第13話「突然の訪問者」
千姫が本多忠刻に嫁ぐ知らせを聞いて、義理の弟である戸川達安が坂崎邸を訪ねていた。
「まさか謀反を起こす気ではないよな……」
第一声はそれであった。
甲冑や弓が並べられている屋敷の様子を見れば、戸川の感想も当然である。
「謀反? まさか。俺が謀反を起こす理由などどこにある」
「千姫の件か? あれは不幸だったと思って諦めたほうがいい……。あれは夢だったんだ……」
坂崎はとぼけてみせるが、長年ともに戦った戸川にはお見通しであった。
関ヶ原の戦いで徳川に味方して、二人とも独立した大名になれたのに、こんなことで改易されては無駄になってしまうと、戸川は説得を繰り返す。
「怒りたい兄上の気持ちは分かる。だが、幕府に逆らって何もいいことはない。この前も豊臣に協力した大名が、妙ないいかがりをつけられて改易されたばかりだ」
「ほう」
「ここはなんとか堪えてほしい。腹立たしいのもいずれ収まるから……」
「ふん」
「妻が欲しいのであれば、いい縁を探してこよう。だから、馬鹿なことをやめてくれ……」
「はっ、そんな理由なわけなかろうが」
「だよな……」
戸川は苦笑する。
経験上知っている。坂崎は決断したことを決して覆さない。
決めたからには何があろうと、千姫を奪い取り、武力によって己の願望を通そうとするはずだ。
彼はいつもそうしてきたのだから、その発想自体はおかしいと思わなかった。
ただ、今回ばかりは成功するはずもない……。
「なあ、兄上。キリシタンになったときのことを覚えておられるか?」
「ああ、忘れるわけがない」
「あの直後だな、姉上が亡くなったのは」
「…………」
戸川の姉とは坂崎の妻のことである。
坂崎の眉が動く。
「男ならば戦でいつ死んでもおかしくないし、部下や友を失うのは日常茶飯事だ。だが姉上は女なのにすぐ死んじまったな……」
「…………」
「それがちょうどキリシタンになったばかりのときだったから、神仏を裏切り、邪教に従った罰だ、と文句言われたよな」
「…………」
坂崎は戸川には答えず、沈黙を保っていた。
「あれはつらなかったな……。キリシタンの者を寺で葬儀を行うことはできぬと、坊主に断られ、どうしようもなかった。人の死に、仏教もキリシタンもあるのかと俺は怒ってやりたかったよ。兄上も一緒に怒ってくれるんじゃないかと思ったが……兄上は違った」
坂崎は戸川をにらみつけるが、戸川は話を続ける。
「キリシタンの葬儀を行うことはできません。どうかお引き取りを」
袈裟を着た坊主は若き日の戸川に告げる。
坂崎の妻は流行病で亡くなっていた。
「そこをなんとかならないのか? 宗教が違えど、同じ日本の民ではないか」
「なりません。この方がキリシタンではないという証を示していただければ、話は別ですが」
「くっ……」
当時宇喜多は、織田信長の後継者となった秀吉に従っていた。
坂崎とその妻は、秀吉の治める大都市・大坂で、キリスト教に感銘を受け、すぐに入信していたのであった。
坂崎の同僚であった小西行長や明石全登がキリスト教徒になったのも同じ時期である。
「いいだろ、キリシタンの葬儀をしたって! やることは何も変わらないではないか! 人が死んだら弔う、それがお前らの仕事だろ!」
戸川は声を荒らげるが、坊主は涼しい顔をしてまったく受け付けない。
そこに坂崎が割って入る。
戸川は坂崎が一喝してくれるのかと期待したが、坂崎の声は静かなものであった。
「妻はキリシタンではない。仏教徒だ。だから、葬儀をあげてやってほしい」
「何をおっしゃいますか。あなたとこの方はキリシタンの洗礼を受けたと聞きました。今さら偽りをいわれても、我々には何もすることはできません。そうですね。あなたがこの場でキリシタンを捨てるというのであれば、考えましょう」
