第10話「引き継がれる血脈」

 大坂城が炎上した翌日、大坂城の城主であり、豊臣家当主の豊臣秀頼の死体が見つかった。その母である淀君とともに、自害したようであった。

 大将が死んだことで、事実上、大坂方の負けということになる。

 攻め手としては、あとはそれぞれの領地に戻って祝杯を、ということにしたいが、事態はそう簡単なものではなかった。

 秀頼には子供がいて、残党軍がその子を奉じ、再び戦いを挑んでくるかもしれなかった。

 だから徳川軍はなんとしても秀頼の子を捕らえて、皆殺しにしておく必要があった。




「あの大坂城から、ガキらが逃げたってのか?」


 千姫救出から数日が経過していた。

坂崎は安静にするように医者に厳命され、間借りしている寺で横になっている。


「ああ、どうやらそうらしい。千姫との間に子はなかったが、側室の子が何人かいる。男児は確実にその死を確認したいようだ」


 小野寺が言うには、あの混乱に紛れて、秀頼の子・国松が大坂を脱したとのことである。


「じゃあなんだ、城に火放って、本陣に突っ込んできたのはただのおとりで、本当の目的は子供に逃がすことだったってのか?」

「そうなるな。奴ら、もう大坂での戦いは諦めていたのだ。子さえ逃せば次につながる。何かの機会に、再び挙兵して徳川を倒そうという腹であろう」

「むう……」


 明石の入れ知恵だろうかと坂崎は考えていた。

 城や大将、名将を犠牲にしてまで、明石は豊臣の存命を図っていたのだ。

 執念とも言える、大坂方の意地には恐ろしいものを感じる。


「で、坂崎殿、どうする?」

「どうするとは?」

「国松捕縛の命、受けるのだろう?」


 小野寺がにやっと笑う。


「はっ、知れたことを」


 坂崎は布団をはね飛ばして立ち上がる。


「具足を持て! すぐに出陣するぞ!」

「そうでなくては!」


 他の家臣が安静にするように発言するが、坂崎は聞く耳を持たず、小野寺が持ってきた甲冑を着込む。

 坂崎と小野寺は馬に乗り、家臣を置いて出て行ってしまった。




「飛び出してきたものの、あてはあるのか?」

「いや?」


 小野寺はとぼけた顔をする。

 これはさすがの坂崎も辟易する。

 日本は広い。まだ大坂のどこかに潜んでいるのか、それとももう大坂を出てしまったのか。どこに逃げたか分からなければ探しようがないのだ。


「何か情報はないのか?」

「特に入ってきてないな」

「むむむ……どうしたものか……」

「情報などあれば、先に見つけられてしまうではないか。こういうのは、何も痕跡を残していないのが僥倖と思っておくのがよい」

「前向きな考えで、うらやましいな……」


 坂崎はあきれた感じで答える。


「そういう坂崎殿はケガをされたせいか、気弱になっていらっしゃる」

「あ? 誰が気弱だと?」

「ははっ、いつもの通りになられた。坂崎殿はそうでなくてはならぬ」


 自分も頭がいいほうではないが、小野寺も馬鹿だなと、坂崎は思う。

 彼にしてみれば、これで励ましたつもりなのだろう。戦はまだ終わっていないのに、寺で寝たきりになっている坂崎は不満がたまるばかりであった。そこで坂崎が喜ぶネタを持ってきて、残りの消化試合を楽しんでもらいたかったのだ。


 坂崎はこの件で小野寺に対して怒らないでおこうと決めたが、手がかりがなく、闇雲に走っているだけでは、何年かかっても見つけられるわけがない。何でもいいから、とっかかりとなる情報を得なければならない。

