第12話「波乱」
「小野寺殿、少しよろしいでしょうか」
神妙な面持ちをした坂崎家の家老が小野寺に小声で話しかける。
「どうした、何かあったのか?」
「お耳に入れたいことが……」
「わしにか?」
小野寺は元大名といえど、その身分を剥奪され、坂崎家の中でも高い地位にいるわけではなかった。
「はい。殿に申し上げる前に、小野寺殿にご相談をと思いまして」
「よい。話せ」
「なんだとっ!?」
小野寺は怒声を上げた。
「お、お静かに……」
「これが黙って聞いておられるか! 坂崎殿なら何をしでかすか分からぬぞ!」
「ですから申し上げたではありませぬか。殿より先に小野寺殿にご相談したいと……」
「ぐぬぬ……」
それは大事件であった。
千姫は本多忠刻に嫁ぐとの通達があったのである。
「何ゆえだ。上様は大坂での褒美として、千姫を坂崎にくれると言うたではないか」
「そのはずです。ですから、我らは婚儀のために東へ西へと走り回っておったのでございます」
「それがよりによって、本多か。忠刻とは本多忠勝の孫だな……」
先の大坂の陣で、坂崎の窮地に割って入った若武者である。
今は剣豪・宮本武蔵に師事し、剣技の鍛練を積んでいるという。
「歳は千姫と近い。見目もよい美丈夫で、腕も立つという。……坂崎の負けだな」
「そんなこと、殿の前ではおっしゃらないでくださいよ……」
「おかっておる。おかっておるが……これはどうしたものか……」
血筋は圧倒的に忠刻が良い。
忠刻、千姫ともに織田と徳川の血を継いでいる。
それに若くて美しい二人が結婚するのは、世間の評判も非常によいだろう。
血なまぐさい戦国乱世が終わり、新たな時代を迎えるにはとてもよい明るいニュースであった。
「これはやはり土井の差し金か」
「おそらくそうでしょう……。何か企んでいるのは間違いありません」
どの事情を考えても、坂崎よりも、忠刻と結婚させたほうがいろいろ都合がよいと思ったのだろう。
だから、いとも簡単に坂崎との約束を反故にできた。
「それに刀の一件を快く思っていないのやもしれませぬな……」
「あれか……」
使者の前で試し切りしたことである。
その腹いせでしでかしたのかもしれない。
土井は優秀な政治家であるから、そこまで小さい男だとは思わないが、徳川の世に坂崎のような人間を認めたくないと考えているように、小野寺には思えた。
「まずは土井に抗議するしかあるまい。我らは確かに幕府によって、千姫との婚儀を許されておるのだ」
「はっ。殿には……殿にはいかがしますか……?」
小野寺はしばらく沈黙する。
このような話を冷静に聞いてもらえるとは思えなかった。
「……わかった。わしが話そう」
小野寺は覚悟を決めて坂崎にすべてを話した。
案の定、坂崎は怒り狂った。
辺りにあるものを殴り蹴り投げ飛ばし、次々に破壊していった。
怒りが収まるまでは待つしかないと小野寺は傍観していたが、刀を抜こうとしたところで取り押さえた。
「落ち着け、坂崎殿!」
「落ち着けるかー! 道理に合わぬではないか! 俺が褒美としてこの婚儀を取り付けたのだぞ! なぜそれをあの小僧に横取りされなきゃならん!」
以前は結婚を嫌がっていたのに、今は結婚する気まんまんである。
理不尽な理由で、自分のものを取られるのは、坂崎の気分はひどく害した。
土井は無論許せるはずはなく、忠刻もあの場で死ねばよかったのに呪った。むしろ、今から殺してやると怒鳴り散らす。
「言いたいことは分かる。だがこれは正式な通達だ」
「ふざけるな! 従う理由がどこにある! 奴らが勝手なことを抜かすなら、俺も好きにさせてもらう!」
「何をなさるので?」
「土井をぶっ殺してくる!」
坂崎の目は本気であった。
生と死が隣り合う戦場で、幾百人もの武者を地獄に突き落としてきた殺意の目である。
「馬鹿なことはやめよ! そんなことして何になる!」
「ああ、何にもならんさ! だが、忌々しい土井は死に、俺の気が収まる!」
「下らん! そんな個人的なことで、家臣らを路頭に迷わせるというのか!」
「その通りだ! あんたと同じだよ! 皆には悪いが付き合ってもらう!」
「坂崎殿……」
それが分かっていて、上の判断に逆らおうとしているのであれば、小野寺は何も言えなかった。
「小野寺殿はずいぶん丸くなったな。前のあんたなら止めなかったはずだ。一緒に乗り込もうと賛同してくれただろうさ!」
小野寺は何も返せず沈黙した。
かつて坂崎が富田信高を伏見城で殺そうとしたときはとめたが、あれは法的手段で訴えたほうが、相手に被害を与えられると思って提案したのである。
今回の場合は、相手も状況も悪すぎた。
「俺は土井のところにいってくる」
「待て。その役目、わしが引き受けよう」
「な?」
「俺がやる。必ずや土井を説得してみせん」
これ以上坂崎の気持ちを抑えることはできない。
ならば自分が土井を説得して、根本の問題を解決するしか、坂崎家を救う方法はないと思ったのだった。
「上様のご采配にござる」
小野寺が何度正当性を説いても、土井の答えは変わらなかった。
「亡き大御所様は姫様の今後を案じておられた。姫様のために、良き家、良き夫を探すのが我らの役目」
大御所とは、徳川家康のことである。
「しかし、確かに婚儀のご許可をいただいた書状がここに」
「知りませぬな」
「そんなはずはありませぬ。ここに土井殿の署名も入っております」
「何かの間違いではありませぬか」
「よく見てくだされ!」
「私にはまったく記憶がありませぬ。もしや、それは偽造されたものではあるまいな?」
