第9話「真田幸村」
「我こそは真田左衛門佐(さえもんのすけ)幸村! 将軍が首、もらいうける!」
赤備えの集団は本陣に入り込んでいた。
乗ったら最後の片道切符。
敗北の決まった彼らは、せめて要人だけでもと、捨て身の特攻をしかけたのである。徳川家康、秀忠どちらかでも討てば、徳川の支配体制が崩れ、離反する者が多く出るはずで、そうすれば豊臣再興も夢ではないのだ。
もしかすると、大坂城に火が放たれたのはそちらに目を向かせ、本陣突撃を実行するためだったのかもしれない。
そして奇襲は見事成功し、まさか敵が攻め入ってくるとは思っていなかった徳川本陣は、大混乱となっていた。
幸村と名乗った武将は十文字槍を馬上から繰り出す。
槍が動くたびに、兵士の叫び声と血しぶきが上げる。
幸村に続く騎馬がさらに突き刺し、馬蹄で踏みしだく。
誰もその進軍を阻むことはできず、彼らが大坂方秘蔵の精鋭集団であることは間違いなかった。
「奴をとめろ!」
「討ち取れー!」
「上様をお守りいたすのだ!」
徳川軍の怒号が飛び交うが、それは将の威勢に過ぎない。
兵士たちは真田軍の突撃に恐怖し、足止めはおろか、近づく勇気すら絞り出すことができない状況であった。
これまで何度も真田軍に煮え湯を飲まされ、いつ背後を襲われるか分からない恐怖に怯えさせられてきたのだ。真田と赤備えはその存在だけでも、兵士の心を臆病にする。
「真田幸村はどこだー! 出てきやがれー!」
坂崎は懸命に馬を走らせる。
幸村はすでに死んだはずだった。
その首は皆の前で検分され、本人の首であることが確認されたのである。
坂崎もその場に居合わせ、その武勇にあやかろうと思い、幸村の髪を一房もらい受けていた。
その真偽を見定めなければならない。
そして、本物であるならば剣を競わせてみたい。
危機感、焦りよりも、好奇心、功名心が勝っていた。
真田幸村を討ち取ることができれば、それは千姫救出よりも大きな手柄になるかもしれない。少なくとも、坂崎はそちらのほうが自分の欲望を満たすことができるだろう。
「待ってろ……俺の手柄」
赤い甲冑に鹿角の兜を身につけた武将は、敵を殺し旗を倒し陣幕を破った先に、大将格の男を発見していた。
「将軍・徳川秀忠とお見受けする」
「真田幸村、か」
秀忠の前に、赤備えが一騎立ちはだかる。
だが秀忠は動じることなく、その場にしっかり立ち、相手を鋭い眼光でにらみつける。
「その首、頂戴する!」
そう言うと幸村は馬を駆けさせる。
しかしそれでも、秀忠は動こうとしなかった。
代わりに、一人の武者が秀忠をかばうように前へ立つ。
甲冑を身につけていない軽装の武者。
柳生宗矩であった。
宗矩は鎧を着ていないどころか、槍も持っていなかった。あるのは腰の刀のみ。それは突進する騎馬に対して、あまりにも無謀な行為である。
「邪魔をするな!」
幸村は進路上にいる柳生に槍を突きかける。
しかし、柳生は腰に差す刀を抜かないどころか、微動だにしなかった。
刃が届く直前で十文字槍をひらりとかわす。そして槍の柄を掴んだ。
次の瞬間、幸村の体は馬上から浮いていた。
柳生が投げ飛ばしたのである。
槍の突き出された後方に向かって引き、その力を利用して幸村を槍ごと背負い投げにした。
幸村の体は無様にも地面に投げ出される。
甲冑が鳴り、体がきしむ。
「そこまでだ」
ぶんどった槍の穂先を幸村に向け、柳生は静かに重く言い放つ。
「くっ……」
幸村は甲冑の重さに逆らいながら、体をゆっくりと起こす。
「幸村ーっ!」
ちょうどそのとき、陣幕を破って坂崎が将軍の御前に馬を走らせ入ってきた。
もちろん将軍を助けるためというより、幸村を倒すために来たのだ。
状況を見て、すぐに柳生が幸村を打ち負かしたことを察して、歯ぎしりする。
馬を飛び下りて幸村に近づく。
「奴は本物か!?」
柳生が幸村を投げ飛ばしたところを見ていない坂崎としては、柳生に倒される程度の者ならば、そいつは本物の幸村ではないのだろうと思ったのだ。
それに、本物の幸村であれば、幸村を倒した柳生に手柄を奪われたことになるので、本物とは認めたくなかった。
坂崎が幸村に掴みかかり、顔を見ようとしたところ、突如、陣幕を突き破り、赤い甲冑に身を包む騎兵が乱入してきた。
数は七騎。
赤備えであるから、味方ではなく、敵であることはすぐに判別できる。
坂崎は刀を抜き、騎兵に対峙する。
「貴様らでは物足りんが……手柄とさせてもらおう」
騎兵相手にリーチの短い刀は分が悪いのだが、槍がないのだから仕方ない。
愛刀を騎馬武者に向けるが、突然、坂崎は身動きを取れなくなる。
幸村に羽交い締めにされていた。
「くそっ、離せ!」