 脱出するならばどこかと考え、港に絞って聞き込みを行うことに決めた。


「小野寺殿、先に港へ行ってといてくれ。俺は寄るところがある」

「分かった。坂崎殿はどこへ行かれる?」

「教会だ。十字架がどっかにいっちまってな」

「そうか。では先に行っている」


 すでにこの時代、キリスト教は禁止されていたが、南蛮貿易で西洋文化を取り入れたい徳川幕府はあまり積極的に取り締まりを行わなかった。

 表だって布教はできないが、キリスト教徒が集まる場所はそのまま残っていた。

 しかし、キリシタン大名として有名な高山右近は国外追放されており、キリスト教にはあまり関わるべきではないというのが一般的な考えである。

 小野寺も坂崎が敬虔なキリシタンだと知っていたので、あえて止めなかったが、深入りしてほしくないと思っている。


 坂崎は大坂の教会であった場所を訪れていた。

 建物についていた大きな十字架は取り外されていたが、外観はそのまんま教会である。

 坂崎が建物に入ると、誰かがとっさに隠れたのが見えた。

 めざとい坂崎はそれを見逃さなかった。


「怪しいな。今の奴出てこい!」


 坂崎は駆け寄って、逃げた人影を追おうとするが、ポルトガル人の神父に遮られる。


「どけ。今のは何者だ。なぜ隠れた?」

「ナンデモアリマセン。コノ教会ノモノデス」

「本当か?」

「ハイ。トルニタリマセン」


 神父の説明は腑に落ちないが、キリスト教は禁止されているので、摘発を恐れたのだと思えば、充分に納得できた。

 あからさまにキリシタンとして動けないのは坂崎も同じなのだ。

 坂崎は素直に自分がキリシタンだと言い、神父に十字架をもらえないかと頼む。

 神父は坂崎が摘発に来たのではないと分かると、心を許して十字架を与えた。


「すまんな」

「デウスノミチビキノママニ」


 ここで坂崎の悪いくせが出た。

 神父が身をかがめた瞬間に奥の部屋へと押し入ろうとする。

 さきほど隠れた人影がどうしても気になったのだ。


「オヤメクダサイ」


 神父の制止を振り切り、部屋に侵入する。


「お前ら……」


 薄暗い部屋の中には三人の男がいた。

 年長者は30代。あとは15才ぐらいの精悍な青年と10才にも満たない幼子であった。


 武装した男が入ってきたとあって、相手は身構える。

 上の二人は幼子をかばうように前に立ち、腰の刀に手を当てている。

 坂崎はこの行動の意味を理解した。

 この幼子は二人にとって守るべき対象なのだ。

 坂崎は先手を取って刀を抜き放つが、すぐにその手をとめる。


「……ん、貴様、見たことがあるな」


 30代の男に目を付ける。

以前どこかで会った気がしたのだ。


「そなた、詮家殿か……」


 坂崎は昔の名を呼ばれ、むっとする。

 その名で呼ぶということは、相手はやはり旧知なのだ。


「それがしは明石景行(かげゆき)と申します」

「明石……そういうことか」


 大坂城で坂崎が殺害した明石全登の子であった。

 関ヶ原の戦いで宇喜多家が分裂する前に会ったことがある。

 あれから15年、彼は立派な青年になっていた。


「ということはそのガキは……」

「詮家殿、どうか見逃していただきたい……」


 景行はいきなり坂崎の目の前で土下座をする。

 これもまた、非常に分かりやすい構図であった。

 敵に頭を下げても逃がしたい子供の存在。それは非常に重要な地位にある人物なのだ。

 つまり、豊臣国松。


「どうか我が首をお持ちください。ですから、どうかこの子だけはお見逃しを……」


 景行は切り落としやすいように、首を坂崎のほうへ伸ばす。

 坂崎は考えていた。

 目の前にいるのは豊臣秀頼の遺児・国松に違いない。景行と若者を殺害し、国松を連れて帰れば、千姫以上の報償を得られるかもしれない。

 だが無抵抗な武士が地面に顔を打ち付けているところに、刀を振り下ろすのはいい気がしない。


「私の首をお持ちください!」


 若者もまた地面にひれ伏し、首を差し出そうとする。

 景行はびっくりしているようだったが、言葉を飲み込んだ。


「貴様は何者だ?」

「私は真田幸村が子・大助。今は幸昌と名乗っております」

「真田……」


 これには坂崎も驚きを隠せない。

 若者は大坂方を指揮した名将・真田幸村の子であった。

 偽物の可能性はあるが、坂崎は数日前に会ったばかりである。


「なぜ貴様らはここに……。もしや……」


 これは国松を逃すための壮大な計画だったのだ。

 城に火を放して攪乱する。そのすきに明石全登が千姫を連れ出し、真田幸村が決死で本陣に突撃する。降伏の証として豊臣秀頼が自害する。徳川方がそれらを処理している間に、その子らが脱出を図る、というものだ。


