていないのだぞ!?」


 ちょうどそのとき、将たちの集まる詰め所に乱入する者があった。


「皆の者、聞けい! 上様からのご命令だ!」


 彼の名は土井利勝(どいとしかつ)。

 将軍秀忠の側近で老中を務めている。

 たいした家の生まれではないのに、幕府の最重要ポジションを務めているため、よくねたみを買っていた。

 将軍の父・家康が妾(めかけ)に生ませた子ではないかと誹謗されることもある。


「城にはまだ上様のご息女がおられる。なんとしてもお助けするのだ!」


 秀忠の娘で、名を千という。

 秀吉の子・秀頼に、7歳のときに嫁つぎ、今は18才である。

 徳川による攻撃が始まったが、まだ大坂城に残されたままであった。

 秀忠も人の子であり、人の親である。敵は滅ぼしたいが、娘を助けられるならば助けたい。


 土井の発言に、将たちの詰め所は急に静まりかえる。

 まだ敵兵が大勢いる城に急いで突入しなければない。火が回る城中で姫様を探し出し、無事に救出させるのはいかに困難なことか。

 無駄な被害を出さず、じっくり包囲殲滅しようと思っていたのだから、気乗りしないのも仕方がない。

 誰だって死にたくないし、家臣を死なせたくないのだ。


 土井の話には続きがあった。


「お救いした者に姫様との縁組みを許すと、上様はおっしゃっておる!」


 打って変わって、今度は歓喜の声があちこちから上がる。

 千姫は豊臣秀頼の妻ではあるが、この戦で秀頼は自害するか処刑されるだろう。その後の再婚相手をここで救い出した者にしようというのだ。

将軍の娘と結婚できるのはどれだけ名誉なことか。末代までの安泰と発展を約束されたようなものである。

 ハイリスクハイリターンな仕事が提示され、諸将の心は功名心に変わりつつあった。


 戦はまだ終わっていない。

 坂崎は目を炎のように燃え上がらせる。


「俺がいく!!」


 諸将のざわめきをかき消すほどの大音量だった。

 周囲は再び静まりかえり、視線が坂崎に集まる。


「何だあいつは……」

「坂崎だ」

「あの卑怯者の坂崎か?」

「姫様目当てとは浅ましい」


 坂崎はもともと悪評の多い武将であった。

 一番に名乗り出た坂崎にマイナス評価がささやかれる。

 誰が一番乗りであろうと悪口は出たはずだが、坂崎はそれほど地位も高くなく、素行もよくないため、皆は文句を言いたい放題であった。


 なんと思われようと関係ない。

 ハイリスクは坂崎の望むところであり、このシチュエーションは彼を熱くした。

 諸将からの悪口も、むしろ心地よく思えていた。

 坂崎は威勢よく歩き出し、将たちをかき分け退出しようとする。


「命に代えても姫様をお助けせよ。これは幕府のためにも、おぬしの家のためにもなることゆえ」


 退出しようとする坂崎の背後から、老中の土井が声をかけてくる。

 いいから行ってこい。千姫さえ助かれば、死んでも別に構わない。ということに違いなかった。


 興が冷める思いがした。

 坂崎は立ち止まり振り返る。

 土井をきっとにらみつけ、何か言葉をぶつけてやろうと思ったが、なんとか堪えて再び外に向かって歩き出した。

 幕府など知ったことか。俺は俺のやりたいようにやる、それだけだ。

 退出する途中、柳生の姿が目に入ったが、彼は相変わらずタバコをふかしていた。




「坂崎殿、どちらへ」

「城だ。千姫を助けにいく」

「城へ!? 牢人衆は敗れたと言っても、側仕えの精鋭は残っておるぞ!」


 どしどし地面を踏みつけながら歩く坂崎に話しかけた男は、小野寺義道(おのでらよしみち)という。

 坂崎より少し下で50歳目前である。

兄が戦死したため、10数歳で家督を継ぎ、出羽仙北(現在の秋田県)の大名となる。しかし関ヶ原の戦い後、改易されて(領地を奪われて)流浪していたところを坂崎が拾い上げ、家臣としていた。


「分かってる。だからこそ行くんだよ」


 坂崎は小野寺を押しのけて進もうとする。


「ふ、坂崎殿ならそういうと思っていた」


 小野寺はニヤリと笑い、刀をぐいと差し出す。

 筑後の名工が鍛えた「三池典太光世」(みいけてんたみつよ)、坂崎の愛用する刀であった。

 坂崎は微笑む。


「さすがは小野寺殿、分かってるじゃないか」

「同じ穴のむじな。坂崎殿の思うことくらい、手に取るように分わかるわ!」


 小野寺は戦場において個人的な感情に走りがちで、武士の大将としてはいささか器が小さかった。

 しかし、腕っ節と度胸だけは誰にも負けぬ根っからの武人である。

 坂崎もまた同じタイプの人間であり、皆に嫌われていた小野寺を迎え入れたのもそのためであった。


「ほれ、槍も用意してあるぞ」


 小野寺が合図をすると、部下が走り寄って坂崎に槍を差し出した。

 山姥(やまんば)の槍、と名付けられた剛槍である。

 妖怪山姥が持っていたとされる槍で、山姥に襲われた武士がこの槍を奪い取り、山姥を突き刺すと霧のように消えてしまった、という逸話を持っている。


「ふん。これがなくては始まらんな」


 坂崎とともに数々の戦果を上げてきた槍である。

 太刀を佩き、槍を手にして、坂崎は嬉しそうに笑った。


「後続は待つのか?」

「いや、俺たちだけでいく。手柄は誰も渡さん」

「そうか。だが、勝算はあるのか?」

「はっ! 勝算など知ったことか! ……と言いたいところだが、俺にも考えがある」


 坂崎は不敵に笑った。

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