第11話「泰平の世」
坂崎は大坂の陣で受けた傷を癒やしながらも、婚儀の準備に追われていた。
千姫を救出した功を正式に認められ、婚儀を執り行う許可が下りたのである。
といっても、すぐに結婚というわけにはいかない。
偉い人には偉い人相応の「格」というものが必要なのである。
作法、礼儀、手順、結納……古くからのしきたりで細かく決まった事項に従って、婚儀を行わなくてはならない。
そしてお金も莫大にかかる。
東京大学にある赤門は、11代将軍・徳川家斉の娘が前田家に嫁ぐ際に創建したものであるが、同様にして将軍の娘を迎えるにはお金と時間がかかるのであった。
「面倒だな……やめてしまうか」
坂崎は山姥の槍の穂先を磨きながら嘆いていた。
坂崎が大坂城で紛失した山姥の槍は、小野寺が回収していた。坂崎が本陣に戻っている間に、知り合いを見かけたとかで、戦功争いで負けてられぬと再び大坂城に入っていき、そのついでに持って帰ったのである。
坂崎にとっては千姫との結婚はもともと望んでいたものではないし、こんなに面倒なものならば断ってやりたいと坂崎は思ったが、家臣たちになだめられ、しぶしぶ従っているのだった。
「そう申すな、坂崎殿。婚儀さえ済めばあとはどうにでもなろう。大事なのは将軍家の縁戚になることよ」
小野寺も家臣たちと同じことを言うので、坂崎はため息をつく。
準備も面倒だが、あの世間知らずの跳ねっ返りが嫁に来るというのは、やはり気が重い。
歳は30以上離れていて、一緒にいるだけで気疲れしそうであり、何より将軍家の縁戚というお高い感じが坂崎と合ってなかった。
坂崎は権力が欲しくて戦をしているわけではない。
ただ己の力を振るうことで何か生み出すことができる場が合戦であっただけである。それは絵のうまい人が絵師に、歌のうまい人が歌人になる。それと同じで、腕っ節が強いから武士をやっているのだ。
「これからの時代、武士は不要なのだろうか」
「あん?」
坂崎は自分でもよく分からないことをつぶやいていた。
「いや……なんでもない」
「むしろ武士の時代であろう。源氏が幕府開いて以来、武士がこの世を統治しているが、徳川が全国統一を果たし、ようやくその形を取り戻したのだ」
「まあ、そうなんだが……」
武士は戦場で戦うだけがすべてではない。統治者としての仕事がある。
しかし平和な時代となってしまっては、もう合戦で刀槍を振るうことはないのかもしれない。坂崎はそれが気に掛かるのである。
甥の宇喜多秀家は、豊臣秀吉の下で統治者として武士の職務を行っていたが、これからはあのスタイルが武士の基本になるのだろう。
民を従え、税を納めさせ、家臣を養い、訴訟の裁決を行う。
坂崎からすると、ぞっとする仕事内容であった。
ある日、土井利勝の使いがやってくる。
土井自体は気にくわない幕府の官吏だが、婚儀の件だろうと思い、坂崎は使者を丁寧に接待した。
「よくぞいらした。で、土井殿は何用ですかな?」
「はっ。坂崎殿がお持ちの名刀『三池典太光世』、土井利勝が預かりいたします」
「はあっ?」
思いっきり素で声が出てしまう。
「上様がご所望しておられます。三池典太光世はお召し上げになるのです」
「はああっ!? バカをいうな! 我が家宝を譲れと!?」
とうてい信じることのできない使者の発言に声を大いに荒らげる。
「はっ、左様にございます。本日は引き取りに参りました」
「やれん! あれだけはやれん! やれるわけがないだろう!! 刀は武士の魂だぞっ!!」
「そうおっしゃいましても、これは上様のご命令にございますれば」
話の内容はもちろん、こっちは怒っているのに、いつまでも冷静ぶっている使者の態度も気にくわない。
「ふざけるな! 何が上様だ! 何を勝手に、人のものを寄越せなどと! 馬鹿にするのも大概にしろ!」
「やめろ、坂崎殿! だまれ!」
近くに座していた小野寺が坂崎の顔を思いっきり殴り飛ばした。
思いも寄らぬ攻撃に受け身を取れず、坂崎はもんどり打つ。
上様、つまり将軍の悪口はまずい。
逆らえばどうなるか、それはこの時代を生きた人間にはよく分かっていた。
平静な顔で応じていた使者の顔にも変化が起きている。
「小野寺、なんのつもりだ!」
坂崎は今にも刀を持ち出して暴れそうな勢いであった。
「落ち着けェ!! 坂崎ィ!!」
聞いたこともない声量の喝。
小野寺が坂崎家に来て以来、坂崎に楯突いたことはなかったため、さすがの坂崎もたじろいでしまう。
小野寺は坂崎を押さえつけ、外へと引きずり出そうとする。
「御使者殿、刀をご用意いたしますゆえ、しばしの間、お待ちくだされ。食事でも用意させましょう」
「我慢ならんぞ、あんな奴、追い返しちまえ!」
「短気になるな、坂崎殿」
「小野寺殿は何も思わんのか! 悔しくないのか! 俺は戦功者だぞ、何で刀を取り上げられなきゃならん!」
使者を待たせ、坂崎と小野寺は別室で討論を繰り広げている。
「いい加減にせよ。このままだと改易されるぞ」