「さ、左様なこと決してございませぬ!」
押しても引いても土井はなびかない。
強気に出る相手に対して有効な策を小野寺は持っていなかった。なにせ相手のほうが偉いのだから、こちらも強気にというわけにはいかない。
しかし、このまま手ぶらで帰っては坂崎に対して申し訳が立たない。
何より自分が坂崎家にいる意味がまったくなくなってしまう。一家離散を二度と繰り返したくはない。
「どうか、姫様との婚儀をお許しくださいませ。これは大坂の役により我らが勝ち取った褒美にございますれば……。武士は主君に対して奉公いたすことで、ご恩に報いることができまする。しかし、見返りがなくてはその関係も始まりませぬ。これは武家政治の根本にございますれば、この一件は皆々の承服いたしかねるところになると存じ上げます」
小野寺はできる限りの深さで頭を下げた。
「そのことを私が知らぬとでも」
土井は態度を崩さない。
高圧的に小野寺に挑発を続ける。
「い、いえ……」
「これではいつになっても終わりませぬな。これだけは申しておきましょう」
土井は一息、間を入れて言う。
「上様のご判断に逆らうおつもりか?」
日本最強のカードを切ってきた。
「そんなつもりは……! 滅相もない!」
これを使われては誰も逆らえず、引き下がるしかないのである。
何が正しいか間違っているかは関係なく、将軍に逆らった先は滅びしかない。
「よろしい。ならばこれにて失礼する」
土井は奥へと下がってしまった。
小野寺はとめようとしたが、なんととめていいのか分からなかった。
「すまぬ、坂崎殿……。わしには何もできなかった……」
小野寺は目に涙をため、醜く顔をゆがめながらうめいた。
彼は決して弁舌の立つ人間ではない。
恩のある坂崎家をどうしても救いたくて名乗り出たが、彼には荷の重すぎる役目であった。
戦国は終わり、武にのみ秀でた武士はすでに不要になっていた。
小野寺が戻ると、屋敷では人々が慌ただしく動き回っていた。
明らかに戦支度である。
蔵から甲冑や槍を出しているところだった。
「何をしておるのだ」
小野寺は家臣たちに指示を出している坂崎を掴まえて問う。
「見れば分かるだろう。戦だ、戦」
小野寺はやられた、と思った。
坂崎は小野寺が土井を説得できるとは、これっぽっちも思ってなかったのである。
だから小野寺の答えを聞く前に準備を始めたのだ。
「何を馬鹿なことを。この数では何もできまい」
この時代、大名はそれぞれ地方に領地を持っているが、将軍に従う武士として、江戸城の近くに屋敷を構えていた。
坂崎の兵士はほとんど領地である津和野にいて、この江戸屋敷には最低限必要な者のみを連れてきているため、戦える者は百人ほどである。
それに対して敵は、屋敷の周りに住んでいる武士全員と言っても過言ではない。戦が長引けば、地方からさらに兵士たちが集まってくる。
「そのぐらい分かっておる」
「ならばなにゆえ……」
「数が足りぬのであれば、頭を使うのが戦というもの。俺にだって考えはある」
坂崎はひげ面をほころばせる。
「千姫を誘拐するのだ」
「誘拐だと!?」
「千姫の輿入れの隊列を襲う。城から本多屋敷に移るときならば、たいした護衛はいないだろう。千姫を奪ってしまえばこっちのもんだ。この人数であろうと実行できる」
千姫を奪うのは少数でもでき、立てこもってしまえば幕府は簡単に手出しできなくなる。千姫を人質にして、幕府に要求を飲むよう通告するのだ。
「無謀過ぎる……。やめよ……千姫のことはもうあきらめるのだ……」
小野寺はさすがに坂崎の案には賛同できなかった。
そんな脅しに幕府が乗るとは思えない。
将軍は娘の千姫を気に入っているようだから、殺しはしないだろう。
だが面倒なことになるならば、いつでも切り捨てかねない。実際に大坂の陣は千姫がいる城に向かって攻撃をしかけたのだから。
成功する確率はほぼゼロで、凄惨な最期が約束されていると言っていい。
しかし、坂崎はあきらめる気なんてまったくなかった。
「もう話すことはない。決めたことだ」
「坂崎……!」
「どうせあんたも土井を説得できなかったんだろう?」
「ぐっ……」
「もういいんだ。……姫のことだってどうだっていい」
言葉に窮する小野寺に対して、坂崎は静かに語り出す。
「俺は武士だ。人を殺して報酬を得る汚い仕事をしている。これまでどれだけひどいことをやってきたか数えきれん。……しかしな、今回のように報酬がもらえんようじゃもうお仕舞いなんだよ。ただの人殺しの暴れん坊だ」
「むう……」
「それに、戦国乱世は終わっちまったんだ。この泰平の世では、俺みたいな猪武者は不要らしいぜ……」
「坂崎殿……」
その気持ちは小野寺にもよく分かった。
今後、自分たちのような年老いた武人が活躍することは決してなく、幕府も切り捨てようとしている。
「これは最後の舞台だ。結果がろくでもないことになるのは分かっている。……だが、もらうべきものは要求しなくてはならんのだ。この乱世に生きた武士として」
「そこまで思っていたとは……」
「小野寺殿はどうする? これは坂崎家の問題だ。客将のあんたが付き合う必要はない」
「どうするも何も」
小野寺の答えはすでに決まっていた。
坂崎に拳を掲げる。
「わしとおぬしの仲ではないか!」
「ふっ、そう言ってくれると思っていた。友よ!」
二人の腕が交差する。
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