 景行と大助は無言で首を差し出している。

 その様子を見て、国松は怯えるばかりであった。

 坂崎も刀を持つ手が震えた。

 坂崎といえど、このプレッシャーに勝てず、非情になりきれなかった。


「ええい、くそっ! 勝手にしろ!」


 坂崎は刀を納めてしまう。

 親たちが子を救うために命を捨てたのに、ここで殺してしまったら報われない。いや、それ自体は坂崎の気にするところではないのかもしれない。

 明石の子までも自分が殺すことに抵抗があった。坂崎も敵でなければ明石を殺すことはなかったのだ。もちろんその子も好きで殺すわけがない。


「詮家殿、感謝いたす……」

「その名で呼ぶな。今は坂崎と名乗っている」

「これは失礼いたした……」


 坂崎と明石は従兄弟であるから、景行もまた血縁であった。

 血縁だから許したと思われるのは癪であるから、坂崎としては宇喜多の一員でないと宣言したのである。


「これからどうするつもりだ?」

「島津を頼ろうかと思っております」

「島津?」

「はい。以前、父とともに世話になっておりました」


 関ヶ原の戦いで敗れ、明石はこの大坂の陣まで、薩摩(現在の鹿児島県)の島津家にかくまわれていた。今回も同様に、時期が来るまでそこで隠れているつもりなのだろう。

 主人の宇喜多秀家も一時、薩摩にいた。彼がいたのはほんのわずかな期間である。戦の責任を取るべく、自ら出頭したのだ。


「やめておけ」

「は?」

「やめておけと言っておるのだ。もう豊臣など捨てよ。いつまでそんなつまらんものに拘っている。明石のように無駄な人生を送り、無駄な死を迎えるだけだぞ」

「父が? まさか父は亡くなったのでしょうか……?」


 坂崎は包み隠さず、自分が明石を殺害したことを認める。

 大助に幸村のことを聞かれ、それも見たままのことを話した。

 二人は悔しそうな顔をする。


「そうでしたか……」

「恨むなら恨め。だが、豊臣の戦を続けている限り、貴様らはいつまでもこういう敵を作り続けるのだぞ」


 景行と大助は無言になる。


「ここは見逃してやる。だから、あとは普通の武士として生きよ。目立つことをしなければ、真っ当な人生を送れよう」

「はっ、無事逃げることができましたら、考えさせていただきます……」


 景行の気持ちは揺れたが、結論を出せなかったようである。目の前に、父の敵がいるというのは大きいだろう。


「九州に行くのはよいが、島津はやめとけ」

「は? 何故にございましょうか?」

「島津はぐだぐだ言ってこの戦いに参加しなかった。幕府は一番に島津を厳しく調べるだろう」

「ではどうすれば……」

「木下延俊という喰えん男がいる。奴を頼れ」


 木下延俊(きのしたのぶとし)は、豊臣秀吉の妻・ねねの兄の子である。

 豊臣にかなり近い間柄である。

 木下はそれを逆に利用して豊臣と交渉を行い、徳川に貢献してきた。

 豊臣方からは裏切り者という者もいたが、豊臣方に立って徳川と話をつけてくれるため、助けられたケースはとても多い。

 大坂の陣に一応徳川として参戦していたが、敵味方に自慢の弁舌を用いて、のらりくらりとした戦いをしていた。


「奴は豊臣家に理解がある。徳川についているふりをしているが、反骨心で徳川をかなり恨んでいるはず。危険を冒してでも、貴様らをかくまってくれるだろう。それに豊後(現在の大分県)に領地を持っているから、隠れるにはもってこいのはずだ」


 豊臣の縁戚としてこれまで様々なご恩を受けていたのだから、その豊臣になることなら喜んでやってくれるだろう。

 それが直系の子を養育しろ、というのだからこれ以上の恩返し、名誉はない。

 三人は坂崎に礼を言うと、教会を去って行った。


「さて、どうしたものか……」


 坂崎はどうごまかすか考えていた。

手配中の人間を逃してしまったのだから、それがバレたら大変なことになる。

小野寺が知ったらきっと怒り狂うだろう。

坂崎はとりあえず小野寺には黙っておこうと思った。




 一方、大坂城の近くで、豊臣秀頼の娘が捕まっていた。

 幕府は秀吉の遺児をすべて殺す気でいたため、この娘もまた処刑されることが決まっていた。

 だが千姫は父であり将軍である秀忠を抗議する。


「どうか命ばかりは救ってやれないものでしょうか」

「なぜかばう必要がある。奴はお前が生んだ娘ではないぞ?」

「はい。……ですが、私の子には変わりありません」


 千姫は秀頼が側室に生ませた子の命を助けようとしている。

 秀忠は眉をひそめる。

 豊臣に嫁いでから10年以上会っていないが、ここまで豊臣に感化されているのは不遇に思う一方、不愉快だったのである。


「もう決めたことよ。特例は認められぬ」

「どうかご再考を! もはや徳川の天下は決まったではないですか! 娘一人生かしたところで何も変わりませぬ!」


 父であり将軍である自分に怒鳴りつけてきた千姫に、秀忠は驚く。

娘に叱られる親というのもあるが、秀忠を叱れるのはこの世で父・徳川家康しかいないのである。


「豊臣との戦いで多くの人が死にました……。城も街も、将も民も……。これ以上の人死にはおやめください。一人の命を救うことで、その業が許されるわけではありませんが……人々の希望にはなりましょう」

「ふむ。豊臣の希望にはなろうな」

「そういうことはではありません!!」


 とびきり大きい声を出したので、秀忠はびくっとしてしまう。


「もう徳川も豊臣もないのです。世は徳川のもの。豊臣は滅び去ったのです。これからは泰平が待っております。そこでは過去の因縁は忘れ、手を取り合って生きるべきなのです。殺し合って憎しみあうのはもう充分です……。この連鎖、ここで断ち切りましょう」

「…………。豊臣の娘を許すのがそれになると?」

「はい。私が責任を持って、彼女を平和の証にしてみせます」


 秀忠はため息をついた。

 ただの娘に何ができるのかと思ったのである。


「分かった。お前に任せる」

「本当ですか!?」

「ああ」


 秀忠は根気負けした。

 政略結婚で自分の娘を不幸にしてしまったという呵責もあっただろう。

 千姫の言う通り、すでに豊臣は滅びたのだから子細を気にしても仕方ない。

幼いころから敵中に10年以上もいて、ようやくそこから逃れられたのだから、それくらい千姫の自由にさせてやりたいと思った。




 こうして、二度にわたる大坂の陣により、大坂城は落ち、豊臣家は滅亡した。

 豊臣秀頼は自害、国松は捕らえられ、処刑された。

 秀頼の娘は千姫によって助けられ、人々は美談として語り継いだ。

 大坂では徳川軍による辻斬り、人さらいが横行し、社会問題となっていたため、この美談は明るいニュースとして受け入れられたのである。




「これは坂崎殿」


 大坂の町で坂崎は一番出会いたくない男と出会ってしまっていた。


「お、おおっ!? なんだ、柳生殿か。今日はどうしてかような場所に?」

「所用がございましてな。坂崎殿もまたどうして?」

「たいした用ではない。知り合いに会いに来ただけよ」

「ほう。知り合いですか」


 坂崎は、柳生の何を考えているか分からない目を恐ろしく思っていた。

 こちらの行動をすべて見透かした上で、話しかけてきているのではないかと警戒する。


「ここにはまだ豊臣の残党が多いと聞きます。お気をつけくだされ」

「と、豊臣とな。はっ、そんな奴らに俺が殺されるわけがなかろう。後ろから斬られようと返り討ちにしてくれるわ!」

「ふ、でしょうな」


 相変わらず嫌な奴だと、坂崎は心の中で舌打ちする。


「ところで坂崎殿、これからどちらへ?」

「用が済んだから戻る。柳生殿は?」

「拙者はもう少し大坂の町におります」

「ほう、御役目ご苦労にございますな」

「いえ、もうすぐ終わりますので」


 坂崎は柳生と別れ、寄宿先の寺に戻る。

 柳生は坂崎が向かった反対側に歩き出す。




 その後、豊臣国松は捕まり、すぐに処刑された。

 それを聞いた坂崎はにやりと笑った。

 坂崎は本物の国松を逃してしまったため、別人を仕立てあげることにしたのだった。景行のあとを追い、豊臣家に縁のある品々をすべて取り上げ、街の子に身につけさせた。きっと偽物が処刑されたのだ。

 幕府の人間がその真偽を知っていて処刑したのかは分からないが、幕府にしてみれば、少年が本物でも偽物でよかった。

本物を処分できればそれで万事解決する。偽物であれば、本物が存在する可能性が出てきてしまうが、豊臣国松は処刑した、と公表できればそれでも効果があるのだ。国松が生きていることを知らない豊臣方の人間はそれだけで落胆するだろうし、あとで本物が出てきてもそれが本物であるという確証がかなり薄まってしまう。

そして何より、幕府の名誉として、敵の首謀者の子・国松を逃してしまった、というのは絶対に発表できないのだ。


 坂崎が逃がした本物の国松と景行らは、無事木下延俊と接触し、豊後でかくまわれることになった。

 これはもっと先の話だが、豊臣国松は延俊の四男・延由と名乗り、生涯を全うする。四男であるにも関わらず、他の兄弟を差し置いてかなりの厚遇を受けていたという。彼の死後、その位牌には明石の家紋が刻まれていた。


 一方、千姫に助けられた7才の娘は出家し、天秀尼と名乗る。

 縁切り寺として名高い鎌倉の東慶寺に入り、その後も千姫とのやりとりは続いていたという。

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