「知るか、そんなもの! 馬鹿にされてこのまま引き下がれるか! 改易されるぐらいなら、あいつをぶっ殺して、その首を土井の屋敷に届けてやる!」
「はあ……。よいか、坂崎殿。わしが改易されたときのことを思い出すのだ……」
小野寺はため息をつき、昔話を始める。
今から15年前、関ヶ原の戦いとき、小野寺は東北地方で行われた戦において、徳川方についていた。
敵の上杉軍に対して優勢に戦を進める。
しかし、小野寺は急に裏切った。
理由は、味方に因縁の敵である最上義光の姿を見つけたからである。
小野寺と最上は何十年も戦い続けたライバルで、最上の策謀のために、小野寺は多くの家臣を失っていた。秀吉が東北を丸ごと収めて天下を取ると、形だけは仲直りしたのだが、ライバルを目の前にして怒りが再燃したのである。
結果、小野寺は戦に敗れてしまう。最上は智仁勇を備えた英雄的な武将であり、小野寺が思いつきで挑んだところで勝負になる相手ではなかったのだ。
そして裏切りに対して徳川家康は激怒し、小野寺を改易にした。
「我らは領地と家、そして名誉を失った……。いや、名誉など今となってはどうでもよいのだ。死んでいった者の仇を討てないのはなんと悔しいことか。それに長年連れ添った家臣は散りぢりになり、今何をしているのか、生きているのか分からぬ者もいる……」
小野寺も坂崎が保護してくれなければ、今頃見知らぬ地で果てていたかもしれない。
「し、しかしだな……土井の勝手を許すのは……」
坂崎の頭に、東北で貧しく暮らしている妹夫婦のことがよぎり、言葉がよどむ。
彼らもまた、クビにせざるを得なかった家臣たちを思って嘆いているのかもしれない。
「土井は我らを試しておるのだ」
「試す?」
「今や徳川家に面と向かって逆らう大名はおらぬ。だが、心の奥底で徳川に反感を持つ者は多い。土井はそいつらをあぶりだそうとしておる」
戦によって勝敗によって、物事の優劣を決める時代は終わった。
あとは絶対勝者である徳川に対して、素直に従う者だけが生き残ればよい。
坂崎のように文句ばかり言って困らせてくる家臣は不要。
小野寺が言うのはそういうことであった。
「我らは不要なのか……」
「戦しかできぬ大名はもはや必要とはしていまい。生き残るためにも、今は土井の無理難題にも応えねばならぬ。そして、千姫の婚儀を無事に終え、坂崎家の後世に残すのだ」
先日、坂崎が考えていたことが早くも現実になろうとしていた。
「わかった……刀は渡そう……。だが、俺のやり方は通させてもらう」
「お待たせいたした、御使者殿」
坂崎は愛刀である三池典太光世を手に持ち、使者の待つ部屋に入ってきた。
「それが噂に聞く名刀ですな。待った甲斐があったというもの」
「いかにも。しかし、度重なる戦にて酷使しておるため、切れ味が鈍っているやもしれません」
「うぬ? 本日は渡せぬとおっしゃるのか?」
使者の顔が曇る。
刀を打ち直してから渡すから待ってくれと言っていると解釈したのだ。
それはただの口実で、話を後回しにして逃げようとしているのか、やんわり断ろうとしているのか。
「あいや、そうではありません。すぐに済みますゆえ」
坂崎はポンポンと手を叩く。
小野寺に連れられ、みすぼらしい男が入ってくる。
粗末な服を着て、手を縄で縛られている。
「坂崎殿、この者は?」
「今朝、盗みで捕まった罪人です」
「はあ?」
意味が分からない。この男が名刀の譲渡と何が関係するというのか。
使者は首をかしげる。
「切れぬ刀を上様にお渡しすることはできません」
そういって、坂崎は三池典太光世を抜いた。
「坂崎殿、何を……」
「名刀の切れ味をご覧に入れよう」
ふんっと気合いとともに、太刀を横一文字に振り抜く。
「馬鹿なっ!?」
刀が滑るように走り、体を真っ二つにする。
使者の顔が返り血で染まり、驚愕の表情で固まったままになる。
「この通り。いかがですかな」
罪人の上半身が下半身と別れを告げ、先に床に倒れ落ちた。
「あ、ああ……」
眼前で起きた惨劇に、やっとのことで声を発するが言葉にならなかった。
「我が坂崎家の家宝、確かにお譲りいたす。土井殿にはくれぐれもよろしくお伝えくだされ」
坂崎は刀を鞘に収め、不気味な笑みを浮かべた。
「ハハハっ! 思い出すと笑いがとまらんわ! 見たか、あの顔。丘に上がった魚のようにパクパクしてたぞ!」
「肝が冷えたわ。罪人を連れてこいというから、何かしでかすのはわかったが、まさかあの場で斬り殺すとは」
坂崎は昼間の一件を肴に晩酌をしていた。
上機嫌な坂崎に対して、小野寺のテンションは低い。
「刀は命令通りに渡したではないか。いったい何の問題がある」
「さすがに度が過ぎるであろう」
「人の家宝をただでくれてやるのだ。あのくらいはさせてもらわんと気がすまんわ!」
小野寺は頭を抱え、深い深いため息をつく。
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