坂崎は体を激しく動かし抵抗するが、ふりほどくことができない。
怪力を誇る普段の坂崎であれば、幸村をそのまま背負い投げすることもできただろうが、疲労による困憊は隠しきれないほどとなり、体が思ったよりも力を出してくれない。
「やれい!!」
幸村は坂崎を羽交い締めにしたまま、騎兵に合図をする。
騎兵は怒声とともに馬を走らせ、将軍めがけて突進する。
「柳生殿! なんとかしろ!」
自分が身動きできない以上、坂崎は柳生を頼るしかなかった。
柳生がどの程度の実力者か分からない。それに一人で騎馬七騎を食い止められるわけないが、少しでもなんとかしてほしいという気持ちだった。
「無論」
そう言うと柳生は、幸村から奪った十文字槍を投げた。
槍は一直線に飛び、一人の首元を突き破り、騎兵は真っ逆さまに落下する。
その行為には敵味方双方、度肝を抜かれた。
騎兵たちは一瞬目標である将軍から目を離し、さっきまで兵が乗っていたはずの馬を見てしまう。
柳生は刀をゆっくり抜き放った。
刀の名は大天狗正家(おおてんぐまさいえ)。
備後の名工、三原正家が鍛えた太刀である。
柳生宗矩の父・宗厳がかつて天狗と戦った際に使われたとされている。
宗厳は激闘の末、天狗を討ち取ったが、そこに残されていたのは天狗の死体ではなく、大きな岩だった。
岩は綺麗に真っ二つになっていたという。
なんてことをするのだと坂崎は思った。
槍を捨て、刀で騎馬武者に立ち向かう理由がない。リーチの長い槍で応じれば、まだ勝ち目もあったものを。
六騎が柳生に迫る。
柳生は刀を構えずに片手にぶらんと持ったままである。
「舐めたことを!」
戦場において甲冑を着込まない剣士が棒立ちしている。
槍を投げたのも挑発か。勇者か愚者かは分からんが仕留めてやると、騎兵たちは思ったのである。
そしてついに、棒立ちの柳生に騎兵たちが衝突、そして交差する。
一閃。
まさに瞬きをする合間に、六人が同時に馬から落ちた。
坂崎には何が起きたか分からなかった。
柳生はすれ違いざまに刀を一振りしてように見えた。
しかし騎兵まとめて六人が斬られ、絶命している。
馬は主を失ったことにも気づかず、そのまま直進して陣幕を抜けていく。
「柳生、ご苦労であった」
ことが片付いたのを確認すると、将軍は何もなかったかのように奥へと下がっていく。
「はっ」
柳生はその戦果をおごることなく深々と頭を下げた。
「待てー!」
坂崎が柳生の技に唖然としていると、幸村の叫びで我に返る。
そして幸村に後ろから突き飛ばされ、頭から地面に突っ込んでしまう。
幸村は短筒を取り出し、秀忠の後ろ姿に向ける。
「銃だと!?」
坂崎は顔に泥をつけたまま、怒鳴った。
「もらった!」
幸村は照準をつけ、秀忠に鉛玉を放った。
背を向けたまま歩き去る秀忠の背に、玉が吸い込まれていく。
だが直前にして、玉は二つに割れた。
柳生の一振りが玉を捉えたのだ。
秀忠は銃声に気をかけることなく、そのまま奥へと姿を消してしまった。
柳生は一気に幸村との距離を詰め、投げ飛ばした。
そして倒れた幸村を上から押さえつけ、腕を締め上げる。
これもまた、ほんの一瞬の出来事であった。
「無事か、柳生殿」
「問題ありません」
柳生は幸村を組み伏せたまま答える。
呼吸の乱れはなく、いつものようにごくごく落ち着いた声であった。
「そいつは本物か?」
坂崎は幸村の正体を問う。
「坂崎殿はどう思われるか?」
「我らの虚を突き、こんな少数で本陣までやってきたんだ。並の人間にできることじゃない。やはり本物か」
赤備え、十文字槍、本陣奇襲。
状況的には真田幸村本人である可能性が高いように見える。
土壇場で将軍を狙う胆力も、並の将とは思えない。
「ではそうなのかもしれませんな」
不敵に笑うと柳生は、幸村を立たせ連行していった。
幸村は激しく抵抗していたが、柳生は難なく幸村を制御している。
「何だってんだ……」
柳生は幸村が本物か偽物かに、興味はないのだろうか。
本物であるならば、生け捕りにしたことは大きな手柄だろうに。
首をかしげていると、坂崎は一つ忘れていることがあることに気づいた。
「あいつ、やりやがった……」
辺りに散らばる死体を見てようやく坂崎は気づく。
柳生は七人の人間を斬って殺した。
ためらいもなく一瞬にして。
「人を斬ったことがないとか、嘘言いやがって……」
柳生は自分では何も言ってない。
周りの人間が勝手にそういう噂を作っていたのである。おそらく将軍のお気に入りになっていることへの嫉みだろう。
しかし、柳生宗矩が相当な喰わせ者であることには間違いなかった。
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