坊主の足下を見た発言に、戸川は怒りを覚える。
坂崎も怒りを抑えられなくなったのか、部屋を出て行ってしまう。
しかしすぐに戻ってくる。
そして、きらびやかな服や装飾品を床にばらまけた。
「な、なにを!?」
「それらはすべて妻のもの。確かに俺はキリシタンだ。だから俺は、仏教徒の持ち物に口出すことはできないし、しない」
「なっ……」
坂崎は質実剛健な性格ではあったが、豊臣秀吉に仕える高給取り。妻の持ち物も一般人にしてみれば、一生かけても手に入らない高級品ばかりである。
坂崎が言う意味を理解した坊主の人が喉を鳴らす。
「繰り返す。寺で葬儀を上げてくれ。それが済めば、泥の中に投げ捨てるなり好きにしろ」
坂崎の声は静かで落ち着いていたが、非常に凄みがあり、その場にいる者は硬直し、言葉を発することができなくなってしまう。
坂崎は直接言葉で示すことはなかったが、目をつぶるから高価な品を勝手に持って行け、という意味であった。
坂崎がその後も無言で立ちはだかるので、坊主は坂崎の願いを聞き届けるしかなかった。坊主は人を呼んで、妻の遺体、そして服と装飾品を運ばせた。
葬儀は滞りなく終わり、坂崎の妻は墓に埋葬された。
「どうしてあんなことしたんだ?」
「……忘れたわ」
「あれもキリシタンの教えか?」
「さあな」
坂崎は思い出したくないのか、ちゃんと答えない。
「俺はあのとき思ったさ。姉上をもらってくれたのが兄上でよかったと」
「はあ?」
戸川の突然の告白には坂崎もびっくりしてしまう。
「キリシタンがどういうものかは分からん。だが、姉上も自分の意志でキリシタンになったのだろう。だが、葬儀を上げられず、先祖代々の墓に入れぬとはびっくりしたろうな。兄上が何もしてくれなければ、ほんとそこらに放り投げられていたかもしれん」
「…………」
「今さらだが感謝している」
「はっ、言ってろ」
坂崎が照れるので、戸川は苦笑する。
「いやはや、ついでだから言ってしまうが、兄上がそこまで女子に興味があるとは思っていなかったのだ。戦ばかりで家のことには気が向かぬとな」
「悪かったな、戦馬鹿で」
「姉上も嬉しかったに違いない。ともにキリシタンとなり、あんなふうに、かばってくれるとは」
「どうだろうな」
「妻のために体を張るなど、なかなかできたものではない」
坂崎は戸川の言葉がむずがゆく感じて、なんだか居心地が悪い。
坂崎が坊主を叱りつけない方法で、妻の葬儀を上げさせたのは、最愛の妻が急死して戸惑っていたに過ぎなかった。
通常であればすぐに坊主に首をはねていただろう。しかし妻の死で動揺し、寺に見捨てられそうになった妻がただ不憫で、あんなことをしてしまったのだ。
「そういうお前はどうなんだ?」
「むう……たいしたことはできてない。照れくさいからな」
「なんだそれは……」
ここまで恥ずかしいことをしゃべり続けているのに、自分自身は何もしてないとはおかしな話だと、坂崎は思った。
「なあ、兄上」
「なんだ?」
「俺は兄上に死んでほしくないと思っている」
「誰も好き好んで死なんが?」
「ああ、それでいい。無茶はせず、普通に生きてくれればいいんだ。生きてりゃいつだって話せるからな」
「なんだ、気持ち悪い」
「おっと、シラフで言うことではなかったな。酒はあるか? 今夜は飲もう」
仁王のような体や顔をした巨人が、人間くさいことを発言するのだから、なんだか気持ちが悪いのだ。
坂崎は部下に命じて酒を持ってこさせる。
「またこうして酒を飲もう」
「そうだな」
二人は酒を飲み交わして言う。
「今度は富田に嫁いだ妹御とも飲めるといいな」
「それは難しいな」
「互いに生きていれば機会もあろう」
「うむ……」
「秀家様もそのうちお許しが出ることになっている。そしたら、皆で飲もう」
「秀家が戻ってくるのか?」
「ああ、今年中にも戻ってこられるはず」
宇喜多秀家は八丈島に流され15年になる。
豊臣に加担した罪で島流しになっていたが、家が滅び、徳川の天下が決まったことで、そろそろ許してもよかろうということになっていた。
「そうか……」
坂崎はめまぐるしく状況が動き続けた激動の数十年を思い返していた。
甥の秀家とは終始仲が悪かったが、もう泰平の世となったのだ。次会ったときぐらいは、一緒に酒を飲んでやってもいいかもしれないと思った。奴も奴なりに苦労をしているはずだし、その苦労の責任も少しは自分にあるはずだった。
「もうつらい世は終わったのだ。あとは楽しく生きようではないか、兄上」
「そうだな……。いつの間にか、俺たちもずいぶん歳を取ったもんだ。いつお迎えが来たっておかしくはない」
戦国時代はまだ医療技術が低く、病気になれば長くは生きられなかった。50歳は充分生きていると思われる基準の歳である。
秀家は40を越えていたが、そのうち15年を本土から離れた島で暮らしている。それはなんだか可哀想のようにも思えた。
本土に戻れるならばそれはきっと良いことに違いない。
「あとは楽しく、か……」
もはや戦争で命を落とすことはない。
あとは幕府の命令に従っていれば、寿命が来るまで好きなことをやって生きていられるはず。
大好きな馬と遠駆けをして過ごす日々も悪くないなと、坂崎は思う。
「おや、酒が進んでおらぬようだな」
「お、すまぬ」
思いにふけていると戸川に酒をつがれ、一気に飲み干す。
秀家の流刑が終わり、宇喜多家が再興されれば、富田に嫁いだ妹を呼び戻すこともできるかもしれない。
戸川の言うように、皆で酒を飲むのもよいと思える。
自分も戸川も妹も富田も、あと何十年も生きているわけではないのだ。昔のことを詫び、すべて水に流して、激乱の時代を振り返って酒を飲んでみたい。
坂崎は夢見心地で戸川と酒を飲んでいた。
気づくと自分の寝室で寝ていた。
灯りは落ち、辺りは真っ暗である。
人の気配はない。坂崎が寝てしまったので、戸川はもう帰ったのだろう。
「飲み過ぎたな……」
頭がズキズキと激しく痛む。
昔はあのぐらいの量で気を失うことはなかったのにと、自分が歳取ったことを認識する。
小姓を呼び出して水をもらおうしたとき、ちょうどよく水を差し出される。
なんと気の利く奴だと思い、水の入った椀を受け取り、一息で飲み干す。
椀を返そうとしたところで、見たことのない小姓だと気づき、その顔をのぞき込む。
「わっ!?」
坂崎はびっくりして椀を放り出してしまう。
確かに見慣れない小姓だった。
しかし、その顔を坂崎は知っていた。
「人の顔を見て驚くとは無礼な奴め。わらわの顔を忘れたのではあるまいな?」
小姓の姿をした人は千姫であった。
「姫様!? 何故このようなところに!?」
千姫は大坂から戻ると、江戸城のどこかで暮らしているはずだった。
坂崎屋敷は湯島にあるから、決して移動できない距離ではない。
しかし、縁談の消えた坂崎の家にいるはずがないし、夜にその寝所にいるのはもっとおかしいことだった。
「お忍びでな」
「お忍びってこんな時間に……」
「こんな時間でなければ、城を抜け出せぬであろう」
「それはそうだが……」
坂崎は困り果てていた。
自分の部屋に将軍の娘がいるのは大変恐縮である。
なにより、千姫の婚儀の列を襲撃して、その身柄を奪おうと考えていたのに、当の本人が目の前にいるのだから、たまったものではない。
「何か不都合があったか?」
「いえ、そういうわけでは……。このことは上様はご存じで?」
「知っているわけがなかろう」
「だよな……」
将軍の娘が深夜に大名屋敷に出入りしている状況は考えられなかった。それが世に知れたらどんな評判を受けるか。豊臣秀頼と死別して寂しく、男あさりをしていると風聞が広まるに違いない。
「じゃじゃ馬にもほどがあるぞ……」
「それは褒め言葉か?」
「まさか……。それにしても、姫様はだいぶ変わられましたな。なんだかこう、肝が据わったように思われます」
「いつまでも物知らずの姫ではない。それに、あのようなことを体験したのだ。強くもなる」
大坂の陣のことを言っている。
自分のために多く部下を失い、自らも燃えさかる戦場を駆け歩いたのだ。
「それより、何か言うことはないのか?」
「言うこと? なんだそれは?」
「おぬしという奴は……」
千姫はあきれた顔をする。
「おぬしは人の気持ちを考えたことはあるか?」
「は? あるとは思うが?」
「それが考えていない証拠ぞ……」
坂崎は千姫の言うことがまったく理解できず、首をかしげている。
千姫は考える時間を与えたが、坂崎はいっこうに答えを出せない。
「もうよい。教えてやる。わらわの気持ちを考えたことがあるか?」
「いや?」
「…………」
坂崎には悪気があったわけではない。本当に考えたことがなかったのだ。
「大坂を脱してからどれくらい経つ?」
「半年は経つな」
「うむ、その通り。この期間、おぬしは何をしていた?」
「毎日忙しかったな。婚儀の準備であっちこっち走り回っておったわ。あっ……」
坂崎は結婚する相手のことをすっかり忘れていた。
もちろん千姫と結婚するのは知っていたが、それが生の人間という感覚はなく、年間行事のようにやらなければならないことと思っていた。
「わらわは半年待たされておるのだぞ……」
千姫は頬を膨らます。
千姫は大坂城を脱出したあと、助けた坂崎に嫁ぐことを周囲の者に聞かされた。
当然そんな理不尽な話があるものかと思ったが、将軍が正式に通達を出したため、受け入れるしかなかった。
しかし、千姫は幼い頃から政争に利用され、戦国の女子は己の望む結婚ができないことを理解している。
将軍の娘をフリーにしていてはもったいない。次の政略結婚先を見つけて、徳川の味方を一人でも増やしたい。助けた者と結婚させるというふざけた話がなくとも、自分が再び誰かと結婚するのは分かっていた。
その相手が知らない誰かよりも、知っている人間であるほうがまだ良いと思えた。歳は30以上離れているが、戦国時代では別に珍しいことではない。
諸手を挙げて喜ぶことはできないが、千姫はこの半年で坂崎に嫁ぐ心の準備を整えていたのであった。
「少しは人の気持ちを理解せい」
「す、すまん……」
坂崎は状況に流され、つい謝ってしまう。
千姫の言っていることは理解できないこともないが、婚儀を取りつぶしたのは坂崎ではない。どうして自分が文句を言われるのだろうと不満であった。
もちろん坂崎には千姫がどんな気持ちで半年待っていたかなど、考えたこともなければ分かるはずもない。
「のう、坂崎。わらわと結婚したいか?」
「は?」
「『は』ではない。『はい』か『いいえ』で、答えよ」
坂崎は答えにつまり、沈黙する。
「おぬしはわらわを辱めたいのか?」
「いや、そういうつもりではないが……」
なかなかその恥ずかしい返事をできるものではない。
50を過ぎた無骨者の坂崎には非常に厳しい。
「それは答えねばならぬのか……?」
「当たり前であろう。仮にも婚儀を結ぶことになった間柄であるぞ」
「むむむ……」
返事が恥ずかしいというのもあるが、小娘にそれを言わされるというのが坂崎にとって苦しかった。
