第14話「坂崎事件」

「敵襲! 敵襲だー!」


 坂崎は家臣の叫び声で目が覚めた。

 この言葉を聞いて目覚めたことは数え切れない。どういう状況か分からなくても、坂崎はすぐに身動きが取れる状態になれる。

 体が先に動き、頭が覚醒してからようやく気づいたが、ここは戦場ではなかった。江戸湯島にある大名屋敷の一つである。

 辺りを見回すが千姫の姿は見えない。

 自分はまたいつの間にか眠っていたようだ。千姫は朝になる前に帰ったのだろうかと考えていると、小野寺が戸を開けて入ってくる。


「坂崎殿!」

「何事だ」

「まずい、先手を打たれたぞ……」


 小野寺は苦々しい顔をする。


「まさか……土井か?」

「ああ。奴の派遣した旗本衆にすっかり囲まれておる」

「くそっ! 早すぎる!」


 坂崎が千姫をさらおうとしているのを察知して、行動に出られる前につぶそうと軍を送りこんだに違いない。


「計画が漏れた可能性は?」

「家臣には他言を固く禁じた。それに幕府には火消しの訓練をやるとすでに申請を通している。バレるはずはないのだが……」


 坂崎には2つ思い当たることがあった。

 1つ目は戸川だ。昨晩ともに酒を飲み、坂崎が謀反を考えていることを知っている。戸川が密告するとは思えないが、他の者に感づかれた可能性はある。

 2つ目は千姫である。記憶は途切れてしまっているが、千姫は坂崎に死ぬなと命じた。坂崎はそれを受け入れられず、戦うことを選んでしまった。もしかすると、千姫が手を回したのかもしれない。将軍の娘の告発であれば、軍を動かす理由は充分にある。坂崎が婚儀の列を襲撃する前に取り締まり、刑を軽くしようと考えたのだろう。

 坂崎は昨日は酒を飲み、らしくもない失態をしていたと考えていた。自分が戦を前にして、やっぱやめようと甘っちょろいことを言うはずがないのだ。

昨日はどうかしていた。千姫に最後に告げた言葉が自分の本心であるはずだと。


「もしや、隊列襲撃の件は関係ないのかもしれん」

「どういうことだ?」

「理由など何でもよかったに違いない。ただ、謀反の疑いあり、と因縁つけるだけで、奴らは俺たちを簡単につぶすことができるってことだ」

「鼻からつぶす気だったと……」


 坂崎は小野寺の意見に驚愕する。

 だが、あの土井であればやるかもしれないと思った。

 大坂の陣での戦功者より刀を取り上げ、約束した報酬である千姫との婚儀も反故にした男だ。


「あいつ……わざと理不尽な要求を突きつけ、こっちを怒らせたんだな。何か動きを見せたところで、それを理由に排除しようって腹か……」

「ああ、仕組まれていたと見て、間違いないだろう……」


 坂崎も小野寺も深謀遠慮をしかけてくる手合いは苦手である。

 この事態に陥ってしまっては舌を巻くことしかできない。


「今更どうにもならん、考えても仕方あるまい。それで、今の状況はどうなってる?」

「ああ……屋敷は完全に包囲されている。ねずみ一匹出られる隙間はないぞ」

「こちらにはまだ蓄えがない……籠城したところで勝ち目はない、か」


 相手の動きがあまりにも早すぎた。

 坂崎はまだ準備を始めたばかりだった。

おそらく、土井もそれを分かっていて、このタイミングでしかけてきたのだろう。

そもそも、籠城戦というのは援軍が来るのを前提とした作戦である。時間が経てば優勢になるという状況でなければ使ってはならない。

当初の計画では千姫を人質に取ることで形勢逆転を狙っていたが、今の坂崎に切り札は一つもなかった。


「討ってでるか……?」


 華々しく散るしかないかと坂崎は考えるが、こちらはまだ丸腰で、戦う準備すらできていない。相手がすぐに攻め込んできたら、何もできないまま死ぬことだろう。

 戦えずに死ぬような最期は武士として認められなかった。


「殿ー!」


 坂崎の家老がドタドタとやかましい足音を立てて走ってくる。


「どうした」


 家老は息を切らしながら言う。


「土井殿の使者が来ております! どうしても会って話をしたいと!」

「ほう。力尽くで片付けようというわけではないのか。して、誰だ?」

「柳生宗矩殿にございます!」


 あの男か、と坂崎は思った。

 人を斬ったことがないという噂を持ち、武功には何も興味を示さぬ男。

 だが実態は将軍の剣術指南役の名にふさわしい力を持った、当代随一の剣豪である。




 少し前の話。

 柳生は老中である土井に呼び出されていた。


「坂崎に謀反の疑いがある」

「はあ」


 柳生は相変わらず何を考えているのか分からない顔をする。


「事が大きくなる前に収めるつもりだ。奴が動く前に、旗本に命じて屋敷を包囲する手はずになっている。それで柳生殿、そなたには……」

「坂崎を説得せよ、と?」


 柳生は土井を先回りして言う。


「いや、坂崎に腹を斬らせよ」


 柳生の片方の眉がぴくっと上がる。


「上様は坂崎に武士としての死を賜るとのこと。これに素直に従えば、坂崎の一族、家臣は許そうと思っている。しかし、奴が簡単に受け入れるとは思えん。そこで柳生殿にその説得を頼みたいのだ」