将軍の娘なのだから命令に従うべきなのだが、坂崎にそういう考えはない。
「わらわも馬鹿にされたものだな」
「そういうわけではないが……」
「よいのだ。どうせ皆にそう思われておる。豊臣の監視役として送られたにもかかわらず、何も役に立つことができず、父上の足を引っ張るばかり。政治の道具にもならず、報償にもならず、残念な子だと気を遣われ、適当によい縁を見繕われてしまった。もう期待はせん、あとは好きに生きろと、見捨てられたのだ」
「いや、それは……」
女子に強気に出られ、坂崎は言葉を濁すしかなかった。
それにようやく千姫の気持ちも少し分かり、嫁ぎ相手を選べず、親の都合でころころ変えられてしまうのは不憫に感じた。
「……わらわにも娘ができた」
「娘? 秀頼の子か?」
「そうだな」
「最後に仕込んでいたのか……」
「最低ね」
千姫は坂崎に冷たく尖った言葉を刺す。
「秀頼様の子ではあるが、わらわの子ではない。側室の子を引き取ったのだ」
処刑されそうになったところを千姫が助け、東慶寺に預けた天秀尼のことである。
「そういうことか……」
「ほっとしたか?」
「なぜ俺が」
坂崎がむきになって答えるので、千姫はふふっと笑った。
「これは徳川と豊臣の間に立つ者として、せめてもの罪滅ぼしだ。いわば偽善だな。徳川と豊臣のために多くの者が亡くなってしまった。両方をつなぐわらわがしっかり役目を果たしていれば、誰も死なせず済んでいたかもしれん。前に坂崎が言ってくれたな。死んで当然だと思ったか、と」
「あ、ああ……」
「そんな人がいてよいわけがない。主に従い、戦場で戦って死ぬのが武士の役目だとは思わぬ。無論、人が死ぬのは嫌だとか、そんな甘っちょろいことを言える時代でなかったのは分かっておる。しかしな、上に立つ者としては、自分のために命を投げ出し尽くしてくれた者に酬いてやりたい。少しでもよいから、その労をねぎらい、喜ばせてやりたいと思うのだ」
「そうか……」
まさか千姫があのときの問いに向き合い、答えてくれるとは思わなかった。
彼女はこの半年で大きく成長したのだろう。
「けれど、死んでしまってはどうすることもできぬ……。尼になって供養してやりたいが、今は叶わぬこと……」
「その言葉で充分であろう」
「む?」
「死んでいった将兵は姫様の言葉で充分報われている。この乱世は誰にも看取られず、見捨てられて死んでいくものばかりだ。武士なんて安い使い捨ての道具なんだよ。上の都合で勝手に殺される。誰かが少しでも気に懸けてくれれば、命を張って戦ってよかったと思えるはずだ。それが豊臣であり、徳川であるあんたの言葉であれば、なおさらな」
「そ、そうか……」
千姫は褒められて恥ずかしくなり、下を向いてしまう。
「あのガキも、あんたに引き取られれば幸せになれたんだろうな」
「ガキ? 誰のことだ?」
「あっ、いや、なんでもない」
坂崎は、秀頼の嫡男・国松のことを言ったのだが、国松が生きていることはトップシークレットである。
相手が秀頼の妻であった千姫であっても、言ってはならないことだ。
墓場まで持っていくことが、自分自身のためであり、国松の安寧にもなる。
「そ、そうか……。しかし、その言葉は素直に嬉しい。子を持たぬ身だが、引き取った子のために、本当の母になれる気がする」
千姫は顔を赤らめ、誇らしげに答える。
「もう一度聞くが、わらわと結婚したいか?」
「またそれか……」
「答えを聞くまでは、危険を冒してまで来た意味がないからな」
「そうかい、そうかい」
「で、どうなのだ?」
「そうだな……。これからは戦争のないつまらぬ世界になるらしい。だから……話相手は必要だと思っている」
「ふふ、それが答えか?」
「わ、悪いか?」
「いや、悪くない」
千姫は嬉しそうに笑う。
「俺みたいな武士はもう要らないんだとよ。刀を振るう仕事がなくなれば、毎日暇で暇で仕方ないだろう」
「それなら、毎日いくらでも話ができような」
「だなあ」
「坂崎は何の話をするのだ? やはりまた戦の話か?」
「うむ、俺にはそれ以外ないからな。歌や詩の話がよいか?」
「あれは退屈だ。もっと面白いのがよい」
「ならば戦の話だろう」
「そう、それがよい……」
千姫は坂崎の肩にこつんと寄りかかる。
「わらわは本多に嫁にいく」
消え入りそうな、か細い声でささやく。
「やめておけ。つまらんぞ」
「であろうな。だがこれは決まっておること。覆ることはない……」
「ならば、俺が再び救い出してやろう」
「救い出す? どうやって?」
「婚儀の列を襲撃して、姫様をさらってやるのさ」
「それは面白いな。それからどうする?」
「この屋敷に立てこもって、千姫との婚儀を認めぬならば、千姫を殺して自分も死ぬと幕府を脅すのだ」
「それはよい。父上の肝はたいそう冷えるであろうな」
「ほう。それは是非やってみたくなった」
相手を一泡吹かせるのは坂崎の得意技であり、好物であった。それが上の人間であれば、なおさら実行したくなる。
「けれど、やめたほうがよい……」
「なぜだ? 俺ならば火の中だろうが水の中だろうが、救い出すことができる。それはお前が一番分かっているだろう」
「肝の強さと無茶を押し通す馬鹿力はよく知っておる」
「ならば何を心配することがある」
「無理なのだ……」
千姫の声は震え、すすり泣く。
「父上は反逆を決して許さぬ。幼子でさえ殺しそうとした男なのだぞ」
「それがどうした。死を恐れていては武士など務まらぬ」
「それがダメなのだ……」
千姫は顔を伏せ、嗚咽する。
「わらわはおぬしに死んでほしくない……」
「死ぬか。俺は不死身だぞ」
「不死身の人間などおらぬ……。槍で突かれれば血が噴き出し、刀で斬られれば首が飛ぶ……」
坂崎は千姫を抱きよせ、胸で泣かせる。
「命令とあらばお前を必ず救い出してやる。俺は今までそうして生きていた。今回も失敗はしない。だから、命令してくれ」
「なんだ、それは……。わらわに命令しろと……?」
「ああ、俺に命じろ」
「命じろと命じろとはおかしなことを言う……」
千姫は泣きじゃくりながらも、笑ってみせる。
「遠慮はいらん。俺は報償目当てで何でもやる、愚かな将よ」
「そうであったな……」
千姫は涙を手でぬぐい、立ち上がる。
「ならば、坂崎に命じる」
「はっ、なんなりと」
坂崎は床に膝をつき、かしこまって答える。
「生きよ」
「なっ!?」
「わらわのため死ぬなど許さぬ。おぬしはすでにわらわのために充分な忠義を果たした。これ以上、命を削る必要はない」
「馬鹿な!? そんな命令誰も頼んでない! 俺を戦わせてくれ!」
坂崎は立ち上がり、千姫に掴みかかる。
「ならぬ! これは命令である、従うのだ!」
千姫も負けじと豪傑坂崎に言い返す。
「俺は戦争以外に生きられぬ男だ! このままでは腐って死んでしまう!」
「そんなことはない! おぬしの心は平安を求めておる! 過去のことはすべて水に流し、これから別の生き方をすればよいではないか!」
「そんなの幻想だ! 叶わぬ夢だ! 明石は死んだ。秀家も妹も戻ってこない。俺のしたことがなくなるわけでも、許されるわけでもないのだ! 俺も変わらない、変えられない。戦場が俺を呼び続けている。俺のいる場所が常に戦場にあり、俺はお前のために戦って死ぬんだよ! さあ、命令しろ! 俺に死ぬ場所を与えてくれ!」
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