「はっ……」

「不満があるようだな」


 顔を伏せ、普段出ないはずの表情を隠したのが、土井には分かった。


「いえ、しばらくタバコを絶っているゆえ、心が何かと落ち着かぬのです」

「柳生殿が禁煙を? 珍しいこともあるものだ。何か思うことでも?」

「たいしたことではありません。沢庵和尚に煙は胸によくないと言われたものでして」

「そうか。柳生殿はこれからの世に必要なお方。十分に養生されよ」

「はっ」

「では、坂崎の件、頼みましたぞ」


 席を立とうとしたところで柳生は土井を制止させた。


「約束は、守っていただけるのでしょうな」

「は?」


 土井には何のことか分からない。


「坂崎の一族を許すことを」

「無論。坂崎が何も抵抗せぬのならばな」


 土井には柳生が何もしないわけがないと思っていた。

 どうせ一族を皆殺しにしなければならない事態になる。

 約束なんて守りようがないのだ。


「承知いたした」


 柳生は深々と頭を下げた。




「どうする、坂崎殿。時間稼ぎに話を聞くだけ聞いてみるか?」

「確かに時間は欲しいところだが……。いや……今さら話すことなどない。追い返せ」


 あれほどの武人に、己の惨めな様を見せるのは気恥ずかしいと思ったのである。

 戦で刃を交えるのではよいが、降伏勧告で世話になるのは御免だった。

 急に遠くで悲鳴が上がった。

 一つだけではない、次々に叫び声や悲痛な声が飛び交う。

 何事かと思っているうちに、家老の報告が入る。


「殿、一大事にございます! 柳生殿は門兵を倒し、屋敷に入りました!」

「なんてことだ……」


 ついに討ち入ってきたのか。

 力で攻められたら、あっという間に陥落させられてしまうだろう。

 坂崎の額に冷たい汗が流れる。


「総勢で迎え撃っておりますが、歯が立ちません!」

「くそっ! 数は? 俺もすぐに出る」

「それが……一人にございます!」

「一人だと!?」




「おい、止まれ!」


 坂崎の家臣たちは侵入者に刀を向ける。

 だが坂崎は意に介することなくそのまま歩き続ける。

 家臣たちは守備を任されている以上、敵を素通りさせるわけにはいかない。


「やってしまえ!」


 刀で斬りかかるが、柳生は刀を抜かず、相手の目を見ているだけであった。

 振り下ろされる刀をすんでのところでかわす。

 そして、刀を持つ手を片手で掴み上げては、ひょいと投げ飛ばしてしまう。

 柳生の豪腕にびっくりしている場合ではない。坂崎の家臣たちは次々に柳生に向かって挑んでいく。

 しかし、刀をいくら振るえどまったく当たらない。

 カウンターで武器を奪われ、投げ飛ばされ、組み伏せられてしまう。

 

 柳生新陰流の奥義、無刀取りである。

 刀がなくても、刀を持つ相手に勝つ究極の技。

 柳生宗矩の父・宗厳はこの技を徳川家康の前で披露し、その腕を買われ徳川家に仕えることになった。

 真の強者は武器を選ばないというが、武器すらいらないのである。

 それが剣術指南役の強さであり、真剣で人を殺さぬ噂が流れた秘密であった。




「結局、止められなかったわけか」


 坂崎と小野寺の前には柳生が立っていた。

 家臣による決死の防衛はむなしく、すべて柳生に倒されてしまった。


「降伏してはいただけぬだろうか」


 柳生はまじめくさった顔で言う。


「できぬ相談だな。俺が素直に従うと思ったか」

「いいや」


 柳生の思わぬ発言に坂崎は驚いた。

 冗談で言っているのだろうか、本当にそう思ったのだろうか。

 どちらにしろ、柳生が言うような台詞ではなかった。

 冗談を言えるような柔軟性があるわけではないし、坂崎の趣向を理解しているとは思えなかったのである。


「ならば何をしに来た」


 坂崎が問うと、柳生は無言で腰の刀に手を当てた。

 戦いに来た、という意味である。


「フハハハハハ!」


 坂崎は豪快に笑い、顔を喜びでほころばせる。


「面白い! 実に面白いことをするな、柳生殿! いいぞ、戦おう! 勝ったほう生き、負けたほうが死ぬ、武士らしい戦いをしようではないか!」


 柳生の口元が緩むのが坂崎に見て取れた。

 柳生も楽しんでいるのである。


「坂崎殿、ここはわしが」


 小野寺は主君を危ない目に遭わせるわけにはいかぬと進み出る。


「いい。小野寺殿の敵う相手ではないわ」


 真剣な顔をしていた小野寺がフハハと笑った。


「何を言うか。坂崎殿も己が勝てるとは思っておるまい」

「ふっ、哀しいことを言うな。あんな化けものみたいな奴に勝つ想像なんてできるか」


 坂崎も小野寺につられて笑う。

 最後の戦いを前にして緊張感のない発言をできるのは、彼らが歴戦の勇者だからであろう。


「ならば、やることは決まっていような」

「ああ。少しでも勝つ確率の高い方法を取らせてもらう」


 坂崎の小野寺の顔が真剣になり、柳生に殺意を向ける。


「構わぬ。